還暦スイマー望郷日記

30余年のニューヨーク、今浦島の心境を…

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私は良きオペラファンではない。
劇中で歌われるアリアなどで好きなものはあるが、オペラ全てを愛好してはいるとは言えない。
どちらかと言えば、オーケストラや弦楽四重奏などが好みに合っている。
それもチャイコフスキーとかモーツアルトなどのポピュラーなものに偏っているというか、所謂素人好みのメロディに惹かれる傾向があるのだろう。
一方、家人は何時の間にかオペラ愛好家になり、得々と薀蓄を語ったりする。
同じくオペラ愛好家の友人と、チケットを買っては出かけて行く。
戦前はこういう愛好家を「ペラゴロ」と呼んだそうだが、それを知る人は今はほとんどいないだろう。
オペラと称する演劇はあったが、それはあくまでも物真似でしかなかったようだ。
当時の交通事情などを考えれば、日本人が本物のオペラに接する機会は望むべくもなかったろう。
78回転のレコードを聴くか、日本で本物まがいを聴くか、それくらいの選択肢だったはずだ。

先週末、何年ぶりかのオペラ観劇に出かけた。
演し物はヴェルディの「椿姫」、オペラ中のオペラとも言うべき名作である。
絵画やクラシック音楽と同様、オペラも18,9世紀に名作が多く生まれた。
モーツアルト、ワグナー、プッチーニ、ビゼー、ヴェルディ、ロッシーニなどの作曲家たちが生み出した数々のオペラが今日まで命脈を保ち、多くのファンを熱狂させている。
彼ら以後にも数多の作曲家たちがオペラを拵えたが、今日世界の舞台で演じられているほとんどは18,9世紀の音楽家たちが創ったものだ。
日本人の作曲家が作ったオペラも幾つかあるが、上演される機会は殆んどない。
踊りと音楽の融合という観点からみれば「歌舞伎」との相似点は少なくないが、大衆に受け入れられているという点では比較にならないだろう。
「椿姫」が上演されるのは、リンカーンセンターという幾つかのコンサートホールが建ち並んだ一角にあるメトロポリタンオペラ専用の劇場で、4千人を収容出来る。
ここにある劇場のうち収容人員の大きいホールは、そのホールを建てるにあたって巨額の寄付をした人の名前を付けることが多い。
最大のコンサートホールは「David Geffen デビッド ゲッフェン」と名づけられているが、此処は1973年に建てられた時、10.5ミリオンを寄付した「Avery Fisher アベリー フィッシャー」の名前をつけてオープンし、2015年に建て直しの計画が生まれ、その費用を賄うために500ミリオンの寄付を募ることになる。
そして100ミリオンと言う最高額を寄贈したデビッド ゲッフェンの名前を冠することになった。
自分の名前を冠した劇場にどれだけの値打ちを見出したのかは知らないが、こういうことが可能なのはアメリカの税制が日本と大きく異なるからなのだろう。

今日の「椿姫」というオペラの人気もあってか、結構早くからホールに詰めかけて来る人が多い。
さらに主役の「Violetta ヴィオレッタ」を演じる「Diana Damrau ディアナ ダムロウ」は現在最高のソプラノの一人と目されており、今日のオペラは映画に撮影して世界中の劇場で上演する予定だとか。
「こういう特別の舞台では出演者の気合の入り方が違うから、観客の期待も大きいわけ」
「ペラゴロ」の家人の薀蓄を聞かされているうちに、場内は徐々に暗くなりやがて真っ暗になる。
私たちの席はかなり上の方で、所謂「天上桟敷」までは行かないが、歌舞伎で言えば「通」がたむろしている辺りのようだが、それでも45ドルほどするらしい。
まあこの「椿姫」を見るためにわざわざ日本からやって来る人も多いらしいから、45ドルで観られることは感謝するべきなのだろう。
「椿姫」は、一言で言えば「擬似恋愛」を売り物にする娼婦が純愛に目覚める話である。
もっと簡単に言えば、昔の吉原を舞台にした話と良く似ていると言えそうだ。
太夫と呼ばれる高級娼婦は和歌漢詩の教養を身につけ、琴や囲碁将棋の嗜みさえあったらしい。
落語や講談で語られることが多いため真偽の程は定かではないが、10代あまり続いた「高尾太夫」には大名に落籍されたほどの名花もいたようで、彼女の客になるには余程の身代がなければならず、かかる費用も交わす言葉もまさしく「椿姫」の世界そのままだ。
落語の「紺屋高尾」は人情話として有名だが、これは史実だとも言われているらしい。
「椿姫」で歌われる「乾杯の歌」は、このオペラで最も知られた歌曲だが第一幕の冒頭に出て来る。
人気のオペラだけあって、何処かで聞いたようなメロディが絶え間なく流れ、それがディアナ ダムロウのソプラノなのだから観客の拍手は鳴り止まない。
このオペラの登場人物は至って少なく、言ってみればソプラノの独擅場に近いのだが、彼女の恋人の父親を演ずる「Quinn Kelsey クィン ケルシー」というバリトンが素晴らしかった。
娼婦である「椿姫ヴィオレッタ」に自分の息子と別れてくれと説得する役割だが、最後には彼女の純愛を知って息子と幸せになって欲しいと願い、病に倒れたヴィオレッタを力づける。
終演後の拍手は、ソプラノのダムロウに次いで多く、ほとんど互角とさえ見えた。
アメリカのオペラ観客は見巧者が多く、気を抜いた歌いっぷりなど見せれば、「ブー」を浴びせられる。
まあ今日は映画撮影があったそうだから、大いに張り切って歌っただろうことは想像に難くない。

