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函館西部地区の街並み、NO,60 大正館 函館市弁天町 古い蔵を利用した骨董品店であるが、ギターのディスプレィだけ見れば楽器屋と見誤る。 出窓は当時のままであるようだ。 なんの蔵であったかまでは調べてないが、左外壁に蔵と棟続きで建物があった痕跡がある。 正面また側面に蔵釘の痕跡は発見できず。 正面にあるベンチ! 塗り直しと思うが程度は良好のようである。 売り物か? |

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函館西部地区の街並み、NO,60 大正館 函館市弁天町 古い蔵を利用した骨董品店であるが、ギターのディスプレィだけ見れば楽器屋と見誤る。 出窓は当時のままであるようだ。 なんの蔵であったかまでは調べてないが、左外壁に蔵と棟続きで建物があった痕跡がある。 正面また側面に蔵釘の痕跡は発見できず。 正面にあるベンチ! 塗り直しと思うが程度は良好のようである。 売り物か? |
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函館西部地区の街並み、NO,59(伴田商店所有住宅) 函館市弁天町 大正5年築 「函館市景観形成指定建築物」今現在は米穀店兼住宅として利用されているが建設当時は医院である。 外観は下見板張、屋根下に胴蛇腹を廻し、窓はペディメント付きの窓枠で上げ下げ窓、正面玄関は切妻屋根。和を感じさせながらも全体的は洋風である。 またこの建物は元町倶楽部による「こすり出し調査」の対象物件の一軒でもあるが、そのレコードホルダーでもある。「こすり出し」とは簡単にいえばペンキの層である。当時外壁保護のためにペンキを塗るのが支流であり、それを調べることで当時の流行りの色や何度塗り替えたかがわかる。 そしてこの建物には、21層ものペンキの「時層色環」が浮かび上がった。これは調査対象中最も多い数である。 それがまた西部地区で古き街並みを見る楽しみの一つでもある。 そんなわけですので今の外壁の色を変えても不思議ではなく、また自然なのです。 屋根の色と外壁の色が合ってますね。高いほうの屋根は長尺板で手前が平板葺きになってますね。 勿論当時のものではないですが外壁の色とマッチしてます。 カエルにカメ、そしてカタツムリにも見えるしナメクジにも見える飾り! 玄関前にあります。これも古いものなのでしょうかね? |
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函館西部地区の街並み、NO,58(LILLIPUT)函館市末広町。この建物は市の伝統的建造物には指定されてないものの要所に古き西部地区の面影が残り好きな建物の一つです。 また、建築年その他の情報もありませんが当時も出窓であったような気がします。 今現在は店舗併用住宅 店舗は置物の専門なのかな? これもまた詳しくは分かりません。 リリーパットと読めますが意味までは分かりません。LILLIはお名前かな? こちらは二階の出窓であるが、やはり古い構造であることが分かります。したがって改修の際に出窓を 再利用したと考えられます。 僕個人の意見ではありますが出窓を残すは正解♪ 建物前の歩道に陣取る猫!定位置とばかりにマンホールの蓋の上にてご休息の様子。 だが、なにか御不満でもあるのか? なんとそこには偽兵に守らてた眠り猫! この場所は最高さ〜 なんたって神の使いがおいらを守ってくれる...........て、ところでしょうか? だがそんな平和は長く続くはずもなく追っ手がくるのであった。 おいおい、いいのか〜君の城は囲いも堀もなくすぐさま侵入されるぞい^^; 深追いが仇とならればよいのだが.....またここに無猫の城が残っただけ! この地には敵が多い。 早く戻られば城は乗っ取られるぞい! でも二匹は仲良しのようでした。めでたし。 |
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函館西部地区の街並み、NO,57(旧函館海産商同業組合) 大正9年 函館市末広町「函館市景観形成指定建造物」設計は函館で数多くの建物を手掛けた、故、関根要太郎氏である。 この建物、外見もユニークであるが商品取引所としての取引商品もユニークであった。 戦後、北洋資源に頼っていた函館では、北洋漁業の喪失が大きな痛手となっていた。 簡単にいえば売る商品がない!米穀が食料管理制度、塩が専売制度、および株式が証券取引所といった形で順次上場不可能となり唯一残されていたのが海産物!幸いにも函館は戦前からスルメの一大集散市場としてスルメ取引の中心地であった。そこで同施設内に函館海産物取引所を設け、本格的にスルメの先物取引を行うこととなる。 上場商品としてスルメ、昆布、魚油、魚粕の4品目の海産物が認可されていたが、実際はスルメ、なかでも秋採スルメの格付先物取引(標準品取引とも称す)だけがおこなわれていた。このような海産物、しかもスルメを取引対象とした商品取引所は日本だけでなく世界でも例がなく、同所は特異な商品取引所であったようである。 ここでスルメの相場が決まったのだ! 内部取引の様子 (北海道新聞)取引初年度(昭和26)出来高、金額(千円) (50,422)であったが翌年には(2,095,570)と大きく飛躍した。尚、昭和31年がピークで (5,575,441)以降は買占めその他で衰退し、昭和47年3月に解散 画像は建物正面 外壁の肌がくすんで見える。が、それは大火を耐え抜いた証でもある。 内部階段の親柱も素晴らしいが画像は持ってません。 函館における昭和20年代がまさにスルメと共にあったといってもいい過ぎではなかろう。しかし、そのスルメ全盛の時代も20年代末になると各所で陰りをみせ始め、次第に瓦解へと向かっていったのである。その底流にはそれまでの繁栄を支えてきたイカの豊漁傾向における変調があった。道南地域におけるイカの漁獲量は昭和27年をピークに減少に転じ、とくに31年には大凶漁となり、以後低調な漁獲が続いていったからである。 函館市史(スルメ時代の終焉)より抜粋 画像は斜め前方からの一枚。 高層マンションが増える中で一時期この建物も危うい時期があった。 だが。この建物もまた保存運動その他で市民は取り壊しを許さなかった。 無論その権利はないであろうが熱意は伝わったのは事実である。 裏側はいたってシンプルである。 内部から見ればきっと綺麗であろうステンドグラス(裏側ドア上部) |
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函館西部地区の街並み、NO,56 (旧北洋相互銀行)大正12年、函館市末広町 「函館市景観形成指定建築物」 函館西部地区に現存する銀行建築の中でも、中央に玄関を配した左右対称の構成で、軒飾りには円に花びらを納めた模様が連続して施され他の銀行建築と趣の異なるものとなっている。 銀行移転後は、洋裁学院に転用され数多くの卒業生を送り出した。八幡坂にあり、教会の鐘の音を耳にしながらの授業はさぞ裁縫技術が身についたと想像します。 前分にもありますが、この狭い西部地区にあって戦前の銀行建築の多くは現存してますが、今現在も銀行として営業している建物はなく、資料館、あるいはホテル、または企業の拠点として活用されています。 だが、この建物だけは違います。なんと個人住宅として利用されているのです。 個人所有となれば維持費もかかるでしょう。補修、改修に相当なお金がかかると思いますが、解体せずに 住んでいただくことに感謝の気持ちさえあります。 函館市景観形成指定建築物プレート |
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