還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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藤井 清宮 稀勢里

つい1,2週間前は「藤井聡太」フィーバーで、マスコミは大騒ぎだった。
まるで日本中のマスコミが、全員「将棋欄」担当記者になったようにさえ思われた。
記事を読んでも、何処の新聞も「将棋」というものに理解を深めさせたい、という意思は感じられない。
何でも良いから日本中が「藤井4段30連勝」というお題目を唱えましょう、という気配しかない。
一番落ち着いていたのは、15歳になったばかりの藤井4段だったように見えた。
やれ「テレビ番組の司会者に」とか、「各界の有名人との対談を」とか、彼が未だ中学生であることすら忘れて、何でも良いから引っ張り出そうという意欲満々だったメディアは、彼にはほとんど相手にされなかったらしい。
日本のマスメディアの質の下落は、今になって言われたことではないと思う。
だが年を経るごとに、さらに悪くなっていることは、間違いない。
テレビの視聴率争い、新聞の生き残りを賭けた特ダネの奪い合い、政治家同士の権力争いへの関与、過去にはあり得ないと考えられていたことが平然と罷り通っている現在。

藤井騒動が彼の敗戦でひと段落したと思ったら、今度は高校野球の「本塁打数」争い。
早稲田実業高校の1塁手、清宮幸太郎選手が高校3年の現時点で107本を打っているそうだ。
年間何試合を戦うか知れないが、大変な数であることは分る。
だがそれには練習試合やエキジビションも含まれていて、簡単に言えばただ外野席に打球が飛んで行ったということでしかない、と分っている人は冷静に言う。
だがそれではメディアは面白くないし、視聴率も上がらず新聞も売れない。
多くのファンが野球に関しての知識が無いことを利用して、まるでそれが世紀の大記録のように騒ぎ立てる。
可笑しいのは、騒いだ後で「記録とするには無理がある」などと自省めいたことを書いたり述べたりするが、清宮がさらに1本打てば、「高校新記録目前」と煽り立てる方に廻って行く。
昔はそういう煽り記事を書くのはスポーツ専門紙と相場が決まっていて、読む方も割り引いて理解していた。
だが今では、少し前には「Quality paper クオリティペーパー (知的エリートを対象とする質の高い新聞)」を自ら標榜していた大新聞までが、先頭を切って騒ぎ立てているようだ。
テレビでもNHKなどがニュースのトップに藤井4段を取り上げて品格を下げたと思ったら、今度は清宮の本塁打騒ぎをスポーツ紙や夕刊紙と一緒になって大ニュースに仕立て上げている。
やはり政治に生殺与奪を自由にされている現状では、NHKのやれることには自ずから限度がある。
「国営放送」である、とNHKが認めたことはないが、実際はそれ以外のなにものでもない。
世界中を見回しても厳正に中立でいられるメディアはほとんどなく、逆に権力べったりの方が多い。
広告を収入源にするメディアがスポンサーに強く出られないのと同じように、人事権を握られているメディアは権力に批判的であることはほぼ不可能だと言える。
こういう話になると必ず出て来るのが、第二次世界大戦中の日本のマスコミの姿勢だ。
嘘で固めた大本営発表を得々とニュースとして流し、国民の戦意昂揚を謀ったことをよもや忘れたわけではあるまい。
そして敗戦が決まるや否や、態度を180度翻して戦犯探しに血道を上げたことも。
最近のメディアの動向を見ていると、その時代に戻りつつあるのではないか、という危惧さえいだいてしまう。
持ち上げたかと思うと、次の瞬間には容赦ない糾弾の矢が飛んで来るあたりそっくりではないか。

私は、こういう記事を書いたメディアの記者だけを責めようとは思わない。
彼らにしても、こんな内容の文章を書くときは忸怩たる思いを堪えているに違いないのだから。
書いた記者だけではない。
書かれた藤井4段や清宮選手にしても、自分が実際にし遂げたことの真実を知っているだけに、面映い気持ちをこらえて押し寄せて来るメディアの記者のインタビューに答えているのだろう。
藤井4段が30勝を果たせず敗れたとき、メディアの記者たちは何を訊いたのだろうか。
「再び30連勝に挑戦ですね?」、将棋を知るものならそんな台詞は決して出て来ない。
これから自分より経験も戦歴も豊かな高段者相手に、たとえどんなに豊かな才能に恵まれていても、簡単に勝星を挙げられるとは考えてもいないだろう。
藤井がこれから向かって行くのは、将棋の世界で言う「番勝負」である。
つまりタイトル戦の決勝に勝ち残って、選手権者に7番あるいは5番の勝負で勝ち越すことなのだ。
たとえ100連勝してもタイトルは取れないのが、今の将棋界の仕組み。
その頂点に立つ羽生善治、46歳。
タイトル戦では98期を勝利し、他の追随を許さない第一人者。
その羽生にして連勝記録は22止まり。
つまり、連勝記録が作れるのは低段者の多い4,5段クラスにいるときであって、高段者には不可能だろう。
29連勝はそれなりに高く評価される記録だが、将棋連盟の公式サイトでは参考記録程度ではないか。

