なんだか函館

函館山に残る要塞跡や西部地区の町並み、その他地域の紹介ブログです。気軽に見て下さい。

函館西部地区の町並み

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函館西部地区の街並み、NO,65(旧小林写真館) 明治40年、函館市大町、函館市伝統的建物でもあり
また歴風文化賞を頂いた建物でもある。(棟梁)は村木甚三郎氏、後の小林文具店である。
現存する写真館としては道内最古であり、また上げ下げの縦長窓,胴蛇腹,下見板張りなど洋風建築の特徴をもつ素晴らしい建物である。画像が鮮明ではないが雰囲気は伝わると思います。


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建物右側に出窓、この建物なんといっても(田本研造)の流れをくむ正統な写真館である。
今現在営業は不定期ですが、その売上は全額、建造物の維持保全に充ている。(予約が必要)
ちなみに「石川啄木」も家族写真などを撮りに通った由緒ある写真館である。


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復元であり屋根は当時のものではないが、この屋根のこう配はわりと珍しい。


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正面の看板である。明治の終わりごろ、この写真館で写真を撮るのが市民の一つの贅沢でもあり楽しみだったのかも知れない。少なからず、ここで撮った写真の中には数多くの歴史的価値のある写真の原板が残ることとなる。戦災を免れ数多くの原板や写真が残ったことは函館市、しいては日本の財産となった。


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旧西警察署庁舎、「函館市景観形成指定建築物」大正15年 函館市大町
昭和59年までは現役の警察署として使われていた。警察庁舎としては北海道最古のもの。
塔屋があある建物は大正時代には珍しくはないが、当初函館市水上警察署として利用されていたことに関係があるのかも知れない!



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同警察庁舎が海岸町に移転した84年以降は解体され「函館臨海研究所」として生まれ変わる。解体といっても復元であるため資材の一部を流用したり、また建設当時の外観を忠実に再現する方針で工事が進められた。よって西部地区の伝統的縦長窓も顕在なのである。


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こちらが正面!正面の構えを見るとそのデザインに大正、あるいは昭和初期の面影がある。僕はこの正面の構えは好きです。総事業費は約4億円!だが市民は復元する建物には敏感です。無論いい意味において。この4億は高くはなかったと僕は思うのです。


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こちらは石造りのフェンスであるが、これはオリジナルである。色合いもいいが良く残したといいたい。設計者の考えか市の予算の関係かは分からぬが残して正解だと思う一品である!


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さて、この建物、いや建物というよりこの土地だが古くは松前藩が支配していた土地である。
松前藩は財政難を支える施策の一つとして沖之口番所を設けたわけだがこの土地も古くはその沖之口番所であったのである。



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この土地の歴史はこれで終わらず、明治5年になるとこの場所に郵便役所が設けられた。まだ箱館の時代であり箱館郵便役所が正式名である。無論北海道初の郵便局であった。


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今回の該当建物は、函館市の景観形成指定建築物、及びその他の指定外のものであるが函館西部地区にとっては歴史的に重要だと判断して載せてます。 まずは左側面からだが煉瓦の防護壁が函館西部地区らしく好きです。北海道ですから冬場は寒い。ならば窓部を大きくし太陽の陽をいっぱいに取り込む。
そのほうが暖房効率が良いと思うでしょうが、そこは数々の大火に悩まされた街です。暖かい陽射しよりも、貰い火の怖さのほうが身にしみてわかっているのです。だからこの造りになる。


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こちらは正面、重厚な造りであり、外見から医院を想像するがそうではない。右隣の蔵との因果関係はわかりませんが、時代背景を考えるとお似合いです。どちらも残して欲しいと思う物件です。


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正面には装飾模様がみられる。白タイルもまた当時としてはお洒落。なんら違和感はありません。


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こちらは正面入口下部ですが○枠があることからさらに扉があったことがわかります。


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そして、それを裏ずけるかのように両サイドの門柱に金具が残ってます。


