還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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髪が伸びて来ると、少々鬱陶しくなる。
4月に退院したが、暫くは何処にも出かけられなかった。
5月の初め頃、我慢し切れなくなって杖を突いてフラッシングの街に出かけた。
最近私が行っている理容店は、大きなスーパーの中にある。
店員も客もほとんど中国人だから、勿論言葉は通じない。
だが中に一人、一応私の希望を理解している男がいた。
と言ってもツーと言えばカーというような間柄ではない。
顔の両側を指差して、「Shortショート(短く) 」と英語で言う。
次いで、頭の方を指して「Little short リトルショート(少し短く)」とこれは2つの単語で済ませる。
彼は頷いてはさみとバリカンを駆使して、私の指示通りのスタイルに仕上げてくれる(はずだ)。
これで本人は私の好みは分ったつもりらしく、私が来ると「ハーイ」と言って、自分の権利を主張する。
(この客は、俺しか分らないやり方が好みなんだ)、とまあそんな雰囲気になり他の店員は誰も寄って来ない。
私の頭など誰がやっても変わりはないのだが、少なくとも彼ならたどたどしい英会話も不要になるのが良い。
そのうちに私は彼の固定客と看做されたらしく、彼が他の客にかかっていれば、私は椅子で待つことになる。
別に他の店員でも良いのだが、彼らにもそれなりの仁義があるようで、私には誰も手を出さない。
何となく、昔のキャバレーの指名制度を思い出す(というほど通ったわけではない)。

ある日、この店の前を通ると、ドアが閉じられていて白い紙が貼られていた。
見ると移転通知で、それも結構遠いところのようだ。
とてもそんなところまで行く気にはなれない。
つまり何処か近くで新しい店を見つけなければならない、ということだ。
ニューヨークに来て41年、この店は私の4件目の理髪店。
一体、私は床屋を変えることは滅多に無い。
それで調髪に携わるのが日本人中国人を問わず、一度行き始めると同じ店の同じ人になる傾向がある。
長かったのはマンハッタンのO君で、彼が店を替わると私も新しい店に行く。
最初は日本人ばかりの店だったのだが、彼はなかなか腕が良いらしくどんどん高級な店に移る。
最後は5番街の「ティファニー」のすぐ近くに引き抜かれ、私もその店に通う破目になった。
客筋はモデルやファッション関係が多いらしく、私などはまさしく場違いだった。
O君は指名が多くなり、予約を取るのも難しくなって、私はその店に行くのを止めた。
最後の頃は、チップ込みで80ドルくらい払っていた覚えがあるが、それでも恐らく一番安い客だっただろう。
モデル風の美女などは、チップの札を入れた小さな袋を5,6個持って配っていた。
私は纏めてO君に渡したから、そういう面倒臭さは経験していない。。
そこを止めてから、フラッシングの中国人経営の店に行き始めた。
ここはチップ込みで30ドルだったか。
ここも移転で姿を消し、私は家人の知り合いの紹介でチップ込み12ドルの今の店に行き始めた。
これくらいの価格になると鋏使用は僅かで、バリカンが多用されるようになる。
私としても、よほど不様な髪型にならない限り我慢してしまう。

「日本からヘアーカットの店が出て来たらしいわよ」
家人に言われて日本字新聞を見ると、日本のヘアーカットサロンがニューヨークに進出した、とある。
すでに日本やアジアで500店をチェーン傘下に持つそうで、料金は20ドルプラスチップだけだと言う。
洗髪や髭剃りも無く、まさにカット専門で勝負するらしい。
店員は全て本部でレッスンを重ね、一人前にしてから客に接するのだそうだ。
読む限りでは、なかなか面白いアイデアのようではある。
なんと言っても「日本ブーム」の時代、「オ.モ.テ.ナ.シ」が売り物の日本人なら、という客もいるだろう。
だが、そう簡単に労働ビザを取得出来るかどうか。
寿司の板前は特殊な専門職と言えるだろうが、ヘアーカットが「アメリカ人の職の分野を荒らさない」としてOKが出るかどうか、トランプ大統領の志向するものとはかなり異なりそうだ。
ミッドタウンにあるその店を覗いて見ると、当たり前の話だが客席3つ程度の小店。
デリやピザショップが並んでいる一角に店を開いているが、少々みすぼらしい。
店に入ると、客の頭をいじっていた2人の女性が同時に「いらっしゃいませ」と声を挙げた。
オープン早々だから日本人を店頭に出しているのだろうが、何時までもそうは行くまい。
ビザが無ければそんなに長く店にいるわけに行かないから、早めに誰かを仕込むことになるだろう。

