還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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「鯨」の未来

「鯨」は、日本にとっては結構悩ましい問題となってのしかかっている。
国際紛争とは呼べない。
日本の「捕鯨」で、具体的に傷つく国は無いからだ。
反対する国は多い。
その国々を大別すると、4種類に分けられそうだ。
先ず、「鯨」は絶滅しかかっているから、これ以上捕ってはならないと考えている国。
次いで、最早「鯨」を食料のために取る必要は無い、と思う国。
何となく日本に反発している国。
最後は、政治的な意図で反対国に従属している国。

私は、「鯨の竜田揚げ」給食の世代。
あの当時、「鯨の竜田揚げ」は恐らく人気ナンバーワンのメニューだったのではないか。
他のメニューは忘れてしまっているが、「竜田揚げ」だけははっきりと憶えている。
あとは「揚げたコッペパン」程度しか記憶に無い。
もっとも、我が家では割合頻繁に「鯨」を食べていた覚えがある。
私の一家は、東京に来る前は福岡に住んでいた。
福岡では、「鯨」はごく普通に魚屋の店頭にあり、良く売れていた。
我が家では、それを刺身にしてショウガ醤油で食べる。
「尾の身」などという高級な部位ではなかったと思うが、子どもにも美味だった。
東京に移ってからも、父が時々帰宅途中に買って来たようだ。

とは言え、食料欠乏時代が終れば、「鯨」の人気も落ちる。
少年時代には、滅多に食卓に上ることもなくなっていた。
それが、捕鯨衰退時代の始まりだったのかも知れない。
しかし未だ幾艘もの「捕鯨船」は遠洋航海に出かけ、多くの「鯨」を持ち帰っていた。
大型のマッコウ鯨やイワシ鯨が中心であり、小型のミンク鯨やセミ鯨は殆ど捕っていない。
大型の鯨は20〜30mもあり、同じ1尾でも小型とは比較にならない。
また砲手だって狙いが定め易かっただろう、と思う。
缶詰の「鯨の大和煮」は、高かった「牛肉大和煮」の廉価版として、結構人気があった。

アメリカに住みだして、「鯨」とは殆ど縁が切れた。
「捕鯨反対」の運動がだんだん激しくなったことはニューヨークでも聞いたが、正直のところ別世界の出来事のように感じていた。
日本が商業捕鯨からの撤退を余儀なくされたのは、1988年。
調査捕鯨で許可された分と、旧来の沿岸漁業で捕れる小型の鯨だけが全てになる。

私が仕事でアイスランドに行ったのは1994年頃。
街中にある「鯨料理店」に連れて行かれ、「尾の身」の刺身に対面する。
そして、一人の男に紹介された。
彼は反捕鯨の旗頭である、環境保全団体「グリーンピース」に戦いを挑んでいる、と言う。
「奴らは、俺が行くところは何処にでも現れて妨害するんだ」
彼はそう言いながら、楽しそうでさえあった。
「でも、鯨を捕るのは我々の権利だから、負けるわけには行かない」
彼は他の捕鯨国、ノルウエーやフェロー諸島、日本を訪ね、捕鯨再開運動を続けていると説明する。
「でも、日本が中心で纏まらなければ駄目だ」
「その日本が、ふらふらしている」
彼が水産庁を訪ねても、誰も会ってくれないらしい。
まあ日本の役所には、役所なりの言い分はあるのだと思うが。

「鯨」の問題に関して、日本には強力な味方がいない。
アイスランドやノルウエーには悪いが、彼らはヨーロッパでもマイノリティに属する。
安保理の常任理事国のうち、アメリカ、イギリス、フランスは明確に反捕鯨。
皮肉なことに、ロシア、中国、韓国などが賛成派に名を連ねている。
ロシアは国内にエスキモーという、捕鯨をする少数民族を抱えている。
韓国は「食犬」という似た問題があるため、捕鯨に反対はしにくい。
中国はと言えば、膨大な人口の将来を考えた時、「鯨」という食の可能性をとっておきたい。
それぞれがそれぞれの思惑で賛成している、ということになる。
と言って、この3ヶ国が「捕鯨推進」に力強い行動をとったとは、絶えて聞いたことがない。
先頭にいるのは、いつも日本、ノルウエー、アイスランド、デンマーク(フェロー諸島)なのだ。

