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地域の歴史NO.19 陸軍マルレ特攻基地
終戦末期、陸軍は函館近郊の鹿部町大岩付近、及び現函館市南茅部地区岩戸に特攻艇約10隻を配置、舟を納める洞窟や連絡用トンネルも作られ敵の本道上陸に備えていた。
正式名は 四式肉薄攻撃艇 、通称マルレ艇である。
陸海軍共に類似の攻撃艇を保有するが、海軍では震洋(しんよう)がその特攻艇に値する。 陸海軍の違い ↓
海軍の(震洋)は始めから特攻用として開発され、艇内に爆薬を積んだ特攻兵器だったの対し、マルレ艇は本来水際防衛を意識して作られた艇であった。しかし特攻兵器として使うにあたりに艇尾に爆雷懸架する形式になっていた。 本来の目的は至近に爆雷投下して離脱するという生還の可能性をもたせる作戦であったが、技量もそれほど要らないということで体当たり作戦が採択された。
全長5.6m 全幅1.8m 喫水0.26m 満載排水量約1.5t
エンジン 日産自動車製トラックエンジン(70〜80馬力)
函館近郊の部隊の艇は七飯浜の日魯漁業造船所で造られた。
画像は海軍の震洋
ちなみに元参議院議員である(故)田英夫氏は海軍の震洋特攻隊の隊員であった。所謂学徒出陣である。(横須賀海軍航空学校入隊)
海軍の操縦者は元々航空学校及び予科練等の飛行兵出身者が多い。
理由は簡単、もうおまえらが乗る飛行機はない! このようなものであったらしい。 陸軍では戦車兵や輸送隊などのエンジンに携わる者が多かったようです。
攻撃方法
敵軍の上陸海面を予想して近くに洞窟などを利用した秘匿基地を作り、上陸船団が近くに来ると夜間に数十隻からなる攻撃隊で一斉に攻撃を仕掛け、体当たりもしくは至近への爆雷投下で艦艇もしくは輸送船を撃破するというものであった。 画像 米輸送艦に体当たり攻撃した特攻艇の残骸
(操縦者死亡)輸送艦、側面に穴があいたものの沈没には至らず。
今回、鹿部町及び南茅部に独自調査に出かけました。
この手の資料は極めて少なく、自分で確かめるよりない。
何人か尋ねた結果、ご年配漁師から有力情報を得た。
以下がやりとり。
すみません、この辺りに昔小型艇の特攻基地があったと思うのですが、ご存じでしょうか? あ〜それならここから約3キロ先だ、行けばすぐわかる。 お〜ラッキ〜♪
そして3キロ先、まさに該当するものを見つけたが、ぷぷぷ。これは間違えるのも仕方がないと思う物件でした。 いちを画像を
奥行きは20メートルもなく、一見して格納庫、海はすぐ下にある。
だが格納庫ならば入口は海に面してなければならない。
海上から発見されないために掩蔽の意味で横向きもあるが
この物件は「旧黒羽尻1号トンネル」であり格納庫跡ではない。
この辺りの海岸も築港や護岸工事が進み、もはや痕跡はないのかも知れない。 それはそれで良いのですが.......
唯一怪しいと思われる場所、格納庫から連絡通路を経て海へ繋がる。
もちろん未確認です。そこまで行けませんでした。
確率は低いかも知れませんが、違うとも言い切れない。
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