還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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今「パクチー」がブームなのだそうだ。
「パクチー」という呼称は主としてタイレストランで使われるが、それ以外に「コリアンダー(欧米)」、「クラントロ(南米)」、「香菜―シャンツアイ(中国)」、「ペトルーシュカ(ロシア東欧)」など地方によって変化する。
また、タイレストランがこの植物のブームの火付け役のようだが、タイ料理そのものにはこの植物を中心に据えた料理は存在せず、あくまで調味料のひとつと考えられているようだ。
日本ではそこそこの価格で売られているらしいが、東南アジアや南米では一束100円以下が普通で、レストランで要求すれば幾らでも持って来るはずだ。
私がこの植物に初めて接したのは、恐らく40年ほど前の南米滞在時代だと思う。
当時私はエクアドルの首都キトに住んでいたが、時々日本の若者が多く住んでいるグアヤキルという海岸地方に遊びに行っていた。
そこで「セビッチェ」と呼ぶサラダ風の食べ物にお目見えし、その料理の旨さの虜になってしまった。
「セビッチェ」というのは料理の形式であって、その主菜になるのは海老、魚、牡蠣、貝、などがある。
海老は茹でられているが、魚、貝、牡蠣は生で多量にかけるライムの絞り汁に殺菌効果があるようだ。
高級ホテルなどでは食中毒を警戒して海老を使うが、港町の安食堂では牡蠣や貝を生で出す。
薄切りのトマトや玉葱と刻み青唐辛子にライムの絞り汁、オリーブオイルを混ぜ合わせて供するのが一般的。
そしてそこにこの「パクチー」の幾片がアクセントとして力を発揮する。
私はこの港町の貝のセビッチェを初めて食べて旨さに唸り、結局5皿を平らげた。
今思えば、エクアドルの風土病は肝炎であり、中でも海岸地方は罹病率も高かったそうだから、何事もなく帰国出来たのは僥倖という他はない。

私はこのエクアドルからニューヨークに向かい、この地にずっと住んでいるわけだが、ここでもこの「パクチー」は身近にあり、大いに楽しんで来た。
私が住み始めた頃から、既にニューヨークにはそこそこの数のタイレストランがあった。
大資本のバックアップは無かったようで、マンハッタンの端っこに急拵えの安普請の店で営業していた。
彼らはクイーンズ区にある程度固まって住んでおり、そこにはタイ人向けのタイレストランが数軒あったと思う。
アメリカ人が敬遠する辛味の強い味付けは、此処では堂々と罷り通っている。
一体、タイ料理は甘くて辛いのが特徴だが、さらに「生ぬるい」のも彼ら独特のもの。
そして、ほとんどの料理の材料は冷凍か乾物で間に合う点、仕入れが容易ということになる。
毎日生ものを仕入れる「寿司」と比較すれば、そのコストの差異は直ぐ分るだろう。
タイ料理と言えば「パッタイ」と答えるほどこの焼きそばは有名だが、甘くて辛くて酸っぱい味付けは万人向けだったようで、同様に甘くて辛くて酸っぱいスープ「トムヤムクン」と並んで永遠のベストセラー。
当時、「トムヤムクン」は大き目のカップ1杯で2ドルくらいだったか。
「クン」は海老を意味するが、その頃はスープ1杯に4,5尾の海老が入っていた。
タイ人向けの店では、全ての料理を辛めに拵えて来る。
そして、ほとんどの皿に1、2本の「パクチー」が添えられていた。
その香りと、スープから立ち上る酸っぱい匂いとが相俟って何とも言えない。
「世界3大スープ」と呼ばれるに相応しいかどうかは分らないが、人を惹きつけることは間違いないだろう。
家人の知り合いのタイ人に材料を教えて貰い私自身で拵えてみたことがあるが、そろえる材料が多過ぎてかなり不出来だったことしか憶えていない。

