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先日別の記事で、
〜(不覚にも)患者さんの目の前で居眠りをしてしまったことがある〜
ことを書きました。
そのことに関連して、本日は、かつての研修医の日常を少し書きます。
書き出すと、ほとんど『愚痴』『不幸自慢』になってしまいます。
みっともないので今まで触れなかったのですが、本日は書きたい気分です。
よろしければお付き合い下さい。
※ ※ ※
私が大学病院に勤めていた頃の話です。10年程昔のこと。
当時は医師になって3年目で、今でいう『後期研修医』にあたる時期でした。
『ネーベン』というドイツ語で呼ばれるそれは、はっきりいって『パシリ』な境遇でした。
所属していた医局は、大所帯の内科講座。
それはつまり『仕事量も、学ぶことも、かなり多い』ことを意味していました。
※ ※ ※
『ネーベン』は毎日、朝7時30分から翌日の午前1時頃まで働いていました。
食事休みを除いても16時間の労働です。
土・日も、通常は休みにはなりません。
病棟を回診し、指示を出し、患者さんの具合が悪ければつきっきりです。
カルテの整理、検査の準備、教授回診に備えてグループカンファ、
担当患者さんの疾患に関する最新の論文検索、症例検討会の資料作り、
採血の試験管作り、CTやMRIの予約、家族への病状説明、などなど……
これらの大部分は、患者さんを直接診察すること以外の、いわば雑用。
この雑用に、気力と体力と時間の9割を注ぎ込まざるを得ませんでした。
第一内科・第二内科・第一外科など“メジャー”と呼ばれる科では、
研修医は皆その調子でした。
※ ※ ※
一方で「研修医は週4日の勤務」「研修医は残業をしない」が建前になっていました。
ですから給料は週4日分だけ出ました。残業代は出ませんでした。
卒後3年目の私で、手取りで20万円弱でした。
ところが研修医は、医大病院で研修“させて頂く”身分なのでした。
ですから、毎月数万円の“授業料”を大学に納めなくてはなりませんでした。
白衣は3着支給されました。
院内を走り回って最もすり擦り切れるのは“靴下”ですが、これは支給されません。
それとは別に『関連病院での当直アルバイト』がありました。
これはこれでストレスな仕事なのですが、生活するためやらざるを得ません。
※ ※ ※
そんな感じで1年間、痩せ細りそうなものですが、なぜか少し太りました。
同僚では“鬱”になる者もいました。
彼はたいへん優秀でしたが、大学を去って行きました。
その当時の私の顔は、たぶん相当醜かったものと思われます。
一日はあっという間に終わりますが、「仕事が終わった」ことはありません。
常に何かに追われている焦燥感と、過労死するかも知れないという恐怖は
人の顔を醜くするのだと分かりました。
何時でも何処でも眠れましたが、熟睡感はあまり得られませんでした。
しかし救いもありました。
担当している入院患者さんから、感謝の言葉をもらうことです。
本来はこちらが慰めるべき患者さんから、逆に慰めてもらう…。
ありがたくて、情けなくて、涙が出ました。
患者さんの多くは良くなって帰りましたが、助からなかった人もいました。
今頃になって『医師不足』などと世間は大騒ぎしていますが、
そんなことは分かり切ったことでした。
しかし、私たちの声に耳を傾けてくれる人は少数でした。
今なら、このように、ブログで発信することもできます。
しかし当時はブログ自体普及しておらず、またその暇もありませんでした。
私たちを支えていたもの、それは『誇り』『使命感』のようなものでした。
本当のことです。
※ ※ ※
以上が『私が診察中に患者さんの目前で、居眠りをしてしまった』理由です。
ごく短い居眠りでしたが、その間夢を見ていました。
それは皮肉にも『患者さんを診察している夢』だったのです。
ですから睡眠発作に襲われたことに気づくのに、やや時間がかかりました。
※ ※ ※
現在の研修医の置かれている環境は、ずいぶん改善されたようです。
一般には評判が良くないのですが、『臨床研修制度』のお蔭です。
ただそれは、『医師の偏在』という別な問題を表面化してしまいました。
また“できる医師”と“できない医師”の力量の格差を拡大することになるでしょう。
※ ※ ※
読みにくい文章を最後までお読み頂き、ありがとうございました。
