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私は、本を読むのは好きだ。
子供の頃は、「本の虫」と呼ばれたこともある。
当時は、濫読。
子供向きの本から、意味不明の大人の本まで。
「アルス少年少女文庫」から「昭和文学全集」。
まだ旧仮名遣いの本も、随分あった。
それも読んでいくうちに、だんだん理解出来るようになる。
アメリカに来てからは、それでも月に2,3冊くらいのペースで読んでいた。
愛読したのは、山口瞳、丸谷才一、阿川弘之、藤沢周平、池波正太郎。
その後は、椎名誠、嵐山光三郎。
なんにも系統立っていない。
相変わらず手当たり次第。
それ以外で愛読したのは、戦記物や戦場小説。
若い頃は「連合艦隊の最後」などという本も、読んだ憶えがある。
しかし、ここ数十年は嗜好が変った。
というか、一兵卒の書く従軍記のようなもの。
古山高麗雄の、「断作戦」「龍陵会戦」「フーコン戦記」、所謂3部作。
伊藤桂一の、「静かなノモンハン」に代表される連作。
ともに下級兵士の眼で見た戦争を、描いた小説だ。
太平洋戦争の是非については、私には分からない。
多くの元軍人、学識経験者、ジャーナリストたちが、それぞれの意見を開陳している。
どれにも利があり、言い分がある。
立脚点が異なれば、結論も自ずから異なる。
「日本の、侵略戦争だった。」
と甲が言えば、
「あれは、アメリカに仕向けられた戦い。」
乙が返す。
多分永遠に続くのだろう。
古山高麗雄や伊藤桂一は、そんな是非論を語ってはいない。
淡々と、自分が戦場で経験し、見聞きしたことを書いている。
そして、それはどんなドキュメンタリーフィルムより、訴えるものがある。
作戦と呼ばれる戦闘行為のさなかに、下級兵士がどう戦ったか。
後方のテントの中で決定された作戦が、如何に現場の状況を無視したものだったか。
「1人の兵士が10人の敵を倒せば、この戦は勝てる。」
日本軍より優れた武器を持ち、地形に詳しく、住民の庇護を受けている相手。
それを、欠乏しかけている弾薬で10人を倒せ、と命じる下士官。
重要拠点に攻めかけて来る2千人の敵軍を、100人の部隊で死守する。
退却は、絶対に許されない。
ただ、全滅するまでに、どれだけの時間敵を食い止められるか。
長ければ長いほど、良い。
それが、作戦司令部の命令。
死にたくはない。
しかし、死ぬしか道は無い。
古山高麗雄は、そんなことは書かない。
だが、行間からそれは伝わって来る。
はっきりそう書かれた文より、はるかに雄弁だ。
敵の総攻撃で、部隊は殆ど全滅。
幾人かが、夜陰に紛れて脱出する。
彼らは、命令に背いた脱走兵になってしまった。
進めば敵、戻れば軍法会議。
こういう事実は、幾つもあっただろう。
書き残した、元下級兵士もいるだろう。
自費出版した人も、多いと聞く。
だがそれ以上に、語らない人の方が多いのではないか。
私の父は、2度応召している。
近視で、乙種合格。
1度目は、国内の部隊。
まだ、太平洋戦争以前の話だ。
2度目は、南方に配属された。
フィリッピンだったという。
最大の激戦地の一つ。
幸運(?)にも、マラリアに罹病。
後方送還で、台湾へ。
そして、召集解除。
一命を取りとめた。
父から、戦争の話を聞いた記憶は無い。
飲めば饒舌になったが、戦地のことを語ったことは無いように思う。
大学を卒業していたが、2等兵で入隊した。
「何故、幹部候補生を志願せんか?」
「はい、家庭の事情で…。」
そう答えて殴られたという話は、母から聞いた。
知己の職業軍人から、
「薦められても、絶対に幹部候補生に志願するな。」
そう言われたのが、理由らしい。
それで、何とか生き残れたのかも知れない。
先日、「Letters from Ioujima (硫黄島からの手紙)」を観た。
アカデミー賞の候補にもなっている、話題作だ。
硫黄島で戦死した、栗林忠道中将が中心のストーリー。
日本人のキャストに、監督がクリント. イーストウッド。
2時間半に及ぶ上映時間の殆どは、戦闘場面。
決して、気楽に見られる娯楽映画ではない。
見終わった時、肩に疲れを感じた。
面白くなかったとは言わない。
ただ、役者が何となく嘘っぽい。
つまり、板についていない。
「日本の俳優は、軍人とやくざは上手い」
昔、そう聞かされた憶えがある。
つまり類型的な役柄は、上手く演じられるということだろう。
だがこの映画では、私にはそうは思えなかった。
勿論、テレビのトレンディドラマとは異なっていた。
熱演と、言えるかも知れない。
だが、琴線にはそれほど響いて来ない。
それも無理は無いのかも知れない。
私の世代で軍人を演じた俳優は、既に老いている。
言わば、退役軍人の年齢。
今、目の前で演じているのは、20代30代の若者だ。
身体つき顔つきも、大きく異なって来ている。
立体的な風貌、長い手足。
当時の兵隊さんとは、まるで異なる人種だろう。
映画はどんなに上手く作っても、「嘘っぽさ」から逃れられない。
コンピューターグラフィックは、幾ら真に迫っても所詮拵え物。
それが映画の宿命であり、ある意味では逃げ場だ。
その点、小説は行間に全てがある。
1行の文章の向こう側に、無限の世界が存在している。
「戦争反対」の掛け声より、何十倍も脳裡に響いて来る。
戦争をテーマにした小説は、もう無くなって行くだろう。
経験や知識があって、書ける作家は残り少ない。
と言うより、最早いない、と言えるのではないか。
戦争さ中に生まれた私は、戦争そのものは知らない。
だが、焼け跡、傷痍軍人、引揚者を探す「尋ね人」の放送は知っている。
米、芋の配給も記憶の片隅に残っている。
同級生が、「母子寮」に住んでいたのも憶えている。
進駐軍の兵士に、チョコレートを貰いもした。
つまり、戦争の「残滓」を見て育った年代。
知っているようで知らない「戦争」を、一番知りたいのは私たちの年代なのかも知れない。
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久しぶりに遊びにきました。丑さんにそんなストーリーがあったとは…!綾さんに読ませたいです(^-^)PSブログ移転しました、お時間あれば見に来てやってくださいませ〜 PS2爽やかアバターにビックリ、でも、いいネっ
2007/2/8(木) 午前 4:38 [ ふわり ]