清宮の本塁打記録になると、マスコミが一方的に騒ぎ立てた記録であって、高校野球連盟では公式の記録にはしていないだろうし、練習試合などが含まれるはずもない。
選抜高校野球の予選で敗れた早稲田実業は、今シーズンを終えた。
清宮は107本の本塁打を放って、記録上は1位なのだそうだ。
だがこれにはおまけがあって、9月に行われるワールドカップの18歳以下のチームに選ばれれば、記録を伸ばす可能性が残されているということだ。
もうこれで、夏の甲子園の後のメディアの狙いは決まったも同然。
恐らく連日のように「108」という数字がスポーツ紙の1面を飾るだろう。

書くことがなくても紙面を埋めなくてはならない、新聞の悲しき宿命のようなもの。
今頃各社では、清宮関連と稀勢里鶴竜の2横綱の引退を追いかける態勢を整えているところではないか。
稀勢里の盛衰はまさに「祇園精舎の鐘の声」さながらだ。
春に2場所連続優勝を果たした辺りでは、まさに孤高の日本人大横綱という扱い。
だが夏場所名古屋場所と連続して途中休場、代わって白鵬が連続優勝を成し遂げたこともあるだろうが、メディアのスタンスが変化し始めたようだ。
現在の関心は、白鵬が日本国籍を取得して自分の部屋を持つかどうかに絞られて来たようで、稀勢里の出処進退に関しては成り行き次第というところのようだ。
確かに稀勢里の2場所連続優勝は偉業ではあるが、白鵬や鶴竜などの上位力士が休場してのことであり、「時期尚早」という声が囁かれていたのも事実。
つまり、稀勢里は未だにライバルともいえる白鵬を撃破しての優勝は果たしていない。
相撲の世界だけでなく勝負事の世界では、「勝負付け」という言葉をしばしば用いるが、これは勝敗の差が大きくなって互角とは言えなくなっていることを言う。
「白鵬―稀勢里」の取り組みは、言って見れば勝負付けが済んでいるということになる。
実際のところ、白鵬に対して五分近い星を残している力士はいないのだが、そこから敢えて勝負を挑める相手を探せば稀勢里くらいしか思い浮かばない、というのが本音だろう。
強過ぎる横綱というのも、ある意味困り者と言えるかも知れない。
関係者やメディアの人たちは、「白鵬に勝てる力士はいない」という本音を隠して他の力士を叱咤激励しているようだが、内心ではお手上げといったところだろう。

藤井4段に関して言えば、そもそも14歳の中学生が大人に混じってプロとして活動することに無理がある。
一体世界の何処に14歳の少年を一人前と遇する組織があるだろう。
相撲だって、前相撲を取るには中学を出ていなくてはならない。
相撲に較べて寿命が圧倒的に長い将棋であれば、18歳からを正式のプロとするというルールを作っても何の不思議もないし、むしろ高校くらい卒業させる意味でも重要なことではないだろうか。
小学校しか行っていない坂田三吉が、天下の八段になったのは100年も昔。
当時の弟子は師匠の家に住み込むケースが多かったが、今ではそういう話は聞かない。
この間からの騒ぎで、こういう疑問が出て来なかったことの方がわたしには不思議だ。
マスコミも連勝記録に自分から夢中になってしまったようだが、やはり冷徹な目で見ていて欲しい。

