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子供の頃は、読書少年だった。
別に本ばかり読んでいる青白い子供ではなかったが、随分読んだと思う。
手当たり次第、という表現がぴったり来る。
河出書房の「昭和文学全集」が、我が家にあった。
鴎外、漱石から石川達三、丹羽文雄あたりまで。
理解出来ないものも読んでいた。
中学辺りから、外国の小説に傾斜して行く。
バルザック、デュマ、ユーゴー、スタンダール、モーパッサン。
選んだわけではないが、フランスの作家が多い。
「赤と黒」や「パルムの僧院」でスタンダールを知った。
「モンテ.クリスト」や「黒いチューリップ」のデュマ。
「ああ無情」のビクトル.ユーゴー。
何と言っても、ストーリーが面白い。
プロスペル.メリメという作家がいる。
「カルメン」という長編で有名だが、多くの短編を残している。
作家であり、官僚でもあった、という経歴。
私は、メリメをそんなに読んでいない。
読んでも忘れたものもある。
だが、たった一つの短編で、彼はけっして忘れることのない作家だ。
「マテオ.ファルコーネ」
あらすじは、簡潔である。
― 舞台は17世紀のコルシカ島。
マテオ.ファルコーネは、その島に妻と2人の娘、未だ10歳の息子と住んでいる。
イタリアとフランスの間で常に争いの焦点となるコルシカは、入れ替わる為政者に苦しめられて
いる。
マテオは、村人から尊敬される「男」である。
銃の名人であり、不正を嫌う。
ある日、マテオは妻のジョセッパと隣村に出かける。
娘二人はすでに嫁いでおり、家には一人息子のフォルチュナートが留守番をしている。
そこへ、捕吏に追われた村人が現れる。
脚に怪我をした男は、マテオの知り合いだと名乗る。
そしてフォルチュナートに、匿ってくれるよう頼む。
「たとえ悪人でも助けを求めれば、これを助ける」
当時のコルシカでは、そういう風潮があった。
当初フォルチナートは断るが、男がいくらかの金を出すと小屋の藁の山に男を隠す。
殆ど同時に、銃をもった役人が2,3人姿を現す。
「怪我をした男が来なかったか?」
問いかけに、フォルチナートは
「何も見ていないよ」
そう答える。
「そんな筈はない。 正直に言うんだ」
声を荒げる役人に、
「僕のお父さんは、マテオ.ファルコーネだよ」
そう聞いて、役人はたじろぐ。
「マテオの家なら、諦めましょうか」
部下の声に促されて立ち去りかけるが、未練がましく、
「本当のことを言ったら、これをやるぞ」
言いながら、鎖のついた懐中時計を見せる。
フォルチュナートは、じっと時計を見る。
「教えてくれさえすれば、これはお前のものだ」
役人は、更に一押しする。
フォルチュナートは、黙って藁の山を指差す。
役人は男を見つけ、縄を打つ。
「お前は裏切り者だ」
男はフォルチナートを罵り、子供は彼に貰った銀貨を投げ捨てる。
役人が男を連れて去りかかるところへ、マテオと妻が帰って来る。
「この家は、裏切り者の家だ」
男が大声で喚き、役人は、
「この子のお陰で、こいつを捕まえることが出来たよ」
そう、マテオに言う。
役人が男を引き立てて去ると、マテオは、
「俺について来い」
そう言って、裏山に向かう。
「あんた、この子をどうするの?」
妻はマテオに取り縋り、
「お父さん、ごめんなさい、もう決してこんなことはしません」
フォルチュナートは、涙ながらに詫びるが、
「黙ってついて来るんだ」
父と子は、林の中で向かい合う。
10歳の息子は、泣きながら侘びを繰り返す。
「お前の知っている、『お祈り』をしろ」
泣きじゃくりながら、息子は祈りを捧げる。
「もっと知っている『お祈り』はあるか?
「伯母さんの教わった『アベマリア』を知っているよ」
「長いな、まあいい、やれ」
フォルチュナートは、祈りを震える声で呟き、
「お父さん、許して下さい」
そして必死に、父に縋ろうと試みる。
しかしマテオは銃を構え、一発で息子を殺してしまう。
マテオは、スコップを取りに家に戻る。
「あなた、あの子に何をしたの?」
妻の問いに、
「あの子は裁かれた。神の許へ行った」 −
これはかなり衝撃的な小説だった。
その証拠に読んでから半世紀の後に、私はくっきりと思い出せる。
このストーリーは、実際に17世紀のコルシカにあった話を元にしていると言う。
そして、このマテオのモデルはかなりの賞賛を受けた、そうだ。
勿論、非難もあっただろう。
この小説は、昭和33年に「少年少女文学全集」に載っている。
これには少々驚いた。
未だあの時代には、こういう小説を子供たちに読ませていたのだ。
まあ、私が読んだのもこの本だったかも知れないが。
「かちかち山」で、ウサギがタヌキを泥舟で沈めて殺した時代。
「百太郎」は鬼を征伐して、宝物を分捕って帰った頃。
しかし、今「マテオ.ファルコーネ」を入手するのは難しいようだ。
殆ど絶版になっているのではないか。
「子供にこんな残酷な本を読ませるなんて」
とんでもない、と世の母親たちは言うだろう。
もし教師がこの小説を子供に勧めたら、彼は職を失うかも知れない。
この小説は、幾度か映画化されている。
最近では、2004年にフランスで。
一言で言えば、「子殺し」の物語。
現代ならば、マテオは犯罪者だろう。
だが、テーマはそれではない。
「裏切り」と「裁き」と「神の赦し」。
我々日本人には、少々分かり難い。
息子に、
「もっと知っている『お祈り』はあるか?」
と尋ねて、息子の答えに、
「長いな、まあいい、やれ」
と促す。
この場面のマテオは、殆ど読む人を凍りつかせる。
10歳であろうと、「裏切り」は決して赦されることはない罪だ。
息子への愛より、掟への「裏切り」の方が重たい。
そう言いたいのだろうが、しかし…。
私は、別にこの本を薦めようと思っているわけではない。
ただ、こういう小説があり多くの人に読まれていた、ことを知ることも悪いことではない。
そういう世界がかつてあり、今だって何処かにあるかも知れない。
そんな理解も、ある意味では大事ではないか。
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