還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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「とんかつ」を喰らう

アメリカに居を定めて40数年間、私は幾度日本へ行ったか数え切れない。
ここ数年は年1度に定着しているが、以前は年に2,3回成田に降り立ったこともある。
日本以外でもカナダや南米や北欧に行ったから、かなり忙しく動き回っていたようだ。
初めての町へ行けば、何かしらそこの名物を食べたいと思って店を探したり、そこで遇う人たちに情報を求めたり、上手く行けばご馳走になったりもする。
まあ実際のところ、カナダや北欧辺りで唸るような美味に出会うことは少ない。
無論全く皆無というわけではないのだが、そもそも出会う人々が食に大きな興味を抱いていない。
カナダのニューファウンドランド島では、隣町のマクドナルドに行くのが楽しみ、と聞いてすぐに諦めた。
チリ南端のプンタアレナスでもタラバガニの近似種が捕れるが、ほとんどは輸出に廻され地元で食べるチャンスは精々1,2週間しかないという。
彼らは基本的に肉食人種だから、水産物はあくまでビジネスでしかないのだ。
その代わり、郊外のレストランで食べた羊の丸焼きは、空前絶後と言っていいほど旨かった。
一頭の羊を数時間かけて丸焼きにしたものだが、羊が旨いのか焼き方が優れているのか、未だに謎だ。
だがそういう忘れられないほどの佳味に出会えるのは、数年に一度程度でしかない。

その点、日本には裏切られることが少ない。
いや裏切りに遇うことはあるのだが、それを補って余りある美食や珍味が日本にはあるのだ。
ただこの数年、そういう出会いが減って来ているような気がしてならない。
それは取りも直さず、食べる機会が少なくなっているからのようだ。
未だ私が40代の頃、連れ立って紅灯の巷に足を運べば、少なくとも2,3軒の店の扉を叩いた。
だが今では、1軒でお開きということが多くなり、情けないことに私もそれが有り難くなっている。
日本に帰れば私は少なくとも3つの集まりに参加する。
小学校の同級生、中学校の同級生、そして高校の水泳部中心の集まり。
小学校は女性も参加するから2次会はないが、中学や高校の会は必ず何処かに流れた。
それが今では8時頃には散会となり、皆行儀良く三々五々散って行く。
そして勿論私もその中の一人なのだから何をか況や、だ。

私はそれでも、多少は日本の旨い店の情報を持っている。
PCを開ければいやというほどの「食べ歩き」ブログがあり、店の情報が写真入りで紹介されている。
その中で幾つか気になる店を抜書きしてはいるのだが、実際に訪ねたことはほとんどない。
距離の問題もあるし、営業時間の問題もあり、何より一人でそういう店に行くのは面映い。
そしてそういう店に限って実に魅力的な紹介が為されていたりするのだ。
寿司は今では超高級料理に仲間入りしてしまったが、20年ほど前は築地の場内の店でも少々並ぶ程度で食べることが出来た。
そして噂が噂を呼び、4時半開店の寿司屋に夜12時から並ぶなどという馬鹿げたことが当たり前のようになってしまい、それに釣られて行列など無かった普通の食堂まで待たされるのが普通になる。
大きな声では言えないが、押し寄せて来た外国人観光客がひと役もふた役も買っているのは確かだろう。

そんなわけで、日本に帰って来ても満ち足りてJFK行きの飛行機に乗ることは滅多になかった。
最後の最後に空港で寿司などを食べると、無念の想いが募って来てしまう。
「寿司」「天麩羅」「鰻」辺りが帰国した日本人が望む美味だろうが、そのどれもが庶民離れしてしまった。
好きなネタを好きなだけ頼むという旧来の方式は影を潜め、店側がセットした「お好み」という決まった寿司ネタを食べる方式が今では全盛らしいが、それでも1万5,6千円はするだろう。
天麩羅の高騰はただ驚くしかないが、変哲も無い材料で揚げたひと通りを食べても2万円近い店もあると聞けば、養殖の海老と格別高級でもない穴子くらいでそんな価格になる計算式は謎でしかない。
鰻となれば、これはまさにマスコミと鰻養殖業者の共同作業であれよあれよという間に、天高く舞い上がってしまった感がある。
稚魚の流通には非合法組織が噛んでいることは周知の事実なのに、マスコミは今頃になって騒ぐ。
それやこれやで、今回の帰国も大きな期待は最初から無かった。

御徒町は最近よく足を向ける商店街だが、昼前に裏通りを歩いていると短いが行列が出来ている。
「とんかつ 山家」という暖簾が出ていて、店にも順番待ちの客がカウンターの客の後にある長椅子に坐っているのはネクストバッターズサークルというところか。
表に値段表が白木に墨痕で書かれており、一番上に「ロースカツ定食 750円」とある。
ここは上野に近く、上野と言えば有名な3大とんかつ屋が君臨しているところだ。
確かトンカツ定食で3千円くらいしたはずだから、この価格はいわば挑戦的なものだろう。
待っている人の数を胸算用で弾いてみると、ざっと30分待ちか。
何となくではあるが、最後尾に並ぶことになった。
私は、「とんかつ」は日本ででもニューヨークででも時々食べている。
日本では京都が本店のチェーン店に幾度か行ったし、ニューヨークでは日本から進出して来た食堂チェーンで「とんかつ定食」を食べた。
格別好きな料理ではないが、概してついて来る飯が旨いことが多いのでオーダーすることが多い。
腹が減っていれば、「結構好きな料理」に格上げされることもあり得る。