「香菜(つまりパクチー)」は中華系や韓国系のスーパーには必ず置いてあり、それも安い。
何処の店でも5,60本程度を束ねて1ドルくらいで売っている。
安いから気楽に買って来るのだが、使い切ることはほとんどなかった。
香り付けに使うのだから、2,3本を細かく刻めば充分。
和食にはあまり合わないから、使う機会も少ない。
そのうち、この野菜を天麩羅の「搔き揚げ」に混ぜることを思いついた。
試してみると、なかなか旨いし香りも良い。
次いで「餃子」の中味にも使ってみる。
白菜を刻み、豚の挽肉や海老のミンチと混ぜ、そこに細かく刻んだ「香菜」を入れる。
これで水餃子を作ってみると、予想以上の美味に驚く。
これに勢いづいて、カレー、ハンバーグ、ロールキャベツ、言うなれば当たるを幸い放り込んだ。
そして、そのどれもが想像以上に材料の味を引き立ててくれたのだ。

実を言えば、そういう使い道に気づいたのはそんなに古いことではない。
私の頭の中では、「香菜」は常に冷蔵庫の野菜棚に入っていれば良い、といったあたり。
それは葱や生姜、大蒜などと同じ位置づけということになる。
色が変われば棄てて、新しいものを買う。
だが、新たな用途に気づいたことで、「香菜」の立場は大きく変わって来た。
特にカレーでは、1束程度は直ぐ使い切ってしまう。
もともとカレールーにはこの「香菜」が入っているのだから、少々増やしたところでどうということは無い。
餃子にしても同様のことが言える。

ただ私には、「パクチー」がそんなブームになるほどの魅力的な食材かどうか良く分らない。
テレビなどでは山盛りにした「パクチー」を口いっぱいに頬張っているが、あれが旨いのかどうか。
潰してビールに混ぜる、などというアイデアもあったが、どうも感心しない。
日本特有とも言える「山椒」は、新芽を摘んで吸い物などに浮かべると緑深い山の香りを漂わせるが、と言ってそれを纏めて口に入れようとは思わない。
言ってみれば、色々な香辛料には各自の持ち場があるということではないか。
世界中探しても、「パクチー」をむしゃむしゃ食べるのは日本人くらいだろう。
例によってメディアに引っ張られて調子に乗っているのではないか。
暫くすればメディアの熱は冷め、「パクチー」を当てこんで規模を拡大した生産者は途方に暮れる、という図式が今から見えるようだ。
正直に言えば、「パクチー」の人気はいささか異常を通り越した域にあるのではないか。
私もこの植物を愛好する者としてファンが増えるのは歓迎するが、専門店がオープンしたり雑誌が特集を組んだり、常軌を逸しているような印象さえ感じてしまう。
長い間、「こんな匂いが好きなの?」とか、「何だか虫みたいな匂い」などと言われ続けて来たのだから、思い切り溜飲を下げたいところだが、どうも快哉を叫ぶ気にはなれない。
私自身でさえ、「まあ好き嫌いがあって当然かも知れないな」と認識しているのだから。
伊豆七島名物の「くさや」にしても、私はこよなく愛するものだが、あの匂いゆえに敬遠する人がいることは充分納得しているし、無理に人に奨めようとは考えない。
「納豆」という食品は東日本に愛好者が多いが、製造業者はあの匂いを薄くして海外にもファンを増やしたいと遠大な計画を描いていると聞く。
気持ちは分るが、その匂いが薄れて行けば今までの愛好者が減ることは考えないのだろうか。

「日本食ブーム」、と日本では張り切っているようだが、実態はどうか。
「ワショク」は西欧の好事家には愛されているようだが、欧米の家庭で「ワショク」を食べる人はいないだろう。
あくまでも「ハレの日」の特別な食事であり、時々は「ワショク」は「タイ料理」や「トルコ料理」、「インド料理」に代わって人々はその変化を愉しむのだろう。
そう言えば、日本が辿って来た道に気づくのではないか。
眼を血走らせて売り込みに走り回るのも悪いとは思わないが、時には立ち止まることも必要だ。