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なにより面白いのが左別棟の造り。一見して外部は石造りの建物だが木造丸出しの部分が存在する。
このような珍しい造りは函館西部地区にあっても貴重と言えよう。がからこそ載せました。
個人住宅で、なおかつ装飾模様が残る建物!ほんとうに貴重だと思います。


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函館西部地区の街並み、NO,62 (花かるた)函館市豊川町 昭和9年築
豊川町の旧町名は地蔵町。まずは豊川町にある豊川稲荷の画像


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立ち位置をそのままで後を振り向くと、奉納された石灯篭に旧町名の地蔵町の名残が確認できる。


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旧地蔵町、電車道路 詳しい年代は分からぬが建物から判断して昭和初期と思われる。


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そしてこれよりさらに下、即ち大森浜側に花かるたがある。 花かるたとは(花札)の意味であることから当時は文房具等も扱っていたと思われる。 今は酒処 花かるたとなり、古き建物を生かし居酒屋として賑わっている。建物は昭和9年築、即ち昭和の大火の同年となるが、この場所で明治30年代から営業している老舗である。
正面にある斜めに傾いた街灯! このデザインの街灯は古く、函館でも今では西部地区にしか存在しません。あっても駅前周辺の一部です、ここ数年確認してませんのでなんとも言えない。 
だがこの手の街灯には必ず町名が刻んである。それが面白い。


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画像はその街灯だがしっかり旧町名の地蔵町が刻まれている。ありがたいことに年代表示もあり
昭和29年当時はまだ地蔵町であったことが分かる。


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天狗堂の代理店であったことが一目で分かる看板! これも大火以降、即ち昭和9年以降のものだろう。
当然本家天狗堂からはなんらかの見舞の品、あるいは金銭的援助があったのではないか?


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時代を経て下見板張りの色合いもいい。なにか懐かしさを感じる。


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花かるたはあくまで看板!所謂花札の宣伝であるが、その花札の看板を現在では居酒屋の店名とし、さらには行灯に屋号を入れるは憎い演出である。 そこで一句
(看板に 釣られて入る 銀ぎつね カブの煮物か ニタコの串か) おそまつでした。


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函館西部地区の街並み、NO,61「 野口梅吉商店 」大正2年 函館市弁天町 
(函館市景観形成指定建築物)木造2階建の中でも大きなものである。

正面には出格子窓を取り付け,二階部分は洋風下見板張り,上げ下げ窓,胴蛇腹,軒蛇腹,持ち送りなど優雅な意匠を見せている。良き時代の弁天町通りの商家の賑わいを伝える貴重な建物です。


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この弁天町は大正10年の函館大火を免れた地、だからこそそれ以前の木造建築物が見られるのだが
いかんせん塗装の塗り替えが久しくない。個人所有であるからしてなにも言えないが、この建物は絶対に残すべく西部地区の財産だと思う。無人となれば痛みも激しくなるだろう。


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伝統的な縦長窓。そして外壁の塗装も伝統的に何度も塗り替えられた。今度はなに色が良いであろうか。
ま〜この建物ならどんな色でも似合うであろう。


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建物の左隣は平地であるが、その隣にこれまた貴重は蔵が存在する。 そしてこの蔵の形状は西部地区のどの蔵にも該当しない。もしくは僕が知らないだけかも知れない。 よくよく見て下さい。
正面の鉄の扉。少し左寄りとなってます。 少なくとも真正面ではない! 窓もまた特徴があります。
上下に交差してるんですね〜♪ 


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こちらは後から撮ったものですが、向い側に建物が見えますね。それが野口梅吉商店です。

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こちらは真横ですが、なにか気がつきませんか? これは説明せず見ている方の宿題にします。

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右側の土台から煉瓦積みだったのが確認できる。蔵全体までは分からぬが、やはり煉瓦である可能性が高い。石積みの場合煉瓦の土台はない。

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銀ぎつね
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