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地域の歴史NO.21 旧日鉄桟橋跡
函館から恵山に向かう途中に女那川(めながわ)がある。今は函館市女那川町である。そして粗女那川漁港に隣接する位置に旧日鉄桟橋跡が存在する。釣り人には釣りの聖地として旧日鉄桟橋の愛称で使われる。
画像は恵山側から撮ったものであるが、海面に浮かぶように写るコンクリートの建造物がそれである。
拡大、赤丸は釣り人である。
このように釣り人なら誰しも知る場所ではあるが、ここになんの目的で桟橋を建設したのかという詳細まではわからないのが常である。
事実、僕も釣りを楽しんでいたころはいつも疑問に感じた。
検索すればいくらでもヒットするが、そのすべては釣り関係である。
そのくらい忘れられた建造物と言えよう。
ここに桟橋を設けた答えを説く鍵は尻岸内町史の中に見つけることがでる。古くはアイヌ民族がシリキシラリナイ(岩壁に形像のある川の意)と呼んだ土地。
長い歴史や説明は省いて、その桟橋の積荷だけ書く、それはズバリ砂鉄の積込みであった。 ではどうやって??
それは以下の方法で採集積込みしていたようです。
僕がもっとも見たかった写真
日鉄による砂鉄鉱床図を見ますとかなり広範囲である。その内の一つが海岸砂鉄である。もはや戦後の言葉も聞かれない昭和39年
日鉄鉱業株式が日の浜海岸に砂鉄の堆積する隆起砂丘に磁気選別機をすえ付け、水中送水管を延々敷設して砂鉄採取の事業が開始されたとあります。
当初は月産千六百屯、中浜海岸の砂鉄採掘に着手した後は月産二千八百屯の記録も残っています。
積荷は日本屈指の室蘭、釜石、八幡、の製鋼所へ移出されてます。
では日の浜海岸の現状を見てみましょう。
黒っぽく見えるのはすべて砂鉄です。 日鉄鉱業KK北海道鉱業所の報告では推定埋蔵量18万2千屯、品位は57%とあるが、いつの報告かまではわからない。
渇いている砂鉄の上を歩くと足跡がこのようになる。
砂鉄の根床でも生きられる海浜植物
白紙の下に磁石を置き、砂を降りかけてみた。
近くを流れる川であるが、川底の色が茶褐色である。
黄鉄鉱を含む岩石
今回あまり詳しくは書いてません。つまらないですからね。
資料検索については函館鉄道写真館(http://blogs.yahoo.co.jp/x103nanodayo)の管理人さまと相談の結果、恵山町史あるいは尻岸内史のどこかにということになり、また僕もそう思いましたので函館中央図書館資料室にて閲覧して参りました。
詳しい情報は同資料のP94〜99まで読めば大凡把握できると思います。またそのPのコピーもしてきましたので質問があればわかる範囲でお答えできると思います。 |

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