「どのようにいたしましょうか?」
若い女性が私の首にエプロンを掛けながら訊ねて来た。
「横は短めに、上は少し残して下さい」
中国人の店と同じことを言っているのだが、日本語で話すと何となく信頼感がある。
係りの女性は櫛を当てて、鋏を使い始めた。
見たところ、あまり年期は入っていないようだ。
床屋が使う長い鋏なのだが、それほどスムースというわけには行かない。
まあ、虎刈りにされなければ良しとするか。
流石にオープン早々だから、店内は小奇麗に整理されている。
ボツボツ話を聞いてみると、今年中にニューヨークにあと2軒くらい出店する計画らしい。
確かに数で勝負しなければ、収益を挙げるのは難しそうだ。
だがこの程度の小体な店を見つけるのは、そう簡単ではないだろう。
日本なら小さな店が何処にでもあるが、ニューヨークでは10坪以下の単位は滅多に無い。
それでもこの手のビジネスでは、家賃の占める割合はかなり大きい。
女性のカットも扱うらしいが、パーマや色染めは無いそうだから、利幅の大きいものは出来ないわけだ。

「寿司」から始まり「蕎麦」、「ラーメン」、「アパレル」と、順調に分野を拡大して来たかに見えるが、つまずいて撤退した業種もあるらしい。
またこちらのパートナーと組んで店を開けたが、方向性が異なって手切れしたケースも幾つかあるようだ。
そういう場合、店はほとんどの場合金を多く出したこちらの資本が取ることになってしまう。
そこへ来て、マンハッタンの不動産の値上がりが急で、採算ラインに持って行くには10年以上の賃貸契約が必要だが、店のオーナーはなかなか長期契約に応じない。
まあヘアーカットのような業種は投下資本がそれほど大きくないから、危険性は少ないと言えるかも知れない。
恐らくまだまだ新しい業種がニューヨーク進出を虎視眈々と狙っていることだろう。
「うどんや」も今まで数軒が挑戦して、それほど上手くは行かずに消えた。
「うどん」も「蕎麦」も「ラーメン」の濃い味には勝てない、ということのようだ。
その「ラーメン」店も立ち行かない店が出て来ているらしく、淘汰の時期に入った感がある。
お家騒動中の日本の食堂チェーンも、3軒目までで停滞しているらしい。
「チップ不要」を打ち出したが、それほどの効力は無かったのかも知れない。
一番の問題は回転の悪さだろう。
日本のビジネス街の食堂は昼の4,5回転は当たり前だが、ここでは2回転が精々。
焼き魚定食で20ドル以上かかるのであれば、行ける人は限られている。
端的に言えば、マンハッタンで20ドル以上の昼食を摂れる人の数は知れていて、その客を多くの店で取り合いをしている、という構造になっていると言って良いだろう。
まあ、20ドルのヘアーカットだって、そう多いわけではないと思うが。

日本では今「千円床屋」が繁盛しているらしい。
私も一度試してみたが、別に不満は無かった。
言ってみれば男の髪型なんて、その程度のものなのかも知れない。
ヘアーカットは15分ほどで終わり、店員はクリーナーで首筋に残った毛を吸い取っている。
考えてみると、私の散髪中に誰も客は入って来ていない。
昼前という時間帯もあるが、これでは前途洋洋というわけには行かないかも知れない。
別に私が心配する類のことではないが。

最悪の場合、また中国人の店に行って「ショート」と「リトルショート」を駆使すれば良いだけのことだ。

「百人一首」の命脈

観てはいないのだが、こちらのNHKのプログラムで「ちはやふる…」という題名の映画を放映したようで、他の番組の合間々々にそのPR番組が漏れ聞こえて来た記憶がある。
題名から類推して「小倉百人一首」そのものか、その中の一首かをテーマにして拵えたもののようだ。
良く知られているように「小倉百人一首」は、歌人藤原定家が小倉山の山荘で撰び抜いたことから、他に幾つかある百人一首のなかでも別格とされて長く愛されて来ている。
人口に膾炙しているだけあって様々な場面に登場して来たり、極端なものは落語の題材にもなったりもして、結構世に知られた落とし話となっている。
その落語の題が「ちはやふる」であって、私は初めそれが出て来るのかと思った。
だがどうもそうではなく、少年少女の「かるた大会」を主題に据えた青春ドラマのようでもある。
「百人一首」など若い男女に相手にされはしないだろうと思っていると、意外にもクラブ活動として力を入れている学校もあるとかで、全国大会まであり盛況という。
私もニューヨークに来た当座は同好の士の集まりに誘われて「かるた大会」に参加し、その会も20年以上続いたが、会員の加齢や帰国などで集まりが悪くなり、もうここ数年かるたに触ってもいない。
実際のところ今残っているメンバーは主催のHさんと私だけだから、まあ再開は不可能だろう。

