Kazの日々つれづれ

Kazが日々思った事をつづっています。

ニュース

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
ペットと言うのは個人的には飼ったことがありません。以前3年ほどチワワを預かって育てたことがあるくらいで自分からはどうも進んで進んで飼えないんです。元々動物と人間とは相容れないものと言う認識があるからかもしれません。その動物にとって本来在るべき姿でいるのが一番いいはず。と言う思いがあるからかなと。

とはいえ犬や猫などはもはやその進化から考えても人間とともに生きていかざるを得ないのだと思いますが。昔よりもペットと人間の距離感と言うのは近くなった気がします。昔は完全なる主従関係だった犬も、今では家族の一員として扱われてることが多い気がします。

ペットを大切に育てていくあるいは生活していくというのはある意味いい事なのかもしません。でも動物も人間と同じようにな病気にかかる様子を見ているとうーんと感じてしまう。そんなペットたちのために高度医療が進みつつあるといいます。CTやMRIを使った検査や人工心肺を用いた心情手術であったり放射線医療…。その内容は人間とは変わらないようです。そんな記事が毎日新聞に載っていました。

超音波を当てて画像をチェック。その横にあるのはエックス線の検査画像。診察台の上には人ではなく下痢をしているダックスフントそうここは動物のための高度医療施設。東京・武蔵野市にある日本獣医生命科学大動物医療センターには、毎日40〜50匹の動物がくるといいます。

院内にあるのは内科・循環器科・腎臓科・腫瘍科・神経科…。それはまるで人間の総合病院。”患者”は開業医から紹介されてやってくる。病気の症状は中毒から癌・心臓病などさまざま。動物は不調でも喋ることができないので飼い主からの聞き取りが不可欠だという。

医療の進歩によって動物も長生きできるようになった。しかしそのために癌や循環器などに重い病気を患っているケースも増えているという。このセンターでは検査・手術予定は一つきさきまで埋まっているとか。その他高度医療を提供しているところも数ヶ月待ちもあるようです。

こうした背景をうけて高度医療に携わる獣医師育成や診察レベルの底上げを目的として川崎市に日本動物高度医療センターが開設45人の獣医が治療にあたり、最新鋭のPETなども備えているとか。。獣医学教育に関しては基礎研究が中心だったのでこれからは臨床の場を提供していきたいという。

動物のための保険も最近は珍しくなくなってきたり、扱いは本当に人間同様。ただ思うのは、動物はあくまで動物決して人間ではないということ。ペットはにんげんよりも寿命が短い。それは必ず生死をしっかり見届ける義務が飼い主には在るということでも在ると思います。むやみに【病気】を直すことに専念するのではなく、余命が短くなってきたペットにとっては飼い主との時間を大切に過ごすことも大事なのではないのかなと思います。

===こちらもよろしく===
相互リンクを超える集客システム、リンクが自動的に増殖するオートリンクネット
ご登録はこちらから
皆さんは、夜間の走行のときにヘッドライトはどんな感じですか?私は基本的にはロービーム。というのも、自分はそんなに目のいいほうではないので、夜の運転では余りスピードは出さないし、それにハイビームだと帰って見づらいときも多々あるので、個人的にはハイビームはよっぽど周りに何も無い場所でしか使いません。

この毎日新聞の記事を見て、全然知らなかったのですが、茨城県警が先頭をきって始めたなんて。なんだか複雑な気持ちです。茨城県警が昨年の5月に始めた、夜間に車のヘッドライトを原則上向き(ハイビーム)にする指導が全国に広がり始めているといいます。

毎日新聞が47都道府県警に聞き取り調査をおこなったそうなのですが、それによると、13県警で本部が中心となって組んでいるとのこと。また2県警も将来的に指導するとの回答を。それとは別に対向車の多い都市部では逆に危険と言うこともあって対応はまちまち。

上記で本部レベルでの指導は、青森、岩手、秋田、山形、福島、茨城、新潟、富山、福井、山口、愛媛、熊本、宮崎。またその他の県でも原則ハイビームと認識しているところもわりと多いことが分かりました。当たり前ですが、ハイビームは遠くまで光が届き、その距離はやく100m。ちなみにロービームは40mあたり。これは青森県警の実証実験で明らかになったもの。ロービームだと黒っぽい服のひとを認識できたのは約26メートル手前。時速60キロだと急ブレーキでも間に合わないことも分かったそうです。

茨城県警は06年4がつに夜間事故の傾向を分析、ハイビームの事故防止効果に着目したそうです。県警本部が中心となって上向き基本と呼びかけているというが、残念ながら私は知りませんでした。県警としてはまだ比較できるデータは出てないようですが、夜間の対人事故が減った手ごたえはあるとのこと。

ただ、思うのは、走行していて対向車がハイビームだと、一瞬目の前が真っ白になってしまうことで返って危険を感じることもあります。教習を受けているときは、たしか対向車が走ってきてすれ違ったり前に車がいるときは、ライト消すか、弱くしなくてはなら無いということだったことからすれば、ちょっと考えてしまいます。

