Kazの日々つれづれ

Kazが日々思った事をつづっています。

日記

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先週末、私にとっては何かと考えさせられた週末になりました。一つはいろんな方の人生の話を聞く機会があったこと、もう一つはTVドラマ。いろんな話を聞きに週末はちょっと出かけていったのですが、そこで思ったのは、自分の人生を変えられるのはやっぱり自分でしかないということ。

当たり前なのだけれども、忙しい日常に追われてしまうと、毎日をこなすだけで精一杯になっている自分に気が付いた気がします。昨年の秋からここのところずっと自分たちの思うようにというよりは、いろんな出来事があってなかなか思うような日々が送れないまま時間だけが過ぎてしまった気がします。

今を変えなくて葉いけないなと思いながらも結局はそこにたたずんでいたように思います。多くの方の話を聞いているうちに、大変な状況にいるのは、何も自分だけではないということ。皆がいろんな葛藤の中で生きているということ、それでも自分の目指す生き方やライフスタイルに向かってあきらめないで頑張っているということ。

そして中には、そこに近づいている方の姿をみると、自分も頑張らなくてはと思いました。急には変えられない。でも一日のうち今日より明日明日よりとほんのわずかなことでも変えられるようにするだけで、きっと変わるのではと思いました。一歩。それも大変なら半歩。もしかしたらそれよりも踏み出せないかもしれませんが、それでもいい。ほんのわずかでも自分の思い描くライフスタイルを目指していこうって思いました。

もう一つは土曜ドラマの「フルスイング」今日は最終回だったのですが、主演の高林先生が卒業式に最後の授業を行います。その中で伝えた言葉が「氣力」先生の言う氣力とは、 諦めん気持ちこそ、氣力じゃといいたい。諦めちゃいかん。ワシも、皆んなもじゃ。九回裏、ツーアウト、ランナーなしでも、何点離されておっても、諦めん気持ち、それが氣力じゃ。氣力はな、人を思う事で強くなる。思われる事で、もっと強くなる…

このドラマについてはNHKのHPを見てもらうとして、このコトバを聞けたことはタイミングといいなんだか凄く自分も応援してもらった気がして心に染みました。そう、諦めてはいけないんだということ。最後の最後まで信じて頑張っていくこと。いつも順調に進むことは少ないけれども、そんなときだからこそ氣力何打と思いました。

この先のことを考えると問題は山済みになっているけれども、そんなことは問題ではないということ。要は自分の気持ち次第とその行動にすべてがかかっているということ。自分の人生。誰かの為に生きているわけではないのだから、自分にだけは負けないようにまたガンバロウって思いました。

前々から気になっていたことの一つに、我が家の庭で育っている木があります。成長がものすごく良いらしく、前に枝打ちを行ってから3〜4年しか立っていないのに、その高さはもう2階の窓越しまで来ていました。1階の日当たりが良くないこともあるし、また洗濯物もちょうどこの木の影になっていたので時間を見つけてきることにしました。

今回のその木の名前は月桂樹。この木は常緑性の中高木で、暖かくて湿潤な気候を好む樹木です。だそうです。葉は香辛料でも売られているローリエ。シチューやカレーの香りづけに入れるのは日本の家庭ではおなじみですよね。また古代ギリシャでは月桂樹の葉で作った冠を英雄などに冠したところから現在でもスポーツにおいて、勝利者を讃え月桂樹の冠が頭上を飾ります。

この木は何せ育つのが早い。とくに枝の伸び方は他の木とは比べ物にならないくらいです。そのためか、月桂樹は何本か密集して這えているのですが中心部の枝は自らの成長のスピードに追いつけないのか、一部彼落ちているくらい。育て方は良く知らない木ですが、どうやら年に何回はキチンと刈入れてあげる必要があるのかもしれません。

我が家にあるこの木は太いものが大体7本。その周りにもまだ若木が幾つも映えていて、傍から見ると一本の大きな木に見えてしまうくらい。今回は、太い枝をすべて背の高さより少し高い位置で切り落とし、周りの細い若木は余り手をつけずに残すことにしました。

過去にも何度かきったことがあるのですが、ここまでほったらかしていたのはなかったようで、ちょっと大変。脚立にあたり、まずは一本目。生木は水分を含んでいるし、斜めに切らなくてはならないこと、それから周りのことも見ながらなので、以外に神経を使います。