それにしても主役クラスが3人しか出ていないのだから、その中心にいるソプラノはほとんど歌い続けであり、その体力には驚かされてしまう。
調べてみるとこのダムロウはすでに47歳、2児の母だそうだが余程鍛えているのだろう。
私は日本のオペラを観たことはないが、こんなに体力を消耗する舞台に耐えられるのだろうか。
陸上競技やバスケットボール、ラグビーなどで見せ付けられた彼我の体力の差を改めて感じた。
2度のインターミッションを挟んで3時間以上の舞台だったが、世界の一流に圧倒されるばかり。
最後に登場人物が舞台に並んで挨拶をする辺りで、客の拍手喚声は頂点に達したようだ。
私にとって十数年ぶりのオペラ観劇だったが、やはり本物には本物の迫力がある。
今度は良いテノールを聴きたいものだ。
誰かチケットを廻してくれないかな。
「カルメン」「魔笛」「リゴレット」なんかも悪くない。
などと虫の良いことを考えながら劇場を後にした。

このところ、プール通いは週3回程度のペースで落ち着いている。
調子が良い時は2日続けて泳いだりしてみたが、やはり疲れを持ち越してしまうようだ。
朝泳いで、その疲れが取れるのは夕刻近くなる。
色々考えて、水泳とジムでのエクササイズを交互にすることにしてみた。
今日泳いだら明日はジムで器具を使うトレーニングをこなす。
その翌日は再び水泳で1000ほど泳ぎ、その次の日はジムで汗を流す。
ジムには常駐のトレーナーがいて、相談すれば色々とトレーニングの組み立てを指導してくれるらしい。
だがそれは勿論無料ではない。
幾らだか知らないけれど、お金を払ってまでとは思わない。
多分実際にトレーナーの指導を受ければ、それなりの効果はあるのだろうが。

もう20年以上の昔になるが、私はマンハッタンのジムのメンバーだった。
高層ビルの地下に作られたジムでプールと数多いトレーニング器具があった。
そこで私は自己流の訓練をやって、肘を痛めてしまった。
それ以来、私は何処のジムでもトレーニング器具の類にはタッチしない。
だがもうそれは数十年も前のことだし、肘を痛めた理由も分っている。
そこで、自分なりの組み立てを拵えてみることにした。
先ず脚力強化のための「自転車」、勿論固定されたものでペダルの強度は幾段階かに変化出来る。
これは軽いレベルで30分ほどを休み無しで漕ぐ。
次に腕の筋力を鍛えるために、錘に連結されているバーを左右の手で握り伸び切った所から胸辺りまで引く。
これを100回ほどこなして、次は脚と膝の強化のための器具。
胸の辺りまで縮めた両脚を伸ばしながら、前部の鉄板を押しやるのを100回。
何しろ器具は数十種類あるから、有効そうなものを選んで効果的にやらなければならない。
バーベルを持ち上げたり、鉄棒からぶら下がったり、どれも体を鍛えるには如何にも効果的に見えるが、自分の目的に沿った器具を選ぶのが第一歩であることは間違いない。
で、私は鍛えたい部分を決めて器具を選び、一番軽い数値にセットして始めることにした。
上記の3種類の他に、腹筋の器具で軽いレベルを40回、折り曲げた体を背筋と共に伸ばす運動を40回。
都合5種類を水泳の3日に挟んで週3,4回をこなすことにした。

