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NHKのニュースは、ほとんど欠かさず観ている。
私の日本に関する知識の50%以上は、此処から得たもの。
人生の前半30数年の実生活の知識と、後半30数年の耳学問。
それに活字の知識全てを織り交ぜて、何とか日本人の風体を保っているわけだ。
だから、欠如している部分は結構ある。
NHKが使わない「流行語」や「隠語」の類は、とんと理解出来ない。
代わりに、「災害関係」や「福祉関係」などは、たっぷり聴かせて貰っている。
最近のニュースで、ちょっと驚いたこと。
東北の何処かの県で、防潮壁を建てる計画があるそうだ。
7m以上の壁を作り、その内側にやはり高い国道を拵える。
さらにその内側に、同じく高いJRの路線を敷設するというプラン。
人家と海の間に、3つの大きな防波堤をぶっ立てようということらしい。
巨大な津波が来ても、3枚の壁が守ることが出来るだろう、と計画者は考えている。
その為には、膨大な量の土が必要になるそうだ。
東京ドーム11杯分、というから想像もつかない。
その土の手配が非常に難しい、とニュースは結んでいる。
土木建築には疎い私だが、この計画の巨大なことはすぐ分かる。
とてつもない量の土砂やコンクリートが必要だ、ということも自明の理。
それで本当に大地震とそれに伴う津波を防ぎきれるか、は曖昧なまま。
「想定内であれば防げるが、想定を越えれば…むにゃむにゃ」、ということなのだろう。
要約すれば、100年に1回起こるかどうか分からない大地震に備えるための防潮堤を作ろう。
100年間に起こるかも知れないし、起こらないかも知れない。
起こってもこの防潮堤が防ぐ可能性は大きいし、起こらなければそれはそれで良い。
莫大な税金を投入することになるが、人命のためなら当然必要な投資と思われる。
はっきりとは分からないが、どうもそういう方向に進んで行かせようという力が働いているようだ。
「多少いい加減なアイデアでも、それがばれる頃にはもうこの世にはいないだろう」
まさかそんなことは考えていないだろうとは思うが、裏切り続けている連中だけに丸々信用は出来ない。
無知と嗤われそうだが、私には素朴な疑問がある。
人は何故、自分の土地に執着するのだろうか。
生まれ育った地に愛着があるのは、分からないでもない。
だが、そこが完全に安全だと、どうして信じられるのか。
「想定外」の地震や津波が、絶対に来ないと誰が保証できるだろう。
太古、人は移動するものだった。
移動するには、それなりの理由がある。
食べ物がない、水がない、などはかなりポピュラーな移動のきっかけだっただろう。
他の部落に襲われる、危険な動物がいる、のであれば移らなければなるまい。
そして、我々の祖先モンゴロイドは、長い長い旅に出た。
アリューシャン列島を渡り、アラスカを踏み越えた。
カリフォルニア(そんな名前はついていなかったが)からパナマを過ぎ、南米に至る。
勿論、その中途で定着した人々もいたに違いない。
だが、満足できない集団はペルーを越えて、遥かパタゴニアに住み着く。
気が遠くなるような、大移動ではないか。
ペルーでもパタゴニアでも、はっとするほど日本人に似た顔立ちの男女を見かける。
大移動の証明を、突きつけられているようさえ思えた。
ヨーロッパでも、同じ移動は起こっている。
大陸で戦いに敗れた人たちは、イギリスへアイルランドへ、最後はアイスランドに移り住んだ。
安住の地と信じ、裏切られればまた旅に出る。
つまり、「安全」は捜し求めるものだったのだ。
しかし、世界は徐々に落ち着いて来た。
国という概念が定着し、簡単に移り住むことは難しくなった。
そこで初めて、人は我慢して一定の地に住むことにしたのだろう。
日本だって、同じような歴史があることは疑いもない。
九州から本州へ、関西から東北へ。
源平の戦い辺りから、「領地」の概念が確立され、移動は難しくなった。
そして「徳川幕府」によって、人は代々同じ国の同じ村に住まなければならなくなってしまった。
それが不幸だったか幸いだったかは、別の話。
東北大震災とそれに続く津波に見舞われた人々の苦難、絶望は想像を絶する。
これからどうすれば良いのか、答えは簡単には出ない。
「先祖代々の地に戻って、そこで死にたい」
「以前のように、家族や親族が同じ集落で住んでいたい」
誰もが異口同音にそう言い、誰もがそれに同意する。
そして、そのためにはどうすれば良いのか、ということが真っ先に持ち出される。
「この地を離れるという選択肢はないのか」
その問いは、ゼロではないにしても大きくはない。
そう問いかけること自体が、非難の対象になるようだ。
「被害者の心に、寄り添う感覚がない」
「父祖伝来の地にいたい、というごく自然な感情を理解していない」
そういう非難の前には、声は次第に小さくなり掻き消されてしまう。
100年に一度あるかないかの災害に備えて、巨額の投資をして防潮堤を作る。
だが津波が来なければ、それは「万里の長城」に等しい。
その巨額の資金で、津波の届かない高地に人々の住居を建設出来ないのだろうか。
「裏は山で、土地がない」
それなら、安全と思われる土地に移住すれば良いのではないか。
狭い日本というが、未だ土地がないわけではない。
「移住したら、漁業が出来なくなる」、とも聞く。
が、現在日本の漁業人口は、減る一方。
魚が減った、油が高い、後継者がいない、理由は色々あるだろう。
つまり、このまま行けば漁業そのものが消滅する危機に瀕しているわけだ。
10mの防潮堤を拵えても、離れて行く若年層を止めることは出来ない。
誰も住まなくなった村落を、巨大な堤防が守っている図を想像して欲しい。
はっきり言えば、これからの計画は若者を中心に据えて考えるべきだ。
高齢者たちが帰れる村を作っても、それはあまり意味のあることではないだろう。
20代30代の青年層がどう思っているのかを知るのが、現在の急務。
彼らが安全な町村に戻りたい、というならそれが計画の中心になる。
若し、別の土地に移り住みたいなら、それに添って考えることが最善ではないか。
人間は、「ホモサピエンス(知性のある人)」と呼ばれる。
同時に、「ホモモーベンス(移動する人)」と定義されてもいる。
一ヶ所に固執することは、決して前進にはならない。
住み慣れた地に「やすらぎ」があるなら、新しい未知の地には「希望」があるはずだ。
そう考えて行動しなければ、人類に「未来」はないように思う。
地球の裏側で、そんなことを考えているのだが…。
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