「サシ」が入った和牛の人気が下降している理由を、考え直すためにも…。

外出時に「杖」を持たなくなって、一月を越えた。
歩くことに不自由が無くなり、杖が無くとも問題はないだろうと考えていた。
ところが、一月以上右手にあった杖がなくなると、多少の不安が生まれて来る。
前にも書いたかも知れないが、歩道であれ普通の道であれ、完全に平面であることはない。
稀にではあるが、足を運ぶときにそのごく僅かな凹凸に足を引っかけることがある。
それで転ぶことはないが、何となくひやりとしてしまう。
まして、リハビリのつもりで心持ち大股に歩いているときなど、一瞬身構えてしまう。
と言って、再び杖を携行する気にはならない。

実を言えば、杖を突いていることで救われることも無いわけではない。
混み合っているバスや地下鉄で、誰かが席を譲ってくれたりする時。
杖を持たない時でも、席を譲られたたことは幾度かある。
ほとんどの場合「No thank you ノーサンキュー」、と角が立たない程度に断って来た。
「未だ席を譲られる年齢ではない」、という意地もあるし、誰かが譲ってくれるだろうという期待も無い。
私が乗る公共交通機関の乗客は、中国系とラテン系が圧倒的に多い。
そして、言いたくはないが、この2つの人種はそういう社会道徳観念から、最も懸け離れている。
混み合った時刻に乗り込んで来る高齢の女性は、先ず空席を探しついで譲ってくれそうな人を探す。
観察していると、白人の若者の前に立つことが多いように見受けられる。
そして彼女の期待通り、その若者はさっと席を立ってくれるのだ。
それでも席を獲得する可能性は平均すれば1割あるか無いか、というところだろう。
ところが、私が杖を手にして車両に乗り込むと、席を譲ってくれる若者が予想外に多い。
「杖―身体不自由―座席」、というような公式が出来上がっているのかも知れない。
杖を持った高齢者に座席を譲るのは、ごく当たり前と受け止めているのだろうか。
と言って、誰でもが席を立つわけでは無いから、個人差もあるわけだ。

席を譲り譲られるという行為は、それ程難しいものではない。
大体において、高齢者や障碍者などの座席を優先的に得るべき人たちは、車両に乗って来た時から席が獲得出来そうなエリアを見つける術に長けていることが多い。
言い方は悪いが、毎日のように座席のために頭を働かせていれば、知らず知らずのうちに熟達するものだ。
私も杖を持つ以前は、席を譲られるということを考えたことがなかった。
だから目の前で突然立たれて、「Please プリーズ」などと呼びかけられると、少々どぎまぎしたものだ。
最初はほとんど「No thank you ノーサンキュー」で通していたが、5回に1回、3回に1回といった具合に「サンキュー」と返事するようになり、この4月の入院以降は、あまり抵抗も感じなくなった。
まあ、抵抗を感じないのも道理で、混んだ車内にずっと立っているのも結構辛いもので、ひょっとすると物欲しげな顔つきになっていたのではないだろうか。
そして杖を手放してからは席を譲られる機会はめっきり減り、淋しいような若返ったような複雑な心境ではある。

私にはほんの1ヶ月ほどの「高齢者優待期間」ではあったが、この席を譲ったり譲られたりするのもなかなか神経を使うものだ、ということに気づかされた。
私は席に坐れば直ぐに本を取り出して読み始めるのだが、目の前に席を譲ってくれた当人が立っていると、その行動に移すのが何となく気詰まりなのだ。
譲られたからには俺の席でどう使おうと自由だ、と思えるのであれば良いのだろうが、やはりこの状況下で読書に耽るのは何となく厚かましい気がしないでもない。
相手が気を利かして何処かに移動してくれればありがたいが、そこまで望むのは非常識だろう。
彼が私の前に立ち続けていれば、私も本も読まずにじっと窓外の景色でも眺めることになる。
これは逆の立場でも言えることで、若し私が席を譲ったとして相手がゲームでも始めたらあまり愉快ではない。
まあ私なら恐らく譲った席からさり気なく移動して行くだろうから、口幅ったいが理想的な「席の移譲」と言える。
ただ、諸般の事情からここ数年、席を譲るという機会には恵まれていない。
記憶しているところでは、数年前日本の小田急線で人に譲った覚えがある。

