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私が普段観ているのは、NHK中心の「テレビジャパン」という日本語放送。
だが、幾ら日本語番組でも敬遠したいものも無いわけではない。
子供向けは勿論だが、学芸会風の素人に毛の生えたような連中が歌ったり踊ったりするやつ。
それに、手芸だとか園芸の番組も敬して遠ざけたい。
だからたまには、アメリカの番組にチャンネルを合わせる場合もあるのだ。
特に朝のニュースは割り合い頻繁に観ている。
特にニューヨークのローカル番組では、直ぐ近くの町の殺人事件や大きな事故などを報じるから目が離せない。
今朝見た番組では、リオのオリンピックを特集していた。
過去の開幕式の演出を色々紹介している。
弓で火矢を聖火台に向けて放ち、それが聖火を点すという趣向で、確かに覚えがあるようだ。
また水中から火を打ち上げた場面も紹介された。
そして、前回のロンドンオリンピックでの007ジェームス ボンドがエリザベス女王(に扮したスタント)とヘリコプターから飛び降りるという趣向のひと場面は、結構話題になったのではないか。
開幕式の演出はITやCGの発達もあって、どんどん派手になって行く。
アクション映画の推移を観ているような気がしないでもない。
何処までやれば気が済むのか、と尋ねたくもなる。
これまでに色々な場面を観て来たが、私の脳裡に真っ先に浮かんで来るのは、やはり聖火台の横に直立して高く聖火を翳した東京オリンピックでの坂井義則選手の姿だろう。
彼が選ばれたのは誕生日が昭和20年の8月15日だったからだそうだが、そんな末節が無くとも、あの場面は実に感動的だった、と今でも思っている。
最近の開会式には、驚きや笑いや興奮は盛り込まれているかも知れない。
だが感動させられたものには、ついぞお目にかかっていない。
多くのオリンピック委員会が、演出をテレビや映画の専門家に委嘱しているようだが、その所為だろう。
彼らは鬼面人を驚かすことにかけてはプロだ。
人が驚き大喝采するなら、宇宙船だって使うだろうし、人とライオンを戦わせだってするだろう。
某独裁国家の首領様を東京に連れて来ることだって、真剣に検討するのではないか。
だが、彼らにとって一番難しいのは、観客を本気で「感動」させることに違いない。
「感動」させるのが如何に難しいか。
それは様々なスポーツ番組を観ていると良く分かる。
高校野球の「宣誓」などは、そのために散々弄り回されて来た。
「宣誓、我々はスポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」。
戦後長く、「宣誓」はこういう決まり文句だった。
それが何時頃からか、様々な粉飾や脚色がされ始めた。
「今回のような悲惨な大地震に家を失い家族を亡くされた人たちへの…」、とか「我々を支えてくれた家族、先生方、郷土の方々への感謝の気持ちをもって…」、などを付け加えるのが普通になったようだ。
そして、宣誓に選ばれるのは災害にあった地方から選ばれた高校の選手。
大人の頭で考えた、「あざとい」「小賢しい」手法であることは一目瞭然。
夢に見た大会に出て来られた高校生たちの頭は、これからの試合で一杯のはずだ。
人のことを考えて悪いはずはないが、そんな余裕があるとしたらむしろ不気味だ。
それもこれも全て、「感動させよう」と画策する大人の浅智慧ゆえだろう。
スポーツの「感動」はそのプレーからしか生まれはしない。
日本ではプロでもアマでも「応援お願いします」と言うが、応援はせがむものではなく、自然と生まれるものだ。
ああいう台詞を聞いていると、それこそ「さぶっ」と言いたくもなる。
東京オリンピックの追加種目が全てOKになったそうだ。
「野球、ソフトボール」、「サーフィン」、「ローラスポーツ(スケートーボード)」、「空手」、「スポーツクライミング」という顔触れは、1回か精々2回目で消え去りそうなものばかり。
規模縮小を謳っているオリンピック委員会が何故こんな種目を追加させたのか、謎に近い。
まあ裏取引の存在が疑われても仕方がないだろう。
中でも「野球、ソフトボール」は、東京以降ほとんど種目として残る可能性は無いと言われる。
理由は簡単で、野球大国アメリカが主力選手を参加させる意思が無いからだそうだ。
ご丁寧にメジャーリーグは、既に「選手を出すことはない」という声明まで出している。
それでもなんでも東京では野球をやりたい、という理由は何だろうか。
アジアの一部とアメリカの一部以外に、野球をやる国はほとんど皆無に近い。
そして中心たるアメリカ人は、「野球」のオリンピック参加にほとんど関心がない。
それはバスケットボールでも同様だし、ナンバーワンと言われる「アメリカンフットボール」のオリンピック参加などとは、言う人もいないし論議さえされたことがない。