一人か二人くらいは、この狂想曲の行き着く先を見据えているだろうから…。

本格的な夏になると、私のグリーンマーケット探索も真剣味が増して来る。
ニューヨーク市には結構な数のグリーンマーケットがあるが、中心的存在は東14丁目だろう。
毎週月、水、金、土にオープンし、野菜や果物を中心に、鮮魚や肉、ワインやパンなどを売っている。
1976年に始まったそうだから、丁度私がニューヨークの住人になった時期。
当時は東59丁目に住んでいたから、バスで2番街を下って買い物に出かけた。
価格的にはそれほど安いとは思われなかったが、なんと言っても新鮮さがこたえられない。
未だ草創期だった所為もあるが、集まって来る人の数もそれ程ではなかった記憶がある。
暫くするうちに客数も増え、それに応じて価格も高くなって来た。
市場が立つユニオンスクエアは結構広い公園になっているのだが、その周囲にはスーパーや小売店もある。
当初は反対もあったようだが、集客力を期待したのだろうかそれほど表面化はしなかった。
このグリーンマーケットに参加出来るのは、ニューヨーク、コネチカット、ニュージャージーの3州で生産に従事している業者に限られ、他州の産品を持ち込むことは許されない。
1軒辺りのスペースは規格があるようだが、3つ4つと店舗を拡張する業者も出て来た。
本当に手造りのようなささやかな商品を並べている店もあるが、山ほど商品を並べて客を惹きつける店も出て来たようで、商売の手腕が物を言う傾向が見られるようになった。

静かに始まったグリーンマーケットだったが、新聞やテレビが取り上げるようになって、結構遠くから買い物に来る人たちも増えて、土曜日などは溢れかえる盛況ぶりになる。
「オーガニック」という言葉が出て来たのもこの頃で、商品に「オーガニック」と銘打った店の価格は普通の産品の倍くらいになり、それでも信奉者は争って買い込んだようだ。
私は最初からそんなものは信じていなかったから、今までどおりの野菜や果物を買って食べていた。
たまにオーガニックを買って食べるのも悪くないが、普段は普通の産品を食べているのであればあまり意味がない、と考えたのだ。
それに店がオーガニックと主張しても、それを証明する何ものもない。
言わば、言ったもの勝ちという状態だから、それを信じて高い金を払うか信じないで安いものを買うかの違い。
それでも、今までオーガニックと表示していなかった店が、ある時から突然オーガニックを謳い出すと、如何にも胡散臭くますます買う気がしなくなる。
それでもこのオーガニックの高価格に引っ張られて、マーケットの産品全てが高くなってしまった。
マーケットのある公園と向かい合って「Whole foods ホールフーズ」というオーガニック専門が売り物のスーパーチェーンが開店し、強気の価格帯で客を集め始めた。
この店は色々な面で徹底していて、魚でも「Gillnet ギルネット(刺し網)」で捕獲したものは売らないという経営方針を打ち出し、水産物に知識の薄い購買層を取り込んでいる。
刺し網漁は日本でも一般的だが、仕掛けた網の目よりも小さい魚はすり抜けられるが、大きい魚は首が引っかかって動けなくなるという仕掛け。
それが残酷だということで、欧州でも忌避運動が行われているらしい。
私から言わせれば馬鹿々々しい限りだが、信奉する人がいるのであればそれは罷り通ってしまう。
まあ私にすれば魚が安いに越したことはないから、文句を言い立てるつもりはない。

マーケットの商品価格が高くなって来るに連れて、私が市場を覗く頻度は減って来る。
それでも夏場は、どうしても行かなければならない理由があるのだ。
トマトと茄子の2種類のために。
トマトは幾度か書いた「Heirloom tomato エアルームトマト」という、大量生産が出来ない昔風のトマト。
他のトマトと異なり地面で成熟するので、早めに収穫しなければならない。
冷やしてかぶりつけば懐かしいトマトの味がするのだが、なんと言っても高い。
大量生産品はポンド(450g)あたり1,2ドルだが、このエアルームトマトは5ドル近い。
さらに生産工程上地面に擦れて劣化することも多いので、しっかり見極めなければならない。
トマトの色も数種類あって、普通の赤の他に黄色やオレンジなどがある。
それでも、市場にこのトマトが出て来ると夏の到来を実感出来るようだ。
そしてもうひとつが茄子。
アメリカにも色々な茄子があるが、どれも調理用であって日本風の焼き茄子には向かない。
そしてこの夏の短期間に、他の茄子に混ざって日本風の茄子を売る店が出て来るのだ。

この茄子を見つけるには、結構根気が必要だ。
多くの店にとって茄子は決して主力商品ではない。
だから、うっかりすると見逃すような片隅に置かれていたりする。
さらに、店によっては「日本茄子」などと銘打って粗末な茄子を高値で売って平然としている。
見るからに粗末な茄子だが、「日本茄子」が効いているのか買う人もいるようだ。
私はそんな店は素通りして、様々な野菜を置いている店の片隅を見ながら歩く。
日本茄子は皮とへたが同じ紫色で、イタリア茄子や米茄子はへたが緑色だから分り易い。
1軒の店で奥の隅っこに置かれた箱に、紫一色の茄子が見えた。
近づいてみると間違いなく日本茄子。
しかしいささか育ち過ぎで、ものによっては皮が変色しているものも混じっている。
ここから撰ぶのがひと仕事というわけだ。
大き過ぎず、握って弾力のあるものを選んで行く。
価格を見ると、ポンド当たり2ドル25とある。
先ほどの店では6ドルだったから、非常に良心的と言って良い。
とは言え、そんなに沢山買い込むわけには行かない。
艶のある弾力にも不満のないものを3本選んでレジに向かう。
これで久々に旨い焼き茄子にありつける。
油で焼いて生姜醤油で食っても旨いだろう。
油味噌や味噌汁も旨いのだが、この暑い時期にはちょっと敬遠したい。
茄子を買いトマトを買えばもうこの市場には用はない。