第一陣の客が席を離れ始めた。
長椅子の客がカウンターに移り始め、外で待つ客が中に呼び入れられる。
私も中に入り、長椅子に腰を下ろした。
寿司屋ほどの凝ったカウンターではないが、木目の清潔感が快い。
壁のメニューを見ると、「ロースカツ定食 750円」以外には「ロースカツ定食(大) 950円」「上ロースカツ定食 1200円」「ヒレカツ定食 950円」「ヒレカツ定食(大) 1250円」「ミックス定食 850円」「牡蠣フライ定食 950円」、その他お新香やキャベツお代わりなども書かれている。
だが何と言っても「ロースカツ定食 750円」が群を抜いて際立っていることは間違いない。
長椅子で待っている客に女性の店員がオーダーを聞いて廻っているが、7割から8割は「ロースカツ」だ。
私もちょっと考えたがその基本を頼むことにした。

それからさらに20分ほど待って、私も晴れてカウンターの客になった。
落語で言えば二つ目から真打になったようなものか。
前に湯のみに注がれたお茶と小さなお新香の皿が置かれる。
箸は箸箱に入っているものを使うらしい。
私はカウンターの真ん中ほどに座ったのだが、それは丁度トンカツを切り分ける板前の前だった。
彼の左に油の大鍋が置かれ、若い職人が粉を打ったり卵を絡ませたり、パン粉をまぶしたりして数枚のトンカツを鍋に滑り込ませている。
数枚の大皿が板前の前に用意され、彼が細切りにしたキャベツをトングで取り分けている。
やがて大鍋から数枚のトンカツを引き揚げ、庖丁で5つに切り分けた。
それをキャベツの山の横に置いて、木ベラで辛子を掬い上げてトンカツの横に添え、客の前に置き始める。
私にもそのひと皿が置かれ、さらに味噌汁と小さ目の丼によそわれた飯が置かれた。
ソースは大きな口つき容器に入って、適当な間隔を空けて客が自分で取れるようになっている。
当店の初心者の私は、ソースを取って先ずキャベツにかけ、次いでトンカツに少し控えめにかけた。
もともとソースファンではない私は、出来ればポン酢で食べたいところだが、無いものねだりは出来ない。
味噌汁から啜ってみると、小さいがちゃんと蜆が入っている。
5切れあるとんかつの真ん中の一切れを摘み、辛子をつけて口に運ぶ。
ロースの名に恥じないあぶらっ気が口中に拡がる。
豚肉特有の旨味がカリッと揚がった衣とひとつになり、ソースと相俟って懐かしい味をもたらしている。
丼の飯を頬張る。
こういう食べ方をすると、「飯を喰っている」という感覚が全身に漲って来るから不思議だ。
少量の飯や副菜を口に運ぶと、「飯を喰う」という気はしない。
極端に言えば「餌をついばむ」ようにさえ感じてしまう。
口一杯に頬張ると、全身で食べているという気になる。
とんかつという食べ物は、まさにそういう場面に相応しい料理なのだ。
そして出来得れば20代30代の胃袋があれば、言うことはないだろう。

何とかトンカツは全て胃袋に納めたが、飯は残すことになった。
そして、私と一緒にトンカツを配布された数人は、全て食べ終わって席を立って行った。
要するに、私の食べるスピードは人より断然遅いわけだ。
言い換えれば、こういう昼食時の食べ方を数十年忘れていた、ということになる。
だが、そういう熱気の中に身を置くという感覚が、少し蘇って来たような気がしないでもない。
又来るときがあるかどうか分からないこの小さな店は、記憶には留まることだろう。
「野に遺賢あり」とは少し違うようだが…。
千円札を出して、きっちり250円のお釣り。
満足感が、この釣銭で増幅されたような気になるのが何とも可笑しい。

10月の10日過ぎから、3週間少々日本に帰る予定を立てていた。
本来は5月を予定していたのだが、生憎風邪を引いたようで、航空機の機内で咳を頻発する懼れもあって夏前の帰国は断念せざるを得なかった。
そのキャンセルした航空券を10月11日発で再発行して貰ったそのほとんど直後に、スイスに住む姉の連れ合い、つまり私の義兄になるのだが、の具合が重篤になり急遽ジュネーブに向かうことになった。
義兄は私が到着して2日後、日本に住むもう一人の姉が到着した翌日に息を引き取った。
何処の国でも同じだろうが、遺族は悲しみにくれる暇もなくこなさなければならない雑事に追われる。
スイスでは土日に葬式は執り行わないのが習慣らしく、会場は翌週の火曜日に予約出来た。
ジュネーブの公用語はフランス語だから、全ては姉一人で立ち会わなければならない。
英語を話せる人でも「No English 英語は話せません」と言うそうだから、多少の英語なら何とか役に立てると思っていた私は、何処へ行っても無言の行に終始することになった。
義兄は友人の多かった人だそうだが、もうほとんどは鬼籍に入っており、たよれる人は少ない。
式の進行係は人の伝手でプロに依頼し、式場に飾る花の手配は会場前の花屋で済ませた。
こちらの習慣らしい式後の「アペロ(軽い一杯)」の会場は近くのレストランに決める。
その全ての交渉は姉一人でやらなければならないのだから、まさに重労働と言えそうだ。

