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先の大戦では現役であった津軽要塞の一つ(汐首岬第一砲台)
その中で中央部に位置する掩蔽部がある。
以下は2008年4月に撮影したものだが、当時はまだ内部に
入ることは可能であった。
内部は広いがゴミの山と化していた。
今の現状
また一つ歴史が消えていく! |

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こんにちは、ゲストさん
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先の大戦では現役であった津軽要塞の一つ(汐首岬第一砲台)
その中で中央部に位置する掩蔽部がある。
以下は2008年4月に撮影したものだが、当時はまだ内部に
入ることは可能であった。
内部は広いがゴミの山と化していた。
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残念ですね どこも同じで伊豆の海軍特高ボートの発着洞窟もいまは立札のみ洞窟はゴミ置き場になっています。
日本は歴史を大切にしない国になってしまいました。
2012/7/15(日) 午後 8:52 [ brassww2006 ]
はじめまして。いつも参考にさせていただいてます。
ここへは3年ほど前に行きましたが、その後に解体されたとの噂や
戸井のアーチ橋も解体されるとの話を聞いて驚きました。
アーチ橋は下に民家もあり納得ですが、何もかも消されるのは残念でなりませんね。
2012/7/15(日) 午後 10:54 [ hi ]
銀ぎつねさん、あたしととても似た、視点・論点なので、物凄く、同感出来ます。
ブログ交流の中には、廃墟を追う方も居ます。
その方も、無理に廃墟に成って欲しい訳では無さそうですが…。
廃墟を追っている時点で、遺構・史跡を追うのとは、違う姿勢に成って行きます。
別のブログでは、歴史を追う人が居ます。
歴史を追う場合は、遺構・史跡も大切ですが、史料も追う事に成るのが普通です。
これが、似てるけど、違うブログの内容です。
保存には限界は有るとしても、歴史価値は、次第に古くなる事で増す面があるので、もし保全・維持管理不可能な場合には、何とか調査をする事で最悪でも、調査記録が残り、調査に拠って検討の余地と、検討の結果、保存され無かったとしても、調査記録だけは残ります。
英米でも、調査報告内容に果たして学術価値が有るか否か、疑問だと言う調査報告書も有りますが、調査報告書は論文では無いので、節度と限界はわきまえつつも、調査する事で最小限、保存検討のチャンスは有ると考えて見たい。
2012/7/16(月) 午前 1:53
brassww2006さん、しっかりと保存された戦跡は別ですが
それ以外はどこの戦跡もゴミ捨て場と化していますね。
無論指定の場所ではない。モラル無き輩のすることですが。
2012/7/16(月) 午前 7:58
hiさま、訪問コメントありがとうございます。
この掩蔽部の入口は戸井第一要塞の南東部の斜面に位置します。
戸井高校と隣接してますので封鎖も已むなきと思いますが、なにもコンクリートで塞ぐことはないと思います。
頑丈な鉄の扉に鍵をかければ済むこと!
それと貴ブログを拝見しました。たいへん興味ある記事が多く、
後からゆっくり読みたいと思います。
2012/7/16(月) 午前 8:05
みぃにゃんさん、確かに保存には限界は有ります。
民家や公共施設に隣接している場合はなおさらでしょう。
この掩蔽部も裏にまわればテニスコートです。
逆にいえばそれだけ人の目に接する場所。
戦跡の場合は歴史そのもので、その価値も人により千差万別!
本格的な調査は調査として行うは当然ですが
やはり個人個人、己の目で見て思うことも大事だと思います。
2012/7/16(月) 午前 8:22
最近は「戦争遺跡」という呼び方が膾炙して来ました。ところが保存されている施設には明らかに反戦教育の教材として使われているものもあります。明治以来日本が西欧列強に伍すべくコツコツと築き上げた施設(要塞や師団、鎮守府の建物、工廠のドック)もあの狂気の太平洋戦争末期のやっつけ施設もごちゃごちゃに「悪」のレッテルを貼られているのが現状では無いでしょうか。
2012/7/16(月) 午前 8:42 [ みょうちん ]
みょうちんさん、僕がブログを始めたきっかけがまさにそれです。ヤフーブログではないですが、とある函館の高校教師が函館山の要塞を紹介していた。 だが、その内容は酷いものでした。
砲台のない施設に砲台跡、弾薬庫を防空壕、その他もろもろです。 僕の指摘で全て訂正したようですが......
