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トランプが大統領になって、大きな抗議デモが全米規模で起こっているようだ。
スローガンは、「トランプは大統領になるべきではない」とか、「我々は彼を大統領とは認めない」といった類のものらしいが、素直に聞いていると何だか可笑しいような気がする。
「大統領になるべきではない」と言っても、選挙で間違いなく当選したのであれば、幾ら嫌いでも仕方がないし、「大統領とは認めない」と言い張れば、まるで駄々っ子のようでもある。
代わりにヒラリーだったら良かった、と考えているのかも知れないが、そのヒラリーが獲得した選挙人数でトランプに及ばなかったことは否定のしようがない。
中でも一番声高に叫んでいるのは、「トランプは人種差別主義者だ」ということらしい。
確かに彼は、「メキシコの国境に壁を作って不法移民を入れないようにする」とか、「イスラム教信者を入国させない」とか言っているのだから、あまり穏やかではない。
ただトランプの言辞が過激になって来たのは、選挙運動の最中の反対派とのやり取りの影響もあるだろうし、その反応の大きさに調子づいたことも大いに考えられる。
勿論、彼のいささか常軌を逸した論理を支持した階層も少なくないことも確かで、それが最終的には大きなうねりを生み出したのだから、選挙は水ものと言うしかない。
未だ実際には何もやっていないトランプだが、人々はもう充分以上に彼の夢の構想を聞かされて来たことに気づけば、数ヵ月後1年後がどうなっているか想像すら出来ないだろう。
ただ当面彼を攻撃する最大のフレーズは「Racist レイシスト(人種差別主義者)」しかないわけで、トランプが実際に何かを始めるまで我々はこの決まり文句を聞かされるかと思うと、少々うんざりする。
ただこの「Racist (人種差別主義者)」という言葉は、我々日本人にも決して無縁ではない。
日本人は世界が日本をどう見ているかということにはかなり敏感なようだが、自分たちが人種差別主義者だとは夢にも考えていないように見える。
日本で「差別」と言えば、被差別部落とか戦前の朝鮮人の待遇だなどをすぐ思い浮かべるようだが、もっと身近にも差別は存在していることには気づかない。
まあそれも無理はないので、日本に暮らしていて日本人以外の人と接する機会は少ない。
私が子供の頃は、白人を見かければ「ガイジンだ」、と子供同士囁きあった記憶がある。
この場合の「ガイジン」はアジア人を含まない。
紅毛碧眼の、所謂欧米人を意味している。
このガイジンたちは、上等そうな服を着て間違いなく上等な車に乗って、笑顔さえ上等だった。
稀に彼らの住居を垣間見れば、部屋が幾つあるか分らないような大きな1軒家。
見るだけで眩しい、と言えば正しいだろうか。
その人たちが眩しくなくなった頃に、日本は世界復帰を果たしたと言えそうだ。
欧米人への劣等感が薄れ始め、他のアジア諸国への優越感も陰を潜めたようだ。
とは言え、対外諸国との交流が頻繁になれば、そういう感情もまた蘇って来る。
「ファールで走るは田舎っぺ、それを言うのはXX人」
小学生の野球にさえ、そんな軽侮の言葉が飛び交う時もあった。
真っ先に外国人を輸入したスポーツは、プロ野球だっただろう。
選ばれたのは日系の血を引くハワイの2世3世プレーヤー。
巨人に来たウォーリー 与那嶺は、日本では見られない激しいスライディングでファンを驚かせた。
彼の成功で日系アメリカ人が続々とやって来る。
そして、引退後ではあったが、元大リーガーさえ日本のプロ野球でプレーした。
中日ドラゴンズが契約したドン ニューカムとラリー ドビーは、メジャーでの実績も充分の大スター。
あまり本気でプレーしたようではなかったが、ファンは大いに湧いた。
やがて日本の野球に適した3Aクラスの選手が増え、多くのチームでクリーンアップを打つようになる。
ここでもホームラン王を窺うガイジンを敬遠攻めにして、別に恥じる風でもなかった。
だがこういうガイジンは日本に出稼ぎに来ていたようで、そんなに真剣に腹を立てたりはしていない。
まして人種差別などと口を尖がらすこともなかったようだ。
人種差別は相撲で始まった、と言えるかも知れない。
サモアとかトンガなどから実験的に入門させたこともあったが、やはり第1号と言えば「高見山」だろう。
