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「出会い」という言葉は、ちょっと色気がある。
単純に会うのではなく、遭遇する、たまたま知り合う、などの意味を含む。
江戸時代を舞台にした小説などを読むと、
「出会い茶屋」
などで、男女が密会する場面が出てきたりする。
時間やところを決めて会うのは、「出会い」とは言わないようだ。
又、同性同士が知り合うのも、「出会い」と呼ぶことは稀だろう。
異性、それも精々40代くらいまでの二人が知り合う場合が、「出会い」らしい。
勿論それ以上の年齢が知り合って、そこに何らかの交情が生まれれば、「出会い」となる。
時代劇などで、
「出会え、出会え」
と呼ばわるのは、この「出会い」とは関係がなさそうだ。
「出会う」の命令形、とは違う。
余談だが、同じことを言うのでも、時代劇では身分によって随分異なる。
殿様やご家老であれば、
「曲者じゃ、者ども、出会え」 (12字)。
これが下っ端侍になると、
「皆々様、曲者に御座りまするぞ、お出会いくださりませ」 (28字)。
言い終わるまでに切られて死んでしまう、こともあるだろう。
最近、「出会い系サイト」などと言う下品なインターネットのサイトが流行している。
本来、小粋な言葉であるべき「出会い」が、こんなものに使われるのは不本意だろう。
で、探してみると、案外相応しい使い方もされている。
「出会いのもの」
という言葉。
変化して色々な方面にも使われるらしいが、もともとは飲食(おんじき)が主だった。
「出会いのもの」 − 意外な二つの物が、絶妙なハーモニーを創り上げること。
代表的なものでは、「鮎の塩焼きとビール」がよく引き合いに出される。
高級料亭などでは、コースの途中で「鮎の塩焼き」を出す場合ビールを添えるらしい。
「出会いのものですよってに、呑んどくれやす」
言われたことはないが、こんな風に勧めるのだろうか。
「キャビア」に配するに「殆ど凍らせたウォッカ」も「出会いのもの」だろうか。
冷凍庫に入れておいても、アルコール度数が高いウォッカは完全には凍らない。
それをグラスにトロリと流し込んで、キャビアと共に供する。
それは堪えられないだろう、と想像するだけだが。
そんなに高級でなくとも、「出会いのもの」は身近にも存在する。
イタリア料理の前菜の定番、「生ハムとメロン「「生ハムとイチジク」などはまさしく「出会い」。
京都の名物「にしん蕎麦」だって、北海道のにしんと信州の蕎麦の「出会い」の妙。
「ブリーチーズ」に「鰹の酒盗」を乗っけるなんて、よくぞ考え付いたではないか。
「カツカレー」も考えてみれば、「とんかつ」と「カレーライス」が出会ったもの。
そう言えば、「丼物」は殆どが「料理」と「どんぶり飯」の「出会い」ということになる。
近頃では、「出会い」という言葉は、飲食以外にも転用されているらしい。
「私がこのバッグを買ったのは、『出会った』瞬間に閃いたから」
「その時が、私と村上春樹の『出会い』だったの」
本を読んだだけでも、こういう表現も出来る。
話は変わるが、私はジーパン(ジーンズ)世代の最初のころの年代のようだ。
勿論一部に愛好家はいただろうが、1950年代は未だジーパンは珍しかった。
爆発的な人気を呼ぶのは、「ロカビリー」の人気の沸騰と無縁ではないだろう。
「何よ、その格好は」
兄が母にうるさく言われていたのは、細身のコットンのズボン。
「マンボズボン」とかいう、妙な名前が付いていた。
あれが、ジーパンブーム到来の先駆けだったのかも知れない。
高校生の頃、学校に穿いてくる奴はいなかったが、普段にジーパンを穿いている連中は大勢いた。
だが、私はジーパンなるものを買った記憶が無い。
みんなが穿くから嫌だ、というようなつむじ曲がりから来たものかも知れない。
二十歳になった頃、始めてジーパンを買ったと思う。
何故かブルージーンではなく、黒だった。
三十歳で南米に行ったが、やはりジーンズは穿かない。
周囲の日本人から、
「ジーンズを穿いているのは、労働者階級だと見られるからやめたほうが良い」
例えぺらぺらでも、スーツを着ていれば「ちゃんとした人間」と見做される、そうだ。
だから友人と二人で南米を一周した時も、一応上着を着用に及んでいた。
そして、チリでもアルゼンチンでも、ブラジルでもジーンズは殆ど見なかった。
