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わが街、函館には古き建造物が多く存在する。 その要因の1つとして大きな戦災にはあっていないことがある。函館空襲(昭和20年7月14,15)の空襲においても、その標的は陸にあらず、青函航路を遮断するための青函連絡船攻撃が主な攻撃目標であった。 後に平和となり、古き建物は改修や取り壊しなどが行われたが、ここ函館では壊さず修理改修などをし、建物を存続してきた歴史がある。 そして、その建物は我々市民の財産となり、目新しい産業がない土地にあっても「観光資源」として活用できたのである。真にもって我々市民にとっては誇らしいことである。 ここでは現状を見てもらいたく、ある施設について説明致します。画像は函館公園内にある函館水産陳列場(第1〜2号館)後の函館博物館である。 画像は旧函館博物館1号館。現存するものでは日本最古の地方博物館である。 (旧函館博物館1号棟)明治11年、開館は明治12年(旧函館博物館2号棟)明治17年である。 尚、建設当初の名称は「開拓使博物館」である。 こちらが正面 ☆のマーク。正しくは星の浮彫りなのだが、この☆にも意味がある。この☆は開拓時代に多く採用されたマークである。つまりは明治11年はまだまだ開拓の時代であったことを意味する。 なにより当初は「開拓使博物館」として建設されており☆マークは当然シンボルとなる。 ☆マーク拡大。両側に看板を取り付けてあった当時の金具が確認できる。つまりは☆には意味があるが 看板を取り付ける位置と同位置のため、いつの日のことから肝心な開拓マークは、見えなくなっていた。 参考資料(北海道大学付属図書館所蔵)詳しい年代は分からぬが、大正期である。看板の文字は 「水産陳列場」となっている。この看板も時代とともに名称が変わり、昭和7年の絵葉書では 水産がなくなり、(陳列場)となっている。すでに開拓期は過ぎており☆には意味がなくなっていた。 ※正しくはこの後も開拓は続くのであるが、名称に開拓云々の建物は見られなくなって行くのである。 実は見てもらいたいのは旧函館博物館2号棟である。まずは参考資料から (北海道大学付属図書館所蔵)これもまた大正期の写真である。ちなみにこちらには☆がない。 それでは2号棟の現状はいかに? さすがに公園内だけあり冬であっても除雪が行きとどいている。 同施設正面 見てのとうり塗料が剥がれているのが分かる。 同施設側面 状態は正面同様やはり塗料の剥がれが目立つ。 裏口、(石積みの階段部) この施設は外からのみの見学となるため、階段は必要とはしないが やはりきちんと積んで欲しいものだ! 最後に今冬1番の被害があった箇所と思われる部分の画像を見てもらいます。 古い建物故、維持管理に時間もお金もかかります。市も出来る限りのことをしているでしょう。したがって批判はしないが、ここはやはり仮修繕等で外部からの水の浸入を防いでもらいたいものです。 補足、1〜2号とも「道指定有形文化財」開拓使は明治15年に廃止 同時期に北海道は札幌県、根室県、函館県の3県に分割、開拓使博物館は函館県に移管。明治17年、「開拓使博物館」から函館県立博物館と名称が変わり、明治19年の3県廃止に伴い、北海道庁函館区へ移管。大正11年、市制施行。
同時期、函館市所管。そして昭和7年に「水産館」となる。2号館の建設理由は、開拓使東京出張所仮博物場の廃止によるものである。尚、参考資料の写真は北海道大学付属図書館に資料請求して認められたものであり、無断転用をかたく禁じます。 |

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