還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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何時頃からか、NHKの「大相撲中継」を結構熱心に観るようになった。
相撲の視聴者は高齢者が多いそうだから、これも老化現象の一つかも知れない。
子供の頃は、「仕切り直し」が退屈で仕方がなかったが、今はあれもなかなか悪くない気がする。
だが回向院でやっていた頃は制限時間が無かったとかで、延々小一時間も仕切り直しを繰り返した取り組みもあったというから、それは流石に御免蒙りたい。
当時は全てがのんびりしていたから、気の短い江戸っ子でも我慢出来たのだろうが。
NHKは朝の4時から同時中継で幕内の全取り組みを放映し、午後の6時頃にはダイジェストを流す。
相撲中継が始まったのは随分前の話になるが、その頃の視聴者はほとんど日本人だったようだ。
だが、今では英語の字幕はあるし、英語の解説もある。
つまり、アメリカでも日本語放送番組を観ている人が増えたのだろう。
家人の友達の家でも、ご主人(アメリカ人)が相撲好きで、早朝の取り組みを毎日録画しているそうだ。
面白いのは力士の好みで、彼は引退前の「朝青龍」が好きだったという。
普段の行状や発言を知る機会が無い所為かも知れないが、純粋に取り組みだけを観ていれば、力士の実力や勝ちっぷりが好きになるということなのだろう。

大相撲がニューヨークで公演したのは1985年だったと思うが、前日にパレードが行われた。
セントラルパークの南側の道を、力士はオープンカーに乗って行進した。
車上の小錦の横に、既に引退した高見山が手を振りながら歩いていたのを憶えている。
ただ、残念ながらそれほどの観衆は集まらなかったようだ。
日本ブームの今なら、はるかに多くの歓声と拍手が聞かれただろう。
マジソンスクエアガーデンで幾十人かの力士が相撲をとって見せたそうだが、あまり受けなかったという。
その20年後にラスベガスで3日制の公演が行われたが、2万5千近い観客が集まったそうだから、それだけ日本や相撲に関する知識や興味が深まっていたのだろう。
日本ブームの今なら、さらに人気を集めるかも知れない。
テレビの画面で見ていると、観客席に外人が結構大勢来ていることに驚く。
どうもツアーに組み込まれていることも影響しているようだ。
相撲のチケットは決して安いものではない。
その上に食事や飲み物を考慮すれば、ちょっとした出費だ。
ヤンキースタジアムに夫婦で子供2人を連れて来て内野席に坐れば、5,6百ドルは飛んで行く。
とても庶民に手が出るものではない。
自宅のソファに坐って、ピザでも齧りながらテレビを見るのが普通のファンだろう。

私は9歳の時、初場所の千秋楽を家族で観に行き、大関吉葉山の全勝優勝を目の当たりにした。
折りしも降り出した雪の中のパレードで、観衆に手を振る吉葉山を間近で見てファンになった。
だが、横綱昇進の祝い酒を吞み過ぎたか、吉葉山は春場所全休。
どころか、それ以後一度の優勝も無く引退という情無い引き際。
彼が引退して開いた部屋が宮城野部屋、今の白鵬の所属する部屋。
横綱で一度も優勝出来なかった力士の系統に繋がる力士が、40回近い優勝回数を誇っている皮肉。
泉下の吉葉山は、苦笑いしているだろうか。

私は60年以上の間相撲を観たり観なかったりしているわけだが、この10歳の頃を除けばそれ程夢中になった記憶はない。
考えてみれば、その頃から多くのスポーツが現れて来た。
プロ野球は既に人気スポーツだったし、中でも巨人の人気は圧倒的だった。
私の小学校のクラスでも大半は巨人ファンであり、贔屓が他チームの場合は肩身が狭かったはずだ。
それでも地方から転向して来た生徒の中には、「中日」や「阪神」のファンがいたし、稀には「広島」や「西鉄」が好きだという奴もいたが、いまいくら考えても「阪急」や「近鉄」を聞いた憶えは無い。
その不人気ぶりは相当なもので、ほとんど優勝が決まったシーズン末などは、観客数が500とか1000と新聞で発表されていた。
後で聞くと、この500や1000もお情で、それ以下の数字はなかったらしい。
もうほとんどの選手はやる気もなくゴロを打っても走るわけでもなく、選手が選手なら観客も観客で、スタンドに携帯ラジオを持ち込んで巨人戦の中継を聞いていたりする。
特にひどかったのがパシフィックリーグで、万年最下位のようなチームがあって、6チーム編成と言っても実際は4チームと考えた方が良いくらいだから、観る興趣も薄れるのは当たり前。
一方、人気球団の巨人と阪神がいるセントラルリーグは観客も集まるし、テレビの放映回数も多い。
恐らく観客数の比較で言えば、セントラルとパシフィックでは4倍近い開きがあっただろう。
と言って、両リーグが智慧を絞って入場者数を増やす策を練ったとは聞いたこともない。
パシフィックは巨人と試合がしたいからインターリーグの試合を提案するし、セントラルは現状維持の方が間違い無いからその案に乗る気配も無い。
もともとこの12球団には親会社があって、子会社である野球チームへの考え方がそれぞれ違う。
野球は毎日報道されるし、広告費と考えれば野球の赤字は吸収出来ると考えている。
人気選手は欲しいが、その給料があまり高いようならトレードに出して安い選手を使った方が良い。
そんな風で、積極的にチームを強くしようとは考えていない。
日本には野球に張り合うようなプロスポーツは相撲以外にはない。
子供の憧れが野球にある間は、現状維持でも心配はないだろう。
まあ、多少ニュアンスは異なっても、そんな風に考えていただろうと思う。
だから、サッカーが現れその他にも若者を惹きつけるスポーツがプロ化して来た今日はまさに想定外。