あまり混んではいないが空席は無い、という状況で、杖に縋った高齢の男性とその腕を支えた娘らしい女性が乗り込んできた。
見渡したところ若い男女も席に坐っているし、直ぐに席につけるだろう、と思って見ていた。
しかし直ぐどころか、列車が走り出して暫くしても誰も立とうとはしない。
杖の老人は結構難儀しているようだが、ほとんどの乗客はそれを見ていない。
已む無く私は席を立って、女性に声をかけた。
「どうぞ坐って下さい」
別にヒーロー気取りではなかったが、誰かがそうしなければ納まらないような雰囲気、と私には見えた。
女性は礼を言って老人を坐らせたが、それでも誰も動こうとはしなかった。
例えてみれば、そんなことがあったことすら見ていない、という風に私には思えた。
今ではスマートフォンの使用者は当時よりもっと増えているだろうから、状況はさらに悪いだろう。

「そんなもんだよ」
その晩高校時代の友人の集まりで、私の慨嘆を聞いた一人が言った。
「席の問題ではなくて、その当事者になりたくないんだろうね」
「無関心でいることが最上の処世術になっているわけだ」
確かに日本のみならず、世界の何処でも人の生活に干渉せず関心を持たない風潮がある。
比較すれば、東京よりニューヨークの方がその傾向は強いだろう。
いや、危険が横溢しているヨーロッパや中東の方が、さらに人の警戒心は強いはずだ。
日本政府はテロの危険性を声高に叫んでいるようだが、未だ実際に何も起こっていない日本でもそういう危険に対する心配りを常に持たなければならないとすれば、最早世界は末期的な症状なのではないか。

考え過ぎ、と言われればそれまでだが…。

「ひさびさのピザ」

「Fast food ファストフード」は、第二次大戦の後から世界中に蔓延し始めた。
勿論それ以前から、アメリカやヨーロッパの諸国に同様の形式の店はあったという。
だが戦地へ供給する膨大な食料品を、最前線で直ぐ兵士に配給出来るように工夫しているうちに、それが今日のハンバーガーやホットドッグ、フライドチキン、ピザなどに集約されて行ったのではないか。
そしてそれ等は終戦後直ちに、商品として流通するようになったと思われるがどうだろう。
飯盒や鍋代わりのヘルメットで、1日5合の米を炊いていた日本軍とは大きな違いがあったはずだ。
「ファストフード」が既にあるか、ほぼ完成の域にあった米国軍と、明治時代と変わらない糧秣事情で大戦に臨んだ日本軍とでは、はじめから勝負にならなかったとも言えそうだ。
実際、戦後書かれた多くの戦記の中で、中国や東南アジアで如何に悲惨な飢餓が兵士を襲い、多くの兵が戦う以前に肉体の消耗を強いられていたことが書かれている。
充分な食料の供給を受けられた米軍の兵士とでは、最初から勝負にはならなかっただろう。

理由は異なるが、私も入院中やそれ以後食欲の減退で体重を大幅に減らしてしまった。
医師のアドバイスもあり、なるべくカロリーの高い高蛋白質のものを摂取するように心がけた。
だが、朝はパン1切れ程度、昼は軽く夜は多目という長い習慣はそう簡単に変えられない。
特に昼時にマンハッタンにいる場合、食べられるものが見つからない。
ましてそれが昼時であれば何処でも込み合っているし、レストランで食べることは先ず不可能。
ここ数年、マンハッタンの外食産業の価格は高騰を続けている。
今では10ドル以下のランチを望むなら、デリのサンドイッチ程度しかない。
なんせラーメン1杯ですら、税金とチップを加えると20ドル近いのだから。
日系企業でも、レストランで昼食を摂れるのは日本から駐在で来ている社員くらい。
所謂現地採用の若者は、サンドイッチでも高いと考えているらしく、自宅から持参する昨晩の残り物程度でランチを済ませる人が増えているという。
勿論マクドナルドやケンタッキーフライドチキンのような店はあるが、それでも7,8ドルはかかる。

