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平和への道筋・・・
平和とは、戦争のない世界の状態。そして出来るならば世界の全ての人々がなんら争うことなく和気あいあいと暮らすこと。
おそらくは有史以来ほとんどの人々が望み、また目指してきたことだ。
現在・・いや既に古来よりずっと・・局所的に瞬間的にを除くならば、実際はおおむね達成されて来ているといっていいのかもしれない。
少なくともここ日本では今は、そうだ。
これをいかに捉えるか?
そこに・・語られるだろう道筋の本質が現れるのかもしれない。
この日本国の現在の国際常識からは逸脱した特殊な成り立ちを背景にもつ平和は、今やほとんどの国民にとっては当たり前の空気のようなものであり・・
また、ある種の人たちにとってはどこか後ろめたさを感じるようなものとなっている。
ここ日本で・・そういった文脈で語られる平和とは、どうしてもそんなどこか歯切れの悪さがつきまとうものだ。
ただ・・だからといって極端には振れない。
やはりそれは理性があるから・・そう、殺し合う準備とは本質的には狂気、理性の対極なのは疑い様のないこと。
平和ボケなどと揶揄されるかもしれない。しかし、何ら保証のない砂の城の中の話だとしても、それは平和が空気のように当たり前になった世界なのだから・・
それが当たり前の民意なのだ。
この国家としては一見ズレたような日本の感覚は、実は世界の民意にもっとも近いものではないだろうかと私は思っている。
平和への道筋・・・
・・・・・
この星の全貌はいまやほぼ明らかであり、そして星単位でのまとまりとして今後人間があるならば世界に軍備は不要だ。
それどころか明らかにその存在とその維持は単に多大なる負担でしかない。
平和主義者はみんなそう思ってる。
ただ、実際にはそうじゃないだけだ。
何故か?
世界の人々にあなたは平和主義者かと問えば、ほとんど全員が「そうだ」と答えるはずなのだが・・
それでも国家は軍備は怠らず、言い方は悪いが・・機が熟せばまたどこかで戦いは始まってしまう。
何故なのか?
・・・・・・
もうこれは、平和の定義、概念が間違っているとしか考えようがない。
結局はただ、最悪の事態を回避し続けることが今現在の世界の平和の定義なんだろう。
これが平和の定義である限りにおいてはいかなる方法論も本質的には無効と思える。
兵器、軍隊、国益、戦争、戦死、戦犯、賠償、後遺症、憎しみの連鎖・・・そして未だ単にその体験の反語としてのイメージでしかない平和。
本当の平和を望むなら、蒔いた種の実はきちんと刈取って、そして新しい種を蒔かなくてはいけないのだ。
真の平和とはいかなる状態を言うのか?
それこそがまずは語られなくてはならないはずなのだ。
平和とは・・・
・・・・・・
私は、それは全ての人々の全てのニーズが満たされた状態が維持されることだと思っている。
確かに今現在の世相、価値観に照せば荒唐無稽な話かもしれない。
色んな意見はあるだろう・・しかし、それは実現可能なことだと私は考えている。
条件はシンプル、だが我々には最難関・・・それは、個人の独占欲の放棄だ。
その上で、全ての人々のニーズが満たされることそのものが個人のニーズの最上位になればいいのだ。
制度やシステム、ましてイデオロギーの話ではない。
個人の意識の問題として、だ。
如何にするかでは世界は大して変わらない。
一人一人、私が如何に在るか?なのだ。
世界とはその反映なのだから。
ただ制度を、ルールをどうするか?それだけでは個人の価値観は変わるはずもない。
ただそれだけでは、所詮は既存の価値観に沿った目的をみた、それも達成効率だけの話でしかない。
結局は・・個人個人が如何に在るか、在ろうとするかでしか人間世界の本質的変化はなされないのだ。
そして、それは一人一人の自主的意識の変化によるものであってこそ意義がある。
制度やルールはあくまでそれを受けての補助的後押し。その域を出ては世界は人々の望む反映としての創出とはならない。
望むは真の平和の実現・・・
ただ・・本当に完全にそうなってしまえば世界は全くの別物となるだろう。
今の支配的な価値観で言えば、それはもはや人間社会ではないとする者もいるかもしれない。
・・しかし、私はその世界は間違いなく美しいと想像する。
勝ったり負けたり、得たり失ったりのドラマはもうそこにはないだろう。
戦争どころか・・野球もサッカーもオリンピックもきっとなくなる。
全く新しい価値観に基づく全くの新しいドラマがそこに展開されるはずだ。
・・・・・
それを我々は体験したいのか?