今小中学生に「好きなスポーツ」のアンケートをとると、1位はサッカーで野球は2位。
そして驚くことに、「バスケットボール」がプロ化して精力的にファンを集めている。
日本人の平均身長を考えれば、バスケットボールはかなり不向きなスポーツだ。
2m以上の選手がごろごろいる、アメリカのプロバスケットボールに太刀打ち出来るはずもない。
アメリカンフットボールにしても同様だ。
だが、日本には日本なりのバスケットボールがあるはずだ、と考えた人がいた。
サイズでは勝てなくても、スピードや技術でアメリカに負けないゲームを作りだせる。
勿論先行きは前途遼遠、まだまだ道半ば以前の状態。
それでも、全力でプレーする選手がいて、それを応援するファンがいればビジネスは成り立つ。
その好例が、イギリスのサッカーだろう。
全国に様々なリーグがあって、チーム総数は100を越えているようだ。
それぞれ異なる組織を作って別々のゲームを行い、それぞれにファンがいて声援を送っている。
多分、1億円を越えるプレーヤーはほとんどいないだろう。
だがそれでも、ファンはしっかり自分のチームを支えている。

イギリスは多少特殊な例としても、世界を見れば様々な事例が存在することが分る。
まあ第一に、日本くらい全てのスポーツを取り入れている国は他に類を見ない。
誰かが持ち込んで来ると直ぐに組織を作り、次いで政治家を枢要な部分に据える。
そうなれば、文科省からの援助金も当てに出来るし、海外試合も容易に組めるだろう。
そういう経緯で出来上がった団体は少なくないと思われる。
と言うより、そういう方式が既にあるから、皆そこに目標を絞っているのではないだろうか。
「おねだり方式」とでも言おうか、それが日本には非常に多いように聞いている。
それをメディアが煽り、様々なストーリーを組み合わせて報道するシステム。

諸悪の根源は何処にやある。
年を取るとそれがうっすらと分かって来るのだが、最早行動力が伴わない。
世の中は、上手く出来ているんだなあ。
しみじみ思う、今日この頃です。

日本は例年よりかなり暑い初夏を迎えているようだが、ニューヨークもそれなりに暑い。
ただ、私が住んでいるところは海岸に近い住宅地なので、海風が吹き抜けることもあって、不快な蒸し暑さからはまぬがれている。
それでも日中から夕方にかけては、屋外でじっとしているわけにはいかない。
木陰で日光を避けるか、室内で扇風機を「弱」にして脚元を吹くか、それも日没までの数時間の辛抱だが。
それでもこのくらい暑くなると、「索麺」が食べたくなる。
実を言えば索麺とつゆさえあれば良いようなものなのだが、それでは栄養が物足りないそうだ。
そこで私は茄子を細長く切って、同じく細く刻んだピーマンと一緒に胡麻油で炒める。
つゆは4,5日前に作り置いた、「煮干と昆布」で取った出汁が冷蔵庫に眠っているのを使う。
市販の「ソーメンつゆ」があるのは知っているが、煮干の頭と腹を取ってラウス昆布と一緒にひと晩水に漬け、煮切り味醂と醤油で拵えた自作のつゆに勝てるものはない、と勝手に思っている。
また日本には葱以外に様々な薬味があるが、こちらは残念ながら数えるほどしかない。
葱の小口切り、おろし生姜、ペースト状にした南高梅、すり胡麻辺りが精々。
茗荷が欲しいところだが、ニューヨークには野生の茗荷は無い。
ひと頃茗荷の根を手に入れて知人の庭に移植したが、古い話で今はどうなったことやら。
これも作り置きの「温泉卵」を割り入れれば、現在ニューヨークで入手出来るベストのつゆが出来る。
勿論手間と材料が用意出来るのなら、搔き揚げや牛蒡の笹掻きなどを添えれば言うことはない。