魚を売っている店を覗いてみるが、暑い時期のこととてケースの中でぐったりしているようだ。
まあ3枚におろして鱗も取ってあれば、身が弱るのは当たり前だろう。
こんな草臥れた魚を持って帰ってどうするのだろうか。
鍋にバターを溶かしてソテーにする辺りが精々としか思われない。
価格を見れば、ポンド当たり20ドル以上している。
日本円に換算すればキロ当たり5千円くらいする計算。
売る方も売る方だが、買う方も買う方。
「魚は高い」と言われて久しいが、これでは売れなくなるのが当たり前だ。

私は、茄子とトマトを小脇に抱えて帰路につく。
今晩の主食は茄子で決まり。
日本であれば随分貧しい夕食だろうが、こちらでは結構贅沢な晩飯だ。
処変われば品変わる、という俚諺はこういうことを言うのかも知れない。
茄子ひとつに浮き浮きする男、というのもなかなか珍しいのではないか。

日本に帰ったら、何を見ても浮き浮きするようになってしまうのではないだろうか。
健康状態が旧に復したら、やはり日本に帰らなければなるまい。
リハビリに根性も入ろうというものだ。

私が退院し自宅に戻って、暫く経った頃だっただろうか。
Mさんから電話があった。
彼はある意味では同業者であり、商売のライバルであり、時には協力者でもあった。
以前大きな商社の子会社に勤めていたらしく、会話の端々にその会社の名前が出て来る。
ビジネスのスタイルも大会社の方式を踏襲しているようで、全てに大まかだったように思う。
会社そのものはそれほど順調ではなかったようで、10年ほど前に自社をたたみ、同業の大手に雇われていたが、その後も数社を転々としたはずだ。
他社に移ってからも、思い出したように電話があり、誘われて呑みに行ったこともある。
話は決まって会社の上役や同僚の悪口であって、聞かされる私はうんざりして2回に1回は誘いを断っていたのだが、それでも懲りもせず電話がかかって来ていた。
この1、2年は声を聞いていなかったのだが、今回は日本に帰ることにした、という挨拶のようなもの。
何時アメリカに来たのか聞いたこともなかったが、滞米40年近いと聞いて少々驚いた。
こちらで生まれた子供もアメリカ人と結婚して根を下ろしたようだし、夫婦だけで帰国するという。

ニューヨークで知り合った日本人はそれほど多くはないが、それでも2,30人はいただろう。
既に亡くなった人もあれば、他のアメリカの都市に移り住んだ人もいる。
日本に帰国した人もいたはずだが、消息は聞かない。
帰国して再びアメリカに戻って来た夫婦もいるということだが、一度付き合いが途切れるとまた繋ぎ合わせるのはそう簡単ではないらしい。
「日本に帰る」ということは、別に「故郷に錦」というような感覚は無くても、何処か羨ましいものらしい。
私がブラジルで逢った一世二世の日系人は、ほとんどが日本への帰国を望んでいた。
帰国と言っても、故郷を訪問する程度のものだが。
「日本に帰るには、金を貯めなくてはならん」という老人は、
「隣町の男が100万円持って帰って町に寄付した」から、自分はそれ以上を寄付したいのだそうだ。
「石もて追われる如く」とは思わなくても、家族一同が移民船で日本の港を出たときの思いは決して脳裡から消え去ることはない。
纏まった金を町に寄付して、その時の屈辱感を晴らしたい。
そう思い続けている人は、ブラジルの各地にいるのだろう。
そして願いを果たさず、異国の土になった人もまた多いに違いない。
そんな切実な思いは無くても、故郷に帰りたいという人はアメリカにだって少なからずいるはずだ。
だがそれは年々難しくなって来ている。

