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「職業に貴賎はない。」
2〜3年前くらいからよく言ってたな。
年に1、2回くらいしか会わない奴なんだけど会うと必ず言うの。なんだかんだと話の流れに挟んで何回も・・
最初はさ、まぁそうだよなって思ったさ。奴にもそういった事を思い知る体験があったようだしね。
でもさー、それって改めて強く主張するようなことでもないだろって思うんだわ。
だって当たり前の事だもん。
ま、職業泥棒とか詐欺師とかも含むみたいな特殊な思想ってわけでもないんだろうからね。
現代日本ではごく当たり前の一般倫理じゃないかって思うのよ。
あえてそのフレーズを使うなら「職業に貴賎はないというけれど〜〜」みたいな?
そういう感じが個別の主張としての活かし方なんじゃないかな?
なんかさ、ずっとそいつがその言葉言うのがなーんか嫌だったんだよね。
昨日それがはっきり判った。
結局、本当にその言葉通りの考えが自身に浸透してるならそんなこと言わないんだよな。
あるとするなら目の前にそれに反する言動が目立つ奴がいるような時。
それも、そいつに自分が諭さなくてはならないと思うような関係があっての事。
おいおい、俺がそうだってのかよ!
みたいなね。・・違うけど(笑)
一緒に居た連れからさっきご機嫌伺いの電話があったのよ。
「なんでお前昨日あんなに怒ったんか?」って(笑)
「面白かったけど」も(笑)
・・・・・
「じゃ、ちゃんと説明しようか?」
「いや、ええ(即)」
だってさ。
なんだよ!・・いいよ。ここに書くから。
「Y。お前は職業に貴賎はないとはまだ真に思っていない。その言葉以外のすべての態度がそれを物語っている。」
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日記
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よい星読みは芸術作品として感じる。
そして、芸術作品に感じる何かは観るものにとっての星読みを含むものだと・・そんなことを思うようになった。
指針そのものは我の内に既にあり、忘却からの旅路に星は寄り添う。
よい体験をしたいね。
個人的な結果以上のよい体験。
それが何かかが一つでも分かる。
そんな年にしたいです。
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スピノザの言う実体。
カントの言う物自体。
龍樹の言う自性。
それらの条件を満たすのは究極の第一原理、つまり神だけになる。
それが結論だ。
現代の神概念はそれら先人の云う言説より自然に想起されるものとなって妥当性を得る。
私はそのように思う。
・・・・
結局、神を想定せずに自性を語ることは一般にはほぼ無意味ってことになるか・・東洋人であっても、色即是空の響きにそういった諦観を感じるのは私だけではないだろう。
・・が、縛られるくらいなら想定しない。というのなら有益だ。
想定したところで諦観が畏怖になるだけならば・・ではあるが。
人間存在は絶対的な枠内にある。
それは決して破られることはないだろう。
しかし、枠内での自由は既に無限だ。
人間にそれが出来るのならば・・いかように振る舞おうとも神は許す。
世界はそれを証明し続けてきた。
充分過ぎるほどに面白いじゃないか。
あとは、主役である私がいかに在るか?
・・だけの話だ。
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スピノザの主張の白眉は人格神の否定だ。
それは西洋にとっては重要なエポックとしてあるであろう・・と、東洋人であれば考えるだろう。
特に日本人は神概念を現象から想起して来た。
それら各現象に連想される人格を人間の感情により設定したことが明白な文化をもっている。
現象を語る事に利用された概念なのだ。
だから、現象が神なしで語られれば神は消滅する。
そのような暗黙の了解が民族のフレキシビリティを担保してきた。
言い換えれば、日本古来の神概念は感情と密接であることに自覚的であることが組み込まれたものだと言えるだろう。
スピノザが愛される理由の一つ。
私が思うにその言説の波に感情を感じる事がある。
基底にある感情、それが良質であると感じられる事。
スピノザ自身が十全、能動とした感情。
それは、彼の神。それに殉じた衝動なのかもしれない。
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知る、解する、得心する。 |

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