面白いことに「索麺」という麺は、専門店で食べられるところはほとんど無い。
日本でもごく稀に老舗の蕎麦屋やうどん屋が、ほんの一時期提供するくらい。
だから、「索麺」や「冷麦」は家庭で食べるもの、と何となく考えていた。
だが調べてみると、「索麺」は結構古い歴史もあるし、今でも高級品を作っているメーカーも存在する。
そしてどういうわけか、韓国製の「索麺」がニューヨークのアジア系スーパーには多量に置かれているのだ。
つまり韓国人は、「索麺」を結構食べているということになる。
恐らく日本人の消費量をはるかに上回っているのではないか。
日本製の「索麺」も置いてあるが、価格は倍以上するから買う人は少ないようだ。
私はと言えば、帰国した時に持ち帰った「索麺」を大事に食べ伸ばしている。
勿論無くなれば、韓国製であっても買うことになるだろう。
この「索麺」は夏専門ではなく、冬場に温かいつゆで食べても旨い。
「にゅうめん」と呼ばれているが、温かいつゆとともに啜り込む繊細な「索麺」は、他の麺類では味わえないたおやかさがあり、「ワショク」を知る意味でも外国の人に勧めたいが、彼らが食べられるかどうか。
「蕎麦」のみならず、にゅうめんだって啜り込んだ方が出汁の味わいが深まるに決まっている。
代表的な日本食というと直ぐに「寿司」とか「すき焼」の名前が挙がるが、実際にはもっと根深く日本人の味覚に根づいている食べ物が幾らでもあるような気がしている。
例えば「茶漬」を知らない日本人はいないし、急ぎの軽食に茶漬で間に合わせることは珍しくない。
手早く漬物だけでも良いし、手間をかけた「鯛茶漬」、「穴子茶漬」など贅沢品もある。
だが、飯と茶を同時にかき込む茶漬が外国人に愛されているかどうか、私には疑問だ。
輸出して大きな利益を産むものだけに力を入れるのではなく、目立たないものに払う注意が必要ではないか。

私は「索麺」は大好きだが、「ソーメン流し」というものは好まない。
そもそも食べ物を遊びに使うことが腹立たしい上に、結構な量が食べられずに廃棄されている。
一番下まで来たソーメンは再び上に戻すらしく、直ぐに伸びてしまう。
一体誰が考えついたか知らないが、「早食い競争」と「大食い競争」に並ぶ愚挙だと私は思っている。
「家庭用ソーメン流し器」というものが合羽橋の道具屋に置いてあったが、上から入れれば数秒で下に来るようなもので面白いのだろうか。
あれを買って帰って、アパートで家族が愉しむというのだろうか。
そのうちに、「家庭用回転寿司」が売り出されるだろう。
寿司を揃えるのは難しいから、スーパーで買って来て父親が皿に載せて廻し、母と子供たちが食べる。
何となく寒気がするような光景を想像してしまう。
それで親子の断絶が修復される、なんて考えているわけではないだろうが。

冷たいつゆで食べるのは「索麺」に限らない。
ここ数年、「冷xxx」なる新商品が次々に登場し、今では冷やさないものの方が少ないようでさえある。
食べたこともないが、「冷やしカレー」「冷やしワンタン」「冷やし担々麺」、続々と生まれ淘汰されて行く。
勿論それは日本の四季が為せる技だろう。
若し日本の冬がシベリア並みだったら、「冷やしxxx」は考えもしないのではないだろうか。
多くの食物は、人の住んでいる地域の気候や温度の影響を大きく受けて来た。
東南アジアで「鍋物」は発達しないだろうし、沖縄でも家族が鍋を囲むことは無いのではないか。
四季があり暑さ寒さがあればこそ、多種多様な料理が考案されて来ている。
その結果として、日本人は恐らく世界で一番バラエティに富んだ食生活を送っている人種だろう。

犬や猫は毎日同じドッグフードやキャットフードを与えられて、不満を洩らすことはない。
ペットに色々な餌を与える飼い主がいるらしいが、感情移入が度を越した例のようだ。
昼にカレーを食べて、夕食の食卓にカレーを見て文句を言うのは人間だけだ。
だが2,300年前の日本人は、朝昼とほとんど同じものを食べていた。
朝は飯と味噌汁と香の物、昼は飯とひと品の副菜、夜は飯と別のひと品だけ。
それが明治維新以来たった100年ちょっとで、大きく変わってしまった。
朝はコーヒーとダニッシュ、昼はスパゲッティ、夜はご飯とおかずの2,3品。
勿論翌日になれば、メニューはがらりと変わってしまう。
家庭の夕食が’嫌でコンビニエンスストアーで弁当を買って食べたり、マックのハンバーガーを齧ったり。
簡単に言えば、食事にルールが無くなってしまったということだろう。
考えてみれば、1日3食とか朝昼晩に分けるなどという習慣は根づいて高々数百年、それ以前のルールの無い時代は何千年もあったはずだから、別に嘆く必要はない。
ただ遠く離れたヨーロッパとアジアで、どのようにして1日3食とか食事は朝昼晩というような似た習慣が根づいたのか、不思議なようであり当たり前のようでもある。
そして「索麺」のような食べ物は食事として摂取されたのか、一時の腹ふさぎとして食べられたのか、食べるための手順が面倒臭いことを考え合わせると、少々疑問が残りそうだ。