ただ私に不思議なのは、聞いてみると「百人一首」は完全に記憶しているようなかるた巧者でも、その中にある歌に関してはほぼ無知に等しいようなのだ。
確かに何時の時代でも、子供はかるたの「上の句」を憶えて次いで「下の句」を憶える。
ちょっと上級者になれば、「下の句」から「上の句」を間髪入れずに言うことが出来るはずだ。
つまり歌の内容とは無関係に、勝負かるたにはどんどん強くなれることになる。
はっきり言えば、歌の持つ本来の技巧やそして「侘び」や「寂び」とは無縁の世界。
「犬棒かるた」とあまり違わない、ゲーム感覚だけの境地なのだろう。
詠み人が紫式部であろうが清少納言であろうが、ほとんど関心を払うことはないようだ。
それが良いか悪いか、私には判断がつかない。
今までも多くの古式の遊びが変化して子供たちや若者のものになって来た。
公家たちの遊戯であった蹴鞠だって、何時しか子供の遊びに変化したのではないか。
言い換えればそのゲーム性が、今日まで「かるた」という古来の遊びを生き残らせたわけだ。

「小倉百人一首」は、600年間の和歌から選び抜かれた詩歌集である。
最古は600年代初頭の天智天皇から1200年代の順徳天皇まで、万葉、古今、新古今を中心に各階層から満遍なく撰ばれていると聞く。
「600年間に出た詩歌集から良いのを撰ぶのであれば、そんなに難しくはないだろう」
そう考えたとしたら、それこそ素人考え。
撰ばれる歌人は、上は天皇から下は下級貴族まで。
真っ先に出てくるのが「天智天皇」であり、それに続くのがその娘の持統天皇。
撰者の藤原定家は、この二人は最初から決めていたらしい。
ただ掉尾を飾る最後の2首には、悩みぬいたかも知れない。
100首目の順徳天皇と99首目の後鳥羽天皇、共に鎌倉幕府転覆を謀り、それぞれ佐渡島と壱岐の島に流されそこで生涯を終えている。
とは言え、この2人の天皇は撰者である定家と親しく、謂わば弟子筋若しくは歌仲間である。
定家は、幕府にとっては叛逆者とも言うべき2人の天皇の扱いには苦慮したことだろう。
600年の歳月から撰んでいるとは言え、この天皇たちは定家と同時代の人たちである。
我々は単なる歴史の1ページと看做し勝ちだが、その時代ではある意味一大事だったはずだ。
定家は、「百人一首」とは別に「百人秀歌」を編纂しており、その中にこの2人の天皇の歌は無い。
残りの歌はほとんど同じものだから、2人の天皇のために意図的に拵えたことは明らかだ。
恐らくこの歌集の持つ政治的な意味合いを考慮して、公の場に出せるものを別に編集したのだろう。
ただこの「百人秀歌」が発見されたのは1951年ということだから、真偽は未だ不明のまま。

こういう遠い昔の、未だ誰もが天皇は人間だと思っていた時代、天皇やその周囲の人々は今より遥かに人間らしい側面を見せていたようだ。
今の皇室からは想像もつかないが、天皇自ら倒幕の策を練ったり、地方の豪族に助力を求めたり、はたまた在位中の天皇を無理矢理退位させたり、生臭いこと夥しい。
後鳥羽上皇に至っては、3代の天皇の上に上皇として君臨していたそうだから、恐らく権謀術数の限りを尽して権力の維持に努めたことだろう。
しかし最後には力尽きて隠岐の島に流され、その地で崩御することになる。
それでも最高権力者としてのプライドは持ち続けていたらしく、
「我こそは 新島守りよ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け」、という有名な1首を残している。
この後鳥羽上皇は、壇ノ浦の戦いで源氏に攻め立てられ満6歳で入水崩御した81代の安徳天皇の異母弟であるから、うちに秘めた源氏に対する恨みは深かったのだろう。

そのような様々な背景を持つ歴史上の実在人物の歌を組み合わせるのだから、撰歌にかける心配りも尋常一様ではなかったはずだ。
定家にしてみれば、この百人一首の時代の為政者である鎌倉幕府にも最大限の注意を払いながら、己のすでに定まりつつある第一人者としての立場にも気配りを忘れない、難しい舵取りをしていたわけだ。
だから、誰もが世評の高い歌を選ばれているわけではない。
定家本人の歌にしてからが、
「来ぬひとを まつほの浦の 夕なぎに やくやもしほの 身もこがれつつ」
技巧的には評価は高いが、世間にそれほど膾炙しているわけでもない歌を自選している。