全く想像もつかない新しいその世界での体験を・・望むのか?
私は・・いつも考えている。
わからない、わかるはずもない・・想像もつかないその世界を。
我々がまだ棲む資格があるとは・・到底思ってもいないその世界を・・
いつも想い・・・
・・恋いこがれている。
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暑いっす(涙)俺ってどんだけ水が入っとるんやろって、思うくらい死ぬほど汗かいとりますわ。もうびっちゃびちゃで気色悪いっす(笑)
シュタイナー→エンデのライン・・なんとなく分かるような気もします。
そうか「易経」の影響は考えられますね。循環に足るを知ることを見たと言いましょうか・・
結局お金って言わば権利ですよね。
つまりは余ったお金は必要なかった権利であって、それをひたすらストックしていくことを是とするのはどうなんだろう?って思うのはこれからの世界の課題になっていくと思ってます。
循環とは単純な繰り返しのようでいて年輪となる厚みも表現していると僕は考えます。幹は太くなるほどに安定する、そういう方向性って摂理だと思うんですね。
確かにじれったいけど、確実に年輪は刻まれているはず。
僕は人間存在をそれに倣うものだと信じてますよ。
2010/8/3(火) 午後 8:29
恥という概念のそれぞれの発動は、僕はある意味美意識の実行なんじゃないかなって考えてますね。
美意識は主に否定を導きますからね。肯定には色んな含みがあって美意識とは直結しにくいけど、否定は要するに美意識に反するってことなのが、本来なんじゃないなって思うんですよ。
ただ、現代日本、あるいは西洋圏の否定はどうなのか?っていうのは微妙ですね。
効率本意によるものが主体?ううむ、誇りの在り方ってのもあるでしょうしねえ・・
でも洋の東西を問わず本質的には同じではあるだろうとは思ってます。
2010/8/3(火) 午後 8:30
人間っていうものは愚かにできていると相場はきまっています。
一寸先は闇だといっても、不確定な事に脅えて確実を求めるけれど
そんなものはどこを探してもない。
野村監督夫人が脱税したときの動機は「老後のため」だったそうです。
どこまで貯め込んでも不安はつきないものなんでしょうねえ。
ま、それもその人が選択したことであって
他人がとやかくいうことでもない。幸せは個人的なものです。
すべては個人の価値観にある。
それがどうも最近はVSOP(古っ(汗))水で割ったらアメリカンじゃ!
