Kazの日々つれづれ

Kazが日々思った事をつづっています。

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前々から気になっていたことの一つに、我が家の庭で育っている木があります。成長がものすごく良いらしく、前に枝打ちを行ってから3〜4年しか立っていないのに、その高さはもう2階の窓越しまで来ていました。1階の日当たりが良くないこともあるし、また洗濯物もちょうどこの木の影になっていたので時間を見つけてきることにしました。

今回のその木の名前は月桂樹。この木は常緑性の中高木で、暖かくて湿潤な気候を好む樹木です。だそうです。葉は香辛料でも売られているローリエ。シチューやカレーの香りづけに入れるのは日本の家庭ではおなじみですよね。また古代ギリシャでは月桂樹の葉で作った冠を英雄などに冠したところから現在でもスポーツにおいて、勝利者を讃え月桂樹の冠が頭上を飾ります。

この木は何せ育つのが早い。とくに枝の伸び方は他の木とは比べ物にならないくらいです。そのためか、月桂樹は何本か密集して這えているのですが中心部の枝は自らの成長のスピードに追いつけないのか、一部彼落ちているくらい。育て方は良く知らない木ですが、どうやら年に何回はキチンと刈入れてあげる必要があるのかもしれません。

我が家にあるこの木は太いものが大体7本。その周りにもまだ若木が幾つも映えていて、傍から見ると一本の大きな木に見えてしまうくらい。今回は、太い枝をすべて背の高さより少し高い位置で切り落とし、周りの細い若木は余り手をつけずに残すことにしました。

過去にも何度かきったことがあるのですが、ここまでほったらかしていたのはなかったようで、ちょっと大変。脚立にあたり、まずは一本目。生木は水分を含んでいるし、斜めに切らなくてはならないこと、それから周りのことも見ながらなので、以外に神経を使います。

こういう時って普段の運動不足がホント出てしまいますよね。何とかきり終えたときにはもう腕が疲れてしまいました。(爆)10時半過ぎから初めて、大きな枝を切り終えたのは1時半。3時間もかかってしまいました。もう上では結構パンパン。落とした気の重さもかなりのもの。

一度昼食を取ってから今度は、庭の端に運んで邪魔にならないように置いておくのがまた一苦労。一番重いものだと100キロ以上あるようなので、気を抜いてしまうと運べない感じ。何とかすべての木を片し終って、掃除もおえたのが、もう3時半を回っていました。一日がかりの格闘でした。

終わったときには手をグーにするのもしんどいくらい。(笑)何とか手袋をはずして手を洗い、しばらくしたらうとうと寝てしまっていました。おかげで、日当たりは良くなったのでほっとしまいた。切った木についている葉っぱはそのまま乾燥させて、料理にでも使おうかなと思います。

それにしてもこんな大変な思いをする前に、今年からはチョコチョコと枝打ちをしてある程度手入れをしていかないといけないなあとつくづく思った一日でした。あしたからきっと筋肉痛で暫くは大変な気がします…。

大人って何歳からなのだろうか。ふとこういうことを突きつけられると、私が思うのはやはり自分で自分の責任をキチンととれるようになるときかなと思います。単純に『生きる』という観点からすると、すべての自分の行為に責任はとりきれないのものですが、こと、社会的な責任という意味では自分の名義で起こしたことに対して法的解釈の元での責任を果たすことができるというのが大人かなと思います。

婚姻にしてもそうだし、お金の貸借、社会的な倫理に基づいた行動をとるだとか。だから、もしかすると年齢というよりは、各々によって違うものと仮定するのがまあ本当なのかもしれません。ただ、法律で何処からかというのを厳密に考えるようになると、二十歳あたりがやっぱり妥当かなと、個人的にはもう少し引き上げても言いのかななんて思いもありますが。

今の日本を見ていると、社会的なルールを守れない大人があまりにも多すぎる気がします。投票法を機に成人年齢においても18歳にしたほうが良いのではという議論が一部に沸きあがっています。一般的にお酒やたばこ、親の同意なしによる婚姻などがパッと浮かびますが、いまの18歳という年齢にきちんとした行動が取れるかというといささか疑問です。