定家が「小倉百人一首」を選んで800年余。
恐らく彼が想像もしなかったほど、この「秀歌集」は人々に愛された。
本来は貴族や僧侶のたしなみであり、また男女が詠み交わして己の心を相手に伝える手段でもあった。
それが江戸期には町民や中層階級の口の端にも上るようになったのは、定家の撰に拠る所が大きい。
泉鏡花の小説「金色夜叉」にも、若い男女の交流の手立てとして「百人一首」かるた取りが登場する。
それが今では中高校生から青年男女まで、ゲームとして競い合うように変化して来た。
彼らが歌の内容に興味や関心を持たないとすれば少々残念だが、どんな形であれこの詩歌集が後世に残される道であるなら、それも良しとすべきだろう。

泉下の定家以って瞑すべし、というところだろうか。

思い出せば、私が子供の頃「マラソンニッポン」という言葉を良く聞いた。
戦後の混乱からやっと抜け出した辺りだったと思うが、確かにあちこちでマラソン大会があり毎回ではなくとも日本人選手が優勝を勝ち取ったり、上位を占めたりしていた。
まあ当時は、わざわざ外国から遠征して来るランナーもそれ程はいなかっただろう。
思い出せる名前は、山田敬蔵、広島日出国、広島庫夫、浜村秀雄などの常連だった。
と言ってもスピードは無く粘りに粘ってゴールに雪崩れ込むスタイル、多分レース中の水分補給も無かったろう。
「マラソンニッポン」という掛け声はあったが、オリンピックで金メダルを取った選手はいなかったし、今でも男子ではゼロ。
戦前のベルリンオリンピックで、当時日本国籍だった孫が金メダル、南が銅メダルを獲得していたが、流石に彼らを日本人選手と呼ぶわけには行かなかっただろう。
それでも「跳躍ニッポン」はそれ以前に言われていたらしいし、ベルリンでも三段跳びで金と銀、棒高跳びで銀と銅だから、胸を張る理由は充分あったわけだ。
「マラソンニッポン」という自称は何時頃始まったのか、恐らく戦後だろうが、出所が不明だ。
考えるに、マラソンというレースは忍耐力が一番表に出て来るスポーツで、それが如何にも日本人の持ち味にぴったりだ、と考えてそう名づけたのではないか。
全くもって精も根も尽き果てた風情と必死の形相でゴールに倒れ込んで来る、痩せて小柄なランナーたちを見ると、戦後の日本の象徴のようにさえ見えたことだろう。
そして迎えた1964年の東京大会では、何が何でもマラソンでメーンポールに日の丸を掲げたいという陸上競技関係者の必死の思いに背中を押されて、やっとの思いでゴールに辿り着いたのが円谷幸吉だったわけだ。
私はあのレースを競技場の外の神宮外苑で見ていたが、淡々と表情も変えずに先頭を走るアベベ ビキラと彼に遅れて2位3位争いを演じるヒートリーと円谷は、全く異なるレースを走っているようでさえあった。

それ以降のオリンピックでは、陸上競技連盟のマラソンへの熱の入れようは傍目にも明らかで、全く勝てない他の陸上競技の不甲斐なさをマラソンの一発で吹き飛ばそうと思ったのだろうか。
まあ陸上競技連盟は文部省の予算も一番多く獲得しているのだし、先輩には有名政治家もいるし負けてばかりでは顔が立たないという辺りもあったのだろう。
気持ちは分かっても、勝てないということでは変わりはない。
それでも内部では、出場選手の選択にあれこれと口出ししたり無理押ししたりは相変わらずらしい。

女子マラソンが世界的な競技になり、日本の有力選手がトップレベルにあるらしいことが分った辺りから、またまたオリンピック出場選手枠のやったり取ったりが生まれ、露骨な駆け引きも生まれて来たようだ。
選手は企業の社員でコーチも社員、そして彼らは陸連の指示通りに選手を各レースに出走させる。
陸連はと言えば、スポンサー企業が何より大事だから、ご機嫌を損じないために気を使っているようだ。
オリンピックとか世界選手権の代表選手は、大体古くから伝統のあるレースで決める習慣があるらしい。
アメリカのように一つのレースの1着から3着で決めればすっきりすると思うが、なかなかそうも行かないという。
各マラソンにはそれぞれマスコミが主催か共催でレースを放映しているのだから、変えるのは難しい。
要するに日本のアマチュアスポーツは、すべてがヒモ付きなのだ。
恐らく長い伝統がそういうシステムを作り上げて来たのだろうから、地盤は強固だろう。
まあ時折り、そういう古い体質に不満をぶつける個人指導者や選手もいないわけではない。
だが過去の例では、多くの場合涙を呑まされたはずだ。
地方公務員であってトップランナーでもある某選手に人気が集まるのは、ファンもその裏にある双方の胸の裡を何となく分っているからに違いない。
何とも納得の行かない選手決定に疑問を提示した人もいないわけではないだろうが、ほとんど無力だった。