数十年を生活慣習も風土も異なる外国に生きて来れば、帰国してもそう簡単に溶け込めないだろう。
頭の中では母や兄弟がいる故郷を思い浮かべても、みな相応に年を重ねて老齢になっている。
親しかった幼友達でも、それは同様。
数十年ぶりに帰って来て、その空白期間を埋められるかどうか。
実際に帰国数ヶ月で、アメリカにUターンした家族は珍しくないらしい。
自分が考えていた以上に、生活習慣も思考方法もアメリカナイズされてしまっていたということなのだろう。
全てに慌しい日本スタイルに、我慢出来なくなったという人もいる。

「久しぶりの日本の生活だから、馴染むのが大変じゃないですか?」、と訊ねると、
「いや、昔育った地域に家を借りるつもりですから、兄弟や友人もいますし、そんなに心配していません」
Mさんはそうかも知れないが、東北で生まれ育った奥さんは気苦労が多いだろう。
相変わらずマイペースなんだな、と奥さんが気の毒にも思った。

20年以上前だが、子供2人を含めて家族4人で日本に帰国した人がいた。
子供のピアノも売り払って、東京の郊外に新居を定めたらしいが、3ヶ月で戻って来たそうだ。
家具や車など全て新しいものを買い込んだために、出費はずいぶん嵩んだと聞いた。
ご主人の両親と同居する前提だったが、帰国後数週間で決裂したらしい。
家族や親戚などとの付き合いがほとんど無いアメリカと、事あれば寄り集まる日本式とでは、妥協は難しい。
駐在員は普通5年くらいで一端帰国するが、主婦はアメリカに未練たっぷりのケースが多いという。
夫を説き伏せて、アメリカで他社の現地採用に仕事を替えさせた妻もいるというから面白い。
そのカップルは今でもニューヨークの郊外に住んでいるが、子供たちはアメリカの大学を出てこちらで出会った相手と結婚しているという。
アメリカに根を下ろした例だろう。

「じゃあもう全て整理して、二度と帰って来ない覚悟の上なんですね?」
「いや、そこまでの覚悟ではないんですよ。 息子も娘も西海岸にいますし、ときどきは会いに来るでしょうから、こちらに戻って来るという選択肢も残してはいるんです」
つまり、完全に日本人に戻る決意ではない、ということのようだ。
「じゃあ、永住権はどうするんですか?」
一般的にグリーンカードと呼ぶ「Permanent resident visa (永住外国人ビザ)」は、1年以上アメリカを離れた場合返還させられることになっている。
「それは未だ考慮中なんですが、1,2年は戻って来て税金の納付だけはしておこうと思っているんです」
「逆にアメリカ市民になって帰国するのはどうですか?」
申請してアメリカ市民になれば、日本にずっと住んでいても不都合はない。
「それも考えてはいるんですが、面倒臭いこともありそうで、決め兼ねているんですよ」
依然はそういうやり方で何の問題もなかったが、だんだん世知辛くなって来て、アメリカ市民で日本に住んでいると、預金残高の申請をさせられたり、日本の口座を申告させられたりすることもあるという。
経済大国であるアメリカと日本の2国間ですら、そんな面倒な手続きを要求されるのであれば、開発途上国の国民などは一体どうなるのだろうか。
実際はほとんどの場合アメリカ市民になる道を選ぶことが多いし、国によっては「Dual nationality (二重国籍)」を認めているようだから、大きな問題にはならないかも知れない。

「まあ色々考えていても、そのうちに身体が動かなくなれば、自然に住むところが決まりますよ」
確かに、日本に戻って何もしなければ、自動的に永住権は失効することになっている。
知らずに日本滞在1年半後にアメリカに入国した永住権保持者が、入国審査でカードを取り上げられたという話は幾度か聞いた。
かく言う私も過去40年間、グリーンカードを後生大事に持って歩いている。
「何故市民権を申請しないのか?」、入国審査員にそう訊ねられたことも幾度かあった。
こんなに長くアメリカに住んでいるなら、市民になっても不都合は無い、と考えたのだろう。
私の答は何時も同じ。
「My mother doesn’t want me losing Japanese nationality (私の母は、私が日本人でなくなることを望んでいない)」、これが一番有効で簡単な答えだったようだ。
審査官は、「Oh, I understand well. (良く分ったよ)」、頷きながらそう言った。
その母もいない今、これからはどう答えれば良いか、一応用意した答はあるのだが未だ使っていない。
それは、
「My mother passed away 5 years ago, and her last word was “stay being a Japanese”. (私の母は5年前に死んだが、最後の言葉は “ずっと日本人のままで” だった)」