義兄は長年教職にあったこともあり、また若い時からランナーとして活躍して来たこともあったので、当日に一体何人の人が式場に来るのか、誰にも予測はつかない。
新聞の「死亡欄」に告知広告を出したこともあるだろうが、姉の電話は結構頻繁に鳴っている。
家に訪ねて来たい、という申し出も少なからずあったようだが、姉一人しかフランス語を喋れないのでは対応に困難を来たすことは眼に見えているから、これだけは丁寧にお断りする。
それでも火曜日の式は最後に組み込んで貰ったので、後から急かされる心配は無さそうだ。
式の開始の1時間くらい前から、会場前に人が立ち始めた。
知り合いらしい挨拶を交わす人もいるが、驚いたのはその服装。
日本であれば真っ黒の人たちばかりになるだろうが、此処にはそういう風習はないらしい。
ジーンズにウインドブレーカーなんて組み合わせもあるし、ちょっとそこまで買い物にといった風情の女性もいる。
日本から来た姉の娘は同じスイスのチューリッヒ近くに住んでいるのだが、そちらはちゃんと黒い服を着るらしい。
彼女は2人の子供を連れて来たのだが、2人とも黒っぽい服を着ているので目立つ。
亡くなった義兄はプロテスタントだったらしいが、チューリッヒの姪家族はカソリックだそうだからそこら辺の考え方が少し異なっているのかも知れない。
2時間ほどの葬儀は無事に終了したが、私はスピーチの片言隻句すら理解出来なかった。
会場を葬儀場近くのレストランに移した「アペロ」は、結構大勢が参加し盛況を呈した。
考えてみれば日本だって「通夜」に酒は付き物だし、自宅などを会場にすれば台所を賄う女性陣の忙しさは知らない人はいないのではないか。
まあその点このジュネーブ方式は軽いおつまみに赤白のワイン程度だし、参加者の多くが年配のこともあって、1時間少々でお開きになる。

今回私は急なこともあって、アイスランド航空の首都レイキャビック経由の便を予約しており、翌日の昼過ぎのフライトでニューヨークに戻る手配になっている。
喪主である姉にはまだまだやるべきことが山積していることは分っているのだが、と言って私が代わってやれることはほとんど無いこともまた事実。
で翌日、私はジュネーブの空港から再びアイスランド航空のニューヨーク行きの乗客となった。
アイスランド航空には、数年前に幾度か乗った覚えがある。
人口40万足らずの国の航空会社だから1日に数便程度だろうと考えていたのだが、発着予定を見ると1日に数十便はヨーロッパ各国に飛び、また迎え入れているようだ。
急拡大した所為か、何処の空港でも連携が悪く係員の客あしらいがお粗末だ。
以前は小さな小屋だったレイキャビック空港も、クノッソスの迷宮もかくやと思わせる体に変化しており、客は自力で自分の行く先を見つけなければならない。
どうにかこうにかニューヨーク行きの登乗口を見つけ、機体に辿り着けた。
ところで、このフライトはクラス別に供給されるサービスが異なっている。
一番安いクラスを買い込んだ私には食事は無く、食べたければメニューから選んで金を払うシステム。
そしてどういう訳か支払いは現金ではなくカードのみ受け付ける、と書いてある。
来るときに経験していたから、私はジュネーブでサンドイッチを買い込んで機内持ち込みの荷物に入れてある。
流石に水だけは無料でくれるようだから、飢え死にの懼れはない。
それでも無聊を託っていると口淋しさが募り、白ワインと摘み風のものをオーダーし、カードで支払う。
メニューにはピザやサンドイッチなどの軽食もあるらしいが、とっくに売り切れている様子。
どうやらヨーロッパの弱小航空会社は、この手のシステムを取り入れているらしい。
多くの国の航空機が乗り入れて来れば、その全ての国の通貨で釣銭を用意するのは不可能に近いのだから、カードに限る理由も理解出来ないわけではない。
ただ、何とも不親切という印象は拭えない。
旅行客が多い時期は良いだろうが、ブームが下火になればサービスの悪い航空会社は真っ先に客を失う運命にあるだろう。
そんな先のことは考えてもいない、と言われればそれまでのことだが。

サービスに不満はあっても、飛行機はほぼ定刻通りJFK空港に到着した。
色々サービスして遅れて着くより、まあずっとましだということだろうか。
来週には日本に向かうことになる。
時差ぼけの心配は無いが、最近こんなに続けて海外へ出たことはないから、些かの不安は無いではない。
今度は日本の航空会社だから、食事の心配はないだろう。
そう考えて気楽に構えるしかない、だろうな。

70の手習い?

