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箱館戦争、稲倉石の戦い
稲倉石(イナクライシ)の戦いとは箱館戦争で松前藩が最も熾烈を極めた激戦地である!まずは地図にて場所を確認! 水海に見えるがダムである。正確な位置はダムの中だと思ってほしい。
函館より大野国道を厚沢部方面と進む途中にある。
上記のダムを写真で説明(鶉ダム)
周囲は断崖絶壁であり、また川は急流!現在はダムだが...
松前藩がこの場所に砦を築き死守するには大きな理由がある。
松前城を捨て、内陸の館村に城を築くも未だ未完成!今、館城に攻められては無防備同然! したがってここで食い止めねばならない。
当時、この川底は山道であったが松前軍はここに木の柵で関門を設け
100余名の兵を配置、また、丸太を吊るし、綱を切ると落下する仕掛けや
4門の砲座や胸壁も配備した。
だが明治元年(1868)11月12日、幕府脱走軍200余名の兵が正面と
左右の山をよじ登り山頂から銃撃する奇襲作戦を決行!不意を突かれた
松前軍は4時間の攻防戦でついに敗れる。
でもこの敗戦こそが江差を戦火から救ったという研究結果もあります。
事実、同時期「上ノ国町石崎付近で松前軍が」激しく抵抗してますから
兵の集中という意味ではあり得ますね。
稲倉石にもどります。
この地形で山頂からの銃撃は効果的だったでしょう。関門は打つ手なしでしたでしょうね。 画像は明治末の稲倉石周辺、今の川底でしょうか? 写真でわかるとうり両側が低山、いくら大筒を備えていようとも正面突破で攻めてくる敵に対しては有効であっても、山から銃による集中攻撃は防ぎようがない! 僕は現場に立ってそう思いました。
時は過ぎ、大正も8年にはこの地に有志によって碧血碑が建立されています。函館麓にある碧血碑は柳川熊吉が中心となり、幕軍戦死者の遺体を葬るのが主な目的であるが、こちらは元松前藩士の有志が建てた碑である。 さりとて趣旨は同じ! 当初は今の川底にあったのだがダム建設の際今の場所「国道227 号沿いの鶉ダム展望広場に移設された」
説明文クリックで拡大!
桧山の厚沢部町(鶉)地区、無論この銀ぎつね、目的は2つあり!
一つは古戦場を自分の眼でみて自分なりの感想を書くこと!
そしてもう一つは温泉なのじゃ〜♪
て、ことで画像は鶉温泉 ちなみに食事は中華。ここの中華は美味い
あ〜車でなければビールなのにな^^;
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