なんかやけくそだなあ(汗)、きっと暑さのせいね(涙)
そうそう美意識だよね。
わたしはそれにエロティズムを付け加えて、水で割ったら・・・違う(汗)
ほら、愛を自己愛と無償の愛。としたじゃない。
美意識は前者に、エロティシズムは後者につながるんだと思います。
自分を愛したい認めたい。それには自分に恥ずかしくない生き方を。
自分のことなどどうでもよいと思える熱狂をもとめる。
2010/8/5(木) 午後 10:41
結局、自分から解放されたいいんだ。
しがらみというものを突き詰めれば他人や環境じゃなくて
自分自身ですからね。
人間の最終欲求は「自由」であると。
そのために、愛はあるのだと。愛が必要なのだと。
これまで愛を最終目標と考えていたけれど、その先にこれがあった。
そういえば、つ〜たんは以前から「自由」をキーワードにしていたよね。
魂の件もそうだけれど、教えられることが多いです。
>否定は要するに美意識に反するってこと
否定にも色々あるんじゃないかな。
「変化」は人間の宿命ではあるけれど、と同時に「不変」も必要。
なにを変えて、なにを変えないか。
結局それは個人の意識というか魂の訴えを受け止められるかどうか。
自己肯定のための否定は自己保身でしかないからダメなんじゃない。
西洋圏の否定は一神教の影響としていいかもしれない。
彼らは「虚無」を怖れて、神をこしらえた。
しかし、宗教は手前のことであって、
東西云々の相違を分析するのにも少々明きました。
それじゃなにも解決にならないと。
2010/8/5(木) 午後 10:53
だからさ、ロマン議長の超シンプルな革命理論がツボにはまったのです(笑)。
わたしは具体的な政策論争は苦手です。
結局はどんな政策もシステムも人間が行うことであり、どこかに抜け道を作って
そして腐敗する。
だから、個人の意識革命が必須なんだとわたしは思うのです。
そういう意味で具体的な消費税とかのテーマは苦手です。
抽象論だとかよく批判されるけれど、
わたしにとっては抽象論じゃなくて超現実的な話なんだけれど・・・おかしいなあ(汗)
さて、明日からは原爆と終戦がテーマだそうです。
なんか浮いてしまいそうですが気にせずやるだよ。
恥ずかしがらず(笑)
2010/8/5(木) 午後 11:00
馬太郎さん、ありがとうございます。
ここまでコメントを重ねてきてようやくピタリと重なる部分の要約となりました。
馬太郎さんの、このコメントは静かに分かりやすく語りかけ染み入るものがあります。本当にその通りだと思います。
僕は美意識を中心に馬太郎さんはエロティシズムを中心に置いた記事を書く傾向が強いですよね、そうか・・そう言えばそうだ、得心しました。
僕たちは結局、この二つの要素を軸に人生を楽しもうとしている。
・・僕は美意識を研ぎすまそうとするあまりに、どこかでエロティシズムに懐疑的になっていた所があったのかもしれないですね。
熱狂は求めているのに、それを支える根本の価値観に自信がない。
だけど、僕のこれはあまりにハードなテーマですよね、人間存在の将来的テーマではあっても、少なくとも今現在の個人のテーマとしてはかけ離れすぎています。
うう、どん引きならまだしも、何言い出すんじゃこいつぁ・・って(笑)
ま、言っちまったもんは仕方がないですけど(涙)
2010/8/6(金) 午前 1:56
愛と自由は親和性の強い比例関係だと思ってます。
日常生活においてだって、気持ちのよい愛の受け渡しは自由のバックボーンですよね。
つまり、大きな自由を感じる人は愛も大きい。
まあ、個人個人色んな感じ方もあるだろうけど、僕は素直にそう思いたいですね。
今ね、昨日からか・・テーマ記事書いてます。ちょっとづつしか進まないけど。
今のこの心境はこのテーマについて考えを巡らしてることも関係してるかな・・なにしろうまくバランスとれるように流れが用意されてると感じますよ。
凄く難しいけどなんとかまとめようとは思って頑張ってます。
2010/8/6(金) 午前 1:57
馬太郎さん
しかし、あれですね。。
2時間でいい、世界の全ての機能を止めて、宴会をする。
世界のみんなで宴会をする。
金はあるものが出せばいい。
貧困、飢餓地域にも、食べ物飲物を送り、いっせいに乾杯する。
その2時間で、世界は変わる。
そんな世界みんなで大宴会をしようじゃないか。
とにかく、賛同してくれるひとで始めようじゃないか。