退院後、私はほぼ毎日のようにマンハッタンやフラッシングに出かけるのを日課にしていた。
医師に言われた「散歩」でのリハビリが主目的だが、中華系や韓国系では入手出来ない食材を探すという目的も含まれている。
そこで問題になったのが、「昼食」をどうするかということ。
体重を増やすには、3食をきちんと食べるのが最良だという。
となれば、昼を簡単に済ませるのは良策とは言えないだろう。
だからと言って、一人でレストランの客になるのは何となく気ぶっせいだ。
それなりに栄養素があって一人でも問題なく入れるのは、「ファストフード」レストランだろう。
だが、ハンバーガーショップは敬遠したい。
そうなると、マンハッタンに沢山あって手軽さでも価格でも好感が持てるのは「ピザ」ショップだろう。

私はピザには馴染みが薄い。
私の少年時代、ピザは未だ一般的ではなかった。
六本木にあった気取った若者の溜まり場が、ピザを売り物にしていた。
勿論、私はその店に入ったことはない。
どんな食べ物か、想像力を働かせていただけ。
20代の頃幾度か食べた記憶はあるが、美味だったという印象はない。
「いまピザって幾らぐらいするんだろう?」
家人に訊ねてみると、
「1枚2ドル50セントくらいじゃない、それにトッピングが1ドル50くらいになるし、ソーダが1ドルかな」
つまり、素のピザならば2ドル50程度ということらしい。
脂肪分もあり炭水化物もある。
「ニューヨークの若者の肥満は、ピザとソーダが元凶だ」、と随分昔に聞いた覚えがある。
ならば、肥りたい人には絶好の食べ物ということになるではないか。
勿論私だって、幾度かピザを食べた記憶はある。
40年間に7,8枚というところだろうか、いやもう少しあるか。
それに較べれば、ハンバーグの方がずっと多いように思われる。
それにはちゃんと理由があって、アメリカのハイウエイで空腹になった場合、ハンバーグのチェーンは必ず表示が出て来るし、出口から直ぐのところに店を見つけることが出来るシステム。
若し「俺はマクドナルドやバーガーキングは嫌だ」、と意地を張れば、出口から結構なドライブが必要になる。
ひと口に言えば、そういう部分も大チェーンに買い占められているということだろう。
まあ年に1,2回くらいしか利用しない私には、不平を並べる資格は無さそうだ。

翌日、病院で診察を終えて表通りに出てみると、ちゃんと大きな「ピザショップ」を発見した。
いままで数十回以上此処を通っていたはずだが、自分には無縁と思っていたから全く気づかなかった。
薄暗い店内に入ると、大勢の若者がピザの窯の前で忙しそうに立ち働いている。
私がケースの前に立つと、物も言わずじっと待っているという雰囲気。
「One piece Pepperoni ワンピースオブペパロニ」、今までに食べたピザはほとんどマッシュルームだったが、家人の勧めに従ってスパイスの効いたサラミをトッピングしたピザを頼んでみた。
「And… ?」, 店員は言いかけてじっと私を見ている。
何を言うべきだったのだったか、何となくどぎまぎしてしまう。
「Oh, yeah, stay (此処で食べるよ)」、これがこういう店では必須の会話だったのだ。
頷いて、彼は一切れのペパロニを載せたピザを銀紙に包み、目の前の大きな窯に放り込む。
これが「New York crust ニューヨークサイズ」と呼ばれる奴らしい。
窯の蓋を開けると、数枚の銀紙が中で廻っている。
2周もすれば再加熱が終わるようで、紙の皿に載せて目の前に置かれた。
これで4ドル25らしいから、決して安くはない。
だが、この周辺にある他のファストフードの店を思えば、この価格で食べられるものはない。
受け取った皿を持って、小さなテーブルに置かれた容器を改める。
7,8種類のスパイスが用意されているようだが、何が中味なのかは良く分らない。
推定で、大蒜の粉とバジルの粉末を振りかけた。

