東北の田舎で内科医さんちゃごがたまに書く日記

悲観主義は気分によるもの、楽観主義は意志によるもの。楽観主義で参りましょう!

歴史

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歴史好きです。未来の指標になるものですから。
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“宗教改革”からはずいぶん離れるのですが、紙の普及の歴史を
少し追ってみたいと思います。


  ☆ ☆ ☆


日本に製紙法が伝わったのは7世紀頃といわれています。
かなり早いです。
(アラブ世界への製紙法伝来は8世紀中頃。ヨーロッパへの伝来は12世紀頃。)

日本の紙は“和紙”として発達するとともに、徐々に普及していきます。

17世紀初頭ローマへ派遣された支倉常長らの一行について、
パリの国立図書館に以下のような記録が残されているそうです。

 「日本人たちは、紙で鼻をかむとその紙をすぐに捨ててしまった。
 見物人たちは、その紙を拾い集めていた」


(支倉常長の鼻紙は、ローマの博物館に保管されているそうです。)

17世紀のヨーロッパでは、紙はまだ貴重品であり、
鼻をかんで捨てるなどとても想像できなかったのでしょう。
また、常長の使った鼻紙がかなり上等だったことを想像させます。


  ☆ ☆ ☆


話は変わりますが、アニメ『フランダースの犬』に注目します。

舞台はベルギー北部のフランドル地方、時代は1870年頃です。
主人公は、ルーベンスに憧れ、絵を描きたいと願い続けた少年ネロ。
物語では白い画用紙(10サンチーム)を買うため、懸命に努力するネロの姿が
描かれています。

19世紀には、ヨーロッパでも良質の紙が普及していたことがわかります。



※ちなみに、最終話でネロがついに見ることができたルーベンスの2枚の絵画は、
 『キリスト昇架』および『キリスト降架』といいます。
  (アントウェルペン大聖堂蔵)
  (冒頭3枚目の絵が『キリスト降架』)

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紙の普及と印刷術の発明が、免罪符を広めた背景であることは、
前回お話しました。

一方で“紙と印刷術”は、聖書も広く普及させました。
グーテンベルクの印刷術で普及した聖書は、その名も“グーテンベルク聖書”と
呼ばれています。

(現代では、聖書は最大のベストセラー&ロングセラーになっていますよね。)


  ☆ ☆ ☆


そのような中、16世紀ドイツの神学者マルティン・ルターは、
教会の腐敗を厳しく批判します。
これが『95ヶ条の論題』で、宗教改革の発端となります。

そのルターは後に、ラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に翻訳します。
お陰で、さらに多くの人が自ら聖書を読めるようになりました。

カトリック教会の濫発する免罪符に対しても、ルターは強く批判を加えました。
聖書には、どこを読んでも“免罪符”などとは書かれていないからです。

聖書に書かれていることと、教会の教えの間に横たわる矛盾。
聖書の普及によって、その矛盾は広く人々の知れるところとなります。

教会の正当性が、厳しく問われることなったのです。
そのきっかけを作ったのが、“紙”であり“印刷術”でした。


  ☆ ☆ ☆


中世では、カトリック教会は絶対的な権威を持っておりました。
その権威が揺らいだひとつの要因は、庶民が“聖書”という情報を得たことです。

『宗教改革は、一面で情報革命であった』といえるのです。


(続く)

※冒頭の絵は、ルターの肖像。ルーカス・クラーナハ画。

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本日は、ヨーロッパの宗教改革について
ひとつの側面をみてみたいと思います。

本日のキーワードは“”です。


  ☆ ☆ ☆


まず、紙の歴史を振り返ってみましょう。

紙(製紙法)が発明されたのは、紀元2世紀の中国です。
その製紙法が、中国からイスラム世界に伝わったのは8世紀。

ヨーロッパで初めて製紙工場が作られたのは、ようやく12世紀になってからです。
製紙法が発明されてから、すでに1000年の年月が経っていました。
その場所は、スペインでした。