しかし、私は時々不思議に思うが、これだけ負け続けていて責任を取る人はいないのだろうか。
マラソンだけではなく、陸上競技全般に亘って敗者意識が染み付いているようにさえ見える。
どんなスポーツでも敗戦が続けば指導者は交代するはずだ。
この陸連のような組織なら全員総辞職でも可笑しくないと思うのだが、世間ではそうでもないようだ。
陸連だって職場なのだから、定年までしがみついていたいと考えるのは何の不思議もないが。
だがそういった体質が、選手たちの技術や体力の向上よりも組織そのものの安定化や微温湯的な馴れ合い優先の人事、地方閥学閥による組織の運営、その全てが影響を与えて来たとも考えられる。
そして、スポーツ界最大の組織である陸連が手本であれば、その他の個々の部門は推して知るべしだろう。
実際のところ、こういう組織の組み立てや運営方法などをじっくりみてみれば、明治維新以来の官僚制度や陸海軍のそれに酷似していることにすぐ気づくはずだ。
さらには、その相似形のような組織が学校スポーツをも侵蝕していることにも気づくだろう。
各地の学校で起こる指導者の「体罰」や「いじめ」などは、こういう体質が100年以上引き摺ってきたものだ。
こういう問題が起こる度に、関係者は先ず隠蔽しようとする。
いずれは明るみに出るだろうと考えているから、隠蔽や否定にも力がない。
少しづつ責任が重い人が出て来て、最後は教育委員会の長が恒例の最敬礼をしてお詫びになる。
聞くところに拠れば、この教育長という職は教育者の最後の仕事だそうで、ここを上手く終えるか不手際をするかでそれ以降の老後の生活やひょっとすると叙勲に大きな影響があるらしく、それが隠蔽に走る理由らしい。
そう言えば、県警の本部長なども同様であって、失敗が許されない最終の職場らしい。
つまり日本は今でも、明治維新当時のヒエラルキー(階級制度)そのままだということだろう。
そういう制度に無関係に生きられる時代のはずなのだが、ちゃんと組み込まれてしまっているのが情無い。

「マラソンニッポン」、「水泳ニッポン」、「体操ニッポン」、過去色々なスポーツがその呼び名ゆえの重責に苦しみ、組織の幹部たちは選手を叱咤することが主な任務と考えていたのではないか。
と言って一概にその幹部たちを責めることは出来ない。
彼らだって、同じように能力以上のものを要求されていたに違いないのだ。
連綿と幾十年に亘って引き継がれて来たシステムを盲目的に信じていればこそ、その要求に応えようと思う。
過剰とも思われる指導方法にも、何の疑問も持つこともない。
であればこそ、この十数年各処で体罰や過剰な練習への批判が高まり様々な規制が生まれても、そういう古い体質が簡単に改まらないのだろうと思う。
「又同じことが起こっている」という驚きや疑念は、内部の人から見ればごく当たり前のことかも知れない。

「XXニッポン」という言葉を聞くことは今ではほとんど無い。
恐らくこの呼称には古い時代を想起させるものがあり、人は無意識にそれを避けているのではないだろうか。
そして、それは決して悪いことではない、と私は思う。
スポーツというものは、本来選手自身が自主的に鍛錬し、決して強制されるものではないからだ。
体罰を受けた選手が、「感謝しています」とか「それがあったから今の自分がある」などと言うが、私は信じない。
罰を与えた方も、「素質があるから厳しく接した」と言うだろうが、それだって眉唾ものだ。
学校は名を挙げて多くに生徒を集めるため、コーチは実績を積んでさらに良い待遇を受けるために選手を督励し、選手は盲目的にそれに従うしかない、というのが現実。
まあ100%そうだと言い切れるかどうかには確信が無いが、此処彼処で報道されるトラブルを見聞きすれば、当たらずと言えども遠からずだ、と考える方が間違いなさそうだ。

柔道も、卓球も、体操も、陸上も、全てに勝ちたい、そして科学分野でもノーベル賞をもっと取りたい、どんどん人口が減りつつある国が目指すものは、一体何なのか。
アンケートなどをとると、「平和」と答える人が圧倒的に多い。
そして現実は、その「平和」からもどんどん離れていってしまっている、ように見えるのは私だけだろうか。