12インチの円形を8つに切り分けているから、私の皿にはほぼ3角形のピザが載っている。
その1枚を2つに折って、口に運ぶ。
溶けかけたチーズが口中に広がって来る。
そのチーズと全面に塗られたトマトソースが一体となって、私の舌に斬新な味を繰り広げているようだ。
記憶にはあるのだが、それでも懐かしい舌触り。
「あっ、旨い」、というわけではないが、何となく安心感がある。
2口3口と食べ進むうちに、相手の手の内が分って来たような、と言えば良いだろうか。
「大好きになることはないが、2度と食べないとは言わないだろう」、くらいのところか。

だが、実はそれから3回くらいピザを食べている。
どうしても食べたいという希求は無いが、何故か小腹が空いた時にピザの店を見つけてしまう。
既にオーダーの仕方も覚えたから、入っていくのに抵抗感が無い。
食べながら壁にかけられたメニューを見ていると、この店には「パスタ」もあることを知った。
「マルゲリータ」とか「ボンゴレ」とか、ファストフード店で食べた記憶は無い。
そのうちに試してみようか、などと考えているのだが、それも体重が戻るまでの話。
調子に乗って食べていると、ろくなことはない。

ということはちゃんと心得ているのだが…。

「肥る」ために

いま私は、この人生で初めての試みに挑戦している。
それは「体重を増やす」つまり「肥る」ということ。
まあ、私のみならず、この試みに挑む人はそれ程多くは無いだろう。
少なくとも私の知る限り、「肥る」ことに本気で取り組むのは、力士くらいではないだろうか。
格闘技では、肉体的な優位性ははっきりしている。
200kgのレスラーに100kgで挑戦して、勝てる機会は少ない。
それがはっきりして以来、ほとんどの格闘技は体重別になってしまった。
柔道の日本選手権だけは体重の区別がないが、中量級以下の選手が勝つことはほとんど見ない。
小兵が大型の相手を打ち負かすのは観客を喜ばせはするが、それは滅多に無いからだろう。

私が体重を増やそうと試みているのは、別に格闘技のためではない。
病気で入院中に減ってしまった体重を、何とか元に戻そうと思うからだ。
2週間の入院とその前後で、私は7kg程度痩せてしまった。
ほとんど食べなかったのだから当然のことなのだろうが、退院して体重計に乗ったときは驚いた。
確か63,4kgあったはずなのに、57kgしかない。
「しっかり食べないと、半病人みたいになりますよ」
医師の言葉は脅しかも知れないが、実感はある。
なにしろ全てが初めて体験する世界なのだ。
60kgという世界を知らないわけではないが、それは中学生の時代。
それ以降私の体重は常に60kgを越えていたはずだ。

「体重を増やすには、動物性蛋白質を多く摂って下さい」
担当の医師はそう言うが、私は所謂肉食系ではない。
草食系でもなく、強いて言えば魚食系と言えそうだ。
「魚も勿論良いですが、身体を強くするには肉類が一番良いと思いますよ」
言われたことは分るが、そう簡単には行かない。
我が家には鶏肉が一切駄目な人がおり、住居のある周辺のスーパーには牛肉はあまり置いていない。
必然的に豚肉に頼らざるを得ないが、中華系スーパーの豚肉の捌き方は日本とは大きく異なる。
ほとんどは大きな塊で売られていて、日本のような薄切りは見かけない、
実を言うと、日本の肉の捌き方は世界的に見れば特殊であって、文句を言う筋合いではないのだ。
と言っても、医師が奨める肉食には豚か牛を食べるしかない。
普通こういう場合、直ぐ頭に浮かぶのは「牛肉のハンバーグ」ということになるはずだ。
「ミートローフ」や「ロールキャベツ」などもそれに続くだろう。
こういう挽肉はスーパーで売られているし、脂肪含有率なども表示されている。
私も結構な頻度で購入している商品だ。
と言ってもそれ程のレパートリーは無いから、「ハンバーグ」と「ロールキャベツ」を交互に作る程度。
であればその2つを作れば良い、と言われるだろう。