そもそも、すれ違いざまに光を弱くしてもらったことなんて無いですし、私自身も基本ロービームで走っているから、さして気にしたことは無いですから…。田舎のほうであまり車が走っていないところならいざ知らず、都会でははっきり言ってあまり意味が無いかなって思います。

歩行者発見と言う観点からはハイビームは有効かも知れませんが、きちんと場合をわきまえて運転するという保証があって意味をなすもののような気もします。もしきちんと取り組むのであれば、そのあたりも含めて県警側も対応して欲しいように思うのですが。

===こちらもよろしく===
相互リンクを超える集客システム、リンクが自動的に増殖するオートリンクネット
ご登録はこちらから
アリ。最近娘を散歩させておもうのが、娘と同じ目線になって回りの景色を見回すと子供のころを思い出します。それは世界が近く、地面に近いものや、葉っぱなどをクローズアップで見る景色。昔はこういう景色を確かに見ていたなあなんてココロのどこかで思ったりもしました。

そんな中よく思っていたのが、集団で行動する昆虫の生態ってどうやってあんなにもうまくやっているのだろうということ。アリやハチはあんなにも律儀に集団行動をとりながら種を維持する仕組みを持っているのは何故だろうって。特にアリに関しては興味深く、よく子供のころ行列をおっかけてみたり、ちょっと列を石やなにかをおいて乱してみたりした覚えがあります。

大人になるにつれてTVなどみたり雑誌で読んだりしてその多様性には驚かされることもしばしば。例えば切り取ってきた葉っぱをつかって巣穴できのこを栽培するアリがいたり、動物に襲い掛かって倒してしまうアリがいたり…。またアリはすべての集団がきっちりあたらいているのかと思っていたら、どうやら必ず集団の中にはサボって遊んでいるアリがいることが分かったり…。

その生態に関しては驚くことが多いなあと思いました。今回のニュースもそういった驚きの中の一つ。元々アリには餌をとりに行ったり、卵の世話をしたり、あるいは外敵から守ったりするアリなど役割があります。そういった「階級」が実は遺伝子で決められているというのです。

毎日新聞の朝刊によると茨城大学を中心とした国際研究チームは、従来繁殖アリが出すフェロモンや栄養状態などの生育環境によって階級が決められていると考えられていたものを、階級を決める遺伝子が存在しそれが作用して実際の階級を決めることを突き止めたそうです。

研究は、日本でポピュラーなヤマトシロアリのうち、働きアリの「ワーカー」と女王アリや王アリになる可能性を持つ「ニンフ」の2種類の階級のありを調べました。ワーカーとニンフが特殊な脱皮をして繁殖力を持ったもの同士のオスとメスを交配。生まれた卵をすぐに親から引き離し、ワーカーだけに育てさせるなどして生育環境を同じにしました。

これによると、性別を司る性染色体の中に子供の階級を決める遺伝子が存在することが判明。これによると、遺伝的にはニンフになるはずの幼虫がワーカーに成長することがあるが、ワーカーの幼虫がニンフになるケースは存在され無かったそうです。つまりは、生まれながらにしてヤマトシロアリの運命は決められているということのようです。

秩序を維持するためには、環境の整備ではなく血筋を守る遺伝子が存在する…。なんとも興味深い結果ですよね。まあ人間に置きかえて堂のと言う議論はナンセンスにしても、なんとなくわからない話でもないなあと思ってしまうのはちょっと偏見かな?(笑)それにしても生まれながらにして決められているとは。アリではなくて良かったなって思います。(爆)


===こちらもよろしく===
相互リンクを超える集客システム、リンクが自動的に増殖するオートリンクネット
ご登録はこちらから
環境対策を日本でも徐々に広がっていますが、それでもまだまだ。京都議定書にある水準まではまだかなり足りなく、経済的な力をもって排出権を買うなどしても間に合うのかどうか…。中でも問題になっている一つが窒素酸化物(NOx)。化石燃料を燃やす際に二酸化炭素や硫黄酸化物とともに排出されます。これが光化学スモッグや酸性雨の原因となっているのです。

今発展が目覚しい中国。それからアジア諸国もかつての発展途上のイメージを徐々に脱却しつつあります。日本もそうでしたが、経済発展を続ける国の主な基幹産業に必要な電力それから輸送力の向上で自動車の台数増加などでこれら窒素酸化物はどうしても増える傾向にあるのが現状。

一種の通過儀礼のように何処に国でも発生してしまう問題だと思います。ただ、だから仕方ないってほうっておくわけには行かないのも現実。アジアの窒素酸化物の排出量にの関して初めて統計的なデータが発表されました。これによると、中国の窒素酸化物の排出量はこの四半世紀で4倍近くに増えたとか。

