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先日、碧血碑方面探訪に出かけた際、ついでに津軽要塞司令部跡の謎の建物を久しぶりに画像に収めてきた。現状は以前と変わらず、解体するわけでもなく、また保存の方向に向いてる感もなかった。 画像は函館八幡宮上の駐車場からである。 入口は土砂によって塞がれている。 以前とまったく同じ状態である。ちなみに屋根は当時のものではない。 こちらは裏側ではあるが、やはり土砂によって全貌を把握することはできない。 外壁の剥離も多く見られ煉瓦のむき出し部分が多数見られる。 こちらは窓部であるが、ガラスの破損はない。 今回ガラス窓を良く良く見てみた。やはりと思ったが当時のものではなく、戦後のガラス窓である。 また、大きな紙の一面には小学生が書いたと思われる文章が多々あるので、おそらく一時期、 函館八幡宮か谷地頭小学校の物置として利用されたのだろう。 それと気になる部分がもう一つ、それは窓部の蝶番。以前にも紹介しましたがこの建物は弾薬庫跡と 言われている。ま〜もっとも僕はまったく信用してませんが^^; 軍のしかも弾薬庫の窓の蝶番にしては貧弱なような気がします。 そんなことで、もう一度函館八幡宮に行き、詳細を訪ねてみましたところ、これもまた以前と同じ回答で「弾薬庫跡と聞いております」の返事! が〜〜ん。 マニュアルどうりかい! 弾薬庫にこんな大きな陽窓はいらないと思いつつ、この場を立ち去る!あっても不思議ではいが頑丈な蝶番に頑丈な鉄の扉がある。この蝶番ではな〜 そしてついでに本家本元の要塞司令部弾薬本庫を画像に収める。 こちらは以前にも紹介したとうり函館一頑丈な物置として再利用されている。 それにしても例の建物は....... いずれにせよ市にも資料はない。 |

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なんでしょうね?弾薬庫にしては窓の造りの蝶番が残っていると言う事は以前扉らしき物があったのでしょうね。
兵糧庫みたいな感じにも受け止められますがね。
2009/1/19(月) 午後 9:21 [ たいやき ]
門曲さま、千代台から要塞司令部が独立して谷地頭に移転したのが
明治36年ですから当然そのころは日ロ戦争を念頭に入れてるはずです。 したがって弾薬庫は掩蔽式でなければならない。
このようにむき出しでは艦砲射撃を食らえば一たまりもなく、また
誘爆する恐れが大です。 したがって弾薬庫とは思えないのです。
2009/1/19(月) 午後 9:53
再三の函館の大火で資料が焼失したのでしょうか?
銀ぎつね様としては喉に骨が引っ掛かっているような気分ですね。
土砂に埋もれた部分のどこかに建物を知る刻印があるかも知れないと気になっているのでは?
なんとももどかしい気分ですね。
2009/1/19(月) 午後 10:42 [ A...U... ]
この建物は弾薬庫というよりも、司令部に付帯して建てられた単なる煉瓦造の倉庫(もしくは蔵)かもしれませんね。弾薬庫にしては作りもしょぼいですし・・・。
この建物の謎を解くカギとなるような資料は函館市は持っていないでしょうから、地元の古老に色々と聞いてみるようなリサーチも必要かもしれませんが、法務局に出向いて登記簿を当たってみるという事も謎を解く手がかりになるかもしれませんね。
2009/1/19(月) 午後 10:48
A..Uさま、まさに喉に骨がかりですよ!