だが実を言えば私は「ハンバーグ」がそれ程好きではない。
もっとはっきり言えば、挽肉という代物を敬遠しているのだ。
さらに言えば、挽肉料理に付き物のトマトケチャップが苦手なのだ。
だが肉を食べなければいけないのであれば、贅沢を言える立場ではない。
精々頑張ってハンバーグやロールキャベツ、餃子などを食べるように心がけよう。
とは言っても、過去数十年間敬して遠じていたのだから、そう急に仲良くはなれない。
日本が直面している国際外交問題を、論じるまでもないだろう。

出来るだけ肉中心の食事を摂り始め、それにいままで滅多に食べなかった甘いものなども口にするようにして、体重は60kgの線を越えるようになった。
しかし、その線から上にはなかなか行かない。
考えてみれば、私の身長(170cm)であれば60kgは理想的体重に近い。
肥るために頑張って食べ過ぎれば、今度は過剰体重に悩むことになるのではないか。
肥れば肥ったで、痩せれば痩せたで、気苦労の種は尽きないようだ。

アメリカは肉食の国であり、中でも牛肉の消費量は他国を大きく凌駕しているに違いない。
スーパーの肉売り場を覗けば、分厚いステーキが数枚1パックで売られている。
ただ、その肉が旨いかどうかは、食べてみるまで分らない。
ここ数年言われている「成熟度」の問題で、一般的には「Aging エイジング(熟成)」と呼ばれる。
アメリカでナンバーワンのステーキハウスと呼ばれる「Peter Luger ピータールーガー」はブルックリンにあり、2ヶ月先まで予約が入っているという人気店だが、この店は「Aging エイジング」が味の秘訣だそうだ。
大きな店の地下に摂氏5,6度の「Aging room エイジングルーム」があり、オーナー自ら選んだ肉を此処で10日間以上熟成させるのだそうだ。
ビールを呑ませたり干草で身体を擦ったりはしないらしい。
私も幾度か食べたことがあるが、確かに他のステーキハウスとは格段の差だった。
此処で長く働いて自分の店を開けた人も数人いるようだが、世間の評価では「ピータールーガー」を凌いだとは言われていないから、「エイジング」は未だ及ばずなのだろう。
まあ「ピータールーガー」の、1887年から130年の歴史は伊達ではないということかも知れない。

私の体重は一応60kgを越えたので、もうそれほど「肥る」ことに執着しなくても良いような気がする。
これ以上痩せないことを念頭に置いて適度に食べていれば、理想体重を維持出来るのではないか。
そういう甘いところが失敗の元だ、とは重々承知しているのだが。
まあ、あの病院での2週間を想い起こせば、我が身を鞭打つ気持ちが蘇って来る。
今頃気づいても遅過ぎる、という声も聞こえてきそうだが…。

「杖」との付き合い

4月半ばに退院して、我が家に帰って来た。
だがそれで普段の生活に戻れるわけではない。
ほんの2週間病院のベッドに横たわっていただけだが、その間に足の筋肉が弱ったようだ。
此処2,30年、毎日のストレッチを缼かしたことは無いから、自分では結構強いと思っていた。
だが、実際に起きて歩いてみると、脚許が覚束ないこと夥しい。
病院ではトレーナーが来て歩行練習を手伝ってくれるのだが、4,50m歩くと直ぐに草臥れる。
医師に聞くと、誰でもそうなるのだという。
ただ、若い人や経験のある人は、入院したら直ぐに自分でそういう運動を始めるらしい。
何も知らず布団にくるまっていた私は、大きなハンディキャップを負わされたわけだ。
リハビリの進捗は若いほど早いそうだが、それは如何ともしがたい。
少なくとも普通の速度で歩けるようにならなければならない。