8月半ばに「Iphone アイフォン」所謂「スマートフォン」を家人から下賜された。
それは正しく「下賜」であって、私は多くの人がこの新兵器を嬉々として弄繰り回しているのを苦々しく見ていた。
自宅で机に坐ればセットアップされたパーソナルコンピューターがあり、出かけるときには普通の携帯(日本ではガラケーと呼んで多少軽侮の対象になっているやに聞くが)を胸ポケットに入れて、緊急の連絡には充分。
ただ、このスマートフォンは進歩著しく世界的規模で浸透しており、数年先には「持たざるものは人にあらず」とまで言われる可能性があるらしい。
家人は日本の母や姉妹と、朝晩にラインとかいうグループ内での通信を交わしており、私もそこに入れようと企んでいるような気配が濃厚だ。
手渡されてみると、私が持っているガラケーよりデザインも良いし、薄手だから上着のポケットに納まりそうだ。
(持ってみても悪くないかな)、という想いがよぎったことは認めざるを得ない。

しかし、この「Iphone」という奴は、小さな胴体に多くの機能を詰め込んでいるため、操作が複雑だそうだ。
で発売元の「Apple アップル」は、あちこちで講習会を開いている。
調べてみると、マンハッタンだけでも7ヶ所の店舗兼クラスルームがあり、ほぼ終日この新兵器の扱い方を無料で懇切丁寧に教えているということだ。
驚いたことにこの7ヶ所があるのはグランドセントラル駅ビルであったり、目抜き中の目抜きである5番街のすぐ横であったり、何処をとっても所謂一等地ばかりなのだ。
なるほど儲かっている企業が選ぶのは、さらに儲かるような立地条件のところばかりらしい。
家人はコンピューターの画面にそのクラスの日時や内容を表示し、さっさと私の名前を書き込んで一番初歩の初歩「Basic Iphone アイフォンの基礎」に申し込んでしまった。
正直に言えば、その瞬間に私は気が重くなった。
年を取ると、何であれ予定というものが鬱陶しくなって来た。
正月に夏のバケーションのホテルや飛行機を予約するなんて真っ平御免、と思うのは可笑しいだろうか。
日々変化し、想定したことがその通りに行かないのが世の常だと私は考えている。
たとえそれがこの週末の1時間のクラスだとしても、それに縛られるのはご免蒙りたい。
私には医師と会って現在の身体の状況を診断して貰うという動かし難い予定があり、それで充分過ぎる。
だが、既に家人は私の名前やE−メールのアドレスを書き込んでしまった。
これをすっぽかすことは私には出来そうにない。

手に取ってみると、確かに今まで使って来たガラケーとは随分異なっていることが分る。
薄くて持ち重りもしない。
ただ表面が滑らか過ぎるから、ちょっと屈んだときなどに滑り落ちる可能性はありそうだ。
現実にバスのなかなどでこれが滑り落ち、慌てて騒ぎ立てる高校生などを見て私が密かに快哉を叫んだことがあることを白状せねばならないだろう。
しかし、拾い上げたスマートフォンで何事もなかったように会話を続けているところを見ると、そういう衝撃には耐えるような構造になっているのだと思う。
この小さな物体がその内部に包含している能力の大きさを考えると、コンピューター時代以前を生きて来た私には現代の科学の改革の速度など想像もつかない。
この「Iphone」を駆使出来れば、その高みに少しでも近づけるのだろうか。
であれば、老骨に鞭打って講習会のカリキュラムにしがみつくのも一考かも知れない。
クラスのスケジュールは2日後から始まり、「Iphone basic アイフォン初歩」、「Iphone camera basic アイフォンカメラ初歩」に家人が受講申し込みをしている。
そこを何とかクリアーすれば中級へ進み、さらにはもっと高度なテクニックを習得出来るらしい。
まあ今の私から見れば、プロ野球を目指すリトルリーガーみたいなものだが。