「索麺」などというとほんの簡便な食べ物のように考えられがちだが、結構手間のかかるものだ。
先ず湯を沸かすための、火を熾さなければならない。
その火で湯を沸かし、索麺を茹でることになる。
暑い夏に狭い木造の家で火を熾せば、家中が熱気に包まれてしまう。
広い屋敷を持ち使用人が沢山いる武士の家であればそれも可能だろうが、庶民には無理な相談。
つまり、庶民は街に出て専門の店で食べるのが唯一の方法だったわけだ。
そして「蕎麦」と「うどん」はちゃんとひとつの店を支える力を持って日本中に根を生やし、「索麺」と「冷麦」はいわばマイナーリーグ扱いに甘んじて今日まで来たわけだ。
と言って、根本から絶やされてしまうほど不人気だったわけでもない。
「冷麦」は多少危なっかしいが、「索麺」は客を集めることはないとは言え、ちゃんと家庭に根づいている。
危なっかしい主婦が多いが、少なくとも「索麺」を茹でて薬味を添えることが出来れば、日本の未来は絶望ではない、と言えるのではないか。
だがコンビニエンスストアーに「直ぐ食べられるソーメン」が並ぶ日も近いような気がする。
茹でて冷水に入れたソーメンとつゆと薬味がセットで売られだしたら、主婦のレパートリーは又ひとつ減る。
そうなれば、ビジネス街の食堂が「ソーメン+小カツ丼」なんかを売り出すだろう。

また、これが案外旨かったりするのが口惜しいところではある。
まあ、最後の一人になっても煮干の頭と腹を取り続けていく覚悟は出来ているが。

どうした、田中?

ニューヨークヤンキースの投手、田中将大の投球がいまひとつピリッとしない。
過去3年、肘や肩に不安を感じさせることはあったが、一応の結果は出していた。
それが今季は好投したかと思えば、次回は滅多打ちに遭うし、その不調をその次にも引き摺っている。
メジャーでは、ヤンキースの田中やドジャースのカーショウのような存在を「Stopper ストッパー」と呼ぶ。
例え先発投手陣が続けて打ち込まれても、それ以上の連敗を許さない存在というような意味。
言うなればチームが全幅の信頼を寄せ、彼が出れば大丈夫と誰もが思う大黒柱。
仮に負けても精々1,2点差で、7回くらいまではもたせられる信頼感がある。
ところが今年の田中は、打ち込まれるのが異常に早い。
5月から6月にかけての5連敗では、5月14日には1回3/2で8点を失い、続く20日は3回で6点を取られて早々とマウンドを降りている。
こういう大量失点は、今までの田中にはあまり見られない現象。
地元の新聞も「彼は最早ヤンキースのエースではない」とか、「7月にトレードに出すべきではないか」などと地元紙らしからぬ論調でエースの乱調を糾弾している。
この不調に関して、私程度の知識ではとても評価を下せない。
日本の球団の代理人として、ヤンキースとの交渉にあたって来た経験を持つHさんにでも聞くしかない。
「はっきり言って、相手チームの研究が田中を上回ったということだろうね」
「田中は4年目で、相手もあらゆる角度から彼の投球を精査して来た成果が出て来たということだろうね」
メジャーでは、選手はビデオルームにコーチと籠り、数時間に亘って明日登板予定の相手の投手を分析する。
時には5,6時間以上もフォームや球種の分析に費やすこともあるという。
その分析は実に微に入り細をうがつものらしい。
細かい癖や些細な表情の変化も見逃すまいとするそうだ。