前記したように、ふた昔ほど前私はマンハッタンのジムに通っていた。
ビジネス街の真ん中にあるジムだけに、早朝からビジネスマンが出入りしており9時を過ぎると閑散として来る。
私は何時でも空いている頃合を見計らってプールに行き、稀にトレーニングルームを覗いていた。
寸暇を惜しむ忙しいビジネスマンがほとんどだから、9時過ぎにプールにいるようなメンバーは既にリタイア近い高齢者か、そんな時間でも自由になる幹部クラスだったのだろう。
当時はマンハッタンの至るところにジムがオープンし、安い入会金や月極め料金で会員を募っていた。
そんな乱立するジムは、とに角入会金を集めることが第一で、溢れかえる会員でまともなトレーニングが出来ずに嫌気がさして退会するメンバーは幾ら多くても気にしない。
メンバーが減ったら減ったで、さらに入会金を下げれば良いだけのことだという。
まるで詐欺だが、これを立件するのは難しいらしく、ほとんどの会員は黙って辞めていくそうだ。
私が入っていたジムは大きな保険会社が拵えたもので、メンバーはその会社の社員若しくはそのビルのテナントになっている会社の社員に限られていたようで、私は家人が勤めていた旅行代理店の伝手でメンバーになれた。
月会費は決して安くはなかったが、無料バスタオルや備え付けのシャンプーやスキンクリームなどが完備されており、場所柄朝の9時から夕方の5時までは人影もまばらで結構快適だった。
だが私がマンハッタンからクイーンズに引越しして会社がブルックリンとなると、色々と不便が生じて来る。
先ず家からオフィスへの通勤路に、マンハッタンは全く含まれていない。
若しマンハッタンへ行くなら、それはジムのためだけ、ということになる。
で、結局マンハッタンは諦めて、もとの通りアパートのジムに戻ったわけだ。

出戻ってみると、やはり此処のプールは大きくて奇麗だ。
マンハッタンの地下のプールと異なり、泳ぎながら開かれた天井から青空を眺められる。
背泳ぎが専門の私のためにあるようなプール、と言っても過言ではない。
そのうえ何故かプールは何時でも空いている。
聞けば朝晩や週末などはそこそこ泳ぐ人がいると言う。
だがそれは、時間が自由になる私にはほとんど痛痒にならない。
平日の午前中に行けば、ほとんど無人のプールを独り占め出来る。
泳ぎ終えて、プールの片隅に設えられたジャークージーで暖まれば、快適さはいや増す。
ただ、メンバー不足はこのプールの最大の悩みらしい。
そしてプールの奥にあるレストランスペースは、現在のところがらんどうのままだ。
今まで数軒のレストランが営業したが、長続きしない。
まあレストランと言っても、卵料理中心の朝飯と何処にでもあるようなピザやハンバーグ程度の店だ。
ジムの方でも、メンバーには50ドル見当の無料券を出して集客を手伝ったようだが、使い終わればそれっきり。
私も家人と2人で100ドルの無料券を使って幾度か目玉焼きやオムレツを食べたが、味に感動してそれ以降も通い続ける、などということはない。
今回入った店も、僅か数ヶ月で姿を消してしまった。
今は椅子やテーブルが、積み重ねられた哀れな姿を曝しているのみ。
家人が漏れ聞いたところによれば、新しいレストランが入居する予定はほとんどゼロに近いとか。
此処の店は、以前はジムのメンバーしか入れないなどという訳の分らないルールを作っていたのだが、それを辞めてレストランの客はメンバーでなくても入れるようにしたばかりだったが、店が消えてはどうしようもない。
まあ、どうやっても客を呼び込む力は無かったということらしい。

プールと器具のトレーニングを1日おきにして、ほぼひと月近く経った。
効果の程は分らないが、毎日体を動かしているという実感はある。
自転車にしろ腕や脚の反復運動にしろ、何かをしているという充実感のようなものを感じるようになった。
あと半年、普通の行動を無理なく出来るようになれれば、日本に戻る筋道もつけられそうだ。
勿論体だけ旧に復しても、一人前とは言えないだろう。
肝腎の頭の中身も何とかせせこましい日本の毎日について行けるかどうか。
毎日持ち歩いているスマートフォンを、せめて半分程度使いこなせるかどうか。
課題は多く、道のりは長い。
えらいこっちゃ。

私は東京の西郊と言おうか、分りやすく言えば都の西側に位置する杉並育ちだから、身近な盛り場と言えば新宿であり、ごく稀に渋谷や銀座にまで足を伸ばすことはあっても、浅草やそれ以東に足を踏み入れたことは記憶に無かったように思う。
私が浅草辺りを物珍しげに覗きまわるようになったのは、実はアメリカに住み始めて以後のことになる。
と言っても年に精々1,2度の帰国の合間に行くのだから、限られた店や寺や神社を眺める程度のことだ。
だから本当にそのディープな部分を訪ねられるようになったのは、ここ数年ではないだろうか。
例えば合羽橋の調理器具専門店街なども、必ず行くようになったのはこの4,5年のような気がする。
雷門からすぐの「並木藪蕎麦」にしても、見つけて行き始めたのは良いがすぐに行列が長くなり、今では1時間以上待ちが当たり前という状況になってしまった。
夥しい数の所謂グルメブログの氾濫で、昔であれば並程度の店が持ち上げられ「名店」と呼ばれ、店主は「この道ひと筋の職人」ということになり、知らぬ間にメニューも値上がりしてしまう。
私が子供の頃良く行った「M」というラーメン屋もマスコミに持ち上げられあっと言う間に「日本一」の店になった。
もうその頃は単なる行列ではなく数時間待ちという話だったから私も行く気も失せていたが、やっかみもあったのだろうが店側の客あしらいの悪さが喧伝されるようになった。
「うちはレンゲを出していません」とか「隣同士話すのは辞めてくれ」だの、まことしやかに囁かれる逸話は、昔を知る私たちにとっては信じられないような話ばかり。
幼かった私の麺を、一度水に通して食べやすくしてくれた店主からは想像もつかない人間像。
やがて巨額の脱税を摘発されて、見る間に萎んでしまった。
今でも私はたまにこの荻窪を覗くこともあるが、その「M」はもはや存在しない。
おそらく名前すら忘れ去られたのかも知れない。
大きな盛り場にある有名店は、客こそ多いが味に関しては疑問符がつくところが多い気がする。
私にとって唯一の盛り場だった新宿だが、今では単なる薄汚れた場末としか思われない。