この頃のスペインは、イスラム王朝の支配下にありました。
この点、注意が必要です。

多くの学問・技術が、イスラムからキリスト教世界へと伝えられていました。
中世では、アラブ・イスラム世界の方がヨーロッパ・キリスト教世界よりも、
様々な点でずっと進んでいたのです。

ちなみに英語のPaperは、エジプトのPapyrus(パピルス)が
語源になっていますが、現在の紙とパピルスは全く違うものです。


  ☆ ☆ ☆


さて、ここで“聖書”というものに注目します。

紙が普及する以前、聖書は羊皮紙に書かれていました。
(その前はパピルスに書かれていましたが、材質として脆く、製本に適しません。)

羊皮紙は、文字通り「羊の皮」でできた紙です。
加工に手間がかかり、非常に高価でした。

また印刷という技術もまだなく、聖書はすべて手書きでした。
修道士らが、一冊一冊、一文字一文字、書き写していったのです。

さらに聖書は、ラテン語で書かれておりました。

ですから一般庶民には、聖書はとうてい手の届かないものでした。
たとえ手に入っても、読めるものでもありませんでした。

中世は、キリスト教が徐々に広まっていった時代です。
しかし中世は、こと聖書に関しては、教会が独占していた時代でもあったのです。


  ☆ ☆ ☆


中世が終わる頃の教会は、十字軍の失敗もあって、その権威は大きく失墜。
教会の内部は腐敗・堕落しつつありました。

カトリック教会の堕落の象徴が、“免罪符”でした。

免罪符は、15〜16世紀にローマ教皇の名のもとに発行されました。
金銭を支払ってこれを得れば、(宗教的な)罪の償いが軽減されるというものです。

ちなみに免罪符の流布には、紙の普及活版印刷術の発明(グーテンベルク・
15世紀)が大きく寄与していることを付け加えておきます。

(中世が終わるのは1453年(15世紀)です。思い出して頂けたでしょうか?
 http://blogs.yahoo.co.jp/twomothers1452/38837784.html
グーテンベルクの印刷術発明とほぼ同時期です。とても偶然とは思えませんね。)


(続く)

※冒頭の写真は、14世紀のラテン語聖書写本。(Wikipediaから拝借しました。)

栗ごはん

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一昨夜、女房が栗の皮を剥いていました。
今朝はさっそく栗(くり)ごはんが炊かれていました。

ということで、今日はこれについて少し…。


言うまでもありませんが、(大部分の)日本人の主食はお米のごはんです。
(先日、収穫されたばかりの新米を頂きました。やはり日本のお米は宇宙一ですね。)

水田稲作が日本で始まったのは縄文末期〜弥生時代。
それ以前の縄文時代の日本人は、海や山の幸を狩猟採集して食べていました。

秋には、もちろん栗をたくさん拾い集めていたはずです。
どんぐりと違って渋みもなく、栄養価も高い栗。秋のご馳走だったと思われます。


少し話が飛びますが、縄文時代中期(約5500年前頃)を代表する遺跡として
青森県の三内丸山遺跡が有名です。

遺跡の周りには、数多くの栗の木が植えられていたそうです。
ブナやナラの森を切り開いて、代わりに栗を植え、人工の栗の林を作っていました。

これは、遺跡の土壌を調べて(残留花粉の分析)明らかになりました。
当時は現在より平均気温が高く、青森の辺りも現在の関東地方くらいの気温でした。

栗の木もよく育ったのです。

遺跡には、200人が収容可能な大きな集会所のような建物跡もあります。
つまり村の人口は、最盛期で数百人いたと想像されます。

なんと大きな村だったのでしょう。

狩猟採集だけでは、とてもその人口を養うことはできません。
人口を維持するためには、何等かの食料の生産が必要不可欠です。

それに相当する食物が、三内丸山では栗だったわけです。
つまり栗は、三内丸山に住んでいた縄文人の主食だったのです。


かつては栗。今はお米。

そう考えると、栗とお米を一緒にいただく栗ごはんこそ、真の日本食と言えないでしょうか?




