なんだか函館

函館山に残る要塞跡や西部地区の町並み、その他地域の紹介ブログです。気軽に見て下さい。

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三稜郭

函館に五稜郭と共に四稜郭が存在する。いずれも国の特別史跡に指定されている。しかしながら市内には謎の三稜郭跡も存在する。
ま〜存在といっても確定ではないので候補地ということであろうか?
 
五稜郭四稜郭も後に付けられた名称であるのと同じく三稜郭もまた然りである。諸説あるなか三稜郭桔梗野台場であるという研究結果があります。箱館戦争当時、函館及び近隣の村々山々には無数の台場が築かれた。桔梗野台場は現函館市、国道5号線沿いある。即ち主要道路の一端ですからここに台場がある意味は大きい。
 
説明だけですと退屈でしょうからまず1枚の写真を見てもらいます。奥に薄く見える山は函館山 現、桔梗町の開拓でしょうね。
撮影者は 田本研造 成立年明治6年7月 写名は
渡島国桔梗野境路傍ヨリ新道電線南方ヲ見通スノ景
 
イメージ 1
 
 
今回読んだ資料は複数あります。函館市史5月11日の戦い
P254−P257
北海道函館北高等学校 郷土研究部 三稜郭 桔梗野台場の研究)
遊撃隊起終南蝦夷戦争記 (上下)など。
    ↑
素晴らしい資料です。
 
さて三稜郭ですが、なにゆえ確定もなく、また説明板、その他もろもろの資料も、また数も少ないのか? それは遊撃隊起終南蝦夷戦争記に記載された絵図面にヒントあると銀ぎつねは思います。
この資料の中にある桔梗野台場の陣形は四角く描かれています。
元より三角形の台場、要塞はその先端部分に集中攻撃をされれば
弱い! と、僕は思います。したがって四角形のほうが利にかなってはいます。だが他の資料及び絵図面では三稜郭の記載もある。
 
活字だけでは退屈と思いますのでまず候補地の一つである現
比遅里(ひじり)神社の画像を載せます。函館市桔梗町201番地
 
イメージ 2
 
北海道函館北高等学校 郷土研究部の研究ではこの比遅里神社
有力な候補地として発表してます。また、その研究により高文連支部大会で優秀賞もとってます。 僕もこの神社こそが三稜郭であると確信に近い考えではありますが、正直この研究結果とはちと違う意味においてです。 まず一枚の地図を見てもらいます。
 
どちらも桔梗野台場の候補地! 枠は宝皇寺 枠は比遅里神社
双方土塁の形跡が見られます。
 
 
イメージ 3
 
比遅里神社だけを拡大して見ますと形状は三角形、まさに三稜郭です。だが三稜郭桔梗野台場であるのか?それは僕にも分かりません。ただいえることは三稜郭であるいじよう三角形の台場ではなかったのか、そう考えるのが自然ではないでしょうか?
 
イメージ 4
 
ちなみに比遅里神社の創立年は不明です。 以下は境内石碑に刻まれし碑文をメモってきた一部です。
 
安政五年五月、当時の本村移住者の崇敬「(すうけい)あがめうやまうこと」したる祭神、聖徳太子を祀り、明治九年、村社に列せられるとあります。
 
函館戦争当時の台場のほとんどは突貫工事であり、また神社仏閣は
基礎、その他の条件に適しており、たとえ村社であっても台場を築くに適した場所であったことは容易に想像がつきます。
 
比遅里神社 社殿
 
イメージ 5
 
社殿裏、
 
イメージ 6
 
 
社殿裏より(方角東)眼下をみゆ。 高低差があり台場としての機能は備えていたであろう。
 
 
イメージ 7
 
 
境内にある土俵であるが円ではない。かといってなんだという説明もできない。 見る人の感性に委ねるしかない。
 
イメージ 8
 
 
市内に数ある台場跡ですが、その形跡はほとんど残っていません。
また発掘調査も進んでおらず全体像を把握することすら容易ではありません。この無数にある台場等でしっかり機能していたのは皆無に近いでしょう。しいて言えば五稜郭弁天台場、歴史上千代ガ台台場
等も該当するでしょうが痕跡がないいじょうなんともいえない。
あの四稜郭ですら僕から見れば候補外! 井戸もない要塞にあって
しかも身近に川もなし。これじゃ長期戦は無理!
 
さて、いまだ結論がでない台場跡ですが、僕は一つの仮説を立てます。今まで色々絵地図等を見てきたが、これがまたいい加減なものも多い。そしてまた市内に残る、いや、あった台場を本当に全て把握しているのだろうか? 塹壕銃座、その他もろもろ把握できるはずもない。文献その他に活字や絵地図として残るものだけが戦跡ではない。
 
したがって宝皇寺比遅里神社、いずれが三稜郭であり桔梗野台場
であったのかではなく、宝皇寺桔梗野台場であり、比遅里神社
台場の正式名が分からぬ三稜郭である。こんな仮説も成り立つのではないでしょうか? 元々三角形の地帯に土塁を設け桔梗野台場の支援、または補給基地の可能性も否定できない。
 
函館市史5月11日の戦い)より抜粋
 
四稜郭は五稜郭の北の備えとして脱走軍が急造したもので、松岡四郎次郎を主将に1連隊、衝鋒隊が守っていた。しかし神山村の東照大権現の台場が長門萩藩の隊に攻撃されると、退路を遮断されるのを恐れて五稜郭へ退却、まもなく権現台場も落ちてしまった。中央口を桔梗野台場へ向かった長門、松前、津軽の藩兵は、突貫攻撃で昼前にようやくこれを落とし、亀田に出て海岸道の隊に合した。
 
この記録にあるようにたった一日の出来事です。それも数時間。
そう考えれば桔梗野台場の位置はやはり現桔梗町ではないか?
 
もう一つの可能性として宝皇寺比遅里神社は軍道で結ばれていて実は同じ要塞ではなかったのか?可能性は極めて低いものの
そんなバカげた仮説もあってもいいのではないか?
 
結論からいって要塞を三角形するとは考えにくい。正三角形ですら
その先端部(内角)は60°これはサイドからの攻撃に対しては不利です。要するに三角形の土地を活用した。最初の写真でわかるとうり平野に要塞を築くにはある程度の高さが必要。ここにはその高さがあった。 ま〜いずれにせよいまだに結論がないのでどちらにも説明板はありません。同じ桔梗町でご近所同士......軍道説でいかがかな?
さすれば両者納得でしょう()これぞ銀ぎつね無責任論^^;

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