それでこれではダメだと思い立ちあげたのが(なんだか函館)なんです。 そんな戦跡に知識のない人、またはろくに調べもしない人達が平和論者を語り悪だ云々だというは腹がたちます。
2012/7/16(月) 午後 7:58
そうですね。
実は、宇治市でも、直接戦争や、軍国主義時代に関わらない、明治の近代化の頃から、ボチボチ作られた、黄檗弾薬庫と言うのが有ります。
確かに、その弾薬庫自体が、黄檗山万福寺の山林を破壊したのでは?
と言う意見も有るし、
GHQの日本の武装解除を指示した際に、祝園弾薬庫の方が新しくて、近代的な分、米軍に接収されて残り、
旧式な黄檗弾薬庫は、破壊を命じられた経緯も有ります。
その結果、黄檗弾薬庫は、京大の施設や、少年院などに転用されましたが、色々詳細は解らないけど…端っこや、少年院裏の数ヶ所が一旦残り、少年院裏は事実上、転用で元の形はとどめていない為、京大宇治キャンパスが縮小されて、市民運動施設に転用された際に、端っこの一庫が残され、記念に成っています。
その後、黄檗公園として整備されるに及んで、説明版と記念碑が建ちました、
充分とは言いませんが、良い例だとは感じています。
2012/7/22(日) 午後 6:44
みぃにゃんさん、ここの施設の掩蔽部は市営住宅と隣接してます。
許可があるのかどうかはわかりませんが、一部物置化してます。
これがここの実態!
2012/7/23(月) 午後 0:14
まさか、まさか、とは思うけれど、ただの昔の穴みたいなとこにゴミが捨てられてるからそのまま埋めたってことはないですよね?知らないはずないですよねぇ?埋めるのはいつでもできるけど、残すのは難しいのに。残す価値もないと思われたのかしらねぇ…
2012/7/27(金) 午後 11:27
むにゅさん、ゴミの不法投棄もありますが、やはり子供が入らぬように封鎖したのでしょうね。 それはそれで良いのですが、なにもコンクリートで蓋をする必要性は感じられない。鉄柵で十分だと思います。ただし水が入いらぬよう防水処置もしてですが。
2012/7/28(土) 午後 0:34
う〜ん。
難しいところと敢えて、言わせてね。
m(__)m
実は、宇治市では無いけど、京都市内で、戦跡では有りませんが、
皇紀2600記念の高架下物置。
飽くまでも、自治会?への委託管理で、基本防災倉庫に成っています。
勿論、防災と言っても、河川増水対策の土嚢袋や、皆で掃除用の清掃資材、浮き輪・スコップとか。
遺跡として、大切に保存と迄は言えませんが、
この記事の写真の様に荒れていない。
管理されている。
あたしは『防災倉庫で委託は、まあ、活かし方かな?!』と思っています。
少し微妙なものは入っているらしく、地蔵盆のまん幕なども、出てきていました(その辺りに委託の理由、ズルも有りかも知れない)テントは当然、兼用ですよね。
許容範囲…あたしも、この要塞跡、何とか、活用出来ないのか?
深く思います。
個人的には、上記の黄檗公園保存弾薬庫も、防災倉庫にならないかなと…思ったりもします。
弾薬庫内部は非公開ですしね。
m(__)m
2012/7/29(日) 午後 7:31
みぃにゃんさん、この中央掩蔽部に関していえば、その構造上
自治体が活用するに厳しいものがあります。
内部は広いものの間口は狭い!したがって倉庫として活用するにも限界がある。 加えて斜面にあるため出入りに支障あり!
元々(戸井高校)は戸井要塞を解体して建てられた学校です。
せめて残る要塞跡は同高校の歴史教材として活用して欲しかったと思います。
2012/7/30(月) 午後 4:29
成る程ね。
確かに、京都でも見かけますが…。
文化財や、遺跡の方を、全て解体して、記念碑を一つだけ…。
比較的新しい遺跡類には多いので…哀しいです。
正直、『高校に全ての遺跡を残せ。』は無理としても、
遺跡の全部破壊や、残す事は残しても、廃墟・放置は、無策です。
残念です。
レンガ造り時代は残しても、コンクリート造りは全部壊す。
文化財指定前に、駆け込み破壊は、許したく無いです。
2012/8/3(金) 午前 0:21
みぃにゃんさん、函館山に残る要塞跡とて同じようなものです。
建前上は負の遺産であり(保存活用)するになってます。
だが現実は厳しい。予算がつかないのです。
したがって非公開施設が多くなる。
非公開になれば場所とて特定するこは困難! そして風化等、傷みがいちじるしく進行し、最後には解体する。これが今までのパターンです。
2012/8/3(金) 午後 0:29