もちろんキチンとできて自分を律することができる人も沢山いると思います。しかし、学生として生きている人も多くいるのも現状。その多くが親の庇護の下生活をしているわけです。そういった人たちに成人として扱う資格があるのだろうかとも思うのです。

ニートやパラサイトシングルなどが問題化されているこの国に置いて、個人の責任の所在は極めて希薄になりつつあるように思います。単に法律を守ればいいという問題ではなく、一人の人間としての存在の意義をキチンと発しそれで生じる責任をキチンととるだけの覚悟があるのかどうかといわれると…。

「自分らしく」あるために他者との深い関わりを避け、やりたいようにやる。こういうのは本当に大人かというと私は疑問を感じてしまいます。自分らしく生きていくのは結構だし大いにやるべき。でもそれに対する責任を果たしている人は少ないと思います。権利を主張することそれはその代償として責任を果たすということ。

社会全体が人を育てていた昔とは違っている日本。『甘え』の構造だけがそのまま残っていまいどうにもこうにもしまりがなくなってきてしまっているこの国において成人年齢を引き下げていく覚悟が、社会全体に本当にあるのかどうか。18歳になる人ではなく、それをキチンと見守っていけるかどうかが今この国には問われているのでないのかなと思います。

私は、個人の選択にしても良いのではと思います。18歳でキチンと責任が取れるとする人はそれでも良いし、やっぱり20歳でもいいというのであればどれでもいいかなと。まあ回りの大人たちがきちんと『大人』として振舞う社会ならそもそもこんな議論もすんなり行くような気もするのですが…。

今年も嫌な季節がひたひたと近づいてきています。毎年この時期になるとかなり憂鬱な日々。気が付けばもうかれこれ16年近くもこの病には悩まされています。決定的な効果というのは結局杉の木をなくしてしまうのが一番なのでしょうがなかなかそうはいかなし困ったものです。

昨年がわりと少なかったことに加えて、夏の猛暑も影響している為今年の飛散量は昨年の3倍なのだとか。きくだけでむずむずしてきそうです。最近花粉対策のCMもちらほらはじまっていますが、あのCMでスギ花粉が飛散しているのをみているだけでもなんだか鬱陶しくなってしまいます。

もはや花粉症は国民病といっても委員ではないでしょうかね。良くはわかりませんが、経済的な損失もかなり多そうな気がします。まあお陰で潤うところもあるのでしょうが。どちらにしても今年は例年よりも早めに対策をしていかなくてはいけないようですね。

さて、そんな花粉症に関する記事を地元の新聞記事で見つけました。はじめてきいたのですが、なんでも花粉症にはレンコンがいいのだとか。ホントかなあと言う思いもあるのですが、茨城県は言わずと知れたレンコンの産地。なのでこれで一つレンコンの販売を拡大しようというのがねらいのようですが果たして如何なんでしょうかね。

記事によると、学会ではその効果はある程度は認知されているようで、これを研究しているところも多いのだとか。かた乳酸菌で腸内環境を整えると抗アレルギー物質を抑えることもできるのだとか。そんなこともあって、現在レンコンの成分と乳酸菌を組み合わせてアレルギーを緩和させる研究も盛んであると伝えています。

へぇ〜、という感じ。以前どこかの番組ではナツメが花粉症にはいいというので、妻と二人せっせと食べたことがあったのですが全くもってダメだったのを覚えています。民間療法というのは良かったり悪かったりだろうあなとおもいそれ以来特にこれがいいといわれるものも在りましたがほとんど試していませんでした。

ただ、今年はそんな話を聞いたこともあってちょっと試してもいいのかな?とちょっと心が揺らいでいます。どうやって接種するのがいいのかも分からないので、ちょっと調べてみてから考えようかなあと思います。聞いてくれればそれに越したことはないんですがね・・・。

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2月ももう半ばに差しかかろうとしているこのごろ、我が家でもそろそろ雛人形の準備をしようかなあとかんがえています。昨年も全部を出せず、お内裏様とお雛様のみをかざりました。今年もちょっとスペースの都合上そうなる可能性が高いかなあという気がします。

