還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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柴又往時 草団子

昔、と言っても戦後7,8年経った頃だが、サラリーマンの世界には「3コ」という言葉があった。
「ゴルフ、小唄、碁」を意味したようで、出世を目指すなら覚えるべき趣味ということらしい。
暫くして流行った植木等の歌に、「ゴルフ、小唄に碁の相手、何とか課長になった」というくだりがあったから、信じてこの3つを習ったサラリーマンもいた、ということだろう。
私の父も、そういう意図があったかどうかは分からないが、会社の集まりで「謡(うたい)」を習ったり、クラブ一式を買い込んで、ゴルフの素振りを始めたりしていた。
元来不器用だったようで、上達した気配は無い。
物の無い時代だから、着古した背広のズボンにジャンパーといういでたちで、練習にも行っていたらしい。
どういう風の吹き回しか、私を連れて安いゴルフ場に行ったこともあった。
葛飾区柴又にあった、多分6ホールくらいのゴルフ場だったが、未だ安いゴルフ場がほとんど無い時代、安サラリーマンで結構賑わっていたようだ。
住んでいたのが中央線の荻窪だから、京成線の柴又まではかなりの道程。
覚えてもいないが、随分時間をかけて行ったのだろう。
私は未だ小学生だったから、勿論プレーは出来ない。
父のキャディのような格好で、時折り打たせて貰った記憶がある。
随分狭いコースで、1番のショートホールでちょっと良い当たりをすると、グリーンを越えてボールが江戸川に飛び込んだりする。
ボールが高価だったこともあり、プレーヤーは慎重だった。
何が面白くてそんな遠くまで父に付き合ったのかと言えば、帰りに買ってくれる「柴又団子」のため。
緑色の「草団子」に餡がべったりまぶされていて、旨いのなんのって。
新宿にあった「追分団子」と並んで、人気の団子だった。
数軒の団子店が並んでいたが、「寅さん」で人気が沸騰する時期には未だ少し間がある。
今のように、両側にびっしりということは無かったはずだ。
家で待つ家族の分も入れれば、小さな折を3つくらいは買ったのではないか。
まだまだ人が、「甘い物」に飢えていた時代だった。

これが私の柴又初体験なのだが、実はこの町と私は、ごく僅かな因縁がある。
昭和8年、「都新聞」に「人生劇場」という長編小説が連載された。
愛知県吉良の青年、青成瓢吉が東京の大学に進学して、人生の荒波に揉まれながらも、父の遺訓を守って、生き抜いて行くという半ば自伝小説。
人気を呼んで、次々と書き続けられたのだが、この小説に柴又にある川魚料理屋が登場する。
ここで主人公の青年が酌婦の女と関わりを持つ舞台に、その料理屋がモデルになった。
「酌婦」とは、現代にはもういない酒客相手の座持ちが職業。
もう少し危なっかしい部分も、あったやに聞く。
主人公は未だ学生のはずだが、当時の学生は随分ませていたのだろう。
この女を主人公と張り合う友人が、私の伯父をモデルにしたと言われていた。
さほど似ているとも思えなかったが、伯父と作者は親しい友人同士だったらしく、性格などを取り入れたようだ。
この料理屋には、後に第2の主人公「吉良常」も関わって来るし、なかなか重要な役割を与えられている。
「人生劇場」は、原作者の自叙伝的色彩の強い一種の青春小説のスタートだったが、後には「吉良常」というやくざ者に焦点が当てられ、原作者の意図とは異なる方向に向かってしまったらしい。
確かに、東映が「仁侠映画」路線を取ったこともあり、「吉良常」と「飛車角」という二人の侠客の人気が高まってしまい、本来の主人公青成瓢吉を陰が薄くなって行く。
まあ、鶴田浩二や高倉健を登場させるなら、青春ドラマと言うわけには行かない。
来ている観客だって、血の雨降らす切ったはったを期待している。
伯父がモデルになった友人役など、何処にも見当たらない。