200kgを越える巨体だったが、「股割り」という相撲取りには必須の稽古が出来ず、食事の不適合もあって苦労は並々ならぬものだったと言われている。
だが彼が諦めずに修行を続け、幕内優勝も果たして地位も関脇まで上がったことが、小錦や曙、武蔵丸などの後続が次々と生まれ、遂には外国人初の大関や横綱になっている。
ただこの時、大関だった小錦が「アメリカ人では横綱になれない」と発言したことで、日本の相撲界は外国人を差別しているのではないか、との議論に発展した経緯がある。
この問題は、直ぐ後に曙や武蔵丸が横綱に昇進したことで落着したと見られていた。
それ以降外国人力士は切れることなく続いたが、1992年を皮切りにモンゴル人力士が一気に増えた。
彼らは「モンゴル相撲」という足腰の鍛錬に力を入れる格闘技を経験しているために怪我が少なく、日本の相撲の投げ技にも適応が早かったという。
朝青龍を筆頭に上位にもモンゴル人力士は増え続け、今では3横綱全てがモンゴル人であり、今回稀勢乃里が昇進したことで、19年ぶりに日本人横綱が誕生することになった。
ここ数年の「日本人横綱待望論」は、巷の相撲ファンのみならず相撲協会の幹部連中、横綱審議会のメンバー、果ては大メディアまでが声を揃えての合唱となって、興醒めでさえあった。
今回の稀勢乃里の昇進にしても誰が見ても尚早であり、「2場所連続優勝かそれに準ずる成績」という内規にすら達していないことは明らかだ。
だが14日目に2敗の白鵬が負けて稀勢乃里の優勝が決まった直後に、「横綱昇進は決まり」という流れが作られ、最終日の白鵬との取り組みを見てからという正論はさっさと却下されたらしい。
横綱審議委員会の委員長という医師は、満面の笑みで「決まりですね」と言ったそうだから、何のための審議委員会なのかさっぱり分らない。
ある意味このような依怙(えこ)贔屓的な昇進を許すのも、形を変えた人種差別ではないだろうか。
日本人が日本人横綱を望むのは当たり前という意見があるかも知れないが、門戸を世界に開いて外国人力士を受け入れているのだったら、公正であることは絶対だろう。
噂だが、今年の初場所にモンゴル人力士全員が場所をボイコットしようという動きがあったという。
モンゴル人力士に対する場内のブーイングがひどいことに、抗議を示そうという趣旨だそうだ。
日馬富士がその動きを抑えたというが、此処数場所白鵬が勝ちながらも何処か浮かない顔を見せていたことは、結構良く知られている。
今や幕内の3分の1を占めるモンゴル人力士が、自分たちが置かれた境遇をどう考えているか、協会は真剣に考えているのだろうか。
引退後年寄りになるには日本国籍を取得しなければならないという規則はあるが、果たしてそういう前近代的なルールが国際的に容認されるものなのだろうか。
元横綱の武蔵丸や大関の琴欧州は日本に帰化して年寄りになったが、この先一番の問題になりそうな白鵬の引退が早晩起こって来る。
モンゴルの英雄の国籍問題だが、少なくともその遇し方次第では、モンゴルのメディアは何らかの動きを見せる可能性もあるし、その前に日本のメディアが炊きつける可能性は大だ。
モンゴルは今のところ親日国家らしいが、元来は中国よりの社会主義国家だった。
中国との関係が微妙な現在、日本政府もモンゴルとの関係には神経を使っているようだが、相撲で火種が生まれては長年の努力も水の泡になってしまう。
勿論そのために法律を曲げよとは言わないが、現行のルールが杓子定規に過ぎるのであれば、日本の相撲界に功績のあった力士に報いる道を模索するのも一法ではないだろうか。
この3月の大阪場所から横綱は4人になる。
今までの例から見れば全員が並び立つとは考えられないから、1年以内に引退に追い込まれる横綱が出てくることはほぼ必至のようだ。
引退後の身の振り方がはっきりしていれば身の処し方も潔いだろうが、国籍問題などが紛糾すればそうすんなりとは行かないことも考えられる。
大相撲は満員御礼続きだそうだが、その礎を築いた功の半ばはモンゴル人力士だろう。
だが協会には、そういうことをすぐ忘れてしまうという悪癖があるようだ。
そのお目付け役のはずのメディアが、これまた頼むに足りない。
また一波乱ありそうだが、大波乱にならなければ良いが…。
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