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およそ3ヶ月以上、「還暦スイマー」は「陸に上がったカッパ」状態だった。
「陸に上がったカッパ」とは「水中なら万能に近いが、水から離れると何も出来ない」ことを言うらしい。
まあ私は「水中で万能」とは程遠いが、何も出来ない状態だったことは間違いない。
風邪から肺炎に罹り、医師から半ば強制的に病院に送り込まれた。
それからの2週間の病院生活は、私にすれば「地獄」に等しいものだった。
病院生活は経験が無いわけではない。
40年以上前に、自動車事故で10日間ほど入院した。
だから、今回のような病気らしい病気は初めてということ。
そして医師から看護婦まで全て異国人というのも、なかなか壮観だった。
抗生物質の点滴を受け、46時中看護婦に揺り起こされ薬を呑まされる。
そして最大の責め苦は、食事。
最初の1週間は、ほとんど何も食べなかったように思う。
「食の砂漠」の病院の食事は、想像を絶した。
家人が和食を拵えて運んで来てくれたが、胃がほとんど受け付けない。
白飯に味噌汁をかけたものを、匙で掬って口に運ぶ。
なにせ空腹感が無いのだから、食べられるわけがない。
それでも、私は2人部屋に入れるという僥倖に恵まれた。
さらに、窓に近いベッドに人がいたのは。そのうち5,6日だったのではないか。
1日のほとんどをベッドに潜り込んでいるのだが、退屈という感覚は無い。
朦朧とした頭で、益体もないことを思い巡らせている。
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
そんな俳句が、頭の隅に浮かんでは消える。
別に好きな句ではない。
いやむしろ下らない句だと思っていたような気さえする。
作者が誰だったか考えると、「のぼる」という名前が出て来たが苗字は思いつかない。
「木」がついたような気もするし、そこから「正木」という苗字を連想する。
だが「正木のぼる」という名前ではなかった。
恐らく日本人の名前の中でも、人口に膾炙している点ではトップクラスのはずだ。
辞書もコンピューターも無い環境では、調べようがない。
まあそのうちに思い出すだろう、と考えて眠りに落ちる。
医師の回診は、朝早くから始まる。
私には幾種類かの専門医師が診断するので、起こされて診察を受け、終わってうとうとすると又別の医師がやって来るし、その合間に看護婦が血液を採取したり血圧を測ったり、薬を投与したりする。
その合間合間に「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の作者の苗字を思い出すべく考え込む。
この作家の輪郭はほとんど分っている。
友人は夏目漱石であり、弟子は高浜虚子であり、愛媛県松山の出身。
カリエスの病で若くして死ぬのだが、
「痰一斗 へちまの水も 間に合わず」とか「へちま咲いて 痰のつまりし ほとけかな」の句を詠む。
短歌も良くし、
「甕にさす 藤の花房 重たければ 畳の上に 届かざりけり」は、彼の主張した写実主義の代表歌。
といった具合に、彼の周囲のことは何でも思い出せるのだが、苗字は浮かんで来ない。
根負けして、夕方家人が来たときに思わず尋ねた。
「正岡子規でしょ」、打てば響くように答えられてしまった。
2日間に亘って頭にこびりついていた疑問が、一瞬で氷解したわけだ。
「そうだ、マサオカシキだった」、自力で思い出せなかった口惜しさは残るが、あのもどかしさは消えた。
正岡子規は、僅か35歳の生涯に後世に残る足跡を残している。
「歌よみに 与ふる書」は、日本の和歌を根本的に変えたものと言えそうだ。
「紀貫之はつまらぬ歌詠みに候…」で始まるこの書は、明治の歌壇にセンセーションを巻き起こした。
「古今集」も「新古今集」も、彼にかかれば下手くその集まりらしい。
「万葉集」を評価し、写実主義を標榜した。
「和歌」と呼ばれていた31文字を「短歌」と呼び変えたのも子規だ。
彼はまた、連歌の片割れであった「発句」を「俳句」という独立した単位にし、さらにはそれを芸術のカテゴリーに入れるという作業を成し遂げている。
「柿食えば…」の句にはそれほど感心しないが、「俳句」の確立は子規の手柄というしかないだろう。
などと考えてまどろんでいたが、今一度彼の名前を口にしようとすると、これが出て来ない。
いや「子規」はちゃんと思い出せるのだが、その苗字が脳裡に浮かばない。
「マサキ」だったか「アサオカ」だったか、はたまた「ヤマオカ」だったのか。
考え出すと、ますます正しい答から遠のくように思われる。
もしこれが正常な時であれば、我慢出来ずに家人に電話するだろうが、そこまでの元気はない。
鬱屈を腹にしまって、眠りに落ちて行く。
入院も1週間を過ぎると、環境にも慣れて来る。
看護婦とも気楽に口をきくようになって来た。
「Do you have Ka Ka? 」
中年のアフリカ系と見える看護婦が、笑いながら聞いて来る。
「Ka Ka?」分らずに聞き返すと、ニヤッと腹の部分を手でしめす。
どうも腹具合を聞いているようだ。
そういえば入院以来、一度も無い。
「No Ka ka」, と答えると、
「You need medicine. (薬が必要ね)」、というようなことを言っているようだ。
まあこちらは全てをお任せしている身、何を呑まされても喰わされても言われるがまま。
ただ、毎度毎度の食事だけはそうは行かない。
「食事はちゃんと摂って下さい」
医師からも、主任看護婦からも毎回言われている。
已む無く毎朝オートミール程度は食べるし、昼や夜はサンドイッチを口に押し込んでいる。
「出来るだけ歩いたりして下さい」
そう言われて、付き添いと一緒に廊下を歩いてみた。
驚くことに、僅かな歩行でも結構応える。
10日足らずの寝たきり生活で、足の運動能力が落ちたということらしい。
反省より先に、恐怖に襲われた。
「子規」の苗字は相変わらず蘇って来ない。
家人に再度尋ねるのは、正直に言って忌々しい。
だが、脳裡のもやもやに耐えるのも限界がある。
「なあ、子規の苗字は何だったっけ?」
さり気なく聞いたつもりだったが、
「どうしたの、又忘れちゃったの、マサオカでしょ」
「ああ、そうだった、いや一瞬忘れたんだよ」
そうは言ったが、相手が信じていないことはすぐ分かった。
実際それから最低3,4回はこの名前を忘れたようだ。
これから5日後に私は退院したのだが、結局2週間の入院生活だった。
アパートでは車椅子を用意して、帰宅を待っていてくれた。
杖をついて2週間ぶりの我が家へ戻る。
ドアを開け、ソファに坐った私の前に貼り紙があった。
「正岡子規」。
今はちゃんと言えそうだ。
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