さて、入国審査官に何と言われるか、聞きたいような聞きたくないような。

「水泳」という競技

ブログの題名に使っているように、私は「Swimmer スイマー(泳者)」を称している。
どの程度のレベルとかどういう実績を持っているとか、は問題ではない。
短期間であっても、一応本気で水泳に取り組んだということで充分だ、と考えている。
水泳選手の聖地とも言える「神宮プール」でレースに出たことは、高校球児が甲子園に行くことと同じようなものではないか(随分違うか)。
確かに普段は大した距離も泳がないし、何かと言えば練習を回避するメンバーもいたが、泳ぐことが好きだった連中が集まって練習していた、ということは間違いない。
練習は1,2年生だけで、スケジュールも選手が決めるのだから、ちゃんとした練習を積み重ねている多くの水泳選手には信じられないだろう。
放課後の練習時間は精々2時間程度だから、当然泳ぐ距離も限られて来る道理。
他校には知られたくない程度の量だが、我々としては盛沢山のつもりだから可笑しい。
それでも帰宅して食事を済ませると、直ぐに眠気に襲われるくらいの疲労度はあるようだ。
逆に考えれば、その程度の運動量が丁度良いレベルだったとも言える。
つまり1日2万mなどという距離は、我々の想像を超えていたということだ。
800mくらいのウォーミングアップで始まり、100mを4本か6本、50mを8〜10本、ビート(足だけ)で400m程度、最後に2000m程度のロング(と称する)とアップの2,300m。
こう書いていても、実は正確な数字は最早思い出せない。
毎年帰国した時に水泳部の同期の連中に会うが、誰も憶えていないだろう。
その集まりにはアメリカンフットボール部や陸上部のOBも加わっているから、水泳が話題になることはほとんどないし、第一学生時代のことが語られることもない。
体調の話、病気の話が飛び交っての数時間、と形容した方が間違いない。

その折に出た話だったかどうかあまり自信は無いが、水泳で怪我人が出たことはほとんど無い、という話題になったことがある。
今考えても、確かに練習中の骨折捻挫などを見たことがないし、水泳につき物のような「こむら返り」だって練習中に不具合を訴えた者はいなかったように思う。
水泳の試合をテレビで観ていても、選手に怪我人が出たような話は聞いた記憶もない。
そう考えていくと、水泳というスポーツは怪我や故障とは無縁な競技に思われて来る。
実は私は、水泳で軽い怪我をした記憶がある。
未だ小学校の頃、憶えたての飛込みをプールサイドから試みて頭をプールの底で打った。
痛かったことは覚えているが、血が流れるまでは行かなかったはずだ。
そういう間抜けな例はあり得るが、それ以上の深刻な外傷は聞いたことがない。
ほとんどのスポーツが怪我と背中合わせで、ひとつ間違えば重大な損傷を生むこともあり得ることを思えば、水泳はある意味奇跡的なスポーツかも知れない。
勿論、これは決して水泳の優位性を言うものではないしこのスポーツを強く奨めるわけでもないが、多くのスポーツが世界中で行われて来て、その結果身体を損なった選手も数多いことを考えると、ちょっと不思議な気がしないでもない。
考えてみれば、水泳だけは水の中で行うスポーツだ。
誰とも肉体的接触は無いし、勿論暴力的な場面もあり得ない。
コースロープで分けられた状況のもと、簡単に言えば自分の領域を泳ぐだけ。
隣のコースを泳ぐ強豪は、往きか還りに目にすることはあるが、それだけのこと。
抜かれそうな場面でも、相手を捉まえるわけには行かない。
言ってみれば、オリンピック種目の中でも一際目立っているはずだ。
欲しいだけの金メダルを攫って行ったマイケル フェルプスでも、自分の参加している種目の優位性にどれだけ気づいているのだろうか。
勿論、トラックで競う5000mや10000mレースでも、肉体的接触が頻繁に起こるわけではない。
ただ競り合う場面では、転倒や追突などは避け難いこともあるようだ。
1984年のロスアンゼルスオリンピックの女子3000m決勝で、優勝候補だったイギリスのゾーラ バッドとアメリカのメアリー デッカーが接触し、デッカーが転倒して棄権する結果となった。
これ以前のゾーラ バッドは南アフリカ国籍であり、アパルトヘイト(人種差別)政策を理由にオリンピックからは締め出されていたのだが、寸前にイギリスに国籍を移して出場して来た。
それもあって、観客から非難の声が上がっていたところにこの接触事故があったために、トップグループを走る彼女に観客席からのブーイングが相次ぎ、バッドも意欲を失ったか後退して7位に終わる。
オリンピックで接触事故は幾つか起こっているはずだが、様々な観点から記憶に残るトラブルと言えそうだ。
勿論サッカーやバスケットボールなどの団体球技では、反則すれすれのラフプレーも珍しくなく、小さな怪我などはそれこそ日常茶飯事と言えるほど。
それだけに、事故がほとんど無い水泳競技が目立つことになるわけだ。