要するに、国内だけでプレーされるスポーツがあることに、何の不満も疑問もないということだろう。
日本のように、「相撲をオリンピックに」などという意見が生まれる余地はない。
その国の土壌や国民性が生んだスポーツは、参加したい国があれば受け入れるが無理に増やさないし、勿論オリンピックに参加を要請することもあり得ない、という考え方が当然あって良いはずだ。
とは言え、その無理を承知で押し込まれたリンピック種目は少なくない。
今までの経緯を考えれば、その理由の多くは関係諸国の暗黙の合意としか思われない。
日本の野球関係者は、野球の将来をどう展望しているのだろうか。
テレビの視聴率は右肩下がり。
収支が合っているチームは30%に満たない。
ほとんどは、損を「広告料」名目で落としているらしい。
だから野球の質よりも何よりも「観客数」が最大の問題なのだ。
客を集めるために、人気のある女子タレントに始球式で投げさせる。
暴投しようが捕手に届かなかろうが、客席がどっと来れば成功だと考えているのだろう。
未経験でも人気選手を監督に据えるのも、今の流行らしい。
采配が下手でも、ファンの人気があればそれで充分ということなのだろう。
そして、本業のペナントレース以外にも、色々と野球で稼ぐ手段を探しているようだ。
WBC(ワールドベースボールクラシック)であったり、オリンピックであったり。
野球のペナントレースそのもので利益を上げることは、諦めたのだろうか。
少なくとも彼らの打つ手打つ手を見る限り、本気は感じられない。
「真剣な良いプレーが客を呼ぶ」、という絶対的な真理は、経営陣の頭からは消え去ってしまった。
その代わりにやったことは、使い物にならなくなった有名メジャーリーガーを連れて来たり、3Aクラスの若手を連れて来たり、韓国や台湾から有望選手を連れて来たり。
そういう選手が活躍して日本選手の記録を破りそうになると、四球を連発して阻止し笑いものになったり。
行き当たりばったりそのものの経営方針が丸見え。
アメリカのドラフト制度やフリーエージェント制度を見習って似たものを拵えたが、肝腎の部分は抜け落ちている。
昨年最下位のチームが真っ先に選手を選ぶ「ウェーバー方式」は最も公平と看做されているが、日本では1位指名は競合すると籤引きという制度に切り替わった。
そして、入団を拒否して浪人したり外国に留学したりする選手も出て来る。
アメリカのように「契約後にトレード」を認めれば、有望選手の貴重な年月を無駄に浪費させることもない。
今考えれば、悪名高い「江川事件」は、その萌芽だったのではないか。
あの時窮余の策として取った方式(江川と小林の交換)をドラフトに取り入れていれば、その後の様々な不快なトラブルは無かったかも知れないではないか。
つまり日本の野球界は、「江川事件」を例外的な規律違反として早く片付けたがったために、千載一遇のチャンスをみすみす逃した、ということのようだ。
「野茂の大リーグ入り」でも、むざむざ有望な選手を無償で送り出している。
智慧者がいたならばトレードに持ち込んで、それ以降のルートを確立出来ただろう。
ビジネス感覚の欠如を疑われても仕方あるまい。
4年後のオリンピックまでに現在の凋落傾向を喰い止められるかどうか、その一点にかかっていると言えそうだ。
たった今、リオの開会式を観終わった。
スタートは相変わらず騒々しい歌と踊りだったが、聖火リレーの最終幕はなかなか巧みだった。
ペレが出られないからそうなったのか、誰もが予想したペレでは面白みが無いと考えたのか、無名でありながら誰もがそのエピソードを知っている「隠れた英雄」を持ち出した演出は見事だったように思う。
2004年のアテネオリンピックのマラソンで、首位を走りながら突如コースに乱入した男に妨害され3位に甘んじたバンデルレイ デリマは、「そう言われれば…」思い出す当時のヒーローだった。
笑顔で3位の銅メダルを翳して、恨めしさを微塵も見せなかった態度は人々を感激させた。
そのデリマも流石に急な階段には難儀したようだったが、高く持った聖火を聖火台に点火した時の拍手歓声は大きかった。
口惜しいが、「感動」という点では一歩先んじられた観が強い。
これで、東京には大きな課題が残されたわけだ。
このデリマに点火に匹敵するか、それ以上の感動を呼ぶ演出が出来るかどうか。
少年少女のチイチイパッパなどで、世界の笑いものになることは勘弁して欲しい。
「世界の果ての孤高の国」の矜持を見せた、後々までの語り草になるような瞬間を見せて貰いたいものだ。
100m競争のゴールと、マラソンのゴールと、初日の聖火点火、この3点セットに尽きる、と私は思う。
オリンピックは所詮そのためにある、と言ったら暴論だろうか?
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