なんだか函館

函館山に残る要塞跡や西部地区の町並み、その他地域の紹介ブログです。気軽に見て下さい。

旧戸井線

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旧戸井線その4

旧戸井線その4。前回の旧戸井線は緑園通の中に残るアーチ橋までであった。したがって今回はその先の画像となる。今まで見ていただいた画像は全て歩行中に立ち止まり写した画像であるが、さて、この緑園通。上から見ればどうなのだろう? 画像はアーチ橋の上から写したものですが、どうですか、まさに路線の名残と思いませんか?単線なら十分の幅である。また、外灯付近の石垣も旧戸井線の名残である。
この石垣もまた風景として絵になる。


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また下に降り、その先を進む。アーチ橋のすぐ先には吊橋型の鉄橋がある。この鉄橋を湯の沢渓谷鉄橋という。眼下には湯ノ沢川があり、この先で湯の川と合流する。ここまでくれば湯川町と榎本町の境界線に近い。また歩いていてもアーチ橋、鉄橋と続くこのあたりが一番楽しい。 また、ここにも石垣がある。


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吊橋その2


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吊橋を反対方向から撮影。アーチ橋が吊橋から近いことが確認できる。
両側、前方と木々の緑化が進めば尚楽しい散歩となる。これからの時期が一番よい。


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ここからしばらく歩くと画像の榎本鉄橋が現われる。コンクリートのアーチ橋。白い吊橋。そして空色の
トラス橋と風景がことごとく変わるのである。


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この鉄橋を渡り、しばらくすると子供たちの歓声が聞こえてきた。なんだろうと下に降りる。そこはもう松倉川水系湯の川であった。画像はまさにその看板である。この辺りに子供が2人いて、おじさん、あれあれと指を指す。


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子供たちの声とは別にバシャバシャという音が川底から聞こえてきた。なんだろうと見てみましたら、それはウグイの群れであった。戻ってきてるんですね。ウグイが、、、、


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さらに拡大


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ついでにカモ


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しばし川の生き物を観察してまたロードに戻る。気分は最高である! そして次に現われるのが
黄色いミニ陸橋である。 この緑園通は本来高低差のある河岸段丘の地形であった。それを戦中に勤労奉仕の下、市民が切り開いた土地である。先進的な都市デザインとして生まれ変わったこの道。画像を見ても分かるように、ここは陸橋にする必要性など1つもない! それをあえてミニ陸橋に設計しています。しかもこんどは黄色。同じ色にしないところがいいですね。


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ここまでくればゴールも近い。画像は2つめのトンネル(榎本覆道)である。階段を上がれば函大・見晴公園へと続く道となる。トンネル内は歩行者用と自転車用でそれぞれに分かれ、事故防止対策を徹底している。


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かなり省略してこの緑園通を紹介しましたが、ここでゴールである。目の前の道路、右に曲がれば湯川方面。左は旭岡方面。正面に進めば湯川生協方面。尚、車で行く場合は本通側は駐車する場所がない。車で行く場合は湯川側から入るのがベストである。 湯川にある検診検査センター付近は幸いにして駐車禁止でない場所があります。路駐ではありますが、そこから歩いて5分程度で湯川側の入り口にたどり着けます。日祭日ならなおさら駐車スペースが確保できます。


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湯川側入り口付近。


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最後に、この路線を建設するにあたり動員された市民の方々に労いの言葉を送りたいと思います。
ご苦労様でした。そしてありがとう。

旧戸井線その3

「旧戸井線その3」前回の旧戸井線は見事なアーチ橋など、わりと名残が確認できる場所であった。今回は市街地に的をしぼり名残を探す。市街地で有名な戸井線の名残は歩行者&自転車専用道である緑園通の中に存在する。この緑園通。正確な距離は深堀町36から湯川3丁目36までの全長約1.8Kmではあるが、本通から川原ルートと途中の一般道を含めると約3km。これを通常緑園通と呼ぶことが多い。往復で6km弱、散歩にはちょうどよい距離でもある。本来この道は軍用列車が走るはずであったと思えば考え深くもなる。
画像は一般道から見た緑園通入り口付近である。



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この専用道を進む。両側はまだ住宅街である。


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この歩行者自転車専用道の要所には、休憩場と駐輪場が設かれてある。だが周囲を見ても旧戸井線の名残は見つからない、ただ旧戸井線の跡を歩いているだけである。


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途中数箇所、一般道を交差している箇所を通過して最初の橋、つつじ橋に達する。


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函館大学付属有斗高校付近


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ここからしばらくすると最初のトンネルが現われる。上は産業道路である。高さはなく、低いのではるが
人や自転車などでは気にならない。むしろ自然である。


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そしてこのトンネルを抜けると、見事なアーチ橋が現われる。この橋はおかざりではなく現役のアーチ橋である。歩行者&自転車専用道路内にあるのである。これこそが旧戸井線の名残を象徴する建築物といえよう。古い橋なれど見ていて飽きない。


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このアーチ橋だが歩行者専用道から上ることが可能である。緑園通内には数多く連絡道が存在する。画像の階段もその1つである。


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アーチ橋上部。 いや〜〜〜いつ見ても嬉しい。 まだ残ってることに感謝感謝です。
ただ、心配事もあります。やはり現役の橋として使用していますので、当然いずれは老朽化で通行禁止になることでしょう。そのとき、解体になるのか、またこの橋を残し新たに建設するのか? それが気になるところでもあります。僕としては残して欲しい。それだけの価値は十分あると思うのです。


