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軍川と書いて(いくさがわ)
誰しもが知る大沼国定公園、その大沼の旧駅名は軍川であった。
大沼はアイヌ語でポロトー(大きな沼)を意味し、軍川はイクサップ
(渡し守)に由来する。 本地開拓は相馬藩、野に至っては土を耕し畑を造り、山に至っては切った以上に植林し、川海に至っては水産事業も奨励 した軍川住人の先人である。
函館市史通説編2 4編序章3節2-2によれば
ただし嘉永2年(1849)、奥羽凶作の際に、窮民した数戸が津軽海峡を渡って11戸が入植した記録が残っている。
だが相馬藩函館附近開墾事蹟の記録では、石川郷45戸、軍川53戸とはっきりとした数字が記載されている。
いずれにせよ本格的な開拓は相馬藩士といえよう。
まずは画像を1枚、
写名は「軍川村農夫松之助宅」とある。 撮影年は明治5年
正面に座るは家主の松之助であろう。 右は妻か娘でしょうね。
開拓に至っては武士が農夫を連れてくることを期待するのだが、武士だけの入植もある。 明治5年で松之助の名は武士の出のようにも思えるが詳細まではわからない。 左に見える茅葺きは馬小屋でしょうか。
ん〜高さがなんとも..........ただの納屋かも?
軍川とは地名でもあるが、その名のとうり川もある。
軍川から見た駒ケ岳
ごらんのとうり川があっても水田には適さない土地! やはり火山灰地だからだろう。大沼では昔から何度か沼の縁に水田が作られた。
だが大雨が降ると水没し、旱魃(かんばつ)もあって成功はしなかった。
昭和25年移行は食糧難もあり水田は存在した。
しかし急速な宅地化が進み、また食糧難も解消したことから昭和45年に
解散、今は畜産業が盛んな地域!
元々 安政2年(1855年)の箱館開港時に、外国人への食糧(肉牛)供給のため軍川地区に牧場が開設された記録があり、畜産には最適な地域と言えよう。 大沼黒毛和牛の飼育場もこの軍川地区にある。
すきやき最高〜♪ このような牛舎がいくつもある。
まさに北海道〜〜って感じです。
こちらは牛乳提供組!
軍川と放牧場
薪の囲いから見た駒ケ岳
このあたりの神社の社紋(神紋)で九曜紋を確認できなかったのが
残念でならない。相馬藩の家紋である九曜紋を確認したかった。
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