田中の右腕や肩、肘に違和感がある可能性はすでに囁かれているらしい。
普通レギュラー選手は、身体の何処かに痛みや疲労感があってもそれを洩らすことは少ない。
勿論プレーに支障のあるような場合は、監督やコーチに申し出て専属ドクターの診察を受ける。
そこまで深刻でなければ、何とか自分で克服しようとするものらしい。
故障の程度によってはレギュラーから外されたり、場合によっては「故障者リスト」に登録されて一定期間試合には出場出来なくなるというルールがある。
不動のレギュラーなら体調が戻れば直ぐにチームに復帰出来るが、准レギュラークラスはチャンスを待っている若手の成績次第では自分のポジションを奪われてしまう。
故障を軽く考えてプレーを続け、患部が悪化してしまう例も少なくない。
ボストンレッドソックス時代の松坂大輔は、股関節の故障を押してWBCに日本代表として出場。
レギュラーシーズンに入って故障が表面化し、12試合で4勝6敗に終わり、シーズン終了後チームに謝罪した。
それ以降の3シーズンも松坂らしからぬ成績で、結局期待を裏切ったままで終わった。
若し松坂が違和感に気づいた段階でチームに報告し早めに治療に専念していれば、彼の選手生命はもう少し長かったかも知れないし、一線級の投球が出来たかも知れない。

田中はヤンキース入団以来、シーズンを通して無傷で済んだことはない。
1シーズンは162試合で、5人の先発投手が32〜34試合を受け持って先発するのが普通だ。
だが田中は過去3シーズンで31試合の先発が最高で、1年目に20、2年目は24試合しか投げていない。
さらに、一流投手の証明とも言われるシーズン200投球回も果たせていない。
先発投手は普通中4日で投げるのだが、チームも彼の肘や手首を気遣って休養日を多めに与えている。
言ってみれば、「腫れ物に触る」ような扱いを受けていることになるのだ。
Hさんによれば、ヤンキースの先発投手陣の中でこの特別扱いへの不満も燻っているとか。

ヤンキースは、故ジョージ スタインブレナーが強烈な個性で引っ張って来たチーム。
彼の死後、2人の息子が後を継いだが、チーム全体を掌握していく力は無いようだ。
ニューヨークにいる次男のハル スタインブレナー、監督のジョー ジラルディ、ゼネラルマネージャーのデイブ キャッシュマンに対して、ファームの所在地のフロリダ州タンパには長男のハンク スタインブレナーとマイナーリーグを束ねているグループがいて、この2つのグループの対立は昨日今日のものではない。
特に投手の育成に関してはお互いに譲らないようで、田中はその渦中にいる状況のようだ。
田中の場合、キャッシュマンの強い後押しで獲得したが、高額のポスティングフィーと7年契約154億円に見合った投資だったかどうか、お互いに睨みあい状態。
田中が好投すればニューヨーク勢の意気は揚がるし、打ち込まれればタンパ陣営の舌鋒は鋭くなる。
トレードが制約無しに出来る7月末まで、両者は一歩も譲らないのではないか。
と言っても、今の田中の契約ではトレードも簡単ではない。
3年66ミリオンの契約が来年以降あるのだから、おいそれと手を出すチームはないだろう。
ヤンキースがどうしても田中を出したければ、かなりの譲歩を強いられることになる。
今の状態なら、田中の年俸の半分を引き受けて、若手の野手2,3人と交換という程度ではないか。
だが一応首位争いをしている今のヤンキースなら、エース格の田中を出す選択肢はない。
逆にもう一人先発投手をトレードで獲得して、田中のローテーションを楽にするという考えもあるのではないか。
とは言っても、信頼できる先発投手を易々と出すチームはない。
7月末で交渉出来そうなのは、勝率5割程度の投手だろう。
仮にダルビッシュ程度の投手が獲得出来る状況ならば、ヤンキースは多少の犠牲は厭わないだろう。
若し、テキサスに後半戦の望みがなくなれば、の話だが。

日本ではシーズン中のトレードは滅多に聞かないが、メジャーでは7月末のデッドラインに向けて各チームの首脳陣が鳩首会議を開き、シーズンを諦めるかそれともプレーオフを目指すか、決断の時。
シーズンを諦めたなら高給のスタークラスでもトレード要員。
プレーオフ寸前で競り合っているチームなら、多少の犠牲を払っても戦力を追加したいところ。
仮に今の田中でも、一縷の望みを託すことは出来るのではないか。
肘や肩に致命的な故障が無い限り、彼の実績は充分魅力がある。
ヤンキースにしても、田中に見切りをつけたとすれば、手放す絶好のチャンスだ。
高い給料と危なっかしい右腕を纏めて放出出来る。
勿論、これが大きな賭けであることは充分承知しているはず。
メジャーの魅力は、ゼネラルマネージャーの権限が大きいから、決断が早い。
勝つために必要だと考えれば、時には無謀とも思われるトレードを仕掛ける。
残念ながら、日本の球団ではそれは望むべくもない。
トレードというシステムはちゃんとあるのだが、なぜか「出さずに取りたい」と考えているチームがあるようで、その機能が一向にダイナミックな働きをしてくれない。
メジャーのようにシーズン半ばでのトレードが活発になれば、興趣はずっと増すはずなのだが。
今思えば、100年も前にエースで好打者であるベーブ ルースを同じディビジョンのライバルであるヤンキースにトレードしたボストン レッドソックスは、実に思い切った挑戦をしたものだと思う。
まあ、結果的にボストンはそれから長い低迷期を味わうことになるのだが、その決断は無意味ではない。
ヤンキースへ行ったルースはホームランを連発し、空前の野球ブームを招き寄せた。
ボストンの勇断があってこそのブームと言ったら、気の毒に過ぎるだろうか。