調査は、国立県境研究所が九州大学等と共同で、日本、中国、インドなどのアジア24カ国を対象に実施。この結果から、1980年から2003年までの23年間でアジア24カ国のNOxは2.8倍に増加。日本はこの間の燃費向上、汚染処理技術などの環境対策によって約3割削減したそうです。

もっとも多いのが中国で、3.8倍に急拡大。アジアの総排出量のなんと45%も占める計算になるとか。まあ大国ゆえに成長すれば仕方ないですが、これは大きな問題でもあります。同研究所では今後の予測に関して3つのシナリオを予測してますが、どうやら今のままだと、もっとも増加する予測になりそうだといいます。それによると20年後には、2000年との比較で2.3倍かそれ以上は増加するだろうと見ています。

日本はアジアの東の端。この状況はかなり芳しくないです。欧州で北欧が汚染物質で被害を浴びたように、日本も偏西風に乗って越境大気汚染が拡大する可能性があるわけです。現に今年は光化学スモッグの影響が出ていますし…。国としてもこれはしっかり考えて対応しないと、日本に呼吸器疾患の患者が激増なんてことになってしまいます。

特に中国などを対象に、こんご省エネやエネルギー転換をNOx除去する装置を設置するように推進しないと、今後予想だにしない事態が起こりうるかも知れません。隣国が発展することに関しては特にどうと言うことはないのですが、環境問題が絡んでくるとなると黙って見過ごせないですよね。政府としてもこのあたりをもっとアピールして、共同で対応していくなどしないといけないと思います。

===こちらもよろしく===
相互リンクを超える集客システム、リンクが自動的に増殖するオートリンクネット
ご登録はこちらから
平成11年に、『国旗及び国歌に関する法律』によって、日本の国旗は日章旗、国歌は君が代にするとなりました。それまで国旗や国歌に関する法律がなかったのもどうなのかと言う思いもありますが、現在ではこれが法制化されたことにより、これ以後教育現場ではそれを守っていくように、式典等の際には、国旗を掲揚したり、君が代を斉唱したりすることが、事実上義務化した形になりました。

これにたいして、反対しているかたもかなりいて、日本国憲法の思想・良心の自由に反すると主張して社会問題となっているというのは、ことある事件などで良く知っているのでないかと思います。いままでは、国旗あるいは国歌斉唱または、その際に規律しなかった教職員が、厳罰を受ける例が少なくありませんでした。今回の問題は、それとは一線を画すという意味で新たな問題へと発展するのではと思います。

神奈川県教育委員会は、県立高校の卒業式・入学式において君が代斉唱の際に起立しなかった教職員の氏名を校長に報告させていたそうです。まあ先のことを考えればそうかと思います。それにして、県の個人情報保護審査会が、県個人情報保護条例が禁止する思想、信条に関する個人情報の収集に当たる」として、是正を求める答申を出したそうなのです。

これに対して、教育委員会側は、報告があった193人分の情報を破棄する方針だといいます。今回のことで、個人の思想、信条や宗教、犯罪歴などの「センシティブ情報」については神奈川県と同様に条例で取り扱いを原則禁止している自治体もあることから、こんご影響を与える可能性もあるといいます。

こういう話を聞くといつも思い出すのが、高校のときの社会科の先生のこと。先生も国旗・国歌に対しては、歴史的な背景を通じて基本的にはNOだ。というのを常々いっていたのを覚えています。当時私の通っていたのは県立高校ですが、今思い出すと卒業式掲げられていたのは、神奈川県の県旗と校旗。君が代は歌った記憶がな気がします。入場した時の曲はハレルヤだったし、皆で歌ったのは仰げば尊しだった気がします。

そんなわけで、というのもなんですが国旗や国歌に関しては疑問に思う点もないこともないというのが本音です。きちんとした歴史的背景を知らないといえばそれまでなのかもしれませんが、法律できちんとさだめられているのであれば、多くの人たちがその由来やいきさつを歴史として知っておく必要があるのではないのかなと私は思うのです。

ただなんとなく、昔からこうだったから、それでいいじゃん。と言う感じではうーんと思ってしまうんですよね。日本人のいいところでもあり悪いところでもある気がして。こういった大事な法案(先の国旗及び国歌に関する法律)なんかこそ、国民投票と言う形で決めるべきなのでは?なんて思うわけです。各々の言い分は分からないでもないです。

しかし、何を教育するのか?となるとそれはちょっと別問題な気もするのです。教えるなら徹底的に事実を伝えて行く。出なければいけないような気がしてなりません。まあそんな感じでいろいろ考えてしまうのもきっと当時の教育の賜物なのでしょうが。これから先もこういったことは起こりうると思うのですが、その都度動対処していくのか?そしてそれをどう教えていくのか。これは一つ大きな課題だと思います。

===こちらもよろしく===
相互リンクを超える集客システム、リンクが自動的に増殖するオートリンクネット
ご登録はこちらから

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事