ここまで書いて、さらに書きたいことが出てきたのですが、それは次回にします。
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東和産業さん、こんばんは。
そうでしたか。ご親戚に地域のホームドクターがいらっしゃるのですね。
竹カミキリムシの話は、本当に興味深いと思いました。
私にとっては、病気(喘息)が良くなりさえれば、
それが西洋医療でも、漢方でも、民間医療でも、食事・栄養学でも、はっきり申し上げて何でも構わないのです。
“何でもあり”です。こだわりなどありません。
ただ“標準的な治療法”の確立を目指そうとすると、現在では西洋医学ベースが一番やりやすい……ということです。
そうすることで、東北の田舎でも東京でも同じ水準の治療を受けることができます。
1,2年目の新米医師でも、見よう見まねではあっても、ベテラン医師と同じ処方を出すことができます。
2009/2/22(日) 午後 8:08
敬天愛人さん。こんばんは。
皆さんそれぞれ“厳しい時期”というものを乗り越えていらっしゃるのですね。
夢の中でも仕事……これは結構堪えますよね。
寝ている時くらいは、仕事から解放されたいものです。
2009/2/22(日) 午後 8:16
マリエルさん。
研修医の過労死…身につまされます。本当に惜しいことをしましたね。親御さんの気持ちを考えると、どういっていいのか分かりません。
我が科の女性陣は、外見に似ず持久力があり、正直舌を巻きました。
私など、切れやすく、凹みやすく、すぐに眠くなり、テンでダメでした。
ただ、何があっても食欲だけは落ちませんでした。
食事は絶対に省かない…体力維持のためと称して…太るわけです。
2009/2/22(日) 午後 8:32
さんちゃご先生、こんばんは。
お医者さんは人の命を預かる大変なお仕事だと思います!
政府がもっと理解を示し、命を守って下さるお医者さんの
環境を整えるべきだと思います。
医療機関が充実して、国民の健康や命が保障されます。
医療機関の実態が、こんなことでは嘆かわしい〜〜
2009/2/23(月) 午後 10:17 [ pokapoka ]
mokoさん、こんばんは。
ご心配下さり、ありがとうございます。
かつての大学病院は、それこそ“非効率”の権化でした。“無駄”があまりにもあまりにも多すぎました。
現在はその大学病院も独立行政法人となり、経営もスリム化されました。研修医の仕事も随分と整理され、負担も減ったようです。
しかしそれは、各医大の求心力(医師を集める力)の低下を伴うものでした。
それで、医大が担っていた“地方・僻地への安定的な医師供給”ができなくなってしまったわけです。
そこを改善しつつ、バランスをいかにとるか……これは難問です。
なんとも皮肉なものです。
2009/2/25(水) 午前 1:05
さんちゃご先生は、そうだと思います。薬には、副作用もあります。アレルギーの人は、(今は使われなくなった薬で、私は全身蕁麻疹が出たりもしています。)特に、薬の副作用があります。喘息持ちの人は、アレルギーも持っている人が多いです。それなのに薬の改善は勿論されてきてはいますが、検査を沢山して、今日の、だんだんで、検査検査で、血が薄くなって貧血になると言って居ましたが、勿論検査した方が大きな病気が隠れている場合もあるので、それはそれで良いのですが、検査しても解らない場合もあります。統計に出ない(高齢者は特に統計にも過去例も無い病気を発する場合もあります)病気もあります。それでも、検査漬け薬漬けにするのは、厚生労働省と、薬剤会社の癒着もあると思います。小さな病院でも、(今は、調剤薬局は別になったと言えども)薬屋さんの営業が、患者さんより多い時があります。皆、袖の下を渡したと言っている薬剤会社の人は言います。
2009/2/25(水) 午後 1:55 [ touwasangyou55 ]
私たちがしている抗菌は、医学ではなく化学です。抗菌する事と、帯電する事で、予防できます。MRSA・緑膿菌。O157黄色ブドウ球菌等々を防ぐのです。京都産業大学で、鳥インフルエンザ研究所という所があるので、そこで依頼していますが、弊社は企業ですから、まだやってくれると確約は頂いていません。それでも、奈良の工業試験所の人が一生懸命頼んでくれました。今のところは五分五分です。やってくれれば、鳥インフルエンザも証明されます。
