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私が退院し自宅に戻って、暫く経った頃だっただろうか。
Mさんから電話があった。
彼はある意味では同業者であり、商売のライバルであり、時には協力者でもあった。
以前大きな商社の子会社に勤めていたらしく、会話の端々にその会社の名前が出て来る。
ビジネスのスタイルも大会社の方式を踏襲しているようで、全てに大まかだったように思う。
会社そのものはそれほど順調ではなかったようで、10年ほど前に自社をたたみ、同業の大手に雇われていたが、その後も数社を転々としたはずだ。
他社に移ってからも、思い出したように電話があり、誘われて呑みに行ったこともある。
話は決まって会社の上役や同僚の悪口であって、聞かされる私はうんざりして2回に1回は誘いを断っていたのだが、それでも懲りもせず電話がかかって来ていた。
この1、2年は声を聞いていなかったのだが、今回は日本に帰ることにした、という挨拶のようなもの。
何時アメリカに来たのか聞いたこともなかったが、滞米40年近いと聞いて少々驚いた。
こちらで生まれた子供もアメリカ人と結婚して根を下ろしたようだし、夫婦だけで帰国するという。
ニューヨークで知り合った日本人はそれほど多くはないが、それでも2,30人はいただろう。
既に亡くなった人もあれば、他のアメリカの都市に移り住んだ人もいる。
日本に帰国した人もいたはずだが、消息は聞かない。
帰国して再びアメリカに戻って来た夫婦もいるということだが、一度付き合いが途切れるとまた繋ぎ合わせるのはそう簡単ではないらしい。
「日本に帰る」ということは、別に「故郷に錦」というような感覚は無くても、何処か羨ましいものらしい。
私がブラジルで逢った一世二世の日系人は、ほとんどが日本への帰国を望んでいた。
帰国と言っても、故郷を訪問する程度のものだが。
「日本に帰るには、金を貯めなくてはならん」という老人は、
「隣町の男が100万円持って帰って町に寄付した」から、自分はそれ以上を寄付したいのだそうだ。
「石もて追われる如く」とは思わなくても、家族一同が移民船で日本の港を出たときの思いは決して脳裡から消え去ることはない。
纏まった金を町に寄付して、その時の屈辱感を晴らしたい。
そう思い続けている人は、ブラジルの各地にいるのだろう。
そして願いを果たさず、異国の土になった人もまた多いに違いない。
そんな切実な思いは無くても、故郷に帰りたいという人はアメリカにだって少なからずいるはずだ。
だがそれは年々難しくなって来ている。
数十年を生活慣習も風土も異なる外国に生きて来れば、帰国してもそう簡単に溶け込めないだろう。
頭の中では母や兄弟がいる故郷を思い浮かべても、みな相応に年を重ねて老齢になっている。
親しかった幼友達でも、それは同様。
数十年ぶりに帰って来て、その空白期間を埋められるかどうか。
実際に帰国数ヶ月で、アメリカにUターンした家族は珍しくないらしい。
自分が考えていた以上に、生活習慣も思考方法もアメリカナイズされてしまっていたということなのだろう。
全てに慌しい日本スタイルに、我慢出来なくなったという人もいる。
「久しぶりの日本の生活だから、馴染むのが大変じゃないですか?」、と訊ねると、
「いや、昔育った地域に家を借りるつもりですから、兄弟や友人もいますし、そんなに心配していません」
Mさんはそうかも知れないが、東北で生まれ育った奥さんは気苦労が多いだろう。
相変わらずマイペースなんだな、と奥さんが気の毒にも思った。
20年以上前だが、子供2人を含めて家族4人で日本に帰国した人がいた。
子供のピアノも売り払って、東京の郊外に新居を定めたらしいが、3ヶ月で戻って来たそうだ。
家具や車など全て新しいものを買い込んだために、出費はずいぶん嵩んだと聞いた。
ご主人の両親と同居する前提だったが、帰国後数週間で決裂したらしい。
家族や親戚などとの付き合いがほとんど無いアメリカと、事あれば寄り集まる日本式とでは、妥協は難しい。
駐在員は普通5年くらいで一端帰国するが、主婦はアメリカに未練たっぷりのケースが多いという。
夫を説き伏せて、アメリカで他社の現地採用に仕事を替えさせた妻もいるというから面白い。
そのカップルは今でもニューヨークの郊外に住んでいるが、子供たちはアメリカの大学を出てこちらで出会った相手と結婚しているという。
アメリカに根を下ろした例だろう。
「じゃあもう全て整理して、二度と帰って来ない覚悟の上なんですね?」
「いや、そこまでの覚悟ではないんですよ。 息子も娘も西海岸にいますし、ときどきは会いに来るでしょうから、こちらに戻って来るという選択肢も残してはいるんです」
つまり、完全に日本人に戻る決意ではない、ということのようだ。
「じゃあ、永住権はどうするんですか?」
一般的にグリーンカードと呼ぶ「Permanent resident visa (永住外国人ビザ)」は、1年以上アメリカを離れた場合返還させられることになっている。
「それは未だ考慮中なんですが、1,2年は戻って来て税金の納付だけはしておこうと思っているんです」
「逆にアメリカ市民になって帰国するのはどうですか?」
申請してアメリカ市民になれば、日本にずっと住んでいても不都合はない。
「それも考えてはいるんですが、面倒臭いこともありそうで、決め兼ねているんですよ」
依然はそういうやり方で何の問題もなかったが、だんだん世知辛くなって来て、アメリカ市民で日本に住んでいると、預金残高の申請をさせられたり、日本の口座を申告させられたりすることもあるという。
経済大国であるアメリカと日本の2国間ですら、そんな面倒な手続きを要求されるのであれば、開発途上国の国民などは一体どうなるのだろうか。
実際はほとんどの場合アメリカ市民になる道を選ぶことが多いし、国によっては「Dual nationality (二重国籍)」を認めているようだから、大きな問題にはならないかも知れない。
「まあ色々考えていても、そのうちに身体が動かなくなれば、自然に住むところが決まりますよ」
確かに、日本に戻って何もしなければ、自動的に永住権は失効することになっている。
知らずに日本滞在1年半後にアメリカに入国した永住権保持者が、入国審査でカードを取り上げられたという話は幾度か聞いた。
かく言う私も過去40年間、グリーンカードを後生大事に持って歩いている。
「何故市民権を申請しないのか?」、入国審査員にそう訊ねられたことも幾度かあった。
こんなに長くアメリカに住んでいるなら、市民になっても不都合は無い、と考えたのだろう。
私の答は何時も同じ。
「My mother doesn’t want me losing Japanese nationality (私の母は、私が日本人でなくなることを望んでいない)」、これが一番有効で簡単な答えだったようだ。
審査官は、「Oh, I understand well. (良く分ったよ)」、頷きながらそう言った。
その母もいない今、これからはどう答えれば良いか、一応用意した答はあるのだが未だ使っていない。
それは、
「My mother passed away 5 years ago, and her last word was “stay being a Japanese”. (私の母は5年前に死んだが、最後の言葉は “ずっと日本人のままで” だった)」
さて、入国審査官に何と言われるか、聞きたいような聞きたくないような。
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