反対派の論理は、実はくるくると変わって来ている。
「鯨は知能の高い哺乳動物だから」
当初はそういう声が多かったが、
「知能が低ければ、殺しても良いのか」
という反論に、トーンが低下してしまった。
「絶滅危惧種を守ろう」
このスローガンもはじめは説得力があったようだが、
「鯨は減っていない。むしろ増えている」
科学的統計に基づいた反論に、近年は力がない。
「鯨を食べなくても、食べるものは沢山ある」とか、
「水産資源が漁獲量の拡大で枯渇に向かっており、鯨がその一つの象徴」
などと言う、捕鯨推進派を納得させるには聊か論理性に欠けるものもある。
唯一、「捕鯨よりも、観光資源にする方が有益」という意見が、まともに聞こえる。

実際のところ、反捕鯨運動には捕鯨国、特に日本に対する反感などが根っこにあるように思われている。
捕鯨以外の漁業でも、日本の遠洋漁業船団は世界の海に展開して来た。
400kmにも及ぶ延縄で一度に数百尾のマグロを捕り、その全てを日本に持ち帰る。
イカや赤魚、カレイなどでも、日本の船は世界の何処までも遠征している。
魚が主食ではない欧米人でも、日本の「根こそぎ漁法」に不快感を持ったとしても不思議ではない。
太平洋に面する小さな島国日本は、そういう他国の感情には殆ど関心を払って来なかった。
「公海で、合法的に捕って何処が悪い」
公然とではなくても、そういう気持ちもあったのではないか。

「自分の時間を使って、長時間働いて何処が悪い」
十数年前、「働き過ぎ」と非難された時、そう心の中で反駁した人は多いだろう。
「労働は美徳」
幼い時から、そう言われて成長して来た。
その美徳が、世界中から袋叩きにされる。
「簡単に言えば、黄色人種の日本人が金持ちになったのが面白くないのさ」
極論に近いが、そういう意見も聞く。
正しいとは言いたくないが、間違っていると言い切れもしない。
その感情が「鯨問題」と連動しているのかも知れない。

「分かりました。鯨を捕るのを止めます」
もし日本がこう表明したら、どうなるか。
素直に喜び、日本の決断を賞賛する国もあるかも知れない。
だがそれは少数派だろう。
「日本は強く非難し続ければ、大抵のことは折れて来る」
そう考える国は、結構多いのではないか。
鯨に続く「マグロ」「底魚」などを考えたら、屈することの不利益は大きい。

今世界の人口は70億に近づいている。
2050年には93億になる、というかなり信頼度の高い推計がある。
つまり、食料は今の30%以上多く生産されなければ、人類は生き延びられない。
だが、この地球上にある「可食物」の総量は、それほど増えはしない。
地球上の物質の全体量は、地球が誕生して以来変化していないのだ。
そういう時代に向かって、「食べられる」物の保護や管理は、今後ますます重要になる。
勿論「鯨」だってその中に含まれる。

ただ、鯨の捕獲は簡単ではない。
100年前、日本人は命がけで1頭の鯨に挑んだ。
その後技術革新によって日本の捕鯨術は、世界の最先端に立っていた。
それが今、消えてなくなろうとしている。
鯨を撃つ「砲手」は、今やほんの少数しかいない。
新しい「砲手」には、なり手がいない。
鯨に銛を打ち込むには長い訓練が必要。
捕鯨反対の風潮の中で、捕鯨を志す者はいないし雇う企業もない。
だから、もし20年後30年後に捕鯨の再開が可能になっても、捕る術はなくなっている。
一部の「職業反捕鯨」で飯を食っている人間たちは、そんなことは考えていないだろう。
「飽食の時代」と言われているが、それが如何に空疎な言葉か、人が知る時は近づいている。
現在でも大別すれば、世界には飢えている人の方がずっと多いはずだ。

日本は人口の減少を憂えているが、世界人口は右肩上がりに増加している。
そしてエネルギーと並ぶ将来の大問題が、「食料」であることは間違いがない。
それをわきまえながら、「食料としての鯨」を無視するのは少々矛盾するのではなかろうか。
この世に、人が生き延びるために食べてはならない物など存在しない。
そこが「捕鯨推進」「捕鯨技術保護」の大前提に、ならないだろうか。
「尾の身」の味を知っている私は、なかなか諦めきれない。

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牛肉やマトンを買わせるための一部の陰謀でしょう。
大きな鯨が食する魚やプランクトンは膨大な量です。
鯨を獲ることにより食料になる魚が増えるのです。
木だって多くなれば間引きします。海のバランスのためには捕鯨は必要です。

2011/10/5(水) 午前 7:34 フクロウの宿

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ご意見ありがとうございます。
何とか、「捕鯨」の復活を見たいものですね。

2011/10/5(水) 午前 10:34 [ masterswimmer ]


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