そして、過去の遺物めいていた浅草や下町が息を吹き返しつつある。
かつて山本夏彦は、「浅草や銀座は衰退して行く街だ」と書き、それは充分説得力があった。
だが現実には、東京の盛り場は人口の増加を受けて拡大の一方のようだ。
その要因のひとつに、海外からの人の流入があることは間違いない。
今回私は合羽橋の調理器具店街を歩いていて、外国人客の多さに驚かされた。
日本独特の飲食店用の商品見本の人気は以前から知られていたが、今の彼らはそんな時点は越えて日本の調理器具の精巧さや使い易さに惹かれて来ていることが良く分る。
一品一品は決して安くはないが、投資に見合うものが得られることを既に学んでいるようだ。
2,3万円を越える庖丁や鍋などが買われているのを見ると、日本の技術を再確認するとともに、それを見極められる海外から来た調理人たちの熱意に感心してしまう。
ただ、日本の料理人が使う庖丁類は研磨が容易ではない。
器械で研ぐ国も多いが、日本古来の刃物は職人が砥石の癖まで見極めてほぼ毎日仕事後に研ぐ習慣になっているので、そう簡単に習得することは難しいのではないか。
売る店の方がそこまで考えているのかどうか、売りっ放しではないのか、些か疑問ではある。

浅草のみならず江戸時代から職人や専門職が集まっていた下町は、興味深い処が多い。
それをあらわす町名があちこちに存在していたのだが、戦後町名改革とやらで変哲も無い名前に改称させられてしまった事例を幾らでも探し出せる。
一体、東京の人たちやお役所の連中は「富士」という名前が大好きなようで、「XX富士町」とか「富士XX町」と名づけられた新興住宅地は結構ある。
調べたことはないが、関東や甲府、さらには東海地方の富士を望める町村には「富士」を取り入れた新町名に変えたところも少なくないと聞いた。
これも調べたこともないが、その周辺の小中学校や高校の校歌には「富士」が頻出しているのだろう。
別に目くじらを立てて非難するほどのことではないが、やはり少々うんざりする。

「校歌」のついでに言うが、これもそろそろ考え直す時期に来ているのではなかろうか。
当時の文人が古色蒼然たる言葉を繋いだ詩に、これまた大家と看做された作曲家が曲を添えて既に100年以上の年月唄われ続けて来た校歌は、最早その言葉の持つ弾力性は失われているだろう。
多くは美辞麗句を連ねた、若者には理解出来ない古めかしい言葉の羅列でしかない。
極言すれば、校歌とは甲子園で歌われるかどうかで値打ちが決まるもののように思われているらしい。
何千何百という学校が何千何百という校歌を持ち、ことあるごとにそれを唄っているというのも唯一日本にしかない奇習と言っても良いのではないか。
日本に校歌というものが生まれ唄われるようになったのは明治以降であり、政府主導の教育の一環とされたことはほぼ間違いがないようだ。
欧米やアジアの諸国にも校歌を持つ学校は存在するらしいが、日本のように決まった記念日、例えば創立記念日、入学式、卒業式などで唄うことが決められている例は少ない。
それを日本独特の文化と看做すか、陳腐な陋習を守り続ける悪弊とみるか、意見は別れるかも知れない。
だが、実際に歌う学生たちがその詞の意味をほとんど理解していないのは、これまた可笑しなものだろう。

