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函館山麓にある(住吉築港)ここに函館(津軽)要塞時代の水尺が残っている。前に一度紹介しているが、いかんせん満潮時であり、その全貌を紹介するに至らなかった。
さて、明治時代、この砲弾を函館山から撃つのであるが、現在のようにデジタル化されていない。当然目視である。目視するうえで大変重要となるのが海面の高さ。汐の満引きである。その干満の差を測るのには、なにか目印が必要となる。そこで数箇所の海岸に(水尺)を備えたのである。 これは遠くになればなるほど大きな水尺が必要となり、また近い所では、それよりもはるかに小型になる。 今現在、原型が残っているのは(北斗市矢不来)の海面に立つ水尺。かなり大きなものである。 残念ながら函館市内(根崎水尺)は今は存在しない。 だが、もっとも近い住吉漁港にはかすかに残っている。
これこそが現状であり、全貌である。
函館津軽要塞は明治から始まり、昭和20年でその役目は終わる。
後に近代化した漁港が出来、その最、撤去せず利用したのだろう。
この画像だけでは要塞水尺の説明は不十分である。 したがって
納得のいく画像を載せます。それは函館山頂上、即ち御殿山
(御殿山第一砲台があった場所)ここから見えねば意味はなさない。
正確にいえば指揮は戦斗司令所から下されるものであるが、水位の報告があり、その上で指揮したものと考えられる。
いずれにせよ函館山にある数か所の観測所から見えねばならん。
どうですか、納得の1枚でしょう。
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こんなのあったんですね。
これは近代歴史遺産ですね。
数字が綺麗に残ってるのが凄いですね〜!!
2010/6/17(木) 午後 8:21
いやー。さすが銀ぎつね先生の久方ぶりの記事。
1級船舶免許を持つ自分でも水尺、という言葉を初めて聴きました。
矢不来といえば函館戦争でも激戦地。函館山の要塞との関連。
大変勉強になりました。
2010/6/17(木) 午後 8:51
函館山が見えるところにこんな場所もあったんですね 新しい発見です
2010/6/17(木) 午後 8:51 [ brassww2006 ]
kabubuさん、目盛の数字は近代のものです。
当時の目盛り線は波の浸食で削られ残ってないんです。
2010/6/18(金) 午後 0:38
ひろたかさん、矢不来の水尺も年々波の浸食で小さくなってますが
それでも規模は相当なものです。当時は潜望鏡による目視ですから
あれだけ離れていれば相当大きな水尺でなければなりませんでした。
2010/6/18(金) 午後 0:40
brassww2006さん、この辺りは観光客もこない小さな漁港です。
画像は干潮時ですので海水はありませんが、満潮になると水尺は
まったく見えなくなります。
2010/6/18(金) 午後 0:43
久しぶりの津軽要塞関連!
為になるな〜目視で確認ってスゴイ!
また山との位置関係が一目で分かる写真…わかりやすいですね〜
2010/6/18(金) 午後 4:42 [ good_old_50s ]
親父殿、潮の干満の差は激しいですからね。
昔は背の高さ以上あったんですよ。
今ではごらんのとうりでけど^^;
元々漁港用ではないので、朽ち果てればおしまいでしょうね。
2010/6/18(金) 午後 5:19
う〜ん、この水尺をどのように使っていたかは全く分からないのですが、これは銀様ならではの記事ですね
これを函館戦争時に使ったと思うだけで興味がわいてきます 「水尺」についてちょっと勉強します
2010/6/20(日) 午後 4:28 [ candy ]
candyさん、この水尺は箱館戦争とは無関係です。明治に入り日本は富国強兵の下、日本各地に数多の要塞を設けることとなります。
その内の一つが函館要塞、後の津軽要塞ということになる。
水尺は大砲を山岳地から撃つ場合の目印と考えてもらえばいいです。
いくら距離がつかめようと、汐の満ち引きで微調整が必要となります。その目印の最たるものが水尺、そう考えていただけでばいいと思います。
2010/6/20(日) 午後 5:29
摩周丸で展示中の昭和20年代の古い函館港の海図の住吉漁港のあたりを見てみたところ「水尺」の文字を発見しました。
取り急ぎご報告までに。
2010/10/25(月) 午後 8:03
x-103さま、矢不来、及び今はありませんが根崎の水尺、この二つが有名ですが、ここ住吉に至っては軍が設置したのか、あるいは民間の物を利用したか、その辺りの詳細が未だ分かってません。
2010/10/25(月) 午後 8:22