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この続きは旧戸井線その4で公開します。

旧戸井線その2

旧戸井線その2 前回の旧戸井線の画像ではアーチ橋上部までであった。今回はその先にある名残である。汐首灯台付近のアーチ陸橋上部の画像はすでに載せてあるが、さらに詳しく紹介します。
画像はまさに陸橋上部である。ここを歩いたのだが、危険性は少ない。また画像では確認しずらいかもしれませんが手前に茶色のこんもりしたものが見えると思います。それは馬糞です。前々回から度々登場しています野生馬のものです。馬にとっては危険かも知れませんが、まさに絶好の移動ルートのようです。

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ここからは場所を移動してトンネルを目指す。画像の左側に見えるのがトンネルである。

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トンネル入り口付近。このルート、夏場は相当の草木が生い茂ると想像できる。灯台付近とは違い、それほど整備はされていない。

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トンネル入り口付近は瓦礫の山と化しているが、瓦礫の山を越えると中は以外に平坦である。

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瓦礫の山に上がると、向こう側の入り口が確認できる。画像で分かるとうり懐中電灯なしでも通行可能である。また、違うトンネルではコウモリを確認した。ほんの4〜5匹であったと思う。

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瓦礫だが、やはり崩落したコンクート、及び石が多い。だが反対側に出ると瓦礫の種類は一変して材木の山となっている。

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このトンネル内でのもっとも危険な場所はトンネル上部の崩落である。大きな穴が開き、そこから石がむき出しとなっている。下から覘いても気味のよいものではない。

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トンネルを引き返し、徒歩で移動可能な場所まで歩く。そして行き着く先が画像の場所だがこれより先は断念して1度下に降りる。

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上瀬田来バス停付近

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こちらは大々的に補強されたアーチ橋。 汐首灯台付近の独立したアーチ橋とは違い、こちらは斜面にへばりつく構造となっている。また色合いもオリジナルとは違いコンクリートは白く、真新しく感じられるのですぐに違いが分かる。 

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3連アーチ橋。このアーチ橋上部は生活道路として利用されている。

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3連アーチ橋上部。尚、五稜郭から始まる戸井線ではあるが、このアーチ橋をもって同路線は廃止の決定に至るのである。

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最後の画像であるが、戸井線との関連性は確認できませんが、古いものであることは間違いないでしょう。なにを支えていたのでしょうか?

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最後に僕は鉄道関連につきましたは知識が乏しく、また資料も集めてません。ですから間違えがあればどうぞ指摘してくださるようお願い致します。

旧戸井線

「旧戸井線その1」戸井線とはいわゆる一般的に言われる廃線とは異なる。この路線は完成を見ずして廃止となった幻の路線である。 また、この路線の紹介に関する文章は必ずといっていいほど津軽要塞の要所である汐首岬要塞への軍事物資を運ぶことを主な目的とするといった内容である。確かに結果的には軍部の後押しで建設された路線には違いない。 だが、それより以前から地域住民によって建設要望があった。 函館市湯川町。ここから海岸線の町は下海岸と地元の人間は言う。

当時、この地域は度重なる土砂崩れに悩まされ、度々陸の孤島と化したのである。したがって住民にとって戸井線は悲願でもあったのである。ことことは他の軍事専用路線とは大きく異なるのである。
また、軍がこの路線に目をつけた理由がもう1つある。 それは船舶輸送の短絡化である。この戸井町は
青森県の大間地方とは海路で近い。余談ではあるが青森側の廃止路線である大畑線は大間まで計画されていた。つまりは大間線として、この戸井線と連絡する予定であったのである。

戸井線の名残は函館市街地にも多々存在する。その有名所が自転車・歩行者専用道である緑園通りであろう。本来ならばここから画像を載せるところではあるが、この通りは緑園の名のとうり新緑の季節がもっても相応しい。したがって順序が逆になるが、その先にある名残からの紹介となる。
画像は函館市、汐首川沿いに残る陸橋跡である。

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このすぐ先が画像の橋脚である。建設時が太平洋戦争と重なり極端な資材不足であった。故に鉄は貴重であり、鉄筋の使用はない。明治の要塞の工法に逆戻りである。

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橋脚全体像

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この路線の建設にあたり、物資不足の他にもう1つ重大な問題があった。それは建設にあたる労働者である。若い労働力は戦地にありて、限られた労働力での建設を余儀なくされたのである。この路線は昭和
18年に廃止されたが、これより後、昭和20年4月からの赤川飛行場建設では延ベ200万人を超す市民の動員(勤労奉仕)があったと言う。 画像は戸井線とは直接関係がないものの、労働力不足を見るよい資料である。出征兵士を出した家の玄関先にはこの鉄板があるのである。右は慰問袋。

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また食料事情も芳しくはなく、当然ではあるが配給である。ついでですので配給帳。
正式名(家庭配給物資購入通帳)の画像を載せます。尚、この2枚の画像は函館博物館(分館)所蔵である。函館市発行の配給帳であり、個人の住所と名がありますので修正して載せてあります。

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さて、物資不足、加えて労働力不足の中、ちゃくちゃくと進められた工事でありますが、路線建設の性質上平坦地ばかりではなく、山や谷間、またトンネル等の難工事も多々存在したのである。 画像は汐首灯台付近のアーチ橋である。戸井線の情報は当然米国側も知っていたであろう。仮にこの路線が完成されていたのであれば函館空襲の際には確実に攻撃目標となったはずである。

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アーチ橋上部。 上部を歩く危険性は少なく容易に歩けるのだが、なにぶん野生馬の通路らしく、馬糞の山である。また草木もあるため枯れ木状態の4月中旬までが見学するにベストと思う。ただし歩行にさいし馬の確認を忘れるべからず! それだけが注意するところである。

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旧戸井線(その1)の記事はここまでとしますが、後に続きを書きます。 最後は橋脚上部に残る4つの十字型。1本の橋脚で4ケ所の固定部が分かる画像と思います。

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