こういう時って普段の運動不足がホント出てしまいますよね。何とかきり終えたときにはもう腕が疲れてしまいました。(爆)10時半過ぎから初めて、大きな枝を切り終えたのは1時半。3時間もかかってしまいました。もう上では結構パンパン。落とした気の重さもかなりのもの。

一度昼食を取ってから今度は、庭の端に運んで邪魔にならないように置いておくのがまた一苦労。一番重いものだと100キロ以上あるようなので、気を抜いてしまうと運べない感じ。何とかすべての木を片し終って、掃除もおえたのが、もう3時半を回っていました。一日がかりの格闘でした。

終わったときには手をグーにするのもしんどいくらい。(笑)何とか手袋をはずして手を洗い、しばらくしたらうとうと寝てしまっていました。おかげで、日当たりは良くなったのでほっとしまいた。切った木についている葉っぱはそのまま乾燥させて、料理にでも使おうかなと思います。

それにしてもこんな大変な思いをする前に、今年からはチョコチョコと枝打ちをしてある程度手入れをしていかないといけないなあとつくづく思った一日でした。あしたからきっと筋肉痛で暫くは大変な気がします…。

大人って何歳からなのだろうか。ふとこういうことを突きつけられると、私が思うのはやはり自分で自分の責任をキチンととれるようになるときかなと思います。単純に『生きる』という観点からすると、すべての自分の行為に責任はとりきれないのものですが、こと、社会的な責任という意味では自分の名義で起こしたことに対して法的解釈の元での責任を果たすことができるというのが大人かなと思います。

婚姻にしてもそうだし、お金の貸借、社会的な倫理に基づいた行動をとるだとか。だから、もしかすると年齢というよりは、各々によって違うものと仮定するのがまあ本当なのかもしれません。ただ、法律で何処からかというのを厳密に考えるようになると、二十歳あたりがやっぱり妥当かなと、個人的にはもう少し引き上げても言いのかななんて思いもありますが。

今の日本を見ていると、社会的なルールを守れない大人があまりにも多すぎる気がします。投票法を機に成人年齢においても18歳にしたほうが良いのではという議論が一部に沸きあがっています。一般的にお酒やたばこ、親の同意なしによる婚姻などがパッと浮かびますが、いまの18歳という年齢にきちんとした行動が取れるかというといささか疑問です。

もちろんキチンとできて自分を律することができる人も沢山いると思います。しかし、学生として生きている人も多くいるのも現状。その多くが親の庇護の下生活をしているわけです。そういった人たちに成人として扱う資格があるのだろうかとも思うのです。

ニートやパラサイトシングルなどが問題化されているこの国に置いて、個人の責任の所在は極めて希薄になりつつあるように思います。単に法律を守ればいいという問題ではなく、一人の人間としての存在の意義をキチンと発しそれで生じる責任をキチンととるだけの覚悟があるのかどうかといわれると…。

「自分らしく」あるために他者との深い関わりを避け、やりたいようにやる。こういうのは本当に大人かというと私は疑問を感じてしまいます。自分らしく生きていくのは結構だし大いにやるべき。でもそれに対する責任を果たしている人は少ないと思います。権利を主張することそれはその代償として責任を果たすということ。

社会全体が人を育てていた昔とは違っている日本。『甘え』の構造だけがそのまま残っていまいどうにもこうにもしまりがなくなってきてしまっているこの国において成人年齢を引き下げていく覚悟が、社会全体に本当にあるのかどうか。18歳になる人ではなく、それをキチンと見守っていけるかどうかが今この国には問われているのでないのかなと思います。

私は、個人の選択にしても良いのではと思います。18歳でキチンと責任が取れるとする人はそれでも良いし、やっぱり20歳でもいいというのであればどれでもいいかなと。まあ回りの大人たちがきちんと『大人』として振舞う社会ならそもそもこんな議論もすんなり行くような気もするのですが…。

初雪。 2008年1月17日

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この冬になる前に、3ヶ月予報などで言われていたのが、暖冬。但しラニーニャの影響もあって、寒さについては定かではないようなことが言われていました。一昨年ほどではないにしても、もしかしたら寒くなるのかなあと思っていましたが、今年はどうもそこまでの寒さはないような気がします。

