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函館要塞の紹介をする上で、欠かせないのが要塞の名残である。その名残は以外に多く存在する。 順次公開していきたいと思いますが、 まず初めに主砲の砲弾を紹介します。 画像は函館山麓にある(船魂神社)地域の歴史を調べるにあたり図書館と神社の資料は大変重要である。 神社の境内に入ると小さな池がある。その前に無造作に置かれている砲弾がある。大きなものは28センチ榴弾砲と思われるが、小さな砲弾は不明である。これからは想像でしかないのだが、戦後、函館山を整備した折に出てきたもと思われる。根拠はないのだが、仮に明治、大正期だとすれば奉納という形式を取るであろう。 どのような経緯でここにあるのかは不明だが、これは明らかに置かれているだけに過ぎない。この手の砲弾は他府県の神社にも存在するが、奉納の形で置かれている為固定してある。 大きさを比べる為、ライターを置いてみた。 さて、明治時代、この砲弾を函館山から撃つのであるが、現在のようにデジタル化されていない、当然目視である。目視するうえで大変重要となるのが海面の高さ。汐の満引きである。その干満の差を測るのには、なにか目印が必要となる。そこで数箇所の海岸に(水尺)を備えたのである。 これは遠くになればなるほど大きな水尺が必要となり、また近い所では、それよりもはるかに小型になる。 今現在、原型が残っているのは(北斗市矢不来)の海面に立つ水尺。かなり大きなものである。 残念ながら函館市内(根崎水尺)は今は存在しない。 だが、もっとも近い住吉漁港にはかすかに残っている。 干潮の時にははっきり見えるのだが、この画像は干潮時ではない。 水尺上部。 残念ながら長い間の波の浸食により原型をとどめていない。 このように要塞の名残は多数存在するのである。 まだまだあるのですが、今度は視点を変えて現存する名残を紹介したいと思います。 まずは画像ですが、ご存知立待岬(駐車場)画像上部に立待岬展望台が確認できると思います。あずま屋になってますね。 拡大図になりますが、この展望台の正体は(45式15cmカノン砲の砲座跡)それを戦後平和利用で改造して作ったものなのです。この砲座跡は戦後米軍が写した航空写真にはっきり写しだされている。 資料(米軍航空写真アーガイブ) |

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