2日後の午後1時、クラスのあるアッパーウエストのビルに行った。
1階は店舗のような構造になっているが、ほとんど人が溢れている。
これから「Iphone」を買おうという人たちなのだろうが、老若男女入り乱れて客の間を縫うように歩くスタッフに質問をぶつけたり商品を見せて貰ったり、気が弱い人なら呆然と立っているしかない、と言えそうな状況。
そういう私もクラスの場所を聞きたいが、黒いTシャツのスタッフに問いかけるきっかけがない。
やっと一人捕まえて訊ねると、黙って上を指差していなくなった。
どうやら2階にあるということらしい。
螺旋状の階段を上って2階に上がると、広いスペースに大きなテーブルが10台以上置かれ、大型のテレビを囲んで如何にも初心者という風情の数人の男女が坐っていた。
何によらず初心者の表情は似通っていて、その自信の無さが随所に垣間見えている。
と思っている私も同様の顔つきなのだろう、と自分でも思わざるを得ない。
大きなテーブルの端に坐って、黒いTシャツの青年が話しているのに耳を傾ける。
どうやら彼がこの初心者コースの先生役のようだ。
聞いてみると、彼はこの「Iphone」に備え付けられたボタンそれぞれの用途や役割などを説明している。
そこら辺は既に家人から聞いていたから、私は気楽に聞き流していた。
初歩の入門篇に参加して来ただけあって、テーブルにいる人たちは真剣な面持ちだ。
持っている「Iphone」もまちまちで6型7型が中心だが、中には最新式の10型持参の年配女性もいる。
ベンと自己紹介した青年は、各人に質問の有無を問うところからスタートした。
だが、ほとんど初めての生徒ばかりで、質問すら生まれて来ない。
私にも訊ねて来たが、
「Everything is new to me. 初めてのことばかりだから…」
「Will have more than 100 tomorrow. 明日なら山ほどあるだろうけれど」

実際、扱い慣れたガラケーとはまさに似て非なるもの。
内臓された機能だけでも数え切れないだろう。
電話とスカイプと写真くらいあれば充分と思っているところに、計算機だカレンダーだラインだ何だと使うことがあるかどうかさえ定かでない機能を押し付けてくる。
何とか追いついても、その頃はもっと新しい新兵器をくっつけて買い替えを迫って来るのだろう。
結局は旧来のセールス法に取り込まれるのが落ちなのだ。
だが手にしたからにはある程度は克服しなければ男が廃る。
今日ベンが教えたことの1割くらいは分ったような気がするから、この「Iphone basic アイフォン基礎講座」を10回受ければ、小学校卒業程度の学力がつくのではないか。
そしたら、「Iphone Intermediate アイフォン中級講座」を始められる。
それも10回くらいかな。

計算すれば気が遠くなりそうなスケジュールだが、まあぼちぼちやるしかないだろう、な。

係累との別離

1週間ヨーロッパに行っていた。
スイスのジュネーブに住んでいる姉の夫つまり義兄の容態が悪く、かなり危険な状態らしい。
もう一人の姉も、日本から飛んで来る手はずになっている。
ジュネーブはフランス語圏だから、行ってすぐに姉の役に立てるかどうかは分らないが、義兄には全く身寄りがなく姉も限られた友人しか近くにはいないという。
急なことなので、PCで最速で現地に行ける便を探した。
最初のサイトで「アイスランドエアー」での1ストップ便があらわれた。
首都のレイキャビックを経由して、11時間ほどで到着するらしい。

実は私はこのエアラインは未知の航空会社ではない。
10数年以上前に、仕事でアイスランドには4,5回訪れている。
平面の地図で見ると結構距離があるようだが、北極に向かって飛ぶから意外と近い。
以前も6時間くらいの飛行時間だったような記憶がある。
ニューヨークを夜の10時頃出て、レイキャビックに朝6時頃到着したはずだ。
そんなに速く着いてどうするんだ、と勿論私は不思議に思ったが、乗客は揃ってホテルに向かう。
ホテルも当然のように部屋のキーを渡してくれる。
真っ先に温泉の出るシャワーを浴びて寝支度をした。
日照時間が4,5時間しかない頃だから、ベッドに入ればすぐ眠りに落ちた。
9時頃起きて朝食を取り、ビジネス街に向かった。
夏に行けば白夜だったのだが、生憎この国に行くのは常に冬だった。

久々のレイキャビック空港は当時と比して随分大きくなったようだし、駐機している飛行機が多い。
交通の要衝とは聞いた覚えがないが、それなりに経済も伸びているのだろう。
とは言え、人口が40万足らずだそうだから規模は知れている。
優秀な学生はさっさとイギリスやドイツの大学に転校して、そのままその地の人になるらしい。
だが政府は、そういう人材を引き止めるような工作はしていないと聞いた。
「去るものは追わず」ということなのだろうか。

アイスランドは古い命名法を固持しているようで、男子は父親のファーストネームに「son(サン)」をつけて苗字とするし、女性は同じく父親のファーストネームに「dottir (ドッテイール)」をつけて苗字とするシステムを数百年来墨守している。
北欧にはこういう命名法は珍しいものではなく、「John (ジョン)」の子供が「Johnson (ジョンソン)」であったり、「Donald (ドナルド)」の息子が「McDonald (マクドナルド)」であったりしていたが、徐々に淘汰され親の苗字をそのまま踏襲するのが普通になって来た。
それだけにアイスランドの「頑迷固陋(?)」ぶりがひと際目立つのだが、今では個性となっている。
別に法律で定められている訳ではないのだから父親の苗字を引き継いでも構わないらしいが、逆に世界に類を見ない命名法だから、多少は誇らしさもあるようだ。
ただ子供のファーストネームを捜すのが面倒に感じる親もいるようで、祖父、父、息子3代の名前を見てみると、「祖父 クリスチャン ジョンソン 父 ジョン クリスチャンソン 息子 クリスチャン ジョンソン」という具合に何の努力もしていない例も結構あるらしい。