だから柴又は、既にある程度知られた存在ではあったのだが、それを決定的にしたのが「寅さん」。
第1作が1969年だから、私が団子ほしさに父についていった頃から10年以上経っている。
映画化の前に、テレビドラマとして半年間放映されており、私はそれを観た記憶がある。
だが、「男はつらいよ」の人気が出て、長期シリーズ化された頃には、既に日本にはいない。
だから、柴又の町にファンが押し寄せたことも、人づてに聞いた程度。
それでも南米の小さな都市にも、巡回で「男はつらいよ」のフィルムが来て、日本大使館で見せて貰ったことははっきりと憶えている。
久しぶりに柴又の町並みを見たのだが、まるで憶えていなかった。
団子食いたさ一心の小学生では、大した記憶も残っていなかっただろう。

それにしても、今の柴又にはかなりの数の団子屋が営業しているようだ。
本家を主張する店あり、元祖と言い募る店あり、それなりに競争はあるだろう。
そういう状況は、日本中を探せば山ほどあるに違いない。
福岡県太宰府の天満宮の参道には、多くの「梅が枝餅」の店が軒を連ねている。
行ったのは随分昔だが、その数は増えこそすれ減ってはいないはずだ。
どの店でも、「梅が枝餅」一筋で脇目も振らない。
他の商品は扱わない、という申し合わせでもあったのだろうか。
毛色の異なる商品があれば、喜ぶ客もいそうなものだが、どうもそういうものでもないらしい。
「天満宮に来たら、『梅が枝餅』に決まっている」、ということのようだ。

そう言えば、佐賀県唐津の北にある呼子という町の「活ヤリイカ」も同様らしい。
ここにも多くのレストランが営業しているが、主力は「活ヤリイカ」だけ。
コースの値段から、出て来るものまでほとんど一緒だ。
「イカシュウマイ」に「活きたヤリイカの刺身」、さらにはゲソの天麩羅がお決まり。
申し合わせというより、人と違ったことをやって客を失うのが怖い、という方が正解のようだ。
「梅が枝餅」でも、何処の店の品も同じように感じたが、「ヤリイカ」も同様。
仕入先も一緒だし、料理法も同じだから、味だってほとんど変わらないはず。
それでも客の入りに、差が出来るのが面白い。
どうもこれは、人の噂に拠るもののようだ。
いわゆる「クチコミ」という奴。
少し遅く行くと人気店には行列が出来ていて、不人気店には閑古鳥。
一度その「閑古鳥」に入ってみたが、何処が異なるのか判断がつかない。
違うと言えば、入っている客の熱気のようなもの。
順番を待たされている、という感覚もいやが上にも期待を煽る。
そういったものが、徐々に徐々に大きな差になって行く、と考えるしかない。
調べたことはないが、やはり代替わりした店もあるのだろう。
当の店主は、何処が悪かったか分からないまま、なんだろうな。

こういう形式は、あまり他国では見かけない。
メリーランド州クリスフィールドは「Softshell crab ソフトシェルクラブ (柔蟹)」の本場として名高いが、その名物を供する店は10軒に満たない。
北のメーン州は「ロブスター」の生産地として名前は売れているが、食べさせる店はそれ程多くはない。
誰かが繁盛していても、その真似をしようという気には、なかなかならないようだ。
「右へ倣え」という発想が、もともと無いのかも知れない。
考えてみると、他店を模倣するというやり方は、アジア人特有と言っても良いのではないか。
1980年代、マンハッタンの八百屋はほとんど韓国系一色になった。
1,2ブロック毎に、韓国系の八百屋が店を出している。
もう少し間を空けるとか、協調する考えはないのだろうか。
だが聞けば、出身地が違えばもう敵同士に近いのだという。
「私のキムは、系譜が正しいキムで、他とは違います」
かつて一度机を並べたキムさんは、達者な日本語でそう言って胸を張った。
この場合、模倣した瞬間から、相手は敵になるようだ。
その辺りが、日本とは異なっている。
人間性云々より、常に外敵に晒されて来た緊張感の問題だろう。
他国から侵略される懼れが無かった日本では、怖いのは周囲の人間だけ。
一番懼れたのは、「村八分」というリンチまがいのいじめ。
必然的に、摩擦を避けるようになる。
他人の真似までは許されるが、それを飛び越えればトラブルに巻き込まれる。
そういう「生きる知恵」が、人を縛って来たのだろう。
縛りから解放されて、自由に生きる「寅さん」に人気が集まる所以。

言うなれば、「寅さん」は、ささやかな日本人の夢を具現した英雄なのかも知れない。
何時も失恋するのも、英雄に悲劇性を持たせるため、と言ったら考え過ぎか。


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