虚数のぶろぐ

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思考。

現代人のそれは、凄い。

いや、現代人の思考と言うよりは、古代から連綿と続き築きあげてきた知識、理論は今や見えない物から、現実には存在しない物まで語り。果てには、本当に果てのないかもしれぬものまでも語ろうとする。

物理学の話です。

つまり、宇宙物理学、素粒子学に触れてめぐらす思考は・・・というお話になります。

「たかき@うま」という方のブログの1カテゴリーからの派生。

暖簾分けさせていただき、本家とはまた違った趣での展開で始めることとしました。
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神の意志

意識を物理現象に還元させようとすると、全てに意識(あるいはその元)があるとしたくなってしまうのはわかる。
・・が、そうするには最低限そのいわんとする「意識」の再定義は必要であるし、出来たとしてもおそらくそれは一般でいう意識ではない。
私の見解では、それは意識ではなく意志と呼んだほうが妥当だと・・その意志とは・・彼は躊躇なく使うのでそれに倣えば「神の意志」ということになるのだろう。
「神の意志」・・その具体とは、設定された法則に表現されると・・
つまり、彼の主張の中核はその法則の説明に神の意思の周知を期待して・・といったものであると理解している。


しかしながら、意識とはそのような文脈で取り扱える概念ではない。
最低限抑えるべき定義の一つは「選択出来る」これのはずだ。
選択的表現の実行。能動。

つまり、設定された法則の外側なんだ。
ようするに、神は私達が何が出来るかは知っていても何をするかは知らない。
少なくとも設定上はそうなっているんだ。
だから全責任は各意識にある。

紐解くんだったらこっちが優先だろうね。

選択的表現の実行。

その結果、意識の状態がどうあるか?

ただただ・・その繰り返しなんだから。

光の物語

わたしがわたしの体を動かすにあたって、そのメカニズムの理解は必要とはされない。
しかし、メカニズムそのものは在ると考えるが妥当だ。

物質世界とはメカニズムを通し表現される世界。
この前提は科学云々以前に我々に思った以上に深く刻まれたものだ。
実際には物質世界とは言えない創作物語世界であっても、それらに感情移入するにはこの前提を抑える必要もある。
フィギア化出来ない人気アニメ主人公はないし、プラモ化出来ない人気ロボットはない。

メカニズムを理解するにあたって、我々が意識するのは一つには単純化があるだろう。
つまり、要素の集約だ。
物質世界においてのそれは最小単位の想定となる。ただ一種のそれらの振る舞い。
素粒子、波動、電磁波・・現在ではそのように言われるのであるが「光」そう言っていいだろう。

世界は光が表現する。

空間も時間もそれらに付随する体験だ。

意志が影響を与え意識が体験する物語。

光の物語。

メカニズムはその保証。

光は必ずこうある。

だから、君は知らずとも味わえる・・と。

意識と物質

意識と物質の統一理論は物質側からは記述出来ない。
物質側とは既存の物理学という意味であるが、それには数値化による記述に普遍性を見出すという基底があるからだ。
対象はあくまで物質であり、記述はそれらの受動性についてである。
意識の能動性を認めるならば、それは対象外となるだろう。
そのように考えるのが妥当だと思われる。

ペンローズの思考の根っこについて茂木さんが何かの書籍で語っていたので印象的だったが「ペンローズにとって意識とは量子力学と関係してないといけない。」だ。
なるほど・・これは科学者の直感というよりもむしろ必然の帰結となるのだろうな。
実際、あるとするならそれしかない。私程度の知識でもそうなってしまう。

物質は法則に従うが、意識はその法則の一部に関与する。
結構前からそのように考えるようになった。おそらくは波動関数の収束にと。

つまりは、能動的であるということはある意味ある範囲では、意識が主で物質が従であるということ。
私が私の身体を動かせるということは私の意識はそのような質を有しているのだと。
物理学は質には言及しない。自動的な振る舞いしか扱えないからだ。
その自動的な振る舞いの説明に神秘の質を垣間見せることはあっても、確率以上の質は表現しない。

確率以上の質の表現は意識の独壇場だ。

意識の高まりは高度な質、いわゆる奇跡をも演出するのかもしれない。
イエスのそれや、特殊な霊能などでなくても・・私達それぞれの意識の高まりはそれに応じた仕事と業績を表現するだろう。

それは物質を制御する法則を破るかのように見えて、さらに大きな法則に則った意識の在り方。
・・そんなことを考えている。

円周率

無限の属性を持つ定数で一番に浮かぶのは円周率だ。
計算を始めれば数値は無限に続く。

しかし、その数値からそれを円周率だと真に知ることが出来るのは演算要素を決めた者しかいない。
演算要素を決めた者であればそれを展開したとしても、それ自体は数値で表現することはしないだろう。
「π」・・つまり意味として、新たな要素として表現する。

仮に円周率のどこかの桁の前後10桁ほどを抜き出して知ったとしてもそれが最上位を含まなければそれを円周率の数値表現だと看破することは難しい。
無限にランダムに続く数値には10桁全ての数値が「0」の範囲もあるのだ。

無限から意味を掌握するということはそのような難易度を含む。
ほぼ不可能な話ではある・・しかし、上位を知れば可能性は高まる。
下位を知る必要性はない。
必要なのは一つでも上位を知り下位への流れを精査していくこと。

意味を求める。

それは、きっとそういうことなのだろう。

・・・・・

「宇宙の進化する意思」

それは存在の動機。

意識の中心の見えない柱だ。

私はそのように考える。

私たちが円周率のどの桁の存在なのかは知らない。

だけど、それが円周率だと導かれる何かがそれぞれの自身の内にある。

・・そんな気がする。

無限

有機的体系を記述する「数」その演算体系・・・

・・・おそらくそれはあるだろうな。
世界が意図されたものならば・・仮にその顕現に我々の想像するような設計が必要でなかったとしてもあるはずだ。

結局のところ、我々の知る「数」とそれらを乖離させる最大の要素は「無限」なんじゃないかな。

従来の「数」では無限は全く扱えないわけではないが、我々を納得させる解を得ることは出来ない。
一般的現代人の感覚としては・・だけど。

つまり・・人間は無限の概念に弱い。
そういうことになるのだろう。

ある種の人々は無限よりもむしろ無を好む。
理性が納得しやすいんだろうな。

だけど、きっと世界は無限なんだと思うよ。
世界が無限である以上、それを体験することも無限。

ならば、その体験する意識も無限に対応してるんじゃないかな。
我々が気付いてないだけでね。


意識が無限に対応しているとすれば、その解明には無限から解を得る「数」が必要だ。

だけど、そんなこと想像も出来ないってところが逆に人間の面白さなんじゃないかな。


・・・・


有機的体系を記述する「数」その演算体系・・・それはきっとあるだろう。

でも、演算はしなくていいよ。
どうせ無限なんだからさ。

一つ一つ味わうだけだよ。

きっと全てを承知して始まったんだよ。

この世界での無限の旅は。


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