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ニューヨークでは、NHKのニュースを、ほぼ同時刻に見ることが出来る。
日本で夕刻7時のニュースが、こちらでは朝6時になる。
朝「こんばんわ」を聞き、夜「おはようございます」と言われる以外、違和感は無い。
野球であれ、相撲であれ、ほとんどのニュースに不自由しない。
ただ、「放送権の都合で画像は放映出来ません」
というテロップで、音だけ聞こえているのは、些か気分を害する。
月々30ドル近い聴視料を払っているのだから。
で、昨日のニュースにこういう話があった。
「サマーワから引き上げる自衛隊員は、長期間ストレスの多い隊務だったので、クエートに移動して
暫く精神的なセラピーを受けてから、帰国する…云々。」
聞き流していたので、文脈は変っているかも知れないが、大意は間違っていない、と思う。
別にそのことをとやかく言うつもりは無いが、いささか意表を衝かれた思いがした。
最近、何か事件があると、被害者は精神的な後遺症を和らげるため、専門家のセラピーを受ける。
大阪の池田小学校事件や、同級生に殺されたなどの事件は、子供に大きな精神的衝撃を与えて
いるだろうし、幼い子供の心にある不安感を取り除くセラピーは重要だろう。
また、親が殺されたとか、兄弟が殺傷されたなどの場合も、それが必要であろう。
こころの傷が癒されるには、時間と周囲の環境作りが大事だ、とも思う。
しかし、自衛隊員は一人の大人である。
それも、只の大人ではない。
一旦事あれば、国と国民の安全の為に戦うべき役割である。
当然それなりの心構えも覚悟もある、と我々は考えている。
そういう人たちでも、精神のセラピーが必要なのだろうか。
サマーワの仕事は、確かに精神的にも肉体的にも疲れるものだったろう。
何時、何処から飛んで来るか分からない敵弾の恐怖も、あったことは想像に難くない。
喧々諤々、国民全ての賛同で送り出された訳ではないことも、同情に値する。
無事に帰国するに際して、その労は十分にねぎらわれるべきとも思う。
だが、それとセラピーなるものが、どうしても結びつかないのである。
誰一人傷ついていないし、誰かを傷つけた訳でもない。
オーストラリア兵やイギリス兵に、守られていたのではないか。
こういう場合のセラピーとは、一体如何なるものか。
太平洋戦争の惨禍を語る人たちは、まだまだいる。
大空襲で親を殺され、友を失った人たちは数知れない。
それは地獄の辛酸だったろう。
戦地で、九死に一生を拾った人もいる。
シベリヤに抑留されて、幸運にも帰国出来た人。
特攻に出、機体の故障で命を長らえた人。
こういう人は、今生きている。
別に格別の精神的な治療など、勿論受けていない。
それでも、明るく子供を育て、親を看取り、自分の人生を精一杯生きている。
私は思うのだが、最近の人たちは過剰に保護されていないだろうか。
事件が起こる度に、精神科医とか、小児教育の専門家などが、滔々と専門的意見を開陳する。
必ず、心のケアの必要性が強調される。
自分の仕事の重要性を、説かれているようにも聞こえる。
こういうことを言えば、必ず反論を受ける。
「人間の心の傷がわかるか。」
とか、
「精神の病は、肉体の病よりも完治が難しい。」
とか。
そうかも知れない。
だが、何十万、何百万の人たちは、あの戦争を生き抜いて来た。
人間は強いものだ、と思う。
肉体は、時に脆く崩れ易いが、精神は強い。
そうでなければ、あの大戦で、日本人は全員が精神異常になっていただろう。
アウシュビッツにいたユダヤ人が、今も生きていることなどあり得ない。
自衛隊のニュースは、あの一回きりだった。
新聞にも報道されない。
理由あってのことか、深い仔細は無いのか、も分からない。
たんなる偶然であることを祈りたい。
帰国を喜ぶ自衛隊員とその家族が、賛否両論の渦に巻き込まれることは、誰も望んではいないだろう。
私だって、望んでいない。
ただ、可能ならば、どういうセラピーがどういう理由で必要か。
それを知りたい、とは思う。
ジダンの一件は、さらに拡大されて来たようだ。
「イタリア選手は、ジダンを幾度も侮辱した。」
今日のデイリーニュースは報じている。
ジダン自身、
「親や姉を侮辱されて、黙っていられなかった。」
と、沈黙を破った。
イタリアのマテラッツイは、
「確かに幾度も侮辱的な言葉を吐いたが、それは誰もが日常的に使う程度のものだ。」
と釈明している。
それでも、どちらも実際に何が言われたか、は言わない。
日本人は人を罵る時、
「バカヤロー」
とか、
「くそったれ」
とか、相手自身を誹謗することが多い。
アメリカでも、
「FxxK you」
「Stupid (間抜け)」
など、相手自身を罵る場合もあるが、
「Son of a bitch (娼婦の倅)」
とか、
「Mother fxxker (訳せない)」
などと、親を侮蔑した言葉を発することが多い。
こういう場合も、意味はそれほど深刻ではなく、
「おたんこなす」
「クルクルパー」
程度に考えてよいと思う。
実はスペイン語でも、
「Hijo de puta (女郎の息子)」
という悪口があって、アメリカ同様深い意味は無い。
私は、イタリア人のマテラッツイが発したのは、この類の言葉ではなかったか、と思っている。
それを、新聞できちんと訳せば、確かに母親を侮辱したことになる。
しかし、真意は全く異なる、
「バカヤロー」
程度だったかも知れない。
いま、フランスの新聞の論調は、
「そんなひどい侮辱を受けたのならば、頭突きくらい許されるのでは…。」
と言う風になって来ている。
フランスのみならず、アメリカでも英国でも、ジダンに味方する傾向が感じられる。
それは、この大会が最後、というジダンへの同情、敗れたフランスへの同情。
そういう感情が、一緒になっているのではないか。
暴力を振るったのはジダン、という前提が何処かへ置き去られている。
何となく、
「そこまで言われたのなら、暴力も仕方ない。」
と言う論拠が見え隠れしているのが、愉快ではない。
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