※ネタは、NHK−DVD『日本人〜はるかな旅』第3集です。

※写真は、本日のお弁当。
 おむずびは、栗と古代米を混ぜて炊いた栗ごはんです。(ごちそうさま。)

※訂正
 三内丸山遺跡はDVDにて“8000年前頃”ではなく、“5500年前頃”と紹介されていました。
 訂正いたします。(2005.10.10)

私は考える

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あらかじめ白状しておきます。
私の哲学の知識は、『ソフィーの世界』を読んだものに少し毛が生えた程度です。
(ですから間違いがあったら、ご指摘下さい。)


『Cogito ergo sum』(コギト・エルゴ・スム)

ルネ・デカルト(1596−1650)の言葉です。ラテン語です。
哲学を習ったことがない人でも、どこかで聞いたことはあるかも知れません。

日本語に直訳すると、『私は考える、だから私は存在する』となります。
しかし、これでは何のことか判りません。
そこでデカルトがどんな風に考えていたかを、少し辿ってみたいと思います。


デカルトは、実に色々なことを疑いました
といっても、特に疑り深い性格だったわけではありません。

『はっきりとした正確な認識に到るために、常識と思われる事柄も、いちいち疑ってみる』という、
ある意味とても慎重な態度をデカルトはとっていました。

このような態度を、『方法的懐疑』というのだそうです。

例えばデカルトは、『この世界は本当に存在するのか?』ということまで疑いました。
実際、『世界は存在する』ことを証明するのは(多分)簡単ではありません。

もしかしたら世界のものごとは全部、夢まぼろしかも知れないからです。

当然、自分の身体も疑いました。そして『身体(の存在)は確実ではない。』と考えました。
視覚や触覚などの五感は、すべて錯覚かも知れないからです。

「感覚はあてにならない」と考えたデカルトですから、身体も疑わしくみえたのでしょう。


そしてとうとうデカルトは、『私は、本当に存在するのか?』と疑いました。
この場合の『私』とは『精神としての自分』を意味すると思われます。
(デカルトは、精神と身体をはっきり分けて考えていました。)

(ある意味、ものすごい勇気があります。『私の存在』を、こんなにピンチに立たせるなんて…)

結論を先にいえば、デカルトは『私(の精神)は、本当に存在する』と納得できたのでした。

『Cogito ergo sum』こそが、その答えです。


以下は、デカルトの自問自答です。(もちろん推測です。)

「私自身、本当に存在するのかどうか、まったく疑わしい。」

「しかし、私が疑わしいと考えていること自体は、間違いない。」

「うん。これ(私が考えているという事実)は、疑いようがないな。」

「そして『考えている私』は、間違いなく、存在するといえるだろう。」

「『考える』ためには、それ以前に『存在』しないわけにはいかないからな。」

「つまり…。私は考えている。それゆえ、私は存在すると断言できる。」

「やった! 私の存在、証明終わり!」


という具合だったのでしょう。きっと。

よかったですね。自分の存在を証明できて…。


ちなみにデカルトはこの後、『神は存在する』ことをも哲学的に証明しようと試みました。
(しかしその試みは、どうやらうまくいかなかったようです。)

デカルトは50歳代前半という若さで、肺炎で亡くなりました。
現在、パリの「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」に葬られています。


cogito, to turn over in the mind,to think,reflect,consider.

ergo, As adv.,consequently,therefore,accordingly,then.

sum, to be,to exist,be living,be there,be so,happen.

         MACMILLAN『Cassell’s Latin Dictionary』より


※自分としては「すごく判りやすく書けた」つもりでしたが、読み直してみると「判りにくい」ですね。

※追記。図式化してみました。

『私は、存在するのか?』(疑問)
     ↓
『私は、考えている(疑っている)』(確かな事実=根拠)
     ↓
『考えるためには、先ず存在していなくてはならない』(推論)
     ↓
『だから、私は存在しているといえる』(結論)

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