還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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煙は薄し 桜島山

「我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」
一度くらいは聞いた覚えのある和歌ではないだろうか。
作者は黒田藩の志士、平野國臣。
今NHKで西郷隆盛を主人公にしたドラマが放映されている。
西郷と言えば、日本の歴史上のヒーローとして必ず名が上がって来る英雄豪傑のひとり。
源義経、織田信長、豊臣秀吉などと並ぶ人気者と言えるだろう。
その悲劇的な最後を考えれば、義経と双璧かも知れない。
だがほんの150年ほど前の実在の人物のわりに、知られている面は少ない。
人気も高く語られることも多いのに、実像は曖昧模糊としたまま。
不思議なことに、彼の写真は1枚も残されていない。
あの時代の維新の志士たちの風貌は、当時海外から持ち込まれたばかりの写真機で写され今日でも多くの人の眼にさらされているのだが、中でも抜きん出て特異な容貌だった西郷だけ皆無なのだ。
写真はないが、彼の肖像画だけは残されており、それを頼りに人々は西郷を偲んでいる。
その肖像画の西郷は巨漢でありまたその黒い大きな双眸は一度見たら忘れられない印象を与える。
そしてその日本人離れした容貌ゆえに、西郷を映画やテレビの画面に登場させることを困難にして来た。
勿論歴史上最大級の英傑だから、しばしば姿をあらわすのだがそれは常に一人の登場人物として。
維新の英雄西郷隆盛と真正面から取り組んだフィルムは、恐らく1本もないだろう。
試みた人がいなかったとは思われない。
だが多くの人が画像化しようと苦労し、果たせないままで今日に至っているということだろう。
彼の肖像画や銅像は数多い。
そしてその何れもが、あの大きな黒い眼を再現出来ずに終わってしまっている。

現在放映されているNHKの大河小説ドラマも、正直に言えば西郷とは似ても似つかない。
熱演している俳優には気の毒だが、噴飯物と言った方が正しいだろう。
始まってしまったのだから中途打ち切りはあり得ないだろうが、この先はどうなるのだろうか。
NHKは歴史物がお好みのようだが、史実と思われていることでも平気で変えてしまう。
原作者の意向で登場人物の性格や異性関係をがらりと変えることは多少は許されるのかも知れないが、あまり極端な場合物語の大筋までもが疑わしくなってしまう。
さらに西郷のように現在と高々150年程度のずれであれば、彼の性格や行動はかなり知られているわけだし、そこまでも脚色してしまうのはどうだろうか。
私の祖父は西郷が西南戦争で熊本を攻めたとき、15歳の少年だったはずだ。
であれば、かなり詳細なところまで知ることが出来たわけで、そういう証人が存在しているとすれば、作者や脚本家、ディレクターの都合で勝手に変えることは許されないのではないか。
日本に限らず、世界の歴史の多くは勝者に都合よく書き直されて来た。
「勝てば官軍」という言葉がそれを如実に示しているが、読まされる大衆とて暗愚ではない。
為政者の行動を正当化して叙述しているようでも、真実を糊塗することは難しい。
とは言っても、修飾されて描かれた権力を巡る争いは勝者に偏ることは、すぐお隣の国を見ても明らかだ。
小さな島国である日本の場合、「隠すより顕わるるはなし」という格言どおり、多くの権力争いの核心は人の口の端に上ることを防ぐことは難しかっただろう。
言ってみれば、日本の歴史は諸外国に較べれば遥かに史実に即していると言えそうだ。

それでも西郷隆盛に関して言えば、今日でも疑問符がついている幾つかの行動がある。
冒頭に紹介した和歌は、黒田藩士平野國臣が詠んだものだが、この歌の大意については諸説がある。
平野国臣は西郷の依頼を受けて幕府に追われる身の僧月照を薩摩まで送り届けた。
当時の薩摩は島津久光が藩主で、先代の斉彬と異なり徳川幕府の顔色を窺っている時期でもあり、西郷は勿論だが、彼が薩摩に匿おうとした月照も甚だ迷惑な存在でしかなかった。
そして薩摩藩は西郷に月照を隣国宮崎へ連れ出し、そこで殺害することを命じる。
自分を頼って来た月照を殺すことが出来ない西郷は、宮崎に向かう小船から月照と抱き合って海中に身を投じ、月照は命を落としたが、同乗していた平野らの懸命の救助もあって西郷は蘇生し奄美大島へ運ばれた。
この心中未遂が、西郷と月照の関係を今に至るまで不可解なものとして研究者を悩ませているらしい。
平野は薩摩藩から国外退去を促され福岡へ戻るが、この和歌はそのとき詠まれたと言われている。
「私の心に燃え盛る尊王攘夷の志の熱さに較べれば、桜島の噴煙は薄ぼんやりとしか見えない」
つまり、平野国臣個人の情熱にも遠く及ばないと言いたかったのだろう。
薩摩藩に失望した平野は、その後も志を同じくする志士たちと交わり、京を中心に活動を続けた。
だが同じ志を持つものの少ない黒田藩出身の平野は、ほとんど単独行動を取らざるを得ない。
彼の最後は京都の六角獄舎で、禁門の変に際して生じた火災を口実に殺害された、という。

平野国臣を知る人は少ないが、彼の残した歌は未だに人口に膾炙している。
多くの人はこの歌を西郷と結び付けて考えているようだが、実際には桜島の噴煙を誇りとしている薩摩藩士たちへの失望を平野は詠んだと解釈する人が多い。
そしてその平野は西郷の命を救った一事で名を残した。
本意であったかどうかは分からないままだが。
しかし、望むと望まぬとに拘わらず、この歌はこの先も桜島とともに人々に語り継がれて行くのだろう。


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