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タイトルは凱旋門跡であるが、その痕跡はない。
場所は厚沢部町(館)地区 案内板には日露戦争祝勝記念とある。
ただし詳しい説明は書かれていない。
凱旋門ですから当然凱旋された兵士がいたことになる。
凱は戦勝に奏する楽を意味し旋は帰る意、2つ合わせれば
戦いに勝って帰ることであり、そこには歌ありパレードありといのが
一般的な意味である。
日露戦争といえば我が町函館からも相当数の兵士が従軍し
また戦死している。 その数、陸軍85名、海軍3名の計88名である
(函館区出身者) 中でも族順要塞の二〇三高地をめぐる攻防戦の
戦死が圧倒的多くなっている。
この凱旋門跡だが、この田舎から若者が従軍し凱旋したんだな〜と思えば当時の歓迎ムードがわかるような気がします。
さぞやヒーローだったでしょうね。
厚沢部から函館、そこから汽車で旭川の第七師団に入隊し訓練を積む!そして再び南下して函館、そこから船で青森、青森から汽車で集結地に向かい、さらに船で戦地である満州となるのでしょう。
この農道には村人が手に国旗を掲げ出迎えたのでしょうね。
おそらくは農家の二男、三男、 なんか勝手な想像をしてしまいます。
農業地帯でほんと田舎、凱旋門とて立派なものではなかったでしょう。
だが我が村の若い衆の凱旋とあらば気持ちは十分本人に伝わったと思います。当時の写真があれば見てみたい。
ちなみに函館では今のベイエリアにあった。写真で見たがかなり大きなものでした。
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