「Physical contact フィジカルコンタクト(肉体的接触)」が多いスポーツは、人気を集めやすい。
オリンピック種目ではないが、アメリカンフットボールなどはそのスリルが人気の最大の理由だろう。
危険であればあるほど注目度は高くなる。
それはあまり良い傾向だとは思われないが、世の中はそういうものだと考えるしかない。
過去、幾つか危険度の高いスポーツが生まれ、消えたものもあれば生き残っているものもある。
だが何時の時代でもスリリングな競技は、非難されつつも固定的なファンを持つものだ。
私が子供の頃、プロレスでは常に流血の乱闘が約束されていた。
相手の額に噛みついて、流れる血を見せつけた「吸血鬼」フレッド ブラッシー。
スポーツ夕刊紙の見出しは、「馬場、吸血鬼を病院送り!」とか、「銀髪鬼、復讐宣言」とか、とに角エキセントリックな単語を「これでもか」と言わんばかりに羅列している。
較べれば、水泳はお行儀の良いスポーツと言えそうだ。
競技を終えた選手が、当たり前だが汗ひとつかいていない。
激しい運動のはずだが、息切れで倒れ込みそうになるということもない。
数ある競技の中で、水泳だけが別世界のようでさえある。
怪我の心配もなく、汗もかかず、喉も渇かない。
本当にスポーツなのかどうか。
一人の選手が1回の大会で8個の金メダルを獲得出来るなどと、初期の頃は考えもしなかっただろう。
1日に2つのレースをこなすなどということも、人間業とは思われない。

マイケル フェルプスは少年時代、精神的に注意力散漫、活動性過剰障碍と診断され、それを案じた母が彼を水泳のコーチにつけたという。
それがぴたりと嵌って、あの天才スイマーが誕生したということらしい。
なるほど、世間一般の尺度からみて普通なら、あんな驚異的なスイマーになれるわけがない。
私の泳ぎがこの程度なのも、それなりの理由があったことが分る。

だが注意力散漫と言えば、私もしばしば教師に注意された憶えはあるのだけれど…。

ニューヨークで「寿司」が流行り始めたのは、1990年頃だっただろうか。
寿司専門店が誕生したのが1970年前後だから、揺籃期は20年近かったことになる。
それでも寿司だけを出す専門店があちこちに見られるようになるには、さらに10年以上待つ。
「スシが生の魚だとは知らなかった、食べられないから支払いもしない」
「生魚は食べられないから、このスシを料理して欲しい」
様々な珍問答が交わされたに違いない。

「蕎麦」は、日本レストランが開いた時からメニューには載っていたようだ。
乾麺があれば、一応それらしいものは拵えることが出来るのだろう。
笊に載った蕎麦の食べ方が分らずに、上からそばつゆをかけてテーブルをびしょびしょにした客もいたという。
専門店が出来たのは1990年ごろ。
最初の店は日本の有名店の息子が開いたのだから、はじめから本格的な「蕎麦屋」だった。
ニューヨーク在住の有名人も常連になり、予約するのも難しいほどの繁盛ぶり。
だが日本で新しい店を出すとかで、惜しまれつつ閉店した。
この店の成功を見て蕎麦の専門店も数軒開いたが、残念ながら寿司ほどの隆盛は見ていない。
今でも数軒の専門店があり、それなりの客を集めているが、全体的に質が落ちてしまったようだ。
新しいブームを招いたラーメンに押された、というのが本当のところだろう。
あっさりした蕎麦では、こってりとした味のラーメンには勝てないようだ。
うどんにしてもほとんど同様で、蕎麦の持つ「侘び寂び」の禅味が無い分、集客力も弱い。
7,8年前に「讃岐うどん」の専門店と称する店が開いて、当初は客も集まったが、何時の間にか消えた。

マンハッタンの不動産価格の上昇が影響して、飲食店の商品価格がどうしても高いものになる。
寿司のように日本でも高いものなら客もある程度納得するが、麺類ではそうは高く出来ない。
ラーメンが14,5ドルで、税金とチップを足せば20ドル以上になってしまう。
最早、マンハッタンでテーブルに坐って昼食を摂るのは、高給取りしかいなくなったようだ。
若いサラリーマンなら、一切れ2,3ドルのピザを2枚とソーダ1杯で済ませるしか方法はない。
日本でチェーン化している飯屋がマンハッタンに数軒店を出したが、メニューには最低でも20ドル以上かかる料理ばかり並んでいて、これではエリートビジネスマンクラスしか常連にはなれない。
私も時々食べに行くが、大衆食堂どころかちょっとした贅沢を覚悟の上だ。
だから日本に帰り、新橋辺りのサラリーマン相手の昼飯処に行くと、その旨さ安さに感動してしまう。
ラーメン然り蕎麦然り、国によって事情が異なるとは言え、外食の安さはまさに驚異的だ。
日本に来る観光客が増え続けている理由は、そこら辺にもあるのではないだろうか。
材料の出何処や添加物を云々しなければ、物価が高い日本でも食事だけは心休まる。

