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姉からのメールで、今年が母方の祖父の没後60年になることに気づかされた。
60年前の12月12日に、90歳で死んだ。
生まれた1862年は、明治以前の文久2年。
文久、慶應、明治、大正そして昭和まで。
当時としては、大変な長寿ということになる。
母は郷里の熊本に一人旅立ち、父と子供4人が留守番ということになった。
二人の姉が、家事全般を任されたのだろう。
もうそこら辺は、記憶が怪しい。
改めて、60年という歳月の長さを考えてしまう。
それは昭和27年であり、首相は吉田茂だった。
横綱は、羽黒山、照国、東富士と千代の山となっている。
秋場所(当時は年3場所)では、関脇栃錦が優勝。
日本シリーズは、巨人が4勝2敗で南海に勝つ。
最高殊勲選手は、投手の別所毅彦。
甲子園では、兵庫の芦屋高校が大阪の八尾高校を破って優勝している。
春のセンバツは、静岡商業。
またボクシングの白井義男が、フライ級世界チャンピオンに。
その大騒ぎは、何となく憶えている。
映画「羅生門」が、アカデミー外国作品特別賞を受ける。
黒澤明の「生きる」、今井正の「山びこ学校」、新藤兼人「原爆の子」などの話題作が封切り。
洋画では、「風と共に去りぬ」、「チャップリンの殺人狂時代」、「第三の男」。
美空ひばりの「りんご追分」、江利チエミの「テネシーワルツ」が大ヒット。
ベストセラーでは、壺井栄の「二十四の瞳」とアンネ.フランク「光ほのかに」。
東京青山に、日本初のボーリング場がオープン。
入会金3万円、年会費3千円だが、庶民には高嶺の花で専ら芸能人用。
銭湯の入浴料は、12円だったとある。
「女湯が空になる」と言われた、「君の名は」放送開始。
新聞は、月280円だから今では10倍以上。
この10月、天皇皇后両陛下が、戦後初めて靖国神社を参拝している。
勿論、何処からも苦情などは出ていない。
また明治神宮にも5月が戦後初めての参拝とあるから、GHQの許可がやっと下りたのだろう。
またこの年の6月、静岡県富士宮市上野村で大掛かりな選挙違反が行われ、富士宮高校の女子生徒がその不正を糾弾する投書を朝日新聞に送った。
新聞が調査に乗り出し、数十人が警察に出頭を命ぜられることになる。
しかし、投書した石川皐月とその一家は「村八分」にされ、法務局が調査に乗り出す騒ぎとなった。
だが、石川の通う富士宮高校の生徒会が一致して彼女を擁護し、教職員会も歩調を合わせたため、
騒ぎは少しづつ収まったという。
この事件を題材に、後に新藤兼人が「村八分」という映画を製作する。
こうしてみると、結構中身の濃い1年だったようだ。
日本航空の「木星号」が、大島三原山に激突し、乗員乗客37人全員が死亡。
未だ運賃が高額な時代、社会的に地位の高い人が多く亡くなっている。
5月1日に「血のメーデー」と呼ばれるメーデー騒乱事件が、皇居前広場で起こった。
日比谷公園の集会から流れたデモ隊が、皇居前広場になだれ込んで騒ぎは拡大する。
左翼系の労働団体と警官隊の衝突で、千人以上の負傷者が出たと言う。
これ以降、「メーデー」の集会には厳重な監視体制が敷かれることになった。
戦後7年とは言え、まだまだ人の心は平穏と呼べる状態ではなかった、ということなのかも知れない。
戦後締め出されていたオリンピックにも、この年のヘルシンキ大会から参加が認められている。
しかし、日本の期待を背負った「フジヤマの飛魚」古橋は、400m自由形に8着と敗れる。
最早、全盛時代は過ぎていたということだろう。
結局、「金」はレスリングの石井庄八のひとつだけ。
ついでながらこのオリンピックで、チェコのエミール.ザトペックが5000m、10000m、マラソン全てに
金メダルを獲得しているが、長距離三冠王はこれ以降出ていない。
私はこの時、小学校の2年生。
戦後から新時代への移り変わりを、ただ指を咥えて見ていたのだろう。
近所の池でザリガニを捕り、防空壕に入り込んで遊んでいた。
関心は専ら、メンコと野球。
メンコの絵柄で人気があったのは、「アラカン」の「嵐寛寿郎」「美空ひばり」横綱「東富士」あたり。
「ベーゴマ」は何故か縁がなかった。
恐らく、東京の下町での人気遊戯だったのではないか。
野球は、一も二もなく「巨人」ファン。
周囲に他球団のファンはいなかったし、いても本当の少数派だったろう。
人気選手は「川上」と「千葉」、それに投手の「別所」「大友」。
監督の「水原」も、結構人気が高かった。
今の時代には考えられないが、監督自ら3塁コーチャーズボックスに立ってブロックサインを送る。
テレビのない時代、どうやって贔屓球団の情勢を知っていたか、記憶にない。
球場に足を運ぶことなど、考えもしなかったと思う。
まあ考えても、連れて行って貰える可能性はゼロに近かったのだが。
60年後の今、ニューヨークに住んでいる。
日本の番組をテレビで観て、スカイプの無料テレビ電話で日本の家族や友人と話す。
知りたいことがあれば、PCで検索すれば一発で出て来る。
便利な時代とは思うが、何処となく座り心地が悪い。
急激な変化に、頭と体がついて行けないのだろうか。
この気分は、恐らく決して拭いきれないものだと思う。
なにしろ戦後60数年、大小さまざまの記憶が心の奥にしっかりと根を生やしているのだから。
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