2009/2/25(水) 午後 2:00 [ touwasangyou55 ]
東和産業さん、こんにちは。
たいへん恐縮ですが、ご意見が多岐に渡り過ぎているように感じます。コメント欄にはとても書ききれず、お返事するのに困ってしまいます。
化学的抗菌について、私はもちろん興味あります。
私達は昔から、塩や酸や木灰(アルカリ)を抗菌に使ってきました。
縄文人は栗の木が腐りにくいことを知っており、それで竪穴式住居を作ってきました。栗の木はタンニンを多く含むため、腐朽菌が入りにくいですからね。
そのような知識が再発見されたり、新発見されたりすることは大いに期待いたします。
2009/2/25(水) 午後 4:33
昔の研修医の置かれた立場はこんなに劣悪だったのですね。これではミイラ取りがミイラになってしまうのも当然です。『臨床研修制度』によって以前より改善されたとはいえ、今度は『医師の偏在』が表面化。まだまだ問題山積は続く事でしょう。
2009/2/25(水) 午後 6:42
>ミイラ取りがミイラに…
それ、しゃれになっていません。(汗)
研修医制度は早くも見直しが入っているようです。注意して見て行かなくてはなりません。
2009/2/26(木) 午後 1:38
大変だったのですね…。私の父親は、貴台がおられた大学病院で心臓も切開しましたし、今もずっと内科に通っています。多分、お世話になったのかもしれませんね…。
医療現場はだいぶ改善されたと仰せですが、まだまだ大変なのはそれほど変わらないのでしょうね。
2009/2/27(金) 午後 4:41
いや、お恥ずかしい限りです。
お父様の脚の具合はその後如何でしょうか?H川病院で手術なさったと伺いました。
私、卒業後の臨床研修は地元の病院・大学病院で行ったものですから…。
しかし当時は、日本全国の大学病院で似たような状況だったと思います。ある程度の厳しさは是非必要ですが、限度はありますよね。
2009/2/27(金) 午後 5:11
こんばんは。あ…、母親の股関節骨折ですね。ご心配頂き、有難うございます(^^)ゞ
一時はどうなるかと心配もしましたが、人工関節を入れずに済み、今は杖も持たずに歩けるようになりました。本人共々、安堵致しております…。
母校で研修されたのではないのですね。失礼致しました。それにしても、医療現場の厳しさは緩和されないようですね…。
2009/3/2(月) 午前 1:05
これは失礼しました。お母様でしたか…(汗・汗)。
でも、比較的軽く済んだようで本当に良かったです。
医療現場、問題は多くて……少しずつ書いていきたいと思います。
2009/3/2(月) 午前 3:38
さんちゃごさん、ほんと、大学病院で研修している先生たちの仕事って、とても複雑多岐にわたっていましたね。
寝る暇もなく上の先生の指示通り動いていても何かと注文が多くってとても大変そうに見えました。看護師の私たちにとっては、大学病院では研修医は白衣の天使でした。ほんとに!!救われもしましたし、頼りない感じも受けましたが、お互いに助け合っていたように思いました。今から約30年前のことですが。。。笑
2009/3/4(水) 午前 0:52
この続きが読みたいです。
2009/3/4(水) 午前 0:53
そうでしたか。大学病院に看護師として働いておられたのですね。
仕事は忙しくてたいへんでしたが、各領域の専門家が集まっていて、切磋琢磨しているようでした。やはり勉強になりました。
2009/3/5(木) 午前 0:27
この話の続きは、中川前財務大臣への思いを綴った文章なのです。
全く違う話題なのですが、私の気持ちの中では見事に繋がっていまして…。
もし気が向かれましたら、お読み頂けると幸いです。
2009/3/5(木) 午前 0:31
研修医の実際は漫画で読んだのと同じ状況だったと分かりました。
お医者さんになるくらい優秀な方たちが、過重な労働でつぶされるのはもったいないことだと思います。
大変な仕事ほど上手にワークシェアリングできたらいいのに、なかなか上手くいかないものですね。
2009/3/5(木) 午後 0:11 [ - ]
>ワークシェアリング
そこがこれからのテーマです。
持続可能で、安定した医療を満遍なく社会に供給できるようにするためには、私も色々発信して行かなくてはならないのかも知れません。
2009/3/7(土) 午前 2:38