まあ私も日本から離れて40年、ピントがずれている可能性は否定しないが…。

「男子 厨房に入らず」は、孟子の言葉だと言われている。
孔子に遅れること200年、紀元前3世紀の中国の儒学者であり、孔子とは「孔孟」と並び称されるそうだ。
私の子供の頃は、「孟母三遷の教え」という言葉で教えられたような気がする。
孟子の母は、孟子の教育環境を重視して、引っ越しても周囲の様子が気に入らなければ直ちに引越し、3回の引越しの後に最適な環境の家を得た、と謂われている。
ただこの孟子が本当に「男子厨房に入るべからず」と言ったかどうかは定かではない。
孟子よりも古い時代、プロの料理人はほとんど男だったはずだから。

私は小学生の頃から「厨房」に出入りしていた。
母がいて姉が2人いたから、料理などを試みていたわけではない。
ただ、腹が減って何か夕食前に口に入れるものはないか、という卑しい目的のため。
だが恐ろしいものでそれが習い慣性(せい)となり、50年60年後にも同様に台所をうろついている。
流石に子供時代とは違い、誰かが拵えたものをつまみ食いするわけではなく、自作のもの。
だが好みが魚介類を主とした日本食だから、食材を何処ででも入手出来るという具合には行かない。
近所にある中華系や韓国系のスーパーで大部分は購えるが、時には日系の店に行くことになる。
ニューヨーク市にはかなりの数の中国人や韓国人が住んでいるという。
正確なところは不明だが、合計すれば50万60万くらいにはなるだろう。
だが日本人は、在留届を出している人は4,5万、届け出無しを入れても精々10万足らず。
とても大きなスーパーを維持できる数ではない。
だから中国系や韓国系は固まって住んで周囲に商店街などが出来るが、日系はお寒い限り。
日本レストランの数だけは多いが、経営者を調べれば日本人は店の数の半分以下だろう。
日系の店は数だけはあるのだが、規模が小さい。
母胎となる日本人の住民が少ないから、周囲のアジア系や日本好きな欧米人が対象らしい。
だから、置かれている商品の種類も極端に少ない。
日本のコンビニエンスストアーとおっつかっつと思えば間違いない。

日本人の居住地域は、割合はっきりと分かれている。
マンハッタンに住んでいるのは学生や独身のビジネスマン、そして高層アパートには余裕のある中高年。
子供がいる駐在員は、北部のウエストチェスターの高級住宅地に多い。
マンハッタンの周辺のクイーンズやブルックリンには腰を落ち着けたレストラン従業員や現地採用社員。
ハドソン川を挟んだ対岸のニュージャージーにもそういう日本人が多い。
それぞれ住む目的や家族状況が異なるから、親しくなることは先ず無い。
駐在員や学生は最終的には帰国するケースが多いから、関心の中心は日本にある。
中国系や韓国系のように、米国市民になろうという人はそれ程多くない。
子供の教育にしても、日本の一流大学に入って一流企業への就職を目指しているようだ。
鎖国こそしていないが、思考方法は当時の日本に似てはいないか。
この時代に、アメリカの大学を出た日本人は日本で就職することはほとんど不可能。
ハーバード、イエールやオックスフォードも問題にならないらしい。
そこにつけ込んで、日本の大学がアメリカに付属高校を拵え、親心を掻き立てる。
何となく順序が逆のような気もするが、現実が証明しているから如何ともし難い。
人口が減れば、この傾向はもっと顕著になるだろう。

話は「厨房」に戻るが、私は4月に退院しても暫く庖丁は握れなかった。
膝が弱っているから何時転ぶか分らないし、庖丁片手に転べば、危ないことこの上ない。
まあそれ以前に、料理すべき材料を買いに行くことが出来ない。
混雑したスーパーで人ごみを掻き分け掻き分け商品を撰ぶなど、芸当のようなもの。
それでも退院後2週間目に、近場のスーパーを覗いてみた。
未だ杖を曳いている時だから、出来るのは品定め程度。
それでも、割り合い奇麗な「バターフィッシュ(えぼだい)」を数枚買って来た。
腹を出して鰓を取り去り、腹から開いて塩水で洗う。
12%の塩水に15分ほど漬け込み、ペーパータオルで水気を拭き取った。
これを日本から持ち帰った円形の、「洗濯物干し籠」に広げて一晩ベランダに吊り下げておく。
朝になると、ほど良く乾いている。
これをオーブントースターで、頭からこんがりと焼き上げる。
軽くレモンを絞り醤油を垂らせば、絶品と呼んで恥じない「えぼだい干物」が出来上がる。
頭から齧れるし、食べた後は背骨と尻尾しか残らない。
時期になれば「ヤリイカの一夜干し」なども出来るし、寒くなれば「Flounder マコガレイの丸干し」も良い。
日系スーパーで売っている「アジの干物」のように、冷凍の工程を経てアメリカに来るものは遠慮したい。