「校歌」について考えると、すぐ浮かんで来る名前がある。
「信時潔」と言えば、「ああ あの人か…」と良し悪しは別にして、その名前を思い出すだろう。
「信時潔」という名前は知らなくても、彼が作曲した多くの歌のひとつくらいは知っているはずだ。
「海ゆかば」は、戦時中おそらく最も歌われた彼の作品だろう。
この歌ゆえに、信時潔は戦争称揚の作曲家として戦後は逼塞していたという。
同様に活動していた山田耕筰と較べれば、大きな違いと言えるだろう。
信時潔の作品は、実は信じられないほど多岐に亘っている。
彼が作曲した大学高校中学小学校の校歌の多さは、想像を遥かに超えているのだ。
彼の拵えた校歌を持つ学校が日本全国に網羅されていることは別に不思議ではない。
また、そのほとんどが県立、町立、区立という公立学校であることも、頷けるだろう。
さらにまた、明治以降多くの学校が校歌作りに狂奔したであろうことも想像出来る。
それはまさに、今の「ゆるキャラ」作りと同様の「乗り遅れてはならない」という懸命さだっただろう。
そういう場合、誰もが考えるのが既にその道で名を成した人に依頼することだ。
既に多くの校歌を作曲し大家と目されている信時潔などは、まさに打ってつけと言えそうだ。
生涯を通じて800以上の校歌を作曲した信時だが、それ以外にも社歌や団体歌なども作っている。
戦後は自主的に拵える曲の数を減らしたようだが、それでも彼が作曲した校歌の数は驚異的だ。
その作品が歌われた、という点で考えればひょっとすると日本一、いや世界一かも知れない。
比較は難しいが、ギネスブックが認定する可能性も無きにあらず、かな。

私の下町漫歩はまだまだ緒に着いたばかりだが、数あるブログのお蔭で知識だけは豊富だ。
それだけではない。
以前幾つか訪ねてみた地方魚市場行脚も、続けたいもののひとつ。
ただこれはどんなに急いでも1日にひとつが限界だから、そう簡単には行かない。
まあ時間はたっぷりあるはずだから(?)、ゆるゆると行くことにしよう。
札所巡りの人気は相変わらずのようだが、市場巡りもそのうちブームになるかも知れない。

今回の日本帰国の目的の一つに、「新豊洲市場」をこの目で見たいという希望があった。
私が築地に行くようになってもう30数年になるが、毎回競り場を見、次いで場内の中卸店を覗くのが行程に入っていて、その後場内の食堂で遅い朝飯かまたは早めの昼飯をしたためるのが締め括りになっていた。
それは時には寿司であり、魚の煮付けであり、天麩羅であった。
築地に通い始めた頃はどこの店もそこそこに込んではいたが、行列を作って長時間待つなどということはなかったし何処か他で間に合わせることも出来た。
そして銀座で飲んだ帰りだろうか、ホステスと思しき女性を連れたビジネスマン風が寿司屋で〆の寿司を食べている光景に出くわすこともあった。
私にしても若さもあったろうが、時には朝まで吞んでそのまま競り場を覗き、そして早朝の仕上げの飯を喰ったりもしていたのだから、似たり寄ったりと言われても仕方がない。
そういう無茶が出来なくなってもう十数年経つ。
競り前の品物を見たいなら4時過ぎには行かなくてはならないが、これに間に合わせるのはなかなか難しい。
「競り」と書いたが、実際に競られて価格が決まるのは、現在では所謂「大物」と呼ばれるマグロ、カジキ類とウニの2種類しか残されていない。
その他はどうしているかと言えば、品物を受ける大卸(荷受とも呼ぶ)と出荷者で大まかな話し合いをして事前に価格を決めておくのが普通だ。
それでは「慣れ合い」ではないか、という批判が聞こえて来そうだが、現在の中央卸売市場が扱える数量とそれを切り回す各社の従業員の労力を考えれば止むを得ないと誰もが考えている。
若し全ての魚の価格を競りで決めるとすれば、まる1日かけても競りは終わらないことになり兼ねない。
その2種類にしても時間内に終わらせるのは非常に難しく、競り残しを馴染み客に頼んで引き取ってもらう、などという競りの後のやり取りは日常茶飯になっているらしい。
この2種類にしても限られた時間内に終わらせるためには、定時に始めて時間内に終了させることが必要だ。
だから競りを見たければ時間に遅れないように競り場に行かなければならない。
競り場に一番近い宿泊施設は、市場の前にあるビジネスホテルか市場の中にある施設に泊まるくらいだが、そのどちらも部屋がタバコ臭くてとても安眠できるとは言い難い。
で、何時の間にか7時過ぎにちょっと顔を出す程度のものになってしまった。
何のことはない、朝飯を食べに行っているのと大差はないわけだ。
しかもここ数年は、まさに単なる「朝飯客」そのものになっていたし。