日本の食事の安さは特筆ものだが、もうひとつ特筆ものがある。
それは「交通費の高さ」。
今の日本人は「スイカ」とか「パスモ」などという知らぬ間にチャージする「金取りマシーン」に慣れてしまって、いちいち交通費を精査することもないようだが、一度ゆっくり調べたらあまりの高さに目を剥くこと請け合いだ。
マンハッタンの地下鉄やバスは決して奇麗とも乗り心地が良いとも言えないが、安いことは間違いない。
メトロカードという回数券を買えば、$2.75で50kmくらいの距離を行ける。
システムとしては、先ずバスか地下鉄に乗ってどこかで1回の乗換えまで追加料金は発生しない仕組み。
逆に1駅乗って外に出てしまえば、もうそれ以上は乗れない。
だが、ニューヨーク市の端から端までを、$2.75で行くことは不可能ではないことは確かだ。
その点、日本の公共交通機関の料金の高さは世界に冠たるものだ、と私は思う。
地下鉄で事故が起これば、防御システムを設置しろという声が起こり、ホームからの転落防止システムが取り付けられ、メディアは一安心のように報ずる。
だがその工事費を含む諸々の経費を払うのは誰でもない、乗客なのだ。
運賃に上乗せすれば、日本中のホームに転落防止のシャッターをつけられるだろうが、その運賃が幾らになれば良いのか、誰も発言しようとはしない。
防御システムの設置が始まれば、メディアは嬉々として報道する。
だがそれに伴う運賃値上げになると、筆勢が鈍ってしまうようだ。
なんせ日本では、「人命」という錦の御旗があれば誰も反論出来ないことになっている。

交通費に関して言えば、通勤費用を企業が負担するのは日本独特のシステムではなかろうか。
アメリカでは全ては給料に含まれている。
日本では新幹線で通勤しているサラリーマンもいると聞く。
さらに驚くのは、列車の事故や故障で遅れた場合は鉄道会社が証明書を発行し、企業は遅刻にしない。
遅れて働かなければ企業は損をするわけで、それを肩代わりするのは理屈に合わないのではないか。
それとはちょっと事情が異なるが、学校にも遅延証明を出せば遅刻扱いにはしないという決まりがあるらしい。
これもかなり理解に苦しむシステムだろう。
どうもこういうやり方は明治時代の軍隊方式のように見える。
「皆勤賞」とか「無遅刻無欠勤」などが、優秀な社員や学生の証明のように看做された時代。
今でもあるとすれば、余りにも大時代的に過ぎるのではないか。
ひょっとしたら、既にそういう制度は消滅しているかも知れないが。

ニューヨークの寿司は、材料の出所によって価格が変わる。
一番高いのは日本直送のネタを使う店で、次はローカルの魚を上手く織り込んでいる店。
ニューヨーク近辺の魚で統一すれば安いはずだが、それでは品数が少な過ぎる。
今ニューヨークには高級な寿司店が競い合っているのが現状。
200ドル300ドルといった高額な勘定でも、そこそこの客足はあると言われている。
それを当て込んでいるのだろうが、思惑が外れて閉店に至る店も勿論少なくない。
最近目立つのが、マンハッタンではなく郊外に高級店が現れていること。
家賃が低いところで高級店並の料金をチャージ出来るなら、こんな旨い話はない。
我が家の近くにも昼で80ドルくらい取る店がオープンしたが、何時見ても客はいない。
何時までもつか興味深く見ているが、今のところ生き延びているようだ。
勿論私が覗いてみることはない。
同じアパートのM子さんは一度試したそうだ。
「もう2度と行くことはないわね」
旨いものに目が無いM子さんのご主人も、気に入らなかったという。

ニューヨークでは食事は高いが交通費は安い。
日本では外食は様々あって選択肢が多いが、交通費はべら棒に高い。
あちら立てればこちら立たず、ということだろうか。
どちらが良いのか、簡単には決められない。

メシかアシか、考えてみれば随分次元の低いところで迷っているということか。


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