その呼びかけで、青空会議を10名ほど集まり、さけを飲みました。
そして、今回連動記事で、より多くに人に、何かを訴える。
青空会議にしろ、連動記事にしろ、何か、面白そうだな。。
と思うから賛同し、参加してくれます。。
あ〜だ、こうだ言う人は多いけど・・
やりゃええやん。。
それから考えたらええやん。。
理屈をこねるのは簡単ですよ。
でも、そんなもの屁みたいなもんですもん。。
理屈で、人は動かんもん。。
人が動くのは、金か、女か、おもろいか・・ですよね。。
青空会議も、連動記事もおもろいと感じてくれた人がいる。
それで動いた。
世界は平和になんかならない。
そんなわかりきったこといわれても
2010/8/7(土) 午前 2:10 [ ロマンチッカーnao ]
つづき。。
しってるよとか言いようがない。。
みんなで酒飲もうや。。
みんなで記事かこうや。。
それを面白いと感じる人がいる。。
これは、小さい一歩ですけどね。。
確実に、何か、変わる一歩でもありますよ。。
確実に。。
つーたんさんも、何かを感じてくれた。。
そして、つーたんさんの記事にまた、影響を受けた。。
連動記事、確実に10名以上が参加しています。
1000人を確実に超す人に見てもらえるものになっています。。
道は出来たと思います。。
挫折するでしょう。
そんなにうまく行くわけがない。。
でも、道は作った。
小さくて見えないかもしれないけどね。。
これからですよ(笑
面白くしたるやないですか(笑
2010/8/7(土) 午前 2:19 [ ロマンチッカーnao ]
>理屈をこねるのは簡単ですよ。
その通りです。
>人が動くのは、金か、女か、おもろいか・・ですよね。。
がはは
それもその通りなのです。が、
金で動かない者もいる。ましてや女でも。
そりゃねえ、動くやつがいたとしても、それで立証にはならない。
動かないやつがいることこそが、たとえ少数派でも立証になる。
これが理屈、道理、真実、真理というものです。
でも、
「面白い」は絶対なのです。人間は面白いと感じれば動きます。
それがエロティズム。エロなんだ。
エロをエッチとか異性だけに限定しちゃいけない。
エロティシズムはもっとダイナミックで即効力と実効性を伴う。
すべての原動力です。
その最初の一歩の道筋が大切なんですよね。とかかりが
この感じでいいのではないでしょうか。
楽しくやりましょう。楽しい革命。
2010/8/7(土) 午前 5:35
naoさん、馬太郎さん、馬鹿馬鹿しいほどにシンプルな提案ですよね。どこかおっさん的さしさ(笑)
でもさ、繋がるってそういうことですもんね。
とりあえず繋がる実感からってことなんですよね、言いたい事って。
ええんよそれで。だって実際繋がっとるんやもん。どう考えたって世界は繋がっとるんじゃ!やったらこんくらいのことあってもええやろ?ってね。
実現に対するこだわりとかは別問題としてもさ、そう言う呼びかけっていいと思います。
面白いと思います。そして、こういうのを気持ちいいと感じる感性を呼び戻したいってのはありますね。疲れ果ててどこかしらけた世間にも、勿論自分自身にもね。
2010/8/7(土) 午後 10:03
拡散し、細分化されていくメカニズムがあります。
これが今のこの国の現状であり、マックス状態だと思う。そう思いたい。
で、どうなるか?
集約されていく。自然の摂理ですが、問題はどこに集約されるか、です。
それの舵取りを誤ると不味いですよね。
勢いがつくと止まらなくなってしまう。歴史に学ぶ
ということはそういうことだと思う。
ここが踏ん張り所、勘所なんだと思います。
2010/9/4(土) 午前 8:03
集約への流れの兆しは感じますね。
ただ、簡単に一本へって形にはなかなかならないだろうし、何本かってなっての対立構造になるとまた新たな消耗の時代への突入になってしまうのかな・・
幹は一本なんですけどねえ、枝葉が幹を意識するような集約であって欲しいですね。
2010/9/4(土) 午後 8:49
その兆しに危険なものを感じます。
「流れ」は常に人間の意志を超えていて、その流れに流されていく。
幹はひとつなのだけれど、枝葉が絡みついて幹を倒してしまうような
異形の、不自然なものになってはいけない。
しかし、摂理というものを凌駕しようとしている。
自由とか平和とか正義という名の下にそれを行使しようとします。
