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椴法華(とどほっけ)八幡宮、旧椴法華村は今は函館市に属する。
渡島半島の南東端、恵山岬の陰に位置する漁村である。
村名の由来はアイヌ語の(トトポケ)からきているが、意味はやはり
(岬の陰)の意味。
アルバコア等の記事を書くにあたり、恵山岬方面に出かけたついでに
参拝を決定!椴法華八幡宮の存在は以前から知ってはいたがいつもスルーしていた神社であった。 今回初めて鳥居をくぐり社殿まで行ってみた。 まずは位置から↓
当日は神社目当ての散策ではなかったので神社の詳しい情報は調べてませんが歴史は古いようです。 右側石碑には村社椴法華八幡とあります。まさに地域の守護神ですね。
函館市内の神社にあって石造以外の狛犬を見たのは初めてです。
右側(獅子)
左側(狛犬)
社殿彫刻は龍
境内にある日露戦没記念之碑
日露戦没記念之碑は珍しいものではなく、神社仏閣によく見かける碑の一つです。 正直、当時は陸の孤島であったであろう椴法華村に
もこの碑があったのかという程度です。
こんな小さな村です。2〜3名の出征があったのだろうかと想像しなから石碑裏の碑文を読んで驚いた!
陸軍歩兵12名 陸軍砲兵2名 陸軍工兵3名
読み取れぬ兵科の者4名 計21名がこの地から従軍していた。
そして戦死が3名、負傷が5名、 日露戦争で従軍し戦死した
函館区の総数は陸軍85名、海軍3名の計88名
亀田郡は函館区の内にあり、よって旧椴法華村出身の戦死者は
この85名の中に入ると思う。
ただし函館区が函館市内に限っていたか? また周辺の村々も
函館区の戦死者に相当するのかは詳しく調べていませんので
わかりません。
3名の戦死された方々に敬意を表しつつ、この後恵山岬灯台へ
前回の記事の位置確認のため行ったのでした。
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戦死された方に、黙祷したいと思いました。
2012/5/20(日) 午後 0:42 [ 模型公園 ]
模型公園さん、こんな小さな漁村から21名もの若者が従軍したんですね〜 とても景色がよくのどかな漁村です。
戦死され村社に祀られるは本望なのか、また、無念だったかは本人のみが知るところですが、いずれにせよ当時は日本の危機と感じたに違いありません。 戦死された3名の方には心よりお悔やみ申し上げたい。
2012/5/20(日) 午後 1:37
椴法華村のような小さな漁村でも出征者がいたんですね。
のどかな寒村ですが。。。
透かし彫りの龍が少し函館高龍寺を思わせますね。
2012/5/20(日) 午後 1:56
ひろたかさん、僕もびっくりしてます。
日露戦争当時の日本の人口総数は5000万人以下、4600〜4700万程度! 当時の椴法華村の人口はわかりませんが、仮に500人としたら大変ですね。 人口を男女対比で250とし、それを5で割る。
要するに兵士としての適性な年齢数を導く。
そうすればたったの50人。 そこから鑑みれば21人は異常ですね。 ま、当時の人口を調べぬまま書いてますが。
2012/5/20(日) 午後 2:52
地元で、それぞれの地域が、戦死した方々を悼んで、おまつりし、お悔やみする。
比較的、受け入れ易い形だと思います。
衷心・善意からの、靖国神社へのお祀り…悪意も無い、志故に、とても深い問題になります。
地元を知ることは、良い事ですね。
強制すべきことではありませんが。
地図も写真も載せて、良いルポですが、資料はありますか?