それでも朝晩は冷え込みますし、すんでいるところでは、毎朝氷点下にはなっているのでそれなりには寒いかなと言う感じですが。ここのところ思うのが、雪を見てないなあと言うこと。院生だったときに北陸に暫くいたので、そのときは嫌なくらい毎日雪でしたが、生まれた川崎もそうですし、今いる茨城も基本的には太平洋側。おまけに関東地方は地形的にも雪の降りにくいところですからなおさらですね。

それでも、子供のころは、毎年雪はどこかで降っていた気がしますし、みんなで雪だるまなんか作った覚えがありますから10センチ、20センチは降っていたんでしょうね。昨年雪が降ったのは3月くらいでしたでしょうか?パラパラとふってお終いだったのでちょっと寂しい気もします。

今年は、そんなわけで寒くなるかもしれないと思いきや、以外に暖かな日が続いているし、低気圧もそれほど頻繁にやってこないところを見るとあまり雪はふらなそうです。なので今日朝起きたときに一面白だったのにはちょっと驚きました。

予報でも雪なんてことは何も聞いていなかったので、全然しらなかったのですが、朝起きたら、一面うっすらとですが雪が積もっていました。道路には流石になかったし、南側に面したところではもうとけてしまっていましたが、畑の上や北の日が当たらないところではまだ結構残っていました。

娘に見せても??というかんじでなんだかわからない様子。お昼前までには溶けてしまうだろうから、雪を触るのはまだお預けになりそうです。私個人は雪の降った朝が好き。雪が降ると音がいつもよりも少なくなにか凛とした空気のなかに暖かさをちょっと感じるような気がします。

それからあの白。無垢という感じのイメージ。なにか心があらわれる感じがしていいなあと思います。このシーズンはこれからどうなるか分かりませんが、もう何度か少し多めに雪が降り積もる日が会ってもいいなあなんてちょっと思いました。

ニュース報道でも最近されているもののなかに鳥インフルエンザがときどき登場しては、その脅威について考えさせられます。少し前のものは、中国で人から人へ感染という報道がありましたがこれはまだ限定的なものだそうで、未曾有の被害をもたらすようなものではないとしていますが、いつ人から人への感染が拡大するかについてはもはや時間の問題かなと言う気がします。

そんな最中にやっていたのが、NHKスペシャル『新型インフルエンザの恐怖』という番組。今現在話題になっている鳥インフルエンザと呼ばれている、H5N1。これは肺や気管だけでなく全身の臓器に感染してしまうという恐ろしいもの。その毒性は強いのが特徴で致死率は5〜6割とも言われています。

これが、近年の報道でもあるように、世界的な流行になるのはもはや時間の問題だとされています。年々感染者も増加しているようですし、危機管理としてはかなり高いレベルまで来ているというのが専門家たちの見かたのようです。

厚生労働省では日本での死者数は64万人と試算。しかし、日本だけも200万人、世界中では1億人を超えると指摘する専門かもいるといいます。番組で取り上げら得ていたインドネシアは新型のインフルエンザの発生が極めて高いとされているそうです。取材の中でも鳥インフルエンザに感染し、死亡してしまうという場面に出くわしていました。またそれだけでなく、治療に当たっていた看護師もインフルエンザに感染。

看護師が感染したのは、Aソ連型。これは毒性は弱いものですが、人から人への感染が強いもの。もしこれとH5N1が同一人物の体内に入ってしまうと…。そう、感染率が高く強毒性の新型インフルエンザが誕生してしまうということになってしまうのです。つまりほんとにわずかなところで今回は助かったというのが現状のようです。

日本に対する取材も行っていましたが、その危機管理に関しては、もはやなってからでは手遅れになってしまうと感じがしました。企業レベルでの対応や病院でマニュアルを作ったり、あるいは地域の医師会の様子を見ても、その対応は危機感のなさが感じられます。

アメリカの対応などは、明確で国として半年で国民全員に行き渡るワクチンの開発するための設備や対策をとっていたり、病院・地方自治体も具体的なマニュアルのみならず、キチンと訓練をしたり常に話し合っている場面がもたれているのには驚きました。

実際に起こってみないと分からないことではありますが、確実にその日はやってきてしまう気がします。それは地震のそれよりも早く起こるのかもしれません。自分の身に置きかえて、いざと言うときにどう対処したらよいのか凄く考えさせられた気がします。


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