田中は7勝8敗で前半戦を折り返した。
18試合に登板して投球回は102、防御率は5.47となっている。
今年の田中は、本人が希望すればフリーエージェントになる権利を持っていた。
若しエースに相応しい成績を挙げてのことなら、大手を振って権利を行使出来ただろう。
メディアはシーズン前に、30ミリオンの可能性を語っていたが、それは既に消えた。
何とか残りのシーズンで一流投手の数字を並べて見せなければ、来季の予測も立たない。
「立ち直りのきっかけがあれば、もとの田中に戻れることは間違いないだろうね」
Hさんはそれを確信しているし、プレーオフのためにもそれは必須だという。
数十年に亘るヤンキースファンの私としても、是非そうあって欲しいところ。

今シーズンの終盤戦、田中は未だヤンキースのマウンドに立っているかどうか。
日本人ならずとも、気が揉める秋になりそうな気配だ。

酒かタバコか

今回の病気での入院から自宅リハビリまでの4,5週間、実は全くアルコールを口にしなかった。
20歳で吞み始めて50年以上経つが、こんなに長期間酒を遠ざけていたのは初めてだ。
退院して自宅で食事をするようになっても、酒を欲しいと思わない。
自制する気持ちもあったに違いないが、それ以上に呑みたいという気分にならない。
私にとっては一大事なのだが、周囲の人たちはそうは思わないらしい。
「良いタイミングだから、お酒を止めてしまったら?」、とは家人の弁。
「欲しくないなら、ずっと呑まない方が良いんじゃない?」、と姉は言う。
そう言われると、何だかこのまま酒を止めてもどうということはないような気もする。

私は38歳の時にタバコを止めた。
別に固い決意をして禁煙したわけではないが、割り合い簡単だったことは憶えている。
20歳から18年間、1日に2箱として26万本近く吸った計算になるようだ。
吸った本数も本数だが、費やした金額も馬鹿にならない。
止めた当時、1箱は2ドルくらいだったのではないか。
それが今では10ドルを越えており、さらに値上げの可能性はありそうだ。
ざっと計算して、1年間で7,8千ドル以上の出費になる。
過去一体幾らを煙にしたか、考えてみると空恐ろしい。
初めて診察する医師は、必ず幾つかの質問をする。
その中で、「Are you a smoker?(貴方は喫煙者ですか?)」はほとんど真っ先に来る。
「I quit smoking 35 years ago.(タバコは35年前に止めました)」、そう言えば「なかなか偉いではないか」というような素振りでも見せるかと思ったが、そうでもない。
今回の入院中に問診に来た皮膚科の医師も、同じように尋ね、私は同じように答えた。
「あのお医者さん、貴方のところは“Smoker (喫煙者)にマルをつけたわよ」
横で聞いていた家人にそう言われて、過去に一度でも習慣的に喫煙した経験があれば「Smoker(喫煙者)」として扱われることを知って、少々ショックを受けた。
言わば「前科者」という烙印を押されたような気持ち、と言えば正しいだろうか。

タバコとはお別れしたが、酒はそうは行かない。
20歳から延々半世紀以上、量は減りつつあるが切れ目なく呑んでいる。
若い頃はウイスキーなども呑んだが、今ではビールとワイン程度。
血圧が少々高くて降圧剤を常用しているから、これまたうるさく言われている。
この降圧剤は40代後半に、かかりつけの医師の勧めで服用を始めた。
一体アメリカでは医師は患者に薬を呑ませることを躊躇わないようだ。
日本であれば、先ず塩分を減らす、体重を落とす、運動をするなどで、薬無しで済ませようとする。
だが患者はしばしば服用を忘れて、重大な結果を招いたりすることもあり、アメリカでは患者をほとんど信用しない傾向が強い。
私もある日いきなり、「降圧剤を呑みましょう」と言われ、以来20数年毎朝の日課になった。

