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要塞の名残その5 (削られた標柱) 画像は函館西部地区(南部坂)である。手前右側に見える建物は「函館山ロープウェイ」 この南部坂の角に「要塞第一地帯」の標柱が存在する。 南部坂の看板の下にその標柱が建っているが、要塞より上の文字が削られている。 削った跡は均等であり故意に削ったことには間違いない。 函館山にあって、この要塞第一地帯の標柱は数本存在するが、そのどれもが津軽要塞第一地帯となっている。そしてその標柱すべてに言えることは彫りが甘い。それは彫り直したと考えられる。 だがこの標柱だけは彫りが深く読み取りやすい。 でもなぜここだけなんだろう。なぜここだけ上部の字が削られてるのだろう? 画像をクリックすれば見やすくなります。 そこで僕なりの仮説を立てる。 本来この削られた部分には函館の文字が入る。 だが昭和2年名称を津軽要塞と変える。当然標柱の変更を余儀なくされることになる。 そこで函館の文字を削り、そのスペースに同質の石材、あるいは木材をはめ込み、彫る、あるいは書いたのではないであろうか? それしか考え付かない。 その津軽要塞も昭和18年2月5日軍令陸甲第10号により北部軍に編入され、その後昭和19年3月16日大陸命第967号により第5方面軍戦闘序列に編入され第5方面軍隷下となった。
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