でもそれを取り除くご飯がないのです^^;
建物の構造からんとなくは分かりますが確証がありません。
2009/1/19(月) 午後 10:55
X-103さんさま、地元の古老でもだめなんです^^;
軍の施設故、詳細は分らず、弾薬庫本庫の一部が残っているため
弾薬庫が定着してるんです。でも話す人も?付きです。
米軍航空写真アーカイブでも解明不能! 国立公文書図書館でも
同じ。もし仮説を立てるとすればこの建物は当初は民間の物であった。そして司令部移転にもとずき、買い上げた、もしくは借り上げた。用途としては砲具庫や食料庫なども考えられますが、以前謎です。 それにしても解体するなり保存するなりどっちかに決めて欲しいもんですよ。
2009/1/19(月) 午後 11:08
『航空写真アーカイブでも解明不能! 国立公文書図書館でも同じ。』
なんとも、銀ぎつね様の徹底した調査にもかかわらずに????。
肉体の棘のようないずさが、いつか取れますように。
2009/1/19(月) 午後 11:24 [ A...U... ]
国立公文書館でだめなら、防衛省防衛研究所の資料閲覧室や陸自の函館駐屯地の資料室に何かヒントとなりそうな資料があるかも。もしかしたら足をお運びになられているかもしれませんが・・・(^_^;)
まぁ、民間からの借り上げもしくは買い上げであれば、登記簿を調べれば軍に移管される前の用途や持ち主の名前ぐらいは判明するかもしれませんね。
無論、旧陸軍が建てたということも一応否定できませんから、建てられた当時から終戦までの登記簿がないことも考えられるとはいっても、払い下げ以降の持ち主や用途が解りそうですね。いずれにせよ、謎の多い建物のようです。
2009/1/20(火) 午前 7:47
A..Uさん、そのうち誰かの手によって解明されるでしょう。
2009/1/20(火) 午前 8:22
x-103さま、公文書図書館といってもアーカイブですが^^;
函館駐屯地には函館重砲兵聯隊歴史が大切に保管されています。
僕も一度だけさらりと見たことがありますがじっくりとは
読んでません。 その時は違う目的がありましたのでね。
確かに登記簿を調べれば民間のものであったが分かるかも知れませんが、軍がなんの目的で使用したかまでは分からないでしょうね。
それを考えると足が重く、そこまではという感じです(><)
考えるに、ここはいずれ取り壊されるでしょうね?
2009/1/20(火) 午前 8:36
駐屯地の資料には多分何らかのヒントがあるかもしれないので、もう一度調べてみる価値はありそうです。
そういえば、函館市中央図書館の閉架書庫に「津軽要塞地帯図」(請求番号K/3964/ツカ/5001、資料番号1810455095)という陸軍省発行の資料があるようですね。
2009/1/20(火) 午前 9:14
倉のようなつくりが頑丈な建物ですね。
弾薬庫で納得のような気もいたしますが。
2009/1/20(火) 午前 10:41 [ バタフライ ]
x-103さま、その資料は僕もコピーしてフィルにありますが
飛行禁止区域とか、その他の類の資料なので個々の施設の詳細までは書かれてないんですよ〜(><)
でもご好意感謝致します。
2009/1/20(火) 午前 11:56
先生のおっしゃるとうりなんですけど、これが弾薬庫だ!
という確たる証拠もまたないんです。
手っ取り早い方法は同時代の他府県に残る弾薬庫跡と比較することですがこれまた該当する建物がない(><)
2009/1/20(火) 午後 0:00
今調べないとどんどんわかんなくなりそうですね(^_^;)
見てるだけで気になります!
2009/1/20(火) 午後 0:40 [ good_old_50s ]
蜥蜴親父さま、気にはなりますが、んんん〜 どうなんでしょうね
このままの状態で後数年間はありそうな気がします?
解体するにも金がかかりますからね〜
2009/1/20(火) 午後 5:46
高知の山奥までB29の編隊が飛んできました。当時小学生前でした
が戦争の片鱗の記憶が残っています。この建物も建設当時は、おそらく悲壮な思いで建てられたのではないでしょうか・・・?
遠い記憶の彼方へ消え去るような気がします。残していただきたい、
そう思います。
銀きつねさんのこの写真は非常に貴重な歴史の記録と思います。
2009/1/21(水) 午前 5:52 [ - ]
え〜masaさんはそんなに大先輩だったのですか^^;
ちなみにB29が南方の島々から飛び立ち、日本本土を爆撃しますが
航続距離でちょうど津軽海峡、まあ〜行けて函館までですが
爆撃する時間はないとされています。したがって北限は青森市
北海道の空襲は艦載機によるものです。ここに命運が分かれましたね。
2009/1/21(水) 午後 5:37