豊洲市場の大体の場所の見当はついてはいたが、そこに行くルートは未だ知らなかった。
新橋に着いて汐留口に出て、私は2人連れの警察官に尋ねることにした。
「それは1番のバス停から豊洲行きに乗って下さい」
ニューヨークのポリスとは全く異なる丁寧な言葉遣いで、彼は私に答えてくれた。
探すまでもなく1番の停留所はすぐ近くにあった。
ややあってやって来たバスに乗り込み、後はバスに連れて行かれるのを待つだけ。
どうやらこの路線は以前「築地市場行き」だったようで、見慣れた築地4丁目から勝鬨橋を渡る。
流石に新しい市場へ行く路線だけあって、結構混雑しているようだ。
それでも都合40分ほどで終点「豊洲市場」に着いた、
すでに10時に近く、市場の建物のそこかしこにはかなり大勢の人影が見える。
グレーっぽい4,5階建てのビルが幾つか建ち並び、だが此処からは何の建物かの見当はつかない。
とり合えず少し纏まった人の群に混ざって手近なビルに行って見ることにした。
この群は主として外国人用のツアーらしく、ガイドのような女性が英語で説明をしながら歩いて行く。
だが考えてみるとこの時間帯なら、もうほとんどの競りも中卸店の営業も終わっているはずだ。
巨大なマグロが競りにかけられる場面を期待してやって来た人たちには気の毒だが、そのマグロたちは既に解体されて中卸店で売られているか、既に客に買われて運ばれているか、なのだ。
ビルに入った辺りで、私はこの集団と別れて最上階の商店街に向かった。

以前は固まっていた商店や飲食店は、此処では幾つかのビルに分散されている。
だから、狙って来た寿司店の行列が長過ぎても急遽別の店に目標を変えるのは簡単ではない。
まして以前は場内の店が駄目なら場外の店にシフトすると言う手もあったが、今ではそれも出来ない。
まあ半年くらいは試行錯誤が続いて、出るべき不満も全て出て、どうにか落ち着くのではないか。
しかし景気が下向いている水産業界の最前線を死守している中卸店には、かなり厳しい試練の数年だろう。
私が知っているだけでも数十軒が廃業したり倒産したりしているし、廃業の大きな理由は後継者不足だと言う。
後を継ぐ2代目3代目が安定した大企業に雇われてしまえば、親の権限で店を継がせられる時代ではない。
そもそも水産業というビジネスが根底からぐらつき始めているのだから、何を言っても説得力が無い。
生産者―漁協―魚市場(大卸)−中卸―小売業、飲食業 という明治大正昭和と先人たちが築き上げたルートを後生大事に守り続けて来たツケが廻って来たとも言えるし、獲れるのを良いことに好き放題に魚を捕って来た旧来の漁法が自らの首を締めた、とも言えそうだ。
所謂「栽培漁業(養殖)」の生産量が世界的に急激に伸びたこともあって、水産物総合計では中国の8,152万トンが群を抜いており、日本は世界7位の434万トンに留まっている(2016年)。
内水面栽培漁業(地上での養殖)での日本の技術は高く評価されているが、世界市場に売れるものより国内価格が高い産品を製造する傾向が強く、その辺りがこの産業の将来を占う面で問題なのかも知れない。
だが欧州を市場と考えた場合、養殖鮭の輸送価格はノルウェーよりずっと高くなるし、アメリカと看做せば南米のチリの優位は動かないことが分るだろう。
だからどうしてもそんな諸経費を含めた価格が期待出来るような、国内需要の高い商品に向かうことになる。
鯛をはじめ、ハタやクエなどの高級魚の養殖が盛んになるのは無理からぬことと言えそうだ。
だが高級魚を養殖したからといって、それが期待通り高値で買われるかどうか、難しいところだ。
養殖の魚の価格が上がれば、その魚種の天然物の価格はさらに一段高くなることは必定だ。
某大学が成功したホンマグロの完全養殖にしても、天然を凌ぐとは誰も言わない。
鯛であれ鰤であれ、話は全く同様だろう。

新しい市場は以前と異なって各部門は結構離れており、慣れるには時間がかかりそうだ。
さらに新しく出来たビルだが、その薄いグレーの外観はあまり明るい印象ではない。
旧市場では長屋風に纏まっていた商店群も、此処では幾つかの棟に分けられている。
多くの外来客が求めている食堂も4つ5つの棟に分散しているから、先ずその店を見つけなければならない。
人気の中心は、やはり寿司を筆頭に生鮮魚介を提供する店のようだ。
顔触れを見ると、以前聞いたことも無い店が幾つか混じっている。
移転を契機に廃業した店の代わりに新規開店した店なのかも知れない。
私も何か食べたいと思ったが、旧市場で人気だった店には此処でも長い列が出来ている。
それでも以前は3,4時間待つこともあったらしいが、この様子なら1時間程度だろう。
と言っても、私には1時間以上待つ気はない。
昔1,2度行った天婦羅屋を探すことにして、壁の場内地図を眺める。
ぽつんと離れた棟にはたった4軒しか店が入っていない。
以前大人気だった寿司店とその天婦羅屋と蕎麦屋。

