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汐首岬第一砲台(その2)汐首岬第一砲台は以前にも紹介しており、今回が2度目となる。 尚、後に紹介予定の旧戸井線は住民の切実なる願いの結果ではなく、この砲台に兵員や軍需物資を運ぶに不可欠と判断したからである。 汐首岬砲台跡は第一、第二砲台とあるが、現存する施設の中でもっとも 原型を保っているものは第一砲台各掩蔽部である。 画像は民家(市営住宅)と隣接する砲側庫である。また、前回の汐首岬第一砲台掩蔽部の画像は左翼部のものであり、今回は右翼部となる。 現存する大きな掩蔽部の内、この施設は内部に入ることが可能である。今現在は函館市の1部であり、管理所有は函館市の担当するところと想像できるが、内部の状況から鑑み、住民、または団体が物置として利用している節もある。画像は同砲側庫入り口付近。本来この入り口には鉄製の扉があったと思われるが今はない。戦後の鉄不足で回収されたのではないか? 内部に入るとすぐ右側に部屋がある。画像はその部屋の木製のドアだが、このドアは当時のままである。 尚、掩蔽部内部は数箇所部屋があるのだが、デジカメの性能上暗闇での撮影は出来なく、このアングルが限界である。 ドア用蝶番。こちらも当時のものである。錆びてなお機能の衰えはない!たとえ蝶番といえども軍規格がある。取り付けた方、いや、メーカーに見せてあげたいものだ。 依然として謎の波型屋根部 迷彩色の砲座胸檣内に残る「30cm長榴弾砲座跡」 同じく胸檣に残る梯子の跡 次の画像だが右上を見てもらいたい。鉄製のフックが確認できる。このフックは波型状胸檣部の1つ置きに取り付けてある。正直用途不明である。 実はこの掩蔽部はもう1つある。だが冒頭に申し上げたとうり暗闇での撮影は出来ません。 したがって中央部の入り口の画像を載せます。 ※片側はテニスコート建設時に埋めらている。 内部は以外に広く、いくつかの部屋がある。 最後は和やかに、要塞跡に福寿草。当時も兵士の心を少なからず和ませたであろう。 |

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これ、壁に絵が描いてあるのかな??誰かの落書き??に見えるんだけど・・・ここは普通に懐中電灯とか持っていれば見られるんですね??
2008/4/1(火) 午後 8:03
むにゅさん、これは旧陸軍の迷彩塗装です。津軽要塞の1つである汐首岬砲台は先の大戦では現役でした。もはや制空権もない現状では航空機からの偵察ですぐに発見されてしまう。 したがって対空遮蔽のため迷彩色にしたのです。 また、迷彩色の掩蔽部が残っていることは全国的にも珍しいです。 懐中電灯があれば見れますよ。
2008/4/1(火) 午後 9:16
私も横須賀の方で迷彩色が残っている砲台跡を見たことがありますが、
これが残っていることによって、ますます当時の緊迫感が伝わってきますね。
こういうところに大砲なり高射砲なりが設置されていた当時の姿は、
さぞ壮観だったことでしょう。
2008/4/2(水) 午前 3:16 [ Kitaro ]
あつdesu様、まったくそのとうりだと思います。迷彩色を施した要塞跡や掩蔽部は、先の大戦で現役だったことを物語っています。また陸軍と海軍の迷彩パターンが異なり、一目で陸軍迷彩だと分かりますね。ここで終戦を迎え故郷に帰られた兵士諸氏に対し、ただただご苦労様でしたと言葉を送りたい。
2008/4/2(水) 午後 0:34
そうなの!!って、ことは史料としてものすごく貴重じゃないの!!なんか、野ざらしみたいだけど大丈夫なのかなぁ??でも、中途半端に役所が介入して、ほんとに中途半端なことされるんだったら、このまま時に任せて・・・の方がいいかもしれないけど・・・
2008/4/2(水) 午後 3:02
むにゅさん、こんにちは。地域密着型の要塞跡も以外に多いものです。ここの要塞跡は戦後すぐに馬小屋にされた歴史があります。
住民にとっては戦争遺跡の認識は薄く、ただたんに、あるものを活用するといったところでしょうかね?
2008/4/2(水) 午後 5:57
これは貴重な画像ですね。
砲台跡の迷彩色が今も残っているとは驚きです。
2008/4/2(水) 午後 9:06 [ バタフライ ]
いつ見ても専門の研究には頭が下がる思いです。
この前自分は音戸町の平清盛像のある公園行った時、近くに砲台跡があったのを思い出しそこで写真を撮りました。書庫のフォトギャラリーに一枚載せてます。
2008/4/2(水) 午後 9:59
バタフライ様、残ってるんですね〜〜これがまた^^;
僕は時折この施設を訪問してますので、隣接する住宅にお住まいの
方とは顔なじみです(><)
2008/4/3(木) 午後 7:13
KENJI様、お久しぶりです。画像確認致しました。
おそらくはその砲台に詰めていた軍人の兵舎跡でしょうね。
造りから見て、そう思います。
2008/4/3(木) 午後 7:21
ああ! やっぱりそうでしたか!?自分も何か違うと思ってました。早速訂正しておきます。若い頃よくあの辺へドライブ行きました。その時友人が砲台の話をしたのを覚えていて写真を撮ったのです。あれは高鳥台公園内の平清盛像のすぐ下にあります。
2008/4/3(木) 午後 8:19
この手の兵舎跡は、ここに限らず鉄の部分がありませんね。おそらくは戦中の供出。で、なければ戦後の鉄不足で回収されたのでしょう。
2008/4/3(木) 午後 9:28
nonさん、いつが宜しいのでしょうか?ちなみに連休は仙台旅行で不在です。
2016/7/15(金) 午後 5:52
> 銀ぎつねさんへ
8月12日を予定しています。
2016/7/15(金) 午後 11:22 [ non ]
> nonさん
8月12日だと仕事がありますのでPM4時半以降でなければ
行けません。仕事上、朝が早いぶん、帰りも早い。
片道の時間を鑑みますとその時間になります。
この戦争遺跡も昔は相当数残っておりましたが、今は少なくなってます。また、中央部の入り口もコンクリートで閉鎖されました。
2016/7/26(火) 午前 8:31
> 銀ぎつねさん 戸井支所に4:40分頃どうですか?役場の中に居ると思います。居ない場合は連絡先残しておきます。 いくつか施設が残っていたのは聞いていたので残念ですね。
2016/8/10(水) 午前 4:25 [ non ]
nonさん.申し訳ありません。やはり12日は連休前で忙しくとてもその時間には無理になりました。と、いうか12日は無理です。
必ず見て欲しいのは波型の屋根です。あれは僕の知りうる限り軍事上必要とは思えぬ構造!いまだ謎なのです。調べても解らなかった。
2016/8/10(水) 午後 8:37