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「還暦スイマー」は、このところまめにプールに通っている。
昨日で5日連続、距離は毎回500程度。
突然頻度が増えたのには事情があって、このアパートに付設されているジムが今月一杯メンバー以外にも解放しているということによる。
解放した理由は、もう少しメンバーを増やさないと経営に支障を来たすということだろう。
昨年もやっていたからあまり効果は無かったようだが、これが一番手軽なプロモーションということだ。
私はフラッシングにあるYMCAのメンバーになっているが、便利さでは此処が一番。
実はそろそろ戻ろうかと考えないでもない。
天気の良い日にはプールの天井を開くから青空が見えるし、何と言っても空いているのが良い。
広い3レーンだが、他のプールなら優に5,6レーン分はありそうだ。
そして、ほとんどの場合、1レーンを一人で独占出来る。
ただ残念なことに、その環境をエンジョイする体力が伴わない。
過去を振り返るのは年寄りの証拠だそうだが、3年前には1500程度は泳いでいた。
だが今では休み休みで5、600がやっと。
150−100−150−100−100、といった具合。
愚痴っても始まらないが、これだけしか泳げないとは想像もしなかった。
ゆっくりで良ければ、1000程度はいけるだろうと自分では考えていた。
「でもね、病気をして久しぶりのプールでそれだけ泳げれば立派なものじゃないですか?」
近況報告をした医師はそう言ったが、あれは一種の医学用語だろう。
「70歳を越えて、ちゃんと水泳が出来るのであれば文句はないでしょう」、位の意味ではないか。
つまり彼らの中にある人間の年齢の基準は、過去の多くの患者と接した経験から作られている。
そしてそれは恐らく、私が自分を判断している物差しとは随分異なっているに違いない。
世界中で交わされている患者と医師の会話のほとんどは、お互いの判断の相違を確認するところから始まる、と言っても過言ではないだろう。
そして患者の半数近い高齢者は自説に拘りがちだから、医師との対話は空回りが多いはずだ。
私はなるべく頑迷にならぬよう自分の考えを説明しているつもりだが、医師からみるともうそれが高齢者にありがちな固陋の始まりであり、時間の無駄遣いに見えるのではないか。
このところ頻繁に数人の医師たちに会っていたから、彼らの会話から滲み出る本音が分って来たようだ。
どの医師も自分の専門分野の容態については熱心に話すが、少しでもそこから離れると口数が減る。
この医師たちは同じ医療グループに属しているのだから、それなりに横の連絡もありコンピューターの画面も共有している間柄なのだが、やはり自分の分野への関心は別物なのだろう。
だから私は、最終的には主治医であるK先生と話さなければならないわけだ。
K先生は、自説に捉われている高齢者をあやしているような心地かも知れないが。
考えてみると、私がこのジムの会員だったのは6,7年前のこと。
3つあるレーンの真ん中を、誰にも邪魔されずに悠々と泳いでいた。
だが、経営上の問題から午前中を他のスポーツクラブに貸し出すことになり、その3時間の間我々会員は締め出されることになってしまった。
止むを得ないことだろうが、やはり面白くはない。
私はメンバーを辞め、時を同じくしてかなりの人が抜けたらしい。
当然ながら経営はさらに悪化しただろう。
苦し紛れに、他から転居して来た住民は強制的にメンバーにする、などというアイデアが真剣に討論され、法的に難しいということで諦めた経緯があったらしい。
それが数年前の話だから、苦しいながらも何とかやり繰りして来たようだ。
このアパートは21階建ての2棟、1棟あたり約500世帯総計1,000世帯が入居している。
1世帯辺り2人弱だろうが、その全員がメンバーになれば経営は成り立つらしい。
だが現実問題として、高齢者世帯にとって一人当たり年1000ドルの負担金は容易ではない。
また、若いカップルが入居してくれば、ジムをたっぷり利用する時間はとてもないだろう。
このジムを最大限に利用しているのは、時間が充分ある5,60代の人たち。
朝から泳ぎ、様々な器具を使ってトレーニングをし、サウナやスチームバスで汗を流す。
利用する時間が限られている現役世代から見れば、不公平感が募るのも無理からぬことだ。
マンハッタンには数多くのスポーツジムがあるが、全てが上手く行っているわけではない。
最大の理由は、会員の利用する時間が集中していること。
朝の7,8時頃と退社時刻の午後5,6時は人で溢れている。
経営が苦しくなると、必ず始まるのが入会金を安くして会員を増やす手法。
今まで500ドルだった入会金が200ドルになれば、入会希望者は増える。
だが、ラッシュアワーの混雑はさらにひどくなり、器具に長蛇の列が出来ることは誰にでもわかるはずだ。
痺れを切らして来なくなる会員は増えるが、それは最早織り込み済み。
こうやってオープンして、暫くして閉鎖に追い込まれたジムは多い。
一種の詐欺と言えないこともないが、それを証明するのは難しいそうだ。
だが真面目にやっていれば、私のアパートのジムのような状態になるのは時間の問題。
この状況が正しいというつもりはないが、と言って解決策は見当たらない。
このまま放っておけば、いずれはジムの閉鎖という自体に陥るしかないのだろう。
さもなければ、このアパート以外からもメンバーを募るということぐらいしか思いつかないが、そのアイデアはかなり以前に討議されて却下されたはずだ。
このアパートが建ったのが30年ほど前だから、その頃はメンバーフィーの負担はそれほどでもなかったのだろう。
「1年中泳げる室内温水プール」は、当時としてはなかなか魅力的に響いただろうと思う。
15年前に私がマンハッタンから移ってきたのも、それが理由のひとつだったのだから。
今日は6日連続で泳いだ。
朝9時に行くと、プールには誰もいない。
ガードの若者がデッキチェアーに坐っているだけだ。
プールがある以上、ガードはいなくてはならない。
極端に言えば、1日中誰も泳がなくてもガードはプールを見張っている義務がある。
ガードは時間給15ドルくらい取るだろうから、10時間開けているプールには150ドルかかる計算。
それで泳ぐ人が4,5人しかいなければ、コスト高でやって行けないことになるだろう。
こういうことでコスト計算するのは可笑しいかも知れないが、どうなのだろう。
例えば都内にある公営プールなどでは、ガード一人につき4,50人のスイマーがいるのではないだろうか。
やはりコスト倒れになっている、と言っても間違いでは無さそうだ。
とは言え、泳いでいる分にはコストは高いほど良い。
開け放たれた天井から見える青い空やゆっくり流れる白い雲、別天地の観があるではないか。
泳げる距離はせいぜい5,600だが、何物にも変え難い5,600だ。
さて何時まで泳ぎ続けられるか、何となく楽しみではないか。
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