エレベーターに乗って一階に下って、試行錯誤の末やっと天婦羅屋に辿り着いた。
私の前には一組のカップルがいるだけ。
店の表には待ち客用の椅子が幾つか用意されていた。
中を窺うと一応満員だが、それほど待たされる様子ではない。
表にでは看板にはメニューが出ている。
「天丼 1300円」「芝海老穴子天丼 1600円」「大海老天丼 1600円」などとある。
神田新橋辺りのサラリーマン相手の店とすれば高いが、銀座と較べれば似たようなものか。
築地の場内店は高い、と良く言われていたが、それは彼らが本職の板前や魚屋を客筋として持っていることに最大の理由があったことは知られている。
「プロ相手に変なものは出せない」「一流料亭の職人だって来るんだから…」
そんな矜持が各店にあったかどうかは別として、流石に不味いと言われる店は無かったように思う。
中には「煮魚定食」で5000円という店もあったが、そこそこに客はついていたらしい。
その店はこの豊洲に移転して来たが、新しい店のメニューは「お任せ 10000円」のみというから驚く。
試してみたい気はするが、やはり躊躇してしまうのは当たり前だろう。
しかし最高の食材を取り揃えた朝昼兼用の食事とはどんなものか、垣間見るだけでも悪くはない。

妄想に耽っている間に、私の席が空いたらしい。
流石に開店したばかりの店だけあって、全てが新しく清潔感がある。
だが、ちょっと角度を変えて見ると東北大震災後の仮設店舗という感がないでもない。
天婦羅屋なのに油の香りがしない。
板場の店主もサービス担当の女将さんも、未だ何処と無くよそ行きの雰囲気が抜け切れていないようだ。
私は「芝海老穴子天丼」を頼み、缶ビールを1本追加した。
私の席は壁に向かっているが、背後の4人掛けの3つのテーブルはゆったりとしている。
以前のこの店の狭苦しさを思い出すと、やはり何か違和感が拭えない。
どんな老舗でも内装も外装も変わってしまえば、その店らしさを取り戻すには時間がかかるものだ。
まあ最低でも2,3年はかかるのだろうな、と私は芝海老を齧りながら考えた。
有り難いことに食べ物に違和感はない。
流石に築地場内で数十年生き抜いた店だけのことはある、と褒めたいくらい。
この次又この店に来ることがあるかどうかは分らないが、満足したことは確かだ。

「牡蠣」は世界中で最も食べられている二枚貝だろう。
その歴史が古いことは、日本各地で発見された「貝塚」で見られる貝殻の多くが牡蠣であることからも充分推測出来そうだ。
養殖が可能なことから世界中至るところで食用とされ、生鮮としても加工用としても広く利用されている。
宗教的な理由からイスラム教やユダヤ教の人たちは食べないが、それでも全世界で消費される牡蠣の量は実に膨大なものだと思わざるを得ない。
牡蠣に関して気づくことは、既に数千年の歴史がある食材にしては牡蠣をメインにした料理が以外に少ないことだ。
勿論多くの著名なシェフが牡蠣料理を著わしてはいるのだが、現代にまで残されたものは少ない。
それは日本料理にしても同じことで、一流と謳われた料亭などでも牡蠣を主菜にして評判をとった料理はあまり聞いた覚えが無いように思う。
その理由は色々考えられるだろうが、真っ先に言われるのは「牡蠣」そのものの旨さだろう。
殻を開いてレモンの汁を絞るだけで、下手な細工ではおよびもつかない美味が口中に滑り込む。
バターで炒めてもフライにしても充分旨いが、それはあくまでも「充分旨い」のであって究極ではない。
真っ先に「究極に旨い」ものを突きつけられてしまえば、料理人のなす術はないだろう。

フランスのレストランで、冬場の牡蠣のサービスはシェフの仕事ではない。
「ギャルソン」と呼ばれる給仕人が自分で殻を剥いて客席に運ぶのだそうだ。
つまり、料理人が手を出す部分は最初から無い、ということなのではないか。
「オイスターバー」と言えば、マンハッタンのグランドセントラル駅にあるシーフードレストランだが、ここで売り物の「生牡蠣」を頼めば、壁際に待機している牡蠣剥き専門の数人がオーダーをこなす。
この連中は「オイスターチャウダー(牡蠣スープ)」も拵えるところをみれば、キッチンで待機しているシェフたちはどうやら牡蠣の料理には手を出さないのではないか、と推察出来る。
アメリカのニューオリーンズは牡蠣などのシーフードで名を馳せたところだが、此処でも牡蠣剥きは黒人の少年たちの仕事と決められているようで、彼らは黙々と牡蠣を剥き続けている。
ここのレストランはフレンチの系統を引いているので、シェフは牡蠣には手を出さないのかも知れない。