アイスランドエアーが離陸して少し落ち着いた頃合に、備え付けの印刷物をめくってみた。
どうやらこの便のエコノミークラスには食事のサービスは無いらしい。
それでも一応メニューらしきものがあり、欲しい乗客は有料でそれを食べることが出来る。
メニューと書いたが、食事の種類は精々4,5種類でピザ、ハンバーガー、サンドイッチなどと数種類の酒の摘みらしきものがあるようだ。
だがフライトアテンダントが廻って来たときには、既にピザとハンバーガーは売り切れだった。
結局私は、白ワインの小瓶とタパスセットというお摘みを購入した。
この航空会社の代金決済はカードのみで、現金は受け取らない。
これがIT時代の金銭授受の新方式らしいが、見ていると時間がかかること夥しい。
まあ考えてみればこういう弱小航空会社には様々な国の人々が乗り込んで来るわけで、彼らの通貨にいちいち釣銭を用意することは不可能に近いだろう。
この数年、日本帰国くらいしか飛行機に乗らなかった私は、日本の航空会社の普段の努力に救われている面が多々あることを再認識させられたことになる。

レイキャビックからジュネーブ行きの便に乗り換えて、昼過ぎにはジュネーブ着。
ここは世界的には名が売れているが、人口20万そこそこの中小都市。
それでも40万のチューリッヒに次いでスイス2番目の都市であり、国際的な機関が数多く置かれ世界での知名度では上位を争っている。
ジュネーブはフランス語圏のスイス人の旗頭的存在で、ドイツ語圏のチューリッヒと大袈裟に言えば張り合う立場にあると言えそうだ。

姉のアパートに荷物を置き、日本から来た下の姉夫婦を迎える。
翌朝4人で義兄の入院している病院へ向かう。
彼の容態はかなり重篤で、スイス人の医者はもうこれ以上の治療行為は難しいと言ったそうだ。
日本と異なり、ヨーロッパでは長期入院での治療行為は回復の見込みが大きい患者を優先している。
それが所謂「寝たきり老人」が極端に少ない理由らしい。
病室に入って義兄と久々の対面と言いたいが、もうほとんど意識は無いから黙然と細くなった表情を見ているしかない。
そして全員で彼のベッドを囲んでいる時に、義兄は臨終を迎えた。
と言うと突然のようだが、実際は全員がそのときが近いことは感じていたはずだ。
姉が呼吸をしていないことを確認し、その時ひとつの命が世を去ったことを知らされたことになる。
ある程度の覚悟を持ってここへ来たはずだが、やはり粛然とするしかない。
看護婦や医師が忙しく病室を出入りするのを、我々は黙って見ていた。

私は両親の臨終にも立ち会うことは出来なかった。
だからこれ以降の諸事万端にはほとんど知識はない。
そして法的な届出や病院側との折衝など、フランス語が必要な部分では全く助けにならない。
結局それは姉ひとりの肩にかかってくることは避けられない。
つまり気はあっても、実際に出来ることはごく限られているのだ。
さらに、新聞に告知広告を出したこともあって、電話は鳴りっ放し。
一応受話器を取ることは出来るが、その先はちんぷんかんぷん。
多少英語が話せる人もいるが、故人の年齢を考えれば、フランス語は必須という感じ。
それでも故人の教え子や若い友人たちの助けもあって、何とかチャペルでの葬儀とその後の「アペロ(葬儀の参列者に軽い酒食を提供する)」の段取りだけは目処がついた。

式当日、予定時間は1時間半程度。
それでも大事をとって、司会者にはプロの女性を紹介して貰った。
バイオリンの独奏者も伝手で2曲弾いてもらう手はずになっている。
式開始前から三々五々連れ立ってやってくる人たちは、ほんの普段着が多い。
ジーパンにウインドブレーカーなどが代表的なスタイルに見える。
「こちらでは黒なんて着ないのよ」、と姉が言っていたがそういう習慣は無いらしい。
私も黒のスーツはやめて紺のブレザーにした。
それでもフォーマル過ぎたかも知れない。
式そのものは滞りなく進行した。
若いときからランニングに打ち込んでいたこともあってそのクラブから、ジャンジャックルソーの会などから結構苦労して絞り込んだ計5人のスピーカーが語り、バイオリン独奏なども織り交ぜて予定通り終了。
すぐ近くのレストランを借り切っての「アペロ」が1時間半ほど。
これで一応の葬儀は終了したことになるわけだ。

翌日私は帰米の途についた。
再びアイスランドエアーでレイキャビック経由。
それほど姉の役に立ったとは思われないが、義兄の臨終に居合わせることが出来たことはそれでも救われた思いがする。
だが私の周囲には年長の係累が少なからずいる。
12人兄弟の11番目の母の末っ子なのだから、巡り合わせと考えるしかない。
近づいて来るJFK空港を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