南米を発ってアメリカに来た。
ニューヨークに住み始めて、やっとジーンズが普段着になった。
と言って、色々凝ったりはしない。
デパートで、適当なものを見繕って穿いていた。
リーバイスだったかリーだったかさえ、覚えていない。
今年の正月、長年穿いていたジーンズが破れた。
膝頭辺りが裂けて、膝が見えている。
「そういうジーンズで歩いている人って、結構いるわよ」
家人はもっと穿かせたいらしいが、私は嫌だ。
そういうファッションは、眩しいほどの若さがある人のもの。
私がすれば、ホームレスにしか見えない。
ジーンズの専門店に行き、試着を試みた。
ウエスト32インチ、股下30インチのジーンズは少ない。
殆どが、長過ぎる。
「そういうのを、足元にたるませて穿くのよ」
私はそれも、嫌いだ。
足元をぶかぶかさせるのも、ジーンズを下げて尻を見せるのもご免だ。
やっと3本見つけて、試着室へ行く。
1本目、きつくて穿けない。
2本目、ウエストがゆる過ぎてずり落ちて来る。
3本目に至っては、足がきつくて入らない。
全てウエスト32、股下30なのに、である。
悄然として、諦めて帰った。
もうジーンズを穿ける年代ではないのかも知れない。
若しくは、「つなぎ」とか言うペンキやのような物を着るしかないのか。
数ヶ月、ジーンズ無しで暮らしていた。
5月の初め、家人の買い物に付き合った。
ブランド品を低価格で売る、という店らしい。
「付き合った」と言っても、付いて廻ることはしない。
独りで、店内をぶらぶらする。
女性用のコーナーをうろついて、変な目で見られるのも業腹なので男性用コーナーに行く。
ジーンズがぶら下がっている。
(どうせ俺には穿けっこないだろう)
僻んだ目つきで見ていると、
「おや?」というジーンズがある。
別に、何処がどうと言うわけではないが、如何にも楽そうだ。
近づいて、正札を見る。
「ウエスト32インチ、股下30インチ」
(どうせ、試着したって無駄だろう)
未だ数ヶ月前のダメージから立ち直っていない。
手にとって見る。
「Stone washed (洗い済み)」とある。
柔らかい。
これなら、ひょっとするとひょっとするかも知れない。
だが、価格が問題だ。
以前、気に入ったジーンズに「$350」という値札が付いていて、愕然とした覚えがある。
「$35.00」
80ドルという価格を、消した上に書いてある。
信用する訳ではないが、買い得という気分はある。
1本だけぶら下げて、「試着室」へ行く。
足はすんなり通る。
股下も、長過ぎず靴の上に少しかかっている。
肝心のウエストは、ピッタリだ。
ベルト無しでも落ちないだろう。
念には念を入れて、鏡の前に直立する。
横になり、後ろになり、又前になる。
メーカー名を見てみる。
「Lucky Brand」とある。
何という野暮ったい名前だ。
だが、身に合うのであれば名前はどうでも良い。
もう少し念入りに見る。
内側のタグに、
「Short inseam(短い股下)」とある。
気に入らないが、これも些細なことだ。
「Made in Vietnam(ベトナム製)」のタグもある。
中国製よりはマシだろう、と思う。
家人は何も見つからず、私はジーンズを抱えて帰宅した。
それ以来、私はこのベトナム製「ラッキーブランド」のジーンズを着用している。
思うに、これも「出会い」と言えないこともない。
偶然に行った店で、偶然に見つけたジーンズ。
ジーンズだって、偶然そこにぶら下がっていたのだ。
80ドルを35ドルに値下げされて。
減俸されて、窓際に追いやられた気分だったろう。
そこに白馬の騎士(私のこと)が現れて、苦境から救ってくれた。
さぞ感謝していることだろう(そんな訳は無いか)。
今、私はあまりこの「出会い」のジーンズを穿かないようにしている。
何故か。
もしこのジーンズを毎日のように穿けば、汚れもするし数年で寿命が尽きるだろう。
そうすると又、ジーンズ探しの旅をしなければならない。
だが、その時今回のような「出会い」があるとは限らない。
今回は数ヶ月でこのジーンズに出会えたが、次は何年かかるか。
そう思うと、穿こうという気が萎えてくるのだ。
私は今、普段に穿くジーンズを探している。
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