|
子供の頃、まあ11,2歳だが、私は相撲少年だった。
相撲を取るのが好きなのではない。
当時の小学校では、相撲は休み時間の花形だった。
私もその仲間に入ってはいたが、あまり強くない。
それほど弱くはないが、クラスの横綱には手も無く負ける。
皆がやるから僕もやる、程度のもの。
私が好きだったのは、本当の大相撲。
発端は、分かりすぎるほど分かっている。
昭和29年初場所。
生まれて初めて相撲を生で見た。
それも千秋楽。
横綱鏡里13勝1敗。
大関吉葉山14戦全勝。
これが千秋楽最後の取り組み。
あれは多分、両国の国技館だったのだろう。
四本柱もあった筈だ。
親父が貰ってきた升席。
料理もあれば、お土産のおもちゃの軍配などもあった。
何を食べたか、なんて憶えていない。
憶えているのは、結びの一番だけ。
吉葉山が鏡里を寄り切って初優勝。
館内、座布団が宙を舞う大騒ぎ。
のぼせやすい小学生は、すぐのぼせた。
帰り際に見た、吉葉山の優勝パレード・
おりしも降る初雪。
大観衆に囲まれてオープンカーがゆっくり進む。
真ん中に吉葉山。
彼も興奮していただろうが、小さな小学生も大いに興奮した。
当時は、「貸し本や」なんて商売があった。
毎週1回、何冊かの雑誌を置いて行き、翌週新しいのと取り替える。
母にせがんで、「相撲」という雑誌を取ってもらうことになる。
力士名鑑、お好み対談、好取組の写真、往年の名力士。
何度も読み返せば、たいてい憶えてしまう。
幕内力士の身長、体重、得意の技、なんでも憶えた。
吉葉山、身長5尺9寸、体重38貫、得意左四つ寄り切り。
まだ尺貫法廃止のずっと前。
初代若乃花はまだ前頭。
栃錦は確か関脇だったような。
横綱は、昇進したばかりの吉葉山に鏡里、東富士と千代の山。
最近まで相撲解説の人気者だった出羽錦が幕内、緒方さんこと北の洋がやはり幕内。
体重19貫そこそこの鬼龍川、なんてやせっぽちもいた。
今なら72.5kg、私とそれほど変わらない。
とりあえず吉葉山のファンにはなったが、彼は次の大阪春場所を全休。
今考えれば、贔屓のお座敷を廻りすぎての糖尿病だった、と思うが。
雑誌「相撲」にはそんなことは書いてない。
「新横綱の場所に出られず、大変残念」
という談話は出た。
確か、その2月末あたりだったと思うが。
私は母の付き添いで、東大病院に行った。
母が診察を受けている間、ぼんやりと待合室にいる。
と、なんだとても大きな和服の男が、前を通り過ぎて行く。
ひょっとしたら…。
果たしてそれは、吉葉山。
もう母のことなど何処かに忘れて、私は彼の後をつける。
だが、それ以上の才覚は無い。
消え去った診察室の方を見ているだけ。
そこへ、助けの神だったのか。
数人の私と同年輩の少年たちが現れる。
彼らは別に付き添いではない。
横綱が現れるのを知って、この病院に侵入して来た、らしい。
じっと診察室を見ている私に、リーダー格らしい少年が声をかけて来た。
「今、吉葉山が通ったろう?」
「うん、多分…。」
「今日、ここへ来るって聞いてたんだ。」
彼らは、吉葉山にサインを貰う準備をして来ているようだ。
このチャンス、逃してなるものか。
「僕も、サイン貰って欲しいんだけど。」
「おう、いいよ。」
頼もしい言葉とともに、リーダー格は診察室の方へ向かって行く。
私は、仲間とともにじっと待つだけ。
しばしあって…。
彼は、意気揚々と戻って来た。
手には、何枚かの帳面の切れ端を持っている。
「どうだった?」
尋ねる仲間たちに、
「簡単、簡単。」
頼もしげなリーダー格。
私にも、2枚の吉葉山のサインが分配された。
いま、それが何処にあるかは知らない。
この一件は、私の相撲熱をさらに煽ったのだろう。
肝心の吉葉山は、その後さっぱりだったが。
結局横綱として、一度も優勝すること無く引退する。
代わりに、栃錦、若乃花、朝潮、大内山、多士済々。
そして、大鵬、柏戸へと続く。
実は、柏鵬の頃には私の相撲熱はかなり冷めていた。
野球の全盛時代である。
相撲の仕切りの繰り返しにも、いささか辟易していたのだろう。
それでも、NHKの中継は時々見る。
だから、角界の趨勢は大体分かっていた。
貴乃花、輪島、北の湖。
千代の富士から小錦、曙、武蔵丸。
相撲はどんどん変わっていく。
技より力、力より体重。
いま私は、アメリカで相撲を見ている。
2代目貴乃花から朝青龍、そして白鵬。
さらには、ヨーロッパ勢の台頭。
外人の横綱、大関。
別に悪いとは思わない。
柔道は、42年前にヘーシンクに王座を奪われた。
相撲だって、同じことだろう。
外人横綱をファンが嫌えば、相撲は衰退する。
衰退すれば、外人はもうやって来ない。
でも、昭和29年の初場所の熱気は、もう無い。
あの頃、日本人は全身全霊で相撲を見ていた。
その後、野球に、ONに熱中した。
更には、オリンピックに、サッカーに。
今現在は、ちょっと空白の時代。
来年は、どんなスポーツが人気を集めるのか。
相撲も、生き残りに賭けるだろう。
|