日本のことは分らないが、アメリカでは医師は患者に必ず禁煙を奨める。
「タバコは吸いますか?」と訊ね、「はい」と答えれば、「止めましょう」と言われるそうだ。
ただどういうわけか、アルコールに関しては寛容のようだ。
今までかかった医師は申し合わせたように、喫煙と飲酒の習慣を質問する。
そして「喫煙」には「止めましょう」と言うが、アルコールの場合それほどきつくは言わない。
「どの程度呑みますか?」と訊かれれば嘘をつくわけには行かないだろう。
「ワインで1,2杯くらいです」、正直に言うが、グラスのサイズには触れない。
「まあそれくらいなら良いでしょうが、時々は呑まない日を作って下さい」
その調子で30年近くを切り抜けて来た。

私の主治医は40年間で2人だけ。
どちらも日本の国立大学の医学部を卒業している。
何故ちゃんとした一流大学の医学部を出て、こちらでさらにアメリカの免許を取得したのか。
訊いてみたい気もするが、訊いてはいけないような気もする。
恐らく良く知られた「学閥」などというものの為せるわざだろう、と思ってはいるが。
最初の医師は高齢で引退し、今の医師を紹介してくれた。
もうかれこれ20年以上になるが、恐らく彼が最後の医師かも知れない。

今回、体調がかなり良くなって来た辺りで、彼に尋ねてみた。
「かなり体調も良くなって来たようですが、アルコールの方はどうでしょう?」
私の経験から言えば、酒が好きな医師は患者に禁酒を強いることはあまりないようだ。
人の話に拠れば、酒を嗜まない女性医師は患者に酒を止めさせる傾向があるという。
まあ考えてみれば、酒などは百害あって一利無しという諺もあるほどだから、止めさせておくのが一番簡単だと考えても不思議はない。
だが、アルコールが人体に及ぼす効果も間違いなくあるそうだから、医師によって異なる考えもあるだろう。
「そうですね、そんなに多くは呑まないんでしょう?」
彼はゴルフが好きで、それ以上にプレーの後の一杯のビールを愛していることは分っている。
「ええ、まあビールの1,2杯かワインの1,2杯程度ですね」
「まあそれくらいなら大丈夫でしょう」
思ったとおりの答が返って来た。
私の計算では、1,2杯のビールと1,2杯のワインなのだが、彼の計算がどうなのかは分らない。
かくして、その晩から私は晩酌に復帰した。
1, 2杯のビールと1,2杯のワイン。

まあ、これが増えて行くことはないだろうし、減ることも…ないだろう、な。

TVドラマや映画の将来

この3月末に入院し2週間を病院生活に、その後も自宅でのリハビリ歩行練習などに明け暮れた。
病院では各ベッドに備え付けのテレビはあったが、日本語放送はもちろん無く、もっぱらABCやNBC、CBSなどの全国ネットの局のニュースを観ていた。
私の感覚では野球は4大スポーツの中でもトップクラスの人気を持ち、ニューヨークにはヤンキースとメッツという人気チームがいることもあって、病院の従業員にもファンがいるだろうと考えていた。
「Baseball? I don’t know anything.. (野球? 何も知らないわ)」
巡回して来る看護婦に訊ねてみると、誰一人としてヤンキースもメッツも知らない。
ではアメリカンフットボールなら、と訊ねてみれば、これも肩をすくめて首を振るばかり。
「What sport do you like? (何のスポーツが好きなんだ?)」、と訊いてみると、
「I love football (サッカーが好きなの)」、半分以上はサッカーという答が返ってくる。
要は、この病院で働いている看護婦や介護員は、ほとんど南米から来ているということらしい。
改めてサッカーの底力を思い知らされたようだ。

退院して久しぶりに我が家で日本語放送を観ると、ニュースで報じるスポーツは主に野球とサッカーばかり。
さらには、本場所が近づく大相撲、「10秒を切るか、切るか」で既に数年経った陸上競技、日本のお家芸とも言うべきマラソンや駅伝、世界的に見ればかなりマイナーな種目が多くなる。
ニューヨークではNHKしか観ることが出来ないから、私自身随分偏った番組を観ていることになるわけだ。
NHKは「不偏不党」を謳っているらしいから、逆に番組の構成がぎくしゃくしたものになりがちのようだ。
どういうわけか、朝7時頃に日本のプロ野球中継を流したかと思えば、見るべきものも無い「日本陸上競技選手権」を長々と放映してみたり、如何にも我々は公正公平と言わんばかり。
さらに目立つのが、所謂「旅番組」の多さ。
経費もかからず、NHKの御威光で何処ででも無理が効く所為か、やれ汽車やれバス、さらには自転車とあまり売れていない俳優や芸人を駆り出して日本の隅々まで行かせる。
その出演者が田舎の人にたまたま遭遇するという筋立てだろうが、彼の周囲にはカメラマンやディレクターが付き従っているはずだから、声を掛けられた人の表情を見れば事前の打ち合わせが見え見え。
昔「のど自慢」という番組で、Mというアナウンサーが田舎の人たちを小馬鹿にしたような喋り方で対応していたが、今の旅番組だって大同小異としか思われない。
背景に見え隠れする地方の風景の美しさに救われているが、それが無ければただの「おちょくり番組」だ。
出演する俳優や芸人も、局側から言われているらしく慣れない敬語を濫発するのだが、普段使い慣れていないからだろうが、馬鹿丁寧過ぎたり、謙譲語と混ざり合ったり、わざとらしさ満載。
アナウンサーの教育に時間をかけているはずのNHKでこれだから、促成栽培で第一線に放り出す民間放送では悲惨なことになっているのだろうと推察する。
そういうチャンネルがHNKの他に5局以上もあるかと思えば、見なくてもうんざりしてしまう。
テレビ放送が始まって高々60年程度でこれだから、この先はどうなってしまうのか。
代理店主導の番組編成を見直す時期が来ている、と思う人がいないのだろうか。
少し健康体になると、こういう不満が頭をもたげて来るところが困り物と言われそうだが。