地元ならではの、資料が、載っていたり、
或いは、リンクしてあると嬉しいですね。
最近、市町村の博物館等のHPにも、DB化した資料が公開されていたりして、あたしも便利にリンクしています。
2012/5/20(日) 午後 3:26
みぃにぁんさん、この記事に関しては資料はありません。
元々この神社の訪問がメインではなかったため図書館等で調べることもしてません。
ただ地元だからこそ分かることもある。
それは従軍兵士の多さ。当時の人口はわかりませんが、こんな小さな漁村から21人も.....それが今回感じた率直な感想です。
函館区の戦死者数は(函館市史)「徴兵検査と戦没者」
P1503−1505の中にあります。
デジタル版ではhttp://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_02/shishi_04-13/shishi_04-13-05-02-08.htm
ちなみに当時の函館は要塞の町、軍の主力は砲兵です。
2012/5/20(日) 午後 4:25
こんばんは。
社殿に龍が彫られているのはいいですね。猫や犬ではちょっとです。
狛犬、立派なものですね。
2012/5/20(日) 午後 7:22 [ バタフライ ]
バタフライさん、狛犬には数種類あります。
実は(猫)も(犬)も狛犬像として存在します。
北斗市の矢不来天満宮は牛です。
2012/5/20(日) 午後 8:07
出征された方全員書かれてるんですね、その点も凄いですね、
村の存亡にも係わる大事件だったのでしょうね、我が地方の奧地の小さな集落にも日露戦での英霊の碑は見かけますが出征者全員っうのは見たこと有りませんね。
2012/5/23(水) 午後 4:35 [ テラノ助 ]
狛犬さんには思わず吹いてしまう様な狛犬さんも居られますよねw
2012/5/23(水) 午後 4:37 [ テラノ助 ]
テラノ助、まさにそのとうりで大事件だったと思いますよ。
働き手の二男、三男でしょうかね? 出征者全員の名を刻んでも
余りある碑ですが人口比で考えたらえらいことです。
3名の戦死者は村の誰もが知る若者だったと想像できます。
2012/5/23(水) 午後 6:42
僕もなんどかお会いしましたよ。それでも昔の狛犬は味がありいいですよね。
2012/5/23(水) 午後 6:44
日露戦争ではかなりの国民が出征してるけど、小さな村でこの人数は多いですね。単純な疑問なんですが、北海道はかなり寒いから、寒冷地での戦いに南の人よりも有利だからとかで多いとかっていうのはあったんでしょうかね?
2012/5/29(火) 午後 3:31
むにゅさん、函館の椴法華地区、(旧椴法華村)はそれわもう
小さな寒村なんです。でも風光明媚!海は綺麗だし、温泉もあります。 日露戦争当時ですとこの村は陸の孤島のような感じだったと思う。道南周辺の村の中でも極めて人口が少なかったと想像
できます。そこから21名の若者が出兵とは多すぎる!
だが徴兵か志願かは分からない。
南北で隔てはないと思うが、第二軍第三師団には北海道出身者が多い。 第八師団は、青森、岩手、秋田、山形、宮城の一部
やはり激戦地に集中してます。
2012/5/29(火) 午後 6:09
丁寧なお返事有難うございます。
寒村から、21人の出征。
みんなが、徴兵されて往ったとしたら、厳しいものですね。
京都府の宇治でも、小倉方面に、結果的に沢山の出征兵士を出した地区があり、今でも地区の墓地の半ばが、出征兵士のお墓です。
最近、駐車場が改装され、コインパーキングに成って仕舞いましたが、
小学校と溝状の窪地(旧国道が利用している)を挟んで、向かい側に、
桜も沢山咲く墓地は、綺麗に保たれています。
地元ならではの物語も幾つか有るみたいです。
ダーリンが、帽子と遺髪だけ帰ってきたら、嫌だなあ。
確かに、そう思います。
2012/6/4(月) 午前 4:12
みぃにゃんさん、遺髪でもあればいいほうです。
先の大戦では当家縁の者も兵士、軍属と戦死してますが
遺髪などありません。遺品が少々です。
2012/6/4(月) 午後 0:15
そうですか。
父も、叔父も、ぎりぎりセーフで徴兵されていなかったので。
祖父となると、もうわかりませんから。
有難う御座います。
2012/6/4(月) 午後 7:39
いいえ、先の大戦では遺骨が戻ってこないほうが多いですからね。海軍はほとんどがそうですね。
2012/6/4(月) 午後 9:11