「肉食」もたまには…

最早旧聞に属する類になるだろうが、ひと頃「肉食」と「草食」に人を大別することが流行っていた。
勿論別に科学的な考察が為されているわけではないだろうから、言わば面白半分に人の食の嗜好を推し測りその人の人間性にまで好き勝手に言及する、というあまり品の良くないブームだったようだ。
それにしても、最近の食べ物に関するエッセーや探訪記には意図的と思わざるを得ないほど「肉食」について書かれたものが多く、読んでいてうんざりするほど。
そして至るところに見受けられる焼肉店の広告の氾濫ぶり。
私は自分のブログはさぼっても、人のブログは結構小まめに読んでいる。
多いのは築地を中心とする水産関係の従事者の人たちのものと、やはりあちこちの店の食べ歩き。
だが食べ歩きブログは量的にも膨大で、とても細かに読むことは出来そうにない。
そこで、焼肉、ラーメンが主体のものは飛ばすようになった。
これは結局私が好んで食べるものに絞り込んでいるということ。
欲を言えば、ちょっと食べてみたいと思わせるような料理が紹介されているものが好もしい。
そうすると、所謂肉料理はふるいをかけた後にそれほど残らないことに気づいた。
生き残るのは、魚介類や野菜類が中心になる。
要するに、肉は手をかける部分が少ないということのようだ。
確かに肉料理は材料さえ良ければ、あれこれと弄繰り回さない方が美味しいと言えそうだ。
高級焼肉店などでも、宣伝しているのはその店が仕入れている肉の素晴らしさや希少さ。
いい肉がありさえすれば顧客の満足度を高めるのはそれほど難しくない、そんなニュアンスさえ感じる。      そしてほとんどの焼肉店の味付けは甘い。
私はそれ程焼肉店で食事をした経験はないから、断定は出来ない。
だが、高級和牛で名高い松坂をはじめとする肉料理専門店で食べた人たちの感想はその甘さ。
故丸谷才一が自身の食紀行を記した「食通知ったかぶり」で、松阪牛の名店での経験を記している。
「ここでちょいと小声で言へば、もうすこし砂糖を控え目にしてあのロースを食べてみたかったね…」
と、その名店の仲居が鍋に放り込んだ多量の砂糖を恨めしく綴っているのが可笑しい。

「Aged lean beef (熟成赤身牛肉)」、と言えば日本が世界に売り込みをかけた「霜降り肉」とは対照をなす最近流行のステーキだが、日本でも若者たちを中心に人気だそうだ。
というのも可笑しな話で、所謂「霜降り肉」というのは、日本独特の育成法で牛の体に脂肪分を行き渡らせたものであって、世界に類を見ない肉と言えるだろう。
日本の高級焼肉店がこの手の稀有な肉を客に供しているのは、同じ牛から一緒に取れる内臓や舌などの部位をも高価格で売れるからだろうと私は思う。
牛や豚の内臓を食べる国は西欧にもあるが、日本ほど食べ尽くす国はないようだ。
まして、中毒事件で禁止されたが、レバーを生で食べる国は日本をおいて他にはないだろう。
冷蔵技術の進歩が、様々な食品の「生食」を可能にしている。
それが良いことか悪いことかは分らないが、日本が魚を生で食する「刺し身」という調理法を持ち続けて来たことが、「生食」文化の根底にあることは間違いない。
序に言えば、肉の焼き方には「レア(生に近い)」、「ミディアム(半生)」、「ウエルダン(完全に火が通る)」の3種に大別できるが、「レア」で食べるのは日本人がもっとも多いという。
南米では「ウエルダン」が主流だし、ヨーロッパでも「ミディアム」をオーダーする人が多いらしい。
「レア」を好むのは、「生食」に慣れた日本の食生活の影響なのだろう。

食肉と言うと「牛」、「豚」、「鶏」の3種類が世界で最も消費される肉になるが、豚が1億1557万トンで鶏が1億1772万トン、牛が6829万トンと2016年の調査にある。
豚が世界で最も食べられている食肉ということになるが、禁忌として食べないユダヤ系とイスラム系を差っ引いての数字なのだが、その分までも消費しているのが中国系の国々だろう。
こうして見ると、豚や鶏に比して牛肉の消費量が半分に近い点が気にかかる。
そして今までこの分野に進出していなかった中国が、経済力の増大とともに牛肉の購入に力を入れていることが顕著になり、それが牛肉の価格がじりじりと上昇している理由だろう。
実は牛肉に留まらず、中国のワインや高額水産物の輸入量は急激な上昇カーブを描いているようだ。
この傾向はこれからも続くだろうから、蟹や海老の価格は上がりこそすれ下がる望みは薄い。

