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写真:「1979年アベドンとセントラルパークにて」ー五木寛之ブックマガジン秋号より
:その他三点は「繰上和美・人と作品」1978年玄光社刊より それぞれ転載しています。
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:アベドン「・・・五木さん、あなたはおいくつですか。」
:五木「46才です。」
:アベドン「私は五十五歳。あなたも私と同じように、人生最後のストレッチに入ったら、私と
同じように感じるようになると思いますよ。・・・
私はもう自分の持ち時間が限られているということを、非常に強く思っています。
これから先、十年間の仕事は、人に見せるためでなく、自分のためにするつもりでいます。
今私はやっとアーティストとして、より個人的に仕事をする権利を手に入れたのだと感じている
んですよ。」
:五木「ぼくはアベドンさんとは反対に、年と共に楽観的になっていくような気がしています。
・・・様々な悲劇を日常的に見すぎてしまった。ですから悲劇からスタートして、どんどんん
喜劇のほうへ年をとって行くような気がしています。」
『五木寛之ブックマガジン』冬号「リチャード・アベドンVS五木寛之」から
■巨匠アベドンとは比ぶべきも無いが、ささやかな我が人生も同じ境地。
自由業に近い身分なので、食べていくためには当面いやな仕事も請けざるを得ない。が、この所と
んでもない勢いでやりたかったことに手をつけ、興味ある人に積極的に声をかけるようになった。
これまでからすれば180度転換したような気分で人生を送ろうとしている。
46才の五木、なかなかに興味深い会話をしている。
確かに彼の原体験からすれば、もはやある種諦観に似た人生としてしまう早熟な大人であったに
違いないけど、今日の彼の一連の仕事ぶりを見るにつけ、この時のアベドンの境地に今どういう
感想を持つか聞いて見たい気がする。
■アベドンはコマーシャル写真の世界では抜きん出ていた。
このアメリカの巨匠に憧れたフォトグラファーはその頃の最大公約数だったし、無論今日に至る
影響も多大なものがあろうが。
同じ頃、この国にもそんな俊英がいた。VANのポスターを手がけていた『繰上和美』である。
アベドンの完成した退屈より、繰上和美の不良性の美学のほうがうんと刺激的だった。
僕はこの頃、ほとんどアベドンにこの俊英を重ねて、幾度も彼の作品を眺めていた。
長らく、『コマーシャルフォト』を見てないし、もとより写真関連の雑誌もしかりだから最近の
事情には全く疎いのだけど。彼はその後どんな仕事をしているのだろうか?
もはや興味な作家は「アラーキーと森山大道」になってしまったので、この二人の中年愚連隊の
動向くらいしか知らないのだが。
特にアラーキーに至っては、紀伊国屋に出かけなくとも、コンビニで立ち読みできる写真家(笑)
なのでヨーロッパではマストロと賞賛されても、この国ではローソン荒木でもある。
そこに興味が尽きる。本人も納得しての仕事ぶりだし無論彼のアイシュウ写真の本質は、著名な
美術館の作品とコンビニでの週刊誌のグラビアと同じく僕には見えるのだが。
■『五木寛之ブックマガジン』冬号「リチャード・アベドンVS五木寛之」を読みながら、そうだ!
繰上和美には、五木寛之のショットがあったと思い、唯一彼の作品集でとってあった「繰上和美・
人と作品」1978年玄光社刊をめくってみると、ある!ある!
彼の撮ったこの五木のショットは、アベドンにインタビューした前後のものである。
1976年の写真。角川の「野性時代」に掲載された写真だ。
なんで柔道着着ているのかしらん?柔道着というよりなにやら神官みたくもあるなあ(笑)
たぶんこのあくる年あたりにセントラル・パークでアベドンと語らっていたはずだ。
若いなア!
そして、くまさんじゃないが憧れの兄貴だったはずだ、アベドンとのショットといい、この
神道写真といい。
それから何十年もの修行の道があったというのに、未だに兄貴のこの『憂愁』をモノにできて
なくて残された日々を考えるとあせるばかりだけど。(笑)
■長い間眠っていた繰上の作品集を手にしてみて、この洒落た感覚が未だに衰えていないことに
満足、満足。色褪せてないなア「繰上和美」
その後どんな仕事しているのだろう?ご存知な方あれば教えて下さい。
『五木寛之ブックマガジン』冬号のサプリ効果はなかなかのものだった。
ま、僕ならずともこのマガジンの冬号の「読者の伝言板」を見ると同じような感想ばかりが並んで
いて苦笑するばかりだ。オヤジもオバサンにも。再びの青春に乾杯!
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