私は人並みに牡蠣が好きで自分でもカキフライなどを料理するが、アメリカでは生食用の剥き牡蠣は売られていないので、自分で開けるしか食べる方法はない。
随分以前に、客をもてなすために魚市場から殻つきの牡蠣をひと箱買って来て挑戦したことがある。
60個ほども開けただろうか、結構旨かったが手は血まみれになりそれ以後2度と試していない。
そういう話を日本の人にすると、「あら、日本では町のスーパーで生食用が買えるわよ」と言われるのだが、実はその裏でかなりの食中毒が発生していることはあまり知られていない。
今回日本の魚屋で「生食用」という牡蠣を幾度か見かけたのだが、結局手を出さなかった。
アメリカで買う生牡蠣は加熱用であり、西海岸から冷蔵トラックで4,5日かけて運んで来るのだから、賞味期限のチェックは慎重にならざるを得ない。
私は小粒で磯の匂いがする牡蠣が好みなのだが、町で売られている加熱用は大体大粒のようだ。
だから賞味期限がたっぷりあって「Small」という表示があれば、すぐ手が出ることになる。
まあそれでも、日本でならかなりの大粒と評価されるだろうが。

最近日本では上野のアメ横や御徒町周辺をうろつくことが多くなり、そこから浅草や錦糸町などに足を伸ばすことも少なくない。
「山家」という店でとんかつを食べて暫く後。
11時過ぎごろその近くを通りかかった。
とんかつを食べた折り、メニューに「牡蠣フライ」があったのを頭の隅でしっかりと覚えていた。
「牡蠣フライ」というものを食べるに相応しい店を、生憎私は知らない。
デパートの食堂にならあるだろうが、それは出来るだけ避けたい。
そうなれば洋食専門の店かフライ専門の店、という択一になりそうだ。
であれば、今此処を通りかかったのは天の配剤と言えるのではないか。
記憶の糸を手繰って、私は再び「山家」の前にやって来た。
もう行列は出来ているが、前回よりは短い。
最初の時は若干の躊躇いがあったが、2度目となれば自然に体が動く。
列の最後尾に並び、後は前の人について行くだけ。
店内に入り、「カキフライ 950円」という白木のメニューを再確認した。
長椅子に坐り女性店員からオーダーを訊ねられて、「カキフライ」と告げるとひと仕事終わった気がする。
他の客のオーダーを聞くともなく聞いていると、やはり「ロースカツ」が圧倒的に多い。
耳を澄ましたつもりだったが、「カキフライ」は私ひとりのようだ。
200円の価格差ゆえか、それとも「カキフライ」ならもっと旨い店があるのだろうか。
心が千々に乱れるとは大袈裟だが、かすかな不安が生じていたことは確かだ。
だがその不安も、カウンターに座り私のものらしいパン粉の小さな塊を見出すまでのこと。
思いのほか大きい塊が5つ、大きな鍋から抓み上げられて来る。
既に用意された千切りキャベツの上に丁寧に置き、辛子とタルタルソースをチューブから絞り出す。
うーむ、市販のタルタルソースは少々残念だが、この価格なら止むを得ないとするか。
5つの牡蠣に蜆の味噌汁にどんぶり飯で950円ぽっきり、税もチップも不要。
文句を言ったらバチが当たるだろう。
最初の牡蠣を箸で抓み上げ、タルタルソースをなすりつけて口に運ぶ。
やはり少々甘い。
そもそも私はマヨネーズと言う調味料があまり好きではない。
自分で料理をする時、ポテトサラダには止むを得ずマヨネーズをかけるが、それもごく少量だ。
出来得るならば、ここはマヨネーズではなく和食の「黄身酢」を添えて欲しかったところだ。
いやいやそんな贅沢が言えるほどの高額料理を食べているわけではない。
思い直して、次は卓上のソースをかけてみた。
さらに言えば、私はこのトンカツソースもあまり得手ではないのだ。
この2つにトマトケチャップを加えれば、「私の嫌いな3大調味料」勢揃いになる。
だが今はそんなことは言っていられない。
それにソース味のカキフライは、タルタルソースよりはずっと飯に合う。
そして、キャベツにはやはりこのソースが最適だろう。
そして肝腎の牡蠣の味だが、からっと揚がった衣と相俟って、松島か広島かは分らないが潮の香りを感じさせてくれる上々の揚がり具合だ。
「ロースカツ定食に、牡蠣を一つつけて下さい」
人心地ついてちょっと箸を休めたところで、そんな注文が耳に入って来た。
ふーん、此処はそんな細かい注文も受けているのか。
であれば、メニューにある「アジフライ 一つ190円」なども頼めるんだな。
多少身構えて入ってみたとんかつ屋ではあるが、実態はごくごく気安い町の「飯屋」だったらしい。
とは言え、前回「ロースカツ定食」ひとつで他の客よりも随分遅れて食べ終えたのだから、そんな注文をするにはまだまだ経験を積まなくてはならないようだ。
言うなれば、「とんかつ屋 初心者篇 第2部」に進んだばかりなのだから。

それでも勘定を終えて出て来た私の姿勢に、「とんかつ屋 ベテラン篇」の片鱗くらいは垣間見えたかも知れない。


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