還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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日本の海との再会

ひと頃日本の釣り人口は、ざっと2千万人と言われた。
当時の人口は大体1億人だったから、国民の2割は釣りをしていたという解釈になる。
「ふーん」と聞き流すには、些か数字が厖大過ぎるようだ。
小児は釣り人口には入らないだろうし、女性釣師の数だって男性に較べればぐんと少ないはずだ。
「話半分」というから1千万としても、それでも驚くべき数字と言えそうだ。
だが、この釣りという遊びは実に日本人向きに出来ている。
今でこそ特殊な材質で作られた釣り道具が出現し結構贅沢な趣味になったようだが、それでも安い材料で楽しめる釣りは探せばありそうだ。
私が子供だった昭和20年代、休日に釣りに出かける人は少なからずいた。
安い竿とリールを持ち、釣具屋でゴカイやイソメなどの餌を買い込んで、ひがな一日を海辺で過ごす。
運よく数尾の魚が釣れれば、それは家族の晩飯の食卓を賑わせるだろうし、たとえ「坊主(釣果ゼロのこと)」であっても、健全な1日に感謝するだろう。
つまり当時の釣人は、釣りを楽しみながらも一家の食料を調達するという目的が大きかったわけだ。
異なる目的の釣り人もいたかも知れないが、まずほとんどは食べられる魚を求めて釣り場に向かったのだ。

私が本格的に釣りを始めたのは、20歳を過ぎてからだった。
兄の手ほどきで海岸沿いの岩場や防波堤に竿を出す「磯釣り」にはまり込んだ。
主戦場は神奈川県の三浦半島や静岡の伊豆半島、さらに千葉の房総半島南部辺り。
対象魚は主にクロダイ、メジナなどの磯魚。
勿論釣れれば刺し身で食べられる。
時には、夜の磯から電気ウキを投げ込んでイサキなども釣った覚えがあるし、小型ながらイシダイも手にした。
釣った魚はほとんど家族で食べたし、多過ぎれば知り合いの魚屋に進呈した。
始めの頃は母が肴を捌いていくれていたが、数が増えて来てからは良い顔をしなくなった。
止むを得ず私自身で三枚卸しを覚え、刺し身、焼き魚、煮付けも拵える破目になる。
当時釣り場で出会った釣師のほとんどは、似たようなものだっただろう。
だがその私の釣り人生は、日本を離れて大きく変わってしまった。

先ず、眼前の海が太平洋から大西洋になった。
勿論見た眼はそんなに大きな変化はないが、見えない海底の地形は大いに異なっている。
ニューヨーク周辺の海は長大な砂場が延々と続き、寄って来る魚も砂地に棲む種類が多い。
そこで私は多くのヒラメを釣ったが、これは日本でも砂地で釣れる魚だ。
そして夏場のヒラメ以外でまともな魚は冬場のカレイくらいで、他はほとんど釣れて来ない。
さらに沖に出れば急深の辺りにホンマグロが捕れるが、それはプロの仕事になる。
だから私に釣れるのは、ヒラメとカレイくらいしかいなかった、ということだ。
岩場の多い日本の磯では様々な魚や海洋生物が群れていて、対象魚をその中から釣り上げるには餌や道具もそれに合わせなければならない。
また餌に寄って来る所謂「外道(げどう)−不要魚」をそらすことも大事だ。
多種多様の魚が存在することで、日本の漁法や釣り道具は急成長したらしい。
7,8mもある鮎の友釣り竿もあれば、数十センチのタナゴ竿、数十キロの大魚を狙う磯竿も作られた。
数十年前にはそういう竿はほとんどが竹製であり、太さや長さを組み合わせて繋ぎ、4,5mの竿に仕上げた。
それがガラス繊維プラスチックの開発で強化され、さらに炭素繊維プラスチック(カーボン)が取り入れられて一段と強靭になり、強烈な魚の引きに耐えられるようになって来た。

