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まず石川藤助 (いしかわ とうすけ)とは誰ぞやと言うことになるので
先に写真を載せます。 ひらたく言えば井戸掘り職人である。
こんどは神社の説明に入る。函館湯倉神社 神紋は三つ巴、まずは画像を........
さてこの湯倉神社であるが、地域の守護はもとより、酒の神、湯の川温泉の守り神でもある。
古くは松前藩主高広が幼少の折に重い病にかかり、母の夢のお告げによってこの地の温泉に入浴したところ
快癒したという故事が伝わっており、湯倉神社にはこのお礼として奉納された鰐口(わにくち)が今も残っている。
また箱館戦争も無縁ではなく、当時このあたりは野戦病院があり、傷病者の温泉治療が行われていた地である。 また地理的にも函館市街地、
川汲方面、亀田方面等に枝分かれする分岐点でもある。
当然敵味方双方抑えておきたい場所であった。
当時の温泉は温く、湯治には効くが温まる効果は薄いと考えられる。
それを指摘した人物がいる。 誰あろう榎本武明である。
榎本もこの湯の川の温泉に浸かりましたが、その際こう言った。
この温泉を百尺、ですから30メートル程ですか......掘り下げたら熱いお湯が多量にでるだろうと....... そしてその言葉に触発され、源泉掘削に挑戦したのが井戸掘り職人である石川藤助だったのです。
明治18年にはこの湯倉神社近くで110℃近い源泉を掘り当てることとなる。後に藤助は浴場を開いて評判となり、温泉街も一気に活気にあふれ
料理屋、温泉旅館等が相次いでこの地に出店することとなった。
資性温良にして義侠に富み常に公共の事に努め、湯川村に温泉を開削し、現在の湯の川温泉街の礎を築いたのが石川藤助である。
また藤助に助言した榎本、もとより蝦夷共和国軍の野戦病院があった一帯は榎本武揚の遺徳をしのび、榎本町と名付けられ今もなお町名は変わっていません。
榎本も、そして藤助も参拝し共に湯に浸かったのがこの地である。
神社境内には3対(6基)の狛犬が存在するが、一番古き狛犬は小さき狛犬である、今は雪に埋まってはいるが裏口に鎮座している。
奉納大正9年
手水舎
神殿裏
境内日吉神社及び稲荷神社
神社近くには僕とはまったく無縁の函館ラサール高校がありますが、やはり合格祈願の絵馬もありました。
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