そんなひな祭りが近づいているこのごろ、新聞でもひな祭りの情報を目にするようになりました。一昨年は妻と一緒に真壁というところに見に行ったので、今年は娘も連れて皆で見に行こうということになりました。そう長々と見ているわけではないので、午後から出かけていきました。

真壁というのは、隣の町。今は合併して町から市になってしまいましたが、ここら辺りの雰囲気は昔と変わらず、といった風情です。町は『蔵の街』と称しているくらいで、昔ながらの蔵であったり、家が多く残っている感じです。江戸時代からの建物もあるように感じますが、全体的には、私も子供のころに良く見た町並みという感じで、昔ながらの建物も存在していますし、商店の構えも昭和の薫り漂う感じの町です。

この時期は町を上げてひなまつりをおこなっていて、各家々が所有している雛人形を家の玄関付近であったり、軒先それから、蔵の中などに飾り付けをしてあり、それを見て回れるようになっています。地図を見る限りその数はなんと、169。これはちょっと驚きですよね。

中には、江戸時代から伝わるものもがあったり、いくつかの時代たとえば明治・大正・昭和の雛人形を同時に見ることができたりなかなかに貴重な体験です。娘も結構喜んで見るかなあと思っていたのですが、どうやら、知らない町に来たことと、多くの観光客がいることでもう頭が一杯のようです。

お雛様そっちのけであっち行ったりこっち行ったり…。まあまだ1才4ヶ月にはちょっと分からないかな(笑)写真は、商店を経営しているお宅の蔵の中に飾ってあるお雛様。ここのは変わっていて、雛人形が遊んでいるところだそうでなかなかほかでは見れないので一枚撮りました。娘はというと、ほの暗い蔵が怖いのかすぐに出たがろうとしてじっくり見ることができませんでした。

町を見ながら、そして雛人形をみながら、まちをこのように保存し、また住んでいる人たちが協力して行っているお祭はなんだかいいなあと思いました。家族3人暖かい気持ちになって帰りました。

最終的に誰があなたの支えになってくれるのか。こんなことを前に何かで読んだことがあります。そんなときにふと思うのがやっぱり家族であり、ずっと付き合いのある親友かなあなんて漠然と思い描いてしまいます。誰にだって大切であったり、必要な存在というのはいるのではと思いますが、そういう方を無くしてしまうと…それはとてつもなくつらく寂しいものですよね。

それは精神的な問題だけにとどまらず、病気を引き起こす可能性も高まってしまうということのようでうす。毎日新聞の記事によると、一緒にいて安心できる家族や友人がいないなど、社会的な支えが少ない人は脳卒中などによる死亡率が高くなるとの報告を、厚生労働省が発表したそうです。

同省の研究班は93年から10年間、茨城や高知など5県の40〜69歳までの男女4万4000人を追跡調査。期間中に脳卒中で327人、心筋梗塞で191人が死亡。調査開始時に周囲の差酒に関するアンケートを実施していたそうです。ないようは、一緒にいると落ち着く人はいるかや、週一回以上話す友人は何人かあるいは、秘密を打ち明けられる人はいるかなどなど。

これ緒らを点数化して周囲の支えの程度別に4グループに分類。その結果支えの人が少ないグループは最も多いグループよりも脳卒中による死亡が1.5倍となたそうです。また65歳以上の男性では周囲の支えが少ない人ほどn脳卒中の発症も増えるようです。心筋梗塞については相関は余りないようです。

ストレスを感じないようにあるいはわずらわしさを避けるように、最近の日本の生活スタイルは希薄な人間関係、社会学的に言うと弱い紐帯の関係をよしとするようになってきました。もちろんそれはそれで有効な面もあるのかもしれませんが、ここ一番となったとき、あるいは自分が弱ってきたときにはもろくなってしまう気がします。

生きていく上で人と関わりあっていくことはとても大変な時もあります。でも最終的には人と関わり合いながら折り合いをつけていくことが大切な気がします。ましてや自分の最も身近にいる人たちに対しては。時にはわずらわしく思うときがあっても結局最後まで支えてくれるのは家族であり友人たち。ストレスが多く何かと大変な時代だからこそ、互いに支えあっていかなくてはいけないのかもしれませんね。


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