旅番組だけに不満があるわけではない。
ドラマだって、観るに耐えないものが少なくない。
「日本人は12歳」とは、占領軍司令官マッカーサーの有名な言だが、一説にはNHKも日本人の知能レベルをそのあたりに置いて番組を拵えている、と聞いた覚えがある。
言い換えれば、日本全国の聴取者に愉しんで貰い理解して貰うには、12歳の小学校6年生が理解出来る程度の番組が最適だ、ということらしい。
現在のNHKのドラマがそういう前提で制作されているかどうか、私には分らない。
しかし、観るともなく観る限り、それほど高レベルのものとは思われない。
特に毎朝の15分間に流される半年完結の長編ドラマに関して言えば、全てが似たり寄ったりのものばかり。
主役がうら若い女性のことが多いから、演技力に関しては期待するほうが無理だろう。
そこを埋めるために、舞台で鍛えた中堅俳優で脇を固めるのが定法なのだろうが、それにも限度がある。
朝観た役者が夜の別のドラマに出ていたり、コマーシャル(ニューヨークではコマーシャルが入っている)に顔を見せたり。
もし民放まで観ることが出来たら、1日に同じ俳優を2度3度と見ることになるのではないか。
さらにドラマの下地が漫画だったりすると、底の浅さがはっきりしてしまう。
またアニメのテレビ番組も数多く作られているようで、これもテレビドラマの原作に使われたりするらしい。

私が観ている限りで多いのは「刑事物」「医者物」で、演技力に疑問符がつく若手は先ず刑事物でベテランと共演させて、暫くして主演クラスに抜擢するのが常道らしい。
こういうドラマで観ていて白けるのは、新人の女優があり得ないほど美しい刑事だったり弁護士だったりすること。
地が美しいのだから、無理に化粧しなくても充分のはずだが、共演者などよりはるかに美しく作っている。
その所為か、共演の女優連は地味で野暮ったい見てくれになり、主演の新人だけが際立つ。
俳優は時には美しく逞しく見せ、又時には弱々しくみすぼらしく見せるのが演技であり、それが彼らの仕事。
何時でも格好良く美しくみせるのであれば、演技力は必要ない。
アカデミー賞の授賞式などに参加して来る男優女優たちは、一寸見は何処にでもいる普通の人に見え、カメラがアップで狙えば輝くばかりの笑顔を見せる。
その落差が大きいほど、彼らの演技力は評価されるのではなかろうか。
一方、モデルという職業の人たちは、何処から見ても美しいのが仕事であって、ファッションショーのランウエイを堂々と歩くことが肝要ということのようだ。
だから欧米では、モデル上がりの女優はほとんどいない。
日本ではそれがごっちゃになっていて、「女優、歌手、モデル」という肩書きを一人で背負っているのが'普通。
だからというわけではないが、そのどれをとっても半人前以下がほとんど。

ただ最近、テレビドラマでもある程度年配の俳優を主演に使い始めたようだ。
女性の40代男性の50代は、以前であれば主役の男女の親の役程度だったが、今ではちゃんとした役柄で登場して来ているように見える。
アメリカでは昔のキャサリン ヘップバーンや最近のメリル ストリープのように50代を過ぎても堂々と主役を演じている女優もいるし、ジュリア ロバーツも50歳寸前だが未だ主役から降りるつもりはなさそうだ。
日本でもこのところ40代50代の主役が結構目立っており、キャリアがあるだけ安心して見ていられる。
見てくれと若さだけが取り得の女優では以前のような13週ドラマは勿論、6,7週でももたないだろう。
きちんと演技が出来る役者を使ってファンが集まるようになれば、日本映画にも未来があるのではないか。

アニメと漫画では先行きは心細いばかり、と考えているのは私一人ではないと思うのだが…。


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