帰宅以来、私には「杖」が必需品になった。
家人が何処からか借りて来たものだが、握ってみるとなかなか具合は良い。
金属製で、長さが調節できるようになっている。
右手で持って、腰の辺りにあてがいながら歩く。
1日に千歩辺りから始めようと考えている。
とは言っても、いきなり外の道路は歩けそうにない。
アパートの裏手にある散歩道を、ゆっくり歩いてみた。
痛みも無く、それほどの疲労感も感じない。
この散歩道は平坦に見えるが、いざ歩いてみると登り下りを感じる。
僅かな角度だろうが、結構堪えるようだ。
この登りが長く続けば、脚にかかる負荷も大きくなる道理。
交通量が多いときは気づかないが、平らに見える道も結構角度があるのだ。
マラソンに「心臓破りの丘」と呼ばれる箇所が幾つかあるが、我々が見てもそれ程とは思われない。
だが数十キロを走った後にこの箇所を登るのは、ランナーにとって苦痛そのものだろう。

2,3日、アパート内の散歩路で足慣らしをし、外へ出てみた。
車の交通はあるが、私が歩くのは歩道の部分。
道路はショッピングモールに続いているが、これが5,600mの下り坂。
脚への負担はほとんど無いが、問題は帰り道だ。
5,600mの上り坂を歩かねばならない。
矯めつ眇めつし、今回はこのルートは回避することにする。
杖を突きながらアパートの近所をひと回りして帰宅。
結局、この坂を下って登ったのはそれから1週間後。

リハビリとは別に、医師の診察を受けるためにマンハッタンに出かけなければならない。
情けないが家人に同行して貰う。
幸い我が家の直ぐ横から、マンハッタン行きの急行バスがほぼ30分おきに出ている。
1時間ちょっとでマンハッタンに入り、病院の近くに停車するスケジュール。
初めの数回は家人に付き添って貰ったが、やがて一人で乗り降りも出来るようになった。
その時気づいたのだが、右手に持つ杖は実に頼りがいのある存在だということ。
軽く添えているようだが、杖の先端が地に触れている時、何ともいえない安心感がある。

日本人と杖はそれ程馴染んだ間柄ではない。
勿論古くから使われてはいた。
「鳩杖」という呼称の杖は平安時代からあるようだ。
握りのところが鳩の形に彫られたこの杖は、昔宮中から長寿者を賀するために贈られたという。
鳩は物をついばむときに決してむせない、というところから生まれたものだそうだ。
そういう故事来歴はあるが、庶民には無縁のものだった。
私が子供の頃、帽子と杖は上流紳士の身だしなみと思われていたのではないか。
勿論その習慣は西欧から来たものだが、脚許が硬い西洋と異なり、土や泥濘の多い日本ではその必要性はあまり感じられなかっただろうと思う。
今日では、杖はお洒落や身だしなみではなく、必要な人にだけ使われているのだろう。
西欧でも、杖を持ち歩く人は随分少なくなっているのではないか。
テレビなどで外国の街角の風景を紹介するとき、杖を持った人を見ることは滅多に無い。
まあ、その理由のひとつには外科治療技術の進歩も大いに与っていることは間違いない。
我が家の近くのフラッシングという町には、最近中国本土から移住して来た人が多いようだが、歩行が不自由な人や杖を突いた老人を多く見かける。
言ってみれば、中国本土の外科の初期治療のお粗末さをあらわしているようだ。
東京の繁華街と較べてみれば、その差は歴然としているだろう。

私は2日ほど前に、杖を用いるのを止めた。
これがあると、バスや電車で席を譲って貰うチャンスは多いが、それに甘えている場合ではない。
リハビリという見地から考えれば、支え無しで歩く方がずっと効果的だろう。
なんせ、高齢者のリハビリは追っかけごっこのようなものらしい。
怠けていれば、快復は遅れることになる。
苦しくとも身体に鞭打つことで、旧に復する速度は速まって行く。
何とか2,3ヶ月以内に、プールに復帰しなければならない。
泳ぎと自転車は決して忘れないと言うが、それを証明するのは難しい。
自転車に乗れるかどうか、今のところ確信はない。
だが泳ぐことであれば何とかなるのではないか。

甘い考えか、実現可能か、2,3ヵ月後のお楽しみ。


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