驕りだな。そして不信と不安が、それを駆り立てる、
どうしたものかなあ・・・
2010/9/4(土) 午後 9:10
自由÷正義=平和
こういった公式を多分みんな深層で意識するんだけど、では平和?って思った時に違うとなったら・・
結局、本質的パラメータとしての自由に変化は有り得ないわけで、正義に問題があるのは明らかなんですよね。
僕が思うに、この公式に入るのは「正義」ではないはずなんです。
「摂理」ですね。
そして、この存在の認識と扱いは「自由」に委ねられている。
ここが人間にとっての悩ましいところであり、また人間としてあるべく体験のベースであり面白いところなんですが・・
なんにせよ、このパラメータは逆らうほどに大きくなる。
だから理想は「0」ですね。
摂理には逆らわない。逆らえないではなくて選択として逆らわない。
個々の摂理に則った振る舞いは全体としての調和、つまり平和を導くと思うんです。
そうなった時に、自由=平和が成り立つというのが僕の究極の社会像です。
2010/9/5(日) 午前 8:06
この考えがこの記事のバックボーンであるのですが、「摂理」とは何かからになると、まだまだ模索の状態だし、「正義」とは違うくらいしかわかってないのが実情。
仰る通り、奢り、不信、不安、そういった要素をまずは取り除かないと見えてこないのは確かなんですよね。
2010/9/5(日) 午前 8:07
昨日、ちょっとあちらの世界を覗いてきたのです。
以前、良心的なまっとうな疑問を提示した人がいたので、それを手がかりに。
そしたら、ちょうど論争中でした。どちらも論客。
仲間同士でやりあうんですね(笑)。「右翼」と貶しあって。
でさ、内容的にはちっとも咬み合っていないんですけどね(爆)。
で、はたと気づいた。
彼らは、さほどの目的があるわけじゃないのです。
批判のためのすべてが材料なのだ。だから史実の事実とかどうでもいい。
そこに白黒決着がつくことは避けたいんだな。
だからすべては捏造とする。2ちゃんねると同じ。やっと合点がいきました。
論争と批判することにアイデンティティーをみいだしている。
非常に平和な世界です。
だから、わたしの存在や姿勢は野暮なんだな(笑)
2010/9/5(日) 午後 4:15
これは陶磁器骨董の世界と似ています。
あそこでは真作がでてもすべて贋作扱いだそうです。
これ以上真作が市場に出ると相場が暴落するのだそうです。
だからすべて贋作扱い(汗)。
あの赤瀬川さんもそれに噛んでいると知り驚いた。トマソンのくせに
いつのまにかアカデミックやっていたんですね。
なんにしても国民が稚拙化している。
色々な層で色々な領域で。そして面倒臭がっています。
自由のはき違えだな。これも
政治不信というよりも、国民が人間不信に陥っている。
まさに、信じるものは救われるです。
そう思うと、今年の夏は、寅屋といい喧嘩をしたよ(笑)
あれは伝説だな。息子にも自慢できたし。
テーマは愛から自由だね。
2010/9/5(日) 午後 4:27
人間観主体の考察を事実と重ね合わせる手法は僕が思うに、個人の手法として最も誠実な表現手段だと思っています。
僕の知る限りその第一人者は馬太郎さん。歴史に疎くても馬太郎さんの記事と、馬太郎さんの人となりを知れば歴史認識には充分な資料が揃うことになると思っています。
だから断じて野暮などではないですよ!重要な部分ですから、これ!
それぞれの歴史見解の微妙な違いとは結局はそれぞれの人間観による主に切り取られる側面によるものだろうと・・それはそれでそういった認識に基づけば面白い部分であり、決して喧嘩になるような所ではないんですけどね・・つまり、それを語る人となりが出る部分なわけでさ。
ま、それも面白いところではあるけれども、ほどほどであって欲しいです(笑)
2010/9/5(日) 午後 6:36
赤瀬川さん?そうなんですか。
しかし贋作、真作かあ・・わからないでもないですねえ。
僕の家にも実はあるんです(笑)狩野芳崖作と伝えられるものが・・
しかし、これは作品としては決して発表できない(汗)
興味深い学術的資料としては意味あるかもしれないけど・・ま、そのうちこれは記事にするかもしれませんが。かなり笑えますよ。
うん、なかなか良い夏、忘れられない夏になりましたね。
愛から自由へ!これだよ!
2010/9/5(日) 午後 6:37