「厨房」に入ることは躊躇しないが、現代の集合住宅には独立した「厨房」は無いのが普通。
ニューヨークの高層アパートなどでは、「排気口」が姿を消して久しい。
この傾向はますます顕著になって行くだろう。
日本でも最近のアパートやマンションには、室内で煮炊きをしないことが前提になりつつあるそうだ。
恐らく、煮炊きを済ませた商品が主流になって行くのではないか。
買って帰って、最後の1分の加熱で完成品になる、というようなシステムが幅を利かせるだろう。
「天下の美食」たる「日本料理」と、こういう超インスタント食品がどう融合するのか。
見てみたいような、見るのが怖いような、気持ちは複雑になるのも無理からぬところ。

まあこれから暫くは、リハビリを兼ねた「厨房仕事」に精を出すことにしよう。

14歳の中学生棋士に、日本中の注目が集まっているようだ。
史上最年少でプロ入りして、そのまま29連勝という新記録樹立。
可能性で言えば、生涯不敗であり続けるかも知れない(まああり得ないだろうが)。
世間の人は、たとえ将棋の指し方を知らなくても、こういう話題には夢中になるらしい。
考えてみれば、多くの勝負事にはこの連勝記録という数字がついて廻る。
古くは横綱双葉山の69連勝が、昭和14年に満都の話題を攫った。
テレビなどない時代、この大一番に人々はNHKのラジオ放送に齧りついただろう。
この69連勝はいまだに破られることなく、もう直ぐ79年目を迎えようとしている。
将棋と並んで多くのファンを持つ囲碁では、奇しくも故坂田栄男の29連勝が未だに命脈を保っている。
また息の長さで言えば、柔道の山下泰裕の203連勝が、ほとんど到達不可能の数字のようだ。
明るい話題が少ないマスコミにとって、この14歳の少年の奇跡的な活躍は救世主に近い。
彼に立ち塞がる対局相手は、気の毒なことに最初から悪役の立場だ。

では日本将棋連盟が彼の活躍を喜んでいるかと言えば、ちょっと首を捻らざるを得ない。
藤井四段はほんの9ヶ月ほど前にC級4段のプロになったばかり。
彼の上には150人近いプロ棋士がいて、7つの大タイトルを目指して凌ぎあっている。
つまり29連勝したと言っても、その相手のほとんどは4段5段程度の低段者ばかり。
例えは良くないが、相撲で言えば三段目か幕下程度のクラス。
ついでに言えば、過去の連勝記録もほとんどが低段位棋士によるものばかりだ。
藤井が並びかけ抜き去った神吉七段だが、彼には28連勝という記録しか残っていない。
将棋ファンは多いが、この棋士の名前を知っている人は少ないだろう。
つまり、将棋に於いては連勝というものはあくまでも記録の上だけで、実際の名誉や収入はタイトル戦で勝ち抜いて上位に上がることでしかついて来ない。
それは当たり前の話で、トップクラスの棋士たちは常に大きなタイトル戦を戦っているわけだから、その7番勝負や5番勝負を全勝するということは先ずあり得ない。
むしろ20連勝以上の顔触れに羽生や丸山などの一線級が混じっていることに驚くしかない。
つまり将棋界の人たちは藤井がいずれは負けるだろうということ、彼が名人戦などのタイトル戦に臨めるのは少なくとも4,5年以上かかることを知っている。
4段が名人戦に挑戦するには、毎年所属するクラスで1位若しくは2位の成績を挙げ、5段6段とひとつづつ上に上がってA級と呼ぶ8段に辿り着くしかないのだ。
史上最強と謳われる羽生善治3冠にしても、8段に上がり名人に挑戦する資格を得たのは23歳。
勿論、藤井が羽生を凌ぐ逸材であれば、それより早くA級8段に駆け上り、名人位をもぎ取るかも知れない。

