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幕末(箱館戦争)その2 前回と同じく、函館護国神社内「新政府軍」墓地からである。 箱館戦争については省略するが、函館護国神社に眠る英霊の墓碑は長年の風化により文字が 見えにくくなっている。 まだ言うとすべての文字を確認するのは不可能なのだ! 出来ることならば、故人の墓碑の前にタイル状の板をはめ込み、名と墓碑を確認できるよう 努めてもらいたいものだ! 画像左は(松本喜多治)備後福山藩(鷹翼隊)に属し、 明治元年10月24日 函館近郊の 大野村にて戦死 享年20歳であった。 右は(梅田小太郎)同じく備後福山藩(鷹翼隊)に属し、戦死日も同じであるが、正確には戦死 ではない。資料の一つでは戦死扱いになってはいるが........まあ、戦死扱いは当然でもあるのだが。 詳しく言えば、大野で重傷を負ったのです。 そして自害しようとしたが肝心な利き腕も負傷していて 自分では自害すらできなかった。仲間の兵は敗走の最中であり解釈を頼もうにも無理と判断。 そこで彼のとった行動だが、地面に刀を立て、刃をのどに当てて倒れこんで自害をしたのである。 でもこれはもう立派な戦死と言えよう。 享年22歳 左(長瀬且馬) 大野藩 明治二年4月29日矢不来で戦死。享年27歳 右(寺田竹次郎)大野藩 同じ明治二年4月29日矢不来で負傷し、その2日後、即ち5月1日 茂辺地で死亡。享年20歳 なお、竹次郎は大野藩格式御供小姓格で第一小隊であった。 2,3文字読み取れれば、資料と照らし合わせることは可能なのだが、いかんせん戦死した歳が 若い、それに心打たれます。16歳、17歳もあります。 まだ決めかねておりますが、来春にはボランティアを募り、墓碑を清掃したい。 もちろん護国神社の許可を得てうえでの話です。 刻まれた間に入り込んだ苔を取りのぞかねば なにも見えない。 ※ これは観光資源として見るのではなく、函館戦争の歴史を後世に伝えるための行動と理解して
もらえれば幸いです。 結果的には観光にも繋がるでしょう。 |

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