また竿から送り出される釣り糸を巻くリールの進歩も著しく、以前数百mの深海の魚は職漁師しか釣れないと思われていたし、事実素人では太刀打ち出来ない分野だったがそれも変わって来た。
旧式の釣法では、深海まで釣を下しかかった魚を釣り上げるだけで数十分以上かかってしまう。
その面倒な仕事が電動リールの発明でいとも簡単に解決され、今では素人の釣師でも易々と釣り上げている。
また海面から下の様子を予測するのは勿論容易ではないが、魚群探知機というレーダーの発達で、海底近くにいる魚の群を感知出来るようになり、釣りのみならず網漁でも利用され大いに成果を挙げているようだ。
これだけ漁法が進歩して来ると魚を釣ることはいとも容易に思われるが、そうでもないらしい。
それは海水魚の場合の「潮の流れ」という奴で、潮の変化で魚は餌を喰うことをパタッと止めてしまう。
「上げの七分に下げ三分」と言うが、要するに満潮の少し前と少し後が一番魚の食欲が旺盛な時だそうだ。
日本で釣りに凝っていた頃、私の日課は新聞で潮の干満と海水温を知ることだった。
海水温が下がれば魚の活動は緩慢になり、上がれば活発になるのだそうだ。

私のこういう知識は、3,40年前のものだ。
勿論、この中には定理のように何百年に亘って漁師が金科玉条にして来たものもある。
しかし、魚の行動パターンは常に一定ではないことは自明の理だろう。
彼らが餌としている小魚やプランクトンだって、年々変化しているに違いない。
言ってみれば、彼らは彼らなりに進歩しているだろう、ということだ。
その進歩の上を行かなければ、良い釣果は望めない。
日本人は、長年に亘って漁法の改革に取り組んで来た。
「鮎の友釣り」とか「クロダイの跳ね釣り」などは信じられないほどユニークな釣り方だし、「アオリイカのヤエン釣り」に至ってはその発想には感服するしかない。
この狭い小さな島国で、ありとあらゆる特異な漁法が考案され実用されて来ている。
その原動力になったのは、やはり日本人が好んで水産物を食べるところにあるのだろう。

西欧にも、年月をかけて発達して来た釣りの技法が幾つもある。
日本にもファンが多い「フライ」、という漁法がその代表的なものだ。
飛翔する小さな羽虫に似せた擬餌針を水面すれすれに飛ばし、魚の好奇心を誘う。
その時の天候や水温、時刻に合わせて擬餌を取り替えて魚の本能を刺激し、襲いかからせる。
数は釣れないようだが、その面白さは傍で見ていても伝わって来た。
そして驚いたことに、釣師は釣り上げた魚を両手で抱え、元の水に戻してやるのだ。
「キャッチアンドリリース」というものを実際に見た初めての時。
食べることには関心がなく、ただ魚との駆け引きだけを楽しむゲームと言えよう。
同様に魚を放してやる日本人の釣師も出て来たようだが、それはあくまで少数派だった。
「釣ったら食べる」は、日本人の釣りの根幹にあったと私は思う。
現在淡水魚釣りを楽しむ釣り人には、この「キャッチアンドリリース」を守っている人が多いが、持ち帰る人も決して少なくはないし、釣り場周辺の宿屋や食堂ではその淡水魚の料理を提供しているようだ。
ただ、若い釣師の間では食べずに水に返す方式を守るのが一般的になって来ているという。
そしてこの方式が海釣りでも増えて来ているそうだ。
私にはその良し悪しに判断はつかない。
しかし、一つの流れとして、釣りは魚とのやり取りを楽しむもので飲食のこととは別物、という考え方が新時代の釣師の間に広まっていることは否定出来ないようだ。
また、厨房器具に接する機会がないこともあって、魚を料理出来ない若い人も増えている。
乗り合いの釣り船でも、以前は客が釣った魚を捌いて持ち帰らせるのが当たり前だったが、今では人手が足りずにそういうサービスを止めた船も多いという。
それもまた世の流れであり、止むを得ないことでもあるだろう。

私が日本で釣りをするならば、必ず釣った魚は食べるだろうし、食べられない数は釣らないだろう。
今更新しい技法をマスター出来るとは思われないから、旧態依然の古式釣法で智慧のついた魚たちに挑まなければならないし、軽くあしらわれることも覚悟している。
昔とった杵柄が何処まで通用するか、期待半分不安半分の再デビューになりそうだ。


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