先日、最後の対局に破れ引退を余儀なくされた加藤一二三9段が18歳でA級8段になったとき、「神武以来の天才」の異名を奉られた。
名人のタイトルはすぐ目の前にあり、彼は将棋界の最高位に直ぐ上り詰める、と思われていた。
だが、その時加藤の前に立ち塞がったのは、大山康晴という当時の第一人者。
同門の兄弟子、升田幸三との角逐を勝ち抜いた大山は、加藤をも降してほとんどのタイトルを総なめにする。
そして、誰もが予想した加藤の時代は遂に訪れなかった。
周囲が天才と認めた加藤にしても、ひと度躓けばその軌跡は大きく逸れてしまう。
大山という巨大な壁にぶち当たって、加藤の将棋人生は大きく変化した。
そして大山に衰えが見え始めた頃、中原という新しい壁が彼に立ちはだかる。
中原から谷川、そして羽生という順に、加藤が我が世の春を謳歌するときは遂に訪れなかった。

将棋を良く知らない人は、4段と9段が対局すれば9段が勝って当然と思いがちだ。
だが、上り坂の若い4段と全盛を過ぎた9段では、既に勢いが異なる。
A級から落ちた9段が、BやC級から再びA級に復帰することは、可能ではあるが不可能に近い。
だから、77歳の加藤がC級2組ではあっても現役で指し続けていたことは、ある意味驚異的と言える。
前述の大山を別にすれば、60代でA級であった棋士は加藤一二三、有吉道夫、花村元司の3人だけ。
A級に留まり続けることが、体力的に精神的に如何に難しいことかが分る。
言い換えれば、28連勝29連勝も大変な記録であるが、トップ棋士の集団にあって少なくとも5割以上の勝率を維持して行くことが、プロ棋士たちの目標であり続けている。

私には、藤井4段という久々に現れた大器が、マスコミの雑音に惑わされず伸びて行くことを期待している。
私の記憶では、中原も谷川も羽生も、周囲が未来の名人と早くから認め、また本人自身がそういう周囲の期待を自然体で受け止めて最高位に駆け上って行ったように思う。
勿論その他にもタイトルを獲得したり、棋戦の上位クラスの常連であったりする棋士たちも少なくない。
ただ藤井のデビューを見ると、ここ数年活躍している若手より数段上の印象が強いように思う。
彼と戦って破れた棋士たちに聞くと、「ミスをしない」という声が圧倒的に多い。
これは羽生や谷川などのデビュー当時に他の棋士が述べた印象と同じであり、「ミスがない」ことは、将棋棋士にとって最大の武器であることは古くから言われている。
奇手新手を編み出してファンを魅了した名棋士は数多いが、そういうタイプは意外と脆いところもある。
逆に過去にひと時代を築いて来た大山、中原、谷川、羽生などの将棋は新味が薄く奇抜でもないが、確実に勝利に辿り着ける安定感に溢れているのではないか。
藤井4段がどちらのタイプに属するのか、今の段階では答えは出ていない。
だが対戦した棋士たちの感想から推測すれば、奇手新手より確実に地歩を固めていくタイプのようだ。
20年以上続いて来た「羽生王朝」の後を継ぐのは藤井4段ではないか、という声も徐々に高くなりそうだ。

ただこの数ヶ月の将棋に対するメディアのスタンスは見るに耐えないと思うのは私一人だろうか。
中でもNHKのはしゃぎ振りは、常軌を逸しているようにさえ見える。
ニュースのトップに中学生棋士の顔が出て来た。
幾度も言うが、将棋に於いて連勝記録はマイナーでしかない。
その理由は前に書いたように、将棋のシステムがそういう風に出来ていないからだ。
名人とか竜王とか、将棋界の最高峰と目されるタイトルは7番勝負で決まる。
その他のタイトルも、ほとんど同じような形式に拵えられている。
その何処にも「連勝」という要素が入り込む余地はない。
過去に幾つかの連勝記録があるが、そのほとんどは低段者が多いB級C級クラスで生まれる。
だから今まで連勝記録が作られても、大きな関心を払う人はいなかった。
あくまでもB級1組からA級に昇り、そこで名人位の挑戦者を決めるリーグ戦を戦うことが目標。
話題に飢えているマスコミが、中学生のプロ棋士が勝ち進んだ連勝記録に飛びついただけなのだ。
某高校の野球選手のホームラン記録にしても、公式ではない練習試合までも含み、球場のサイズなどははなから問題にされていないらしい。
スポーツ専門の夕刊紙のプロレス記事ならまだしも、3大紙と胸を張っていたはずの全国紙まで、この程度の話題に紙面を大きく割いている。
まあ、今では政党の御用紙に成り下がった気配が濃厚だから、記事を書く当人も平気なのだろう。
「プライド」とか「矜持」といった言葉を教えてやりたいが、それこそ「馬耳東風」になりそうだ。

馬に怒られるかも知れないが…。


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