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渋谷の「109」を左に見て、道玄坂を少し上る。
左手に、大きな看板が見える。
「恋文横丁 此処にありき」
もう、知る人も少なくなったかも知れない。
かく言う私だって、ぎりぎりのところでその存在を知っている。
まだ、中学生くらいの頃。
渋谷にある大学に通う姉に連れられて、幾度かこの横丁に足を踏み入れている。
「恋文横丁」
本名は、「すずらん横丁」、と言うらしい。
ここに恋文の代筆をする店があって、こう呼ばれるようになったと聞く。
所謂オンリーが、進駐軍の兵士に宛てたラブレターを代筆したとか。
丹羽文雄という作家の、「恋文」という小説が起こりとも言う。
この小説は、同名の映画にもなった。
森雅之、久我美子、宇野重吉、香川京子が出演。
監督は、田中絹代。
勿論、私は観ていない。
この横丁のことは、実は殆ど覚えていない。
はっきり覚えているのは、此処で食べた「タン麺」のことだけ。
数軒の中華料理屋があった。
「料理屋」と書いたが、実際は薄汚いラーメン屋程度。
ただ、活気だけは凄かった。
大鍋から、もうもうと上がる湯気。
焼けた中華鍋に放り込まれた野菜が、ジュジュッと大きな音を立てる。
わき目も振らずに、丼と格闘する客たち。
「えぇー、いらっしゃい」
「ありがとうございやす」
客の出入りの度に、景気の良い大声が飛び交う。
店の売り物は、タン麺と餃子。
他にも色々あったかも知れないが、皆その2品を食べていたような気がする。
戦後とは言えないが、高度成長期には間がある。
まだまだ、混沌が残っていた時代。
立ち上る湯気と、大音声の出迎えが人気だったのだろう。
私も、幾度かそこでタン麺と餃子を食べた。
今考えると…。
この店には、ラーメンは無かった。
いや、チャーハンも無かったかも知れない。
ラーメンの店が無かった訳ではない。
ラーメンは当時でも、人気があった。
中央線の荻窪に住んでいた私は、何軒かの有名店を知っている。
一世を風靡した、「丸福」。
煮干の出汁で固定客がついていた、「丸信」。
駅の横で、これまた知る人ぞ知る、「漢珍亭」。
だが、タン麺の有名店は無い。
私は、タン麺好きである。
だがラーメンに押されて、タン麺はすっかり忘れられてしまっている。
今は、ラーメン屋のメニューの隅っこに淋しく載っている。
「タン麺ひとつ」
注文すると、なんとなく面倒くさそうである。
タン麺なんてあったかしら、という顔つき。
10人客がいれば、9人はラーメン。
心なしか、待ち時間が長い。
他の客が食べ終わった頃、やっと運ばれて来る。
気のせいか、ちょっと延びているようですらある。
野菜だって、あまりシャキッとしていない。
そんなことも重なって、最近日本ではタン麺も食べない。
そもそも、タン麺とラーメンは出自が異なる。
餃子とシュウマイが、出身が違っているように。
タン麺と餃子は、中国北部の出。
米が主食ではない地方だ。
チャーハンとシュウマイは、南西部。
一説では、
「中国北部(北支)から引き上げた兵隊が、タン麺餃子の店を開き、
南部(南支)からの兵隊がラーメンを伝えた。」
ということらしい。
タン麺とラーメンは、料理法から異なる。
タン麺は、塩味の鶏ガラスープに麺を入れ、上から炒めたばかりの野菜類をのっける。
だから、作る間は結構騒がしい。
大きな中華鍋が、空間を行き来する。
その音が、食欲をかき立てもする。
一方ラーメンは、作りおきのたれをスープで割る。
「うちは、30年このたれです。」
「作り方は、秘密です。」
色々勿体をつける。
麺以外に入れるものは、焼豚やメンマ程度。
鍋を振るような、大技は無い。
だから静かに、神妙に待つことになる。
ラーメンは「日本の国民食」、と呼ばれているらしい。
何時頃から、そう呼ばれるようになったのか。
そのわりに、作り方から味まで千差万別、規範が無い。
新しい味の店が出来ると、人が押し寄せる。
1時間でも2時間でも、行列に並ぶ。
「いやぁ、癖になる味ですねぇ。」
「もう他の店のラーメンは、食べられませんね。」
テレビカメラに、得々として話す。
この人は、来月は他の店に並んでいるのだろう。
タン麺は、潔い。
鶏ガラスープに塩味だから、変えようが無い。
「うちは、ダチョウのスープです。」
とか、
「うちは、秘伝のモンゴルの塩を使っています。」
そんな話は聞いたことが無い。
澄んだ鳥ガラスープに、茹であがった麺を滑り込ませる。
ざくざくと切ったキャベツ、人参、モヤシを炒める。
それを、目いっぱい麺に載せれば出来上がり。
野菜が、しんなりし始める前に食うだけ。
言うなれば、直球勝負。
カーブも無ければ、シンカーも無い。
差をつけたければ、ラー油をちょっと落として大人の味。
「旨いタン麺が食いたい。」
毎年そう思って、日本に帰る。
が、めぐり会えるのは、ラーメン屋のメニューの端っこにぽつんとある「ままっこ」。
食う前から、味の予測がつく。
僕が会いたいのは、君ではない。
その昔、「恋文横丁」の大鍋の湯気の中から現われたタン麺。
それが、食いたいのだ。
これが、「無いものねだり」という奴なのだろうか。
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