私の家の近くに「Peter Luger (ピーター ルーガー)」というステーキレストランがある。
実はこの本店がブルックリンにあって、この数十年「全米一」という評価を取り続けているのだが、予約が取れないことでも全米一ではないか、と言われているようだ。
別に何処かに牧場を持っていて、そこで特別な牛を育てているわけではないようだ。
店主がマンハッタンにある「Meat market (肉牛市場)」へ行って、自分が気に入った肉を買いそれを店の地下にある「Aging room (熟成室)」に入れて、2,3週間寝かせておくだけのことらしい。
私はこの店と仕事上の付き合いがあったこともあり、担当の女性に頼み込んで取れない予約を取ってもらって幾度か行ったのだが、そのうち支店でも味は変わらないと聞いて家の近くの店に行くようになった。
とに角この店に行ったら食べるものは「Porterhouse steak ポーターハウスステーキ」別名「T bone steak ティーボーンステーキ」しかないから、メニューを眺めて迷う必要はない。
このステーキはTの字になった骨の両側にサーロインとフィレミニヨンがあり、つまり二つを楽しめるわけだ。
一人前が500g(骨付き)くらいあって、若者ならともかく女性や老人には完食は難しいだろう。

先日、私の誕生日だったこともあって、この「ピーター ルーガー」に久々に予約を入れた。
本店は1,2ヶ月先しか取れないと言われているが、この支店は割り合いすんなり取れる。
店も小さいが、この近辺の人口密度も極めて低い。
4,5日前に電話して、土曜日の開店と同時の予約を貰った。
12時45分の予約時間ぴったりにドアを開けて店に入る。
見ると何故かすでに数組が待合室に坐っている模様。
そのうち3組は全て中国人のようだ。
テーブルに案内されるのを待っている間にも、数組の中国人らしき若者が入って来た。
大学生かひょっとすると高校生くらいのカップルも混じっている。
この町に結構な数の中国人が住んでいることは知っていたが、目の前に見ると少々驚く。
ステーキしかない店だから、一人7,80ドルはかかるはずだ。
高校生や大学生が気軽に入って来る店ではない。
だが見たところ物怖じしている気配もなく、既に幾度か来ているような風情だ。

やっと案内された席に着くと、私たちの隣のテーブルに学生風の2組のカップルが坐った。
メニューを見ているところから察すると、それ程の常連ではないかも知れない。
私たちは「Steak for two (2人前のステーキ)」と付け合せに「Baked potato (ポテト炒め)」、誕生日でもあるし赤ワインを2人分注文したが、彼らはメニューから前菜のようなものをオーダーしているらしい。
さらにロブスターを女の子のために注文したようだ。
私は本店を含めて「ピーター ルーガー」にはかなりの頻度で行っているが、ここでロブスターを頼んだ客は初めて見たような気がする。
全米一のステーキが売り物の店で敢然とロブスターを注文するには、それなりの度胸と無知が必要だろう。
流石にウエイターは平静に見えるが、周囲の客は興味深げにオーダーした若い女性をそれとなく見ている。
考えてみれば、ニューヨークのステーキレストランは売り物のステーキの他に大きなロブスターを常備している。
「Surf and Turf サーフアンドターフ(寄せる波と芝生)」と言えばほとんどのステーキ店のメニューにあるはずだ。
言うなれば最高のご馳走という意味合いなのだろうが、日本で言えば「刺し身にステーキ」という辺りか。
とは言うものの、「Surf サーフ(寄る波)」の方はもうほとんど忘れられているように思われる。
この若い女性のオーダーで、思い出した人も多いのではないか。

滅多にない光景に気を取られているうちに、我々のステーキが運ばれて来た。
2人前だからほとんど1kgのステーキが、大きな銀盆に鎮座している。
滲み出した脂が、斜めに置かれた盆の下側に溜まっているのが食欲をそそる。
ウエイターはサーロインを数片とフィレを1片、我々の皿に取り分けて肉汁をかけまわす。
傍らに置かれたソースは店の看板らしいが、私は塩だけの方が好みだ。
先ずフィレを半分ほどに切って口に運ぶ。
注文がレアだから、中心部はほとんど熱を感じない。
だが噛み締めてみると、中から肉汁がじわっと口中に溢れてくるのが分る。
ソースやタレがないだけ、肉そのものの味わいがストレートに伝わって来るようだ。
最初の2,3切れを食べている時は、ほとんど無口のまま。
このレストランでの最も幸せな時間と言っても良いだろう。
肉を飲み込んだら、ワインをその後に送り込んでやる。
そして新たな肉片に挑戦して行く。

見るともなしに見ると、若者たちもステーキと格闘しているようだ。
その「格闘」という言葉が、ここでは相応しいような気がする。
塩だけで焼いた肉を、口中で噛み締めて味わい尽くす。
そこへ何年かを樽の中で眠っていたワインが、熟成された葡萄のエッセンスを振り撒いて行く。
「肉食家」と自称することのない私でも、稀に食べる肉の旨さが与えてくれる感動は別格だ。
たかだか小一時間に満たない至福の時だが、年に一度か二度のことと考えれば貴重だ。

ステーキは「For two (二人前)」で107ドルとなっている。
高いか安いかは別として、ここ数年でコンスタントに価格は上昇しているようだ。
それでもこの味を維持出来るのであれば、別に不満はない。
味以前がなっていない店が増えている昨